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17-2 キノコの群生地の守り手

斬音鳥の料理で腹を満たし、しばしの休憩を終えた俺たちは、再び森の中を進み始めた。


木々はますます密集し、頭上を覆う枝葉のせいで、昼だというのに薄暗い。


踏みしめる土は湿っており、ところどころに腐葉土の甘ったるい匂いが漂っている。


いかにもキノコやら何やら、じめっとしたものが好みそうな場所だ。


「この辺り、なんだか空気が重いですね……」


ヨルカが背負い袋を揺らしながら、少し声をひそめた。


「森が深くなってきたからな。気を抜くなよ」


ゾイルは周囲を警戒しながら先を歩いている。


相変わらず頼りになるやつだ。


その時だった。


ふわり、と風向きが変わる。


湿った土の匂いに混じって、どこか濃く甘い、妙な香りが鼻をかすめた。


花のようでもあり、腐った果実のようでもある。


だが不快というより、妙に食欲を刺激する匂いだった。


「ん?」


俺は足を止める。


「どうかしましたか?」


「……いや、なんか匂わないか?」


ヨルカも鼻をひくつかせる。


「たしかに……。これ、キノコの匂いかもしれません」


「キノコ?」


その言葉に、俺は少しだけ目を輝かせた。


食材の気配なら見逃すわけにはいかない。


「行ってみよう」


「ちょ、ちょっと待ってください、サタン様! こういう場所は危ないものも多いですから!」


ヨルカが止めるのも聞かず、俺は匂いのするほうへ足を向けた。


すると数歩先で、ふいに視界が開ける。


木々に囲まれた小さな空間だった。


地面一面が、キノコで埋め尽くされている。


「うおっ……」


思わず声が漏れた。


そこは完全な群生地だった。


白く丸い傘を持つもの。


血をにじませたように赤黒い斑点を持つもの。


細長く、ねじれた角のように伸びるもの。


半透明で、内側に青白い光を灯しているものまである。


大小さまざまなキノコが、腐葉土の上に、倒木の根元に、岩の割れ目にまでびっしりと生えていた。


まるで森が、ここだけ別の生き物の臓物に覆われたみたいだ。


「すごい……」


ヨルカがぽかんと口を開ける。


「こんな群生地、初めて見ました……」


「近づきすぎるな」


ゾイルが低い声で言った。


「こういう場所には、擬態する魔虫や魔獣が潜んでいることがある。キノコそのものが胞子を飛ばしてくる場合もあるぞ」


「うへぇ……」


せっかくの食材ポイントに見えたのに、一気に危険地帯っぽくなってきた。


だが、それでもヨルカの目は少しずつ輝き始めていた。


「でも、見てくださいサタン様! あれ、邪キノコです! それにくろたきもあります! あっ、あっちには月影茸まで……!」


さっきまでへばっていたとは思えない勢いで、ヨルカは群生地を指さした。


「全部食えるのか?」


「全部ではないです! でも、かなり当たりです! こんなの見つけたら普通は大喜びですよ!」


なるほど。


料理人の目には宝の山に見えるわけだ。


俺も改めて群生地を見回した。


たしかに、青白く光るキノコは見た目がちょっと幻想的でうまそうだし、肉厚な傘のやつなんて焼いたら絶対うまい。


……いや、うまそうで死ぬやつも混ざってそうだな。


「採るなら慎重にいきましょう」


ヨルカはそう言うと、荷袋から布手袋と小さなナイフを取り出した。


本当に何でも出てくるな、その袋。


「食べられるものと危険なもの、どう見分けるんだ?」


「匂い、傘の裏の色、柄の模様、切った時の汁の色、それから魔力の流れです。毒茸はたいてい魔力の質がねっとりしてるんですよ」


「ねっとりって、ずいぶん感覚的だな」


「感覚は大事なんです! あ、でも見た目で言えば、白いキノコはだいたいやばい毒があるので取らないでください」


ヨルカは胸を張って言い切った。


一方、ゾイルは群生地の周囲を警戒していた。


剣の柄に手をかけ、少しでも異変があればすぐ動けるようにしている。


「サタン様。採取に夢中になりすぎないでください。こういう場所は、たいてい何かが守っている」


「守ってる?」


「縄張りにしている魔獣か、あるいはキノコを餌にする別の魔物か……。何もいないほうが珍しいです」


その言葉に、森の空気が急にひやりとしたものに感じられた。


見れば、群生地の奥。


倒木の影になっているあたりだけ、不自然にキノコが踏み荒らされている。


「おい、あそこ」


俺が指をさす。


ヨルカとゾイルも視線を向けた。


腐葉土の上に、大きな足跡が残っていた。


ついさっきまで、この群生地にいたのだろう。


「……採るなら、急いだほうがよさそうですね」


ヨルカがごくりとつばを飲み込む。


「いや。たぶん、もう遅い」


ゾイルが低くつぶやいた、その時だった。


群生地の奥で、青白く光るキノコの列が、ぬるりと揺れた。


地面が、わずかに盛り上がる。


「何かが、こっちへ来る」


次の瞬間、群生地の中央付近の土が爆ぜた。


どばっと湿った土が舞い上がり、その中から魔獣が姿を現す。


それはモグラとイタチを混ぜたような異様な生き物だった。


全身は土にまみれた黒褐色の毛で覆われ、胴は細長く、しなやかだ。


だが前脚だけは異様に発達しており、湾曲した鋭い爪が四本、鎌のように伸びている。


鼻先は尖り、土を掘るためか骨ばって硬く、目は退化したように小さい。


その代わりに、ひくつく鼻孔の周囲には、キノコの胞子でもまとっているのか、青白い粉が淡く付着していた。


背を弓なりにしならせたそいつは、喉の奥から低い唸りを漏らす。


「なんだこいつ……!」


サタンが身構える。


「この群生地の主でしょうか……!」


ヨルカも弓を構えながら後ずさった。


魔獣は一瞬だけ地表に姿を見せると、すぐさま前脚で地面をえぐった。


信じられない速さだった。


腐葉土と根を巻き込みながら、その巨体がずぶりと地中へ潜る。


「速い!」


ヨルカが叫ぶ。


直後、地面の下を何かが走る振動が足裏に伝わった。


しかも一方向ではない。


右から左へ、左から後ろへ、斜めに円を描くように、群生地の下を縦横無尽に駆け回っている。


「下だ!」


ゾイルが飛んだ。


次の瞬間、さっきまで立っていた場所の土が鋭く裂ける。


地中から突き出した爪が、土ごと空間を切り裂いたのだ。


「うわっ!」


ヨルカも慌てて身をひねる。


彼女の足首をかすめるように、土の中から鎌のような爪が跳ね上がった。


「見えたら射ます!」


ヨルカはそう言って、すぐに矢をつがえた。


わずかに盛り上がる土の筋を見切り、そこへ放つ。


矢は鋭く飛んだ。


だが、命中する直前で地面の隆起がふっと沈む。


空を切った矢は、そのままキノコの群れの奥へ突き刺さった。


「避けた!?」


「地面の中で軌道を変えております!」


ゾイルが周囲を見ながら叫ぶ。


魔獣は再び別の場所から飛び出した。


口を大きく開き、そこから灰緑色の煙をぼふっと吐き出す。


「毒ガスか!」


サタンは即座に風の魔法を放った。


斬音鳥で得た風魔法だ。


突風が巻き起こり、こちらへ流れ込もうとしていた毒の煙を横へ吹き払う。


だが、流された毒ガスがキノコの群れをなでると、胞子がぶわっと舞い上がった。


「うわ、最悪だなこれ!」


サタンは口元を腕で覆う。


「吸わないでください! 胞子まで来ます!」


ヨルカが叫ぶ。


その間にも、地中の振動は止まらない。


盛り上がる土。


走る気配。


どこから来るか分からない爪の一撃。


ゾイルが短弓を抜いた。


剣ではない。


狩人として携える軽い武器だ。


「出た瞬間を狙います!」


そう言って放った矢は、地面を破って飛び出した魔獣の脇腹をかすめた。


だが、決定打にはならない。


毛皮が硬いのか、筋肉が締まりすぎているのか、浅く刺さってすぐに弾かれた。


「浅い……!」


「やっぱり弓じゃ止まらないか!」


サタンが舌打ちする。


ゾイルは次の矢をつがえながら、素早く位置を変えた。


飛び出してきた瞬間に投げナイフも放つ。


一本、二本、三本。


だが魔獣は地表に出る時間が短すぎる。


しかも身体をひねるのが異様にうまく、致命傷になる位置には当てさせない。


「くそっ、狩り慣れてる動きですね……!」


「狩られる側が、だいぶ狡猾だな!」


サタンが吐き捨てた、その時だった。


魔獣がサタンの真下から飛び出した。


「っ!」


土が爆ぜる。


鋭い爪が腹を狙って突き上がる。


サタンは咄嗟に火をまとった障壁を足元へ叩きつけた。


爆ぜるように広がった炎が、地中から飛び出した魔獣の顔面をあぶる。


ギャッ、と獣じみた悲鳴。


だが致命傷ではない。


魔獣は身を翻して、また潜る。


「火は嫌がるみたいですね!」


ヨルカが叫ぶ。


「ああ、でもこれだけじゃ仕留めきれない!」


地面の下を走る気配は、まだ速い。


むしろ怒りで動きが荒くなったぶん、攻撃頻度が上がっている。


サタンは飛び、転がり、風で体勢をずらしながら爪を避けた。


その最中にも、頭の中では魔法の組み合わせを組み立てていく。


「なら、潜る場所ごと固めるか……!」


サタンは両手を地面へ向けた。


青白い魔法陣が土の上に走る。


「凍れ!」


冷気が一気に広がった。


湿った地表がみしみしと音を立て、腐葉土の下まで白く霜が走る。


完全には凍らない。


だが、柔らかい地面が一瞬だけ締まり、潜行の速度が明らかに鈍った。


「今だ!」


ゾイルの矢が飛ぶ。


地表を割って出ようとした魔獣の肩口へ突き刺さる。


続けざまにヨルカも放つ。


こちらは鼻先をかすめただけだったが、魔獣は嫌がるように頭を振った。


「まだ足りない!」


サタンはさらに風を重ねた。


凍りかけた地面の上を、鋭い風刃が一直線に走る。


地中の気配を追うように土を裂き、盛り上がった箇所を次々に切り崩していく。


すると、地面が一際大きく盛り上がった。


「そこか!」


サタンは今度は火を撃った。


炎弾が土の盛り上がりへ突き刺さり、爆ぜる。


凍って鈍った地面、逃げ道を裂く風、そこへ叩き込まれる火。


三つの魔法が重なった場所から、魔獣がたまらず飛び出した。


「今度こそ!」


ゾイルが矢を放つ。


ヨルカも同時に撃つ。


二本の矢が、魔獣の前脚と脇腹へ突き刺さった。


さらにサタンが追撃の氷弾を叩き込む。


魔獣の前脚が凍りつき、着地に失敗して大きく転がった。


ただ、やはり傷は浅い。


すぐに動き出すだろう。


サタンはすかさず氷を生み出し、地面を這わせた。


凍った前脚と地面を結びつけ、動きを固定する。


「よし!」


だが、そこで気づいた。


転がった魔獣の背中や肩口に、細い菌糸のようなものが絡みついている。


よく見れば、それは地面のキノコの根元とつながっていた。


魔獣が倒れた拍子に、周囲のキノコの一部が一緒にぐらりと揺れている。


「……ん?」


ヨルカもそれに気づいたらしい。


「これ、共生してます……!」


「共生?」


「はい! この魔獣、キノコの群生地を荒らす虫や小動物を食べてるんです! たぶん毒ガスも、キノコを守るためのものです!」


なるほど、とサタンは視線を巡らせた。


たしかにこの魔獣がいたからこそ、群生地は他の魔獣に荒らされずに済んでいたのかもしれない。


さっき吐いた毒ガスの成分も、おそらくこのキノコ由来だ。


互いに生かし合っているのだろう。


キノコは自分の身を魔獣に守らせるために。


魔獣はキノコの一部を食べ、毒ガスを使ってキノコを狙う獲物を狩るために。


この魔獣を殺せば、このキノコの群生地は衰退するだろう。


魔獣は前脚を凍らされ、矢を受けてなお、低く唸りながらこちらを睨んでいる。


だがその視線は、侵入者を追い払う獣のものだった。


殺意一色ではない。


「……なるほどな」


サタンは手の中の火球を消した。


「だったら殺す必要はないか」


「サタン様!?」


ヨルカが驚く。


「こっちも食材は欲しいが、こいつはここの番人みたいなもんだろ。巣ごと潰すのは後味が悪い」


サタンはそう言うと、氷の魔法を薄く広げた。


魔獣の後ろ脚と周囲の地面をさらに凍らせ、四肢を固定し、しばらく動けない程度に封じる。


ゾイルも弓を下ろした。


「……命を取らないのですか」


「ああ。気に入った」


サタンは肩をすくめる。


「キノコを守って、小型魔獣や魔虫を食って、縄張りを守ってただけだろ。こっちが勝手に入ってきただけだしな」


魔獣はなお警戒していたが、すぐには飛びかかってこなかった。


鼻をひくつかせ、唸りながらも、後ろのキノコ群を庇うように体をずらす。


ヨルカはその様子を見て、ほっと息をついた。


「じゃあ、食べられるキノコだけ急いで採ります……。あの子が動けるようになる前に」


「そうしてくれ」


サタンがうなずく。


「次はもう少し穏やかに採らせてほしいですね」


ゾイルが苦笑まじりに言った。


「それは俺じゃなくて、あいつに言えよ」


サタンは、凍ったまま睨んでくる魔獣を見て言う。


群生地の奥では、青白いキノコが静かに光っていた。


その根元で、主を失わずに済んだ菌糸たちが、まるで安堵するように微かに揺れている。

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