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14 ユニコーン鍋がうますぎて泣いた

「いい匂い……」


高級な食材を使った桜鍋は、香りからして違った。


家に入った瞬間から、俺の口の中には唾液がとめどなくあふれはじめていた。

鼻腔の奥まで、濃厚な匂いが満ちてくる。


席に着くと、イルカが自慢の鍋を俺の前へ運び込んだ。


大鍋の中では、たっぷりの肉と野菜が煮込まれている。

邪醤油を中心に、それぞれの食材の風味が複雑に溶け合い、立ちのぼる湯気とともに食欲をかき立ててきた。

肉の脂の匂いが、腹の底をじかに刺激する。


「サタン様、どうぞ」


イルカがまず一杯をよそい、その椀を俺に差し出した。


湯気がふわりと立ちのぼる。

甘い割り下の香りの中で、馬肉の赤みが静かに揺れていた。

しっとりと色づいた肉は脂を溶かして艶めき、まるで淡い紅の宝石が椀の中でほどけていくように見える。


俺は椀を受け取り、そっと目を閉じた。


立ちのぼるのは、よく煮えた野菜やキノコの芳醇な香り。

その奥で、肉の匂いだけがひときわ鮮やかに浮かび上がっている。


しばし香りを堪能してから、ゆっくりと目を開く。

皆がこちらの様子をうかがっていた。


この場で最も立場が上の俺が口をつけなければ、誰も箸を伸ばすつもりはないらしい。


「いただきます」


そう言って、まずは汁をひと口すすった。


「これは、うまい!!」


邪キャベツの甘みと旨み。

邪ごぼうの深いコク。

そこへ邪醤油のまろやかな塩気が重なり、見事な調和を生んでいる。


戦いで疲れた体の芯へ、じんわりと染み渡っていく。

まさに、至福のひと口だった。


次に、箸でそっと肉を持ち上げる。

見た目以上にやわらかい。

甘い香りが、ほのかに鼻先をくすぐった。


口に入れた瞬間――とろけた。


牛とも豚とも、イノシシの魔獣とも違う。

雑味のない、澄みきった上品な旨み。


濃厚でありながらしつこさはなく、舌の上で花開いては、すっと消えていく。

噛むたびに旨みが広がる。


爆ぜる。

消える。

そしてまた、次の波が押し寄せる。


ユニコーンの肉は赤身が多い。

だが、その表面にはわずかに虹めいた艶が宿っていた。

魔力を帯びた上質な魔獣の肉は、魔力を感じ取れる目には、かすかな光を放って見えるのだ。


もうひと口、肉を運ぶ。


その瞬間、赤身の濃厚な旨みが口の中で一気に弾けた。

――まさに、旨みの爆発だった。


同時に、強烈な快感が脳天を貫く。


「サタン様、箸を落とされましたぞ」


ゾイルが何か言っている。

だが、その声すら耳に入らない。


脳内は、ただあふれ出す快感で満たされていた。

箸を落としたことにさえ気づけないほどに。


気づけば、涙が頬を伝っていた。


あまりの感動に、体が動かない。

心が震え、意識はその幸福を受け止めるだけで精一杯だった。


「サタン様、どうなされたのですか!?」


イルカが慌てた声を上げる。

俺の様子を見て、自分が何か失敗したのではないかと焦っているらしい。


だが、そう問われても、しばらく言葉が出なかった。

まるで脳そのものが痺れてしまったかのように、快感が次々とあふれ出してくる。


思考が追いつかない。

ただ圧倒的な幸福だけが、頭の中を満たしていた。


サタンは至福のただ中にいた。

皆が不思議そうな顔でこちらを見ている。


ようやく感動の波が落ち着き、我に返った俺は、イルカに向き直って姿勢を正した。

イルカもまた、緊張した面持ちで言葉を待っている。


「イルカよ。そなたの料理は素晴らしい」


その一言に、イルカはようやく安堵の息を漏らした。


「お褒めいただき、光栄です。ささ、皆さまも、たんとお食べください」


気をよくしたイルカは、皆に食事を勧めた。


「これはうまい!!」


「うわあ!! おばあ様! このレシピを私にも教えてください!」


「ひぇっ。我ながらうますぎて、あの世に昇天しそうだったわい」


その言葉を合図にしたように、皆はいっせいに箸を伸ばした。


それからは、まさに怒涛だった。


誰も彼も、ものすごい勢いで鍋をつつく。

次から次へと口へ運び、夢中で食らいつく。


その様子は、まるで極限まで飢えをこらえていた者たちが、一気に空腹を満たしているかのようだった。


この味を。

この食材を。

ずっと渇望していたのだと、そう言わんばかりの食べっぷりである。


一メートルもの大鍋で作られた桜鍋も、みるみるうちに減っていった。

肉も野菜も汁も、次々と消えていく。


そして俺もまた、箸を止めることなく食べ続けた。

鍋の底が見えるその瞬間まで、ただひたすら夢中で食らい続けたのだった。


「はあー。食った食った。これほどうまい料理を作れるそなたなら、俺の専属料理人になってくれ」


上機嫌になったサタンが、イルカにそう提案した。


それほど感動してくれたサタンに、イルカは親しみを覚えた。

不思議なお方だ、と。


これほどの力を持ちながら、少しも威張ったところがない。

魔界では弱肉強食。

力こそが、そのまま偉さに直結するというのに。


しかし――専属とは、どういう意味なのだろうか。


「専属とは?」


イルカはサタンの意図を確かめるように問い返した。


「ああ、できればこれから行く先々で、料理を作ってもらいたいのだ」


つまりサタンの申し出とは、これから先の旅で手に入れる食材を、自分のために料理してほしいということだった。


だがそれは同時に、イルカ自身もこの村を離れなければならないことを意味する。


食材の多くは、やはり手に入れた直後に調理するのが最もよい。

保存魔法をかければ持ち運びは可能だろうが、使える量にも限りがある。

それに、風味も食感もどうしても落ちてしまう。


「大変うれしいお申し出なのですが、私は族長として、この村を守っていく義務がございます。もしどうしても料理人が必要だとおっしゃるのであれば、このヨルカを連れていってくださいませ。この子もまた、私が直々に教えた料理の弟子にございます。私ほどではありませんが、腕はすでに一人前。それに、これから過酷な冒険に出るのであれば、こんな年老いた婆より、若い体のほうが旅路も楽に越えていけましょう」


本音を言えば、イルカもまた、敬愛するサタンについて行きたかった。

だが、魔境を巡る旅に出るには、自分はあまりに年を取りすぎている。


この老体では、いずれ必ず足手まといになるだろう。

だからこそ、自分が認めるヨルカを連れていくよう進言したのだ。


同時に、孫であるヨルカにも広い見聞を持たせ、旅の中で成長してほしいという思いもあった。


「そうか。イルカがそう言うのなら、そうなのかもしれないな。ヨルカ。お前は俺と旅に出る気はあるか?」


サタンはヨルカをまっすぐ見据え、その意思を問うた。


「はい、サタン様。わ、私でよければ、この村を救っていただいたお礼も兼ねて、ご一緒させていただけたら……と思います」


ヨルカはそう答えた。

まるで、この申し出があることを予想していたかのようだった。


「そうか。よろしく頼む」


これで、俺の仲間は二人に増えたわけだ。


(われがいることを忘れるでない!)


おっと。

ルシファーを数に入れていなかったことを、しっかり指摘されてしまった。


(まあ、俺とお前は二人で一人みたいなものだろ? そうだよな、相棒)


(相棒……うむ! そういうことなら、われに異論はない)


ルシファーは、どこか満足げにうなずいていた。

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