12-2 断首の糸
ユニコーンの群れが駆けると、周囲に地響きが起こり、村の家の横に積んであった薪が崩れ落ちた。
「まるで地震のようだな」
サタンはただ一人、村の入り口に立ち、ゴルド族たちを迎え撃つ。
前方から、砂煙と地響きを立て、武器を振り上げた騎馬隊が迫ってくる。
鉄の蹄が地面を砕く重低音。
鎧と鎧がぶつかる硬質な震え。
馬の荒い鼻息が、風に混じる。
もしこれが人間の兵や力なき魔人なら、恐怖で足がすくむだろう。
騎馬の突撃は、理屈ではなく本能を砕く。
「……悪くない」
サタンは一歩、前に出た。
武器は持っていない。
先日、アントスパイダーと向かい合ったときに失ってしまったのだ。
だが、たとえあったとしても、もはやこのレベルの戦闘にこん棒は不要である。
ひきつけ役はサタン一人。
とはいえ、ほかの者も定位置に配置済みだ。
予定通り、整備した一本道を走ってきてくれた。
最初の浅い落とし穴で、この程度なら問題ないと判断して突撃したのだろう。
計算通りだ。
「まずはお前からだ!!」
騎馬隊の先頭を走っていた、角の生えた兜をかぶる男が、サタンに向けて長い槍を振り回しながら突っ込んできた。
兜には大きな赤い角飾りがついている。
身なりからすると、この騎馬隊の中でも族長に次ぐ副官なのだろう。
その顔つきは、ネズミをいたぶる猫のようだった。
サタンは悠然と構える。
もはやゴルド族の魔人もユニコーンも、脅威に感じていないと言わんばかりに。
「イルカの料理のおかげだな……」
先頭のゴルド族は、突進の勢いを乗せたまま槍を振りかぶる。
ユニコーンの速度と質量が乗った一撃が、そのままサタンに振り下ろされたなら、どれだけの破壊力を生むのだろうか。
一・三トン近い騎乗兵の重量が、時速七十キロでぶつかる。
それは現代の自動車並みの衝突エネルギーに匹敵する。
――当たれば、だが。
しかし、その一撃がサタンのもとへ届くことはなかった。
ズパッ。
乾いた糸鳴りとともに、空間を斬る“何か”が走った。
目に見えぬほど細く、鋭く、冷たい糸。
それは風と共に張られていた、サタンの仕掛けた殺意の罠。
前を駆ける者たちの首が、順に落ちていく。
走る勢いのまま、身体だけが馬に乗ったまま進み、やがてバランスを崩して地面に崩れ落ちた。
血が噴水のように舞い、馬たちは首のない主を乗せたまま、それでもなお駆け続ける。
まるで誰一人、死んだことに気づいていないかのように。
それほどまでに、死はあまりにも静かで、あまりにも正確に訪れていた。
宙に赤い液体が飛び散り、周囲に血の雨が降る。
それに続く者たちも同じように首や胴を断たれ、絶命し、体はユニコーンから落ちていった。
背に乗せる者を失ったユニコーンは、訳も分からぬまま、その場で足踏みするのみだった。
また、状況を理解できていないのは騎乗していた者たちも同じだった。
何が起こったか分からぬまま、驚愕の表情を張りつかせた首が、地面に転がる。
最初に異変に気づいたのは、集団の中ほどに位置していた者たちだった。
先陣を切った騎馬隊が敵のもとへたどり着く前に、ばたばたと馬上から崩れ落ちていく。
突然の騎手の喪失と血しぶきの雨に、ユニコーンの白い体というキャンバスが鮮血で塗りつぶされていく。
そして少し遅れて、族長も異変に気づいた。
「止まれ!!!」
騎馬隊全体に響くように、ゴルド族の族長は命令を下す。
カシラは、血の滴る透明な糸を確認した。
カシラの目は特殊で、数キロ先の獲物の姿さえ捉えることができる。
だが、その透明な糸には気づけなかった。
それほどまでに細く透明度が高く、ご丁寧なことに光の反射まで抑える性質を持っていたのだ。
ユニコーンの体高より少し高い位置に、細い透明な糸が張ってある。
ただの糸ではない。
その糸には魔力がまとわせてあった。
先頭の者が切られたのは、これだろう。
先頭を走っていた十人ほどが、この罠でやられてしまった。
副官である自分の息子も、その中にいた。
怒りで我を忘れそうになるのを、カシラは必死に抑える。
戦場では、冷静さを欠いた者から死ぬのだ。
種が分かれば、なんということはない。
魔力を流して強化された糸に、こんな用途があったとは驚きだが、刀で切れる強度ではある。
「糸が首の高さに張り巡らされてある! 刀で切りながら、ゆっくり進め!!」
カシラは馬を並足で歩かせながら、糸を切って進む。
「今だ。弓矢部隊、放て!!」
サタンが大声で指示を出す。
すると騎馬隊の両脇、木柵越しの森の陰から、魔力のこもった複数の矢が放たれた。
魔術師が矢筒に魔力を込め、それを弓兵に渡す。
ヨルカやゾイル、村の戦士たちが弓を引き、矢を次々と放った。
糸を切りながら馬をゆっくり歩かせていたせいで、格好の的にされてしまったのだ。
柵で整備し、一本道にしていたのは、この罠を仕掛けるためだった。
騎馬隊の中腹にいた者たちも矢の餌食となり、次々と倒れていく。
中には盾を持った騎兵もいたが、ヨルカらが放った魔力をまとった矢は、盾ごと貫いた。
「くそがァ!!! 俺がすべての糸を切り開く!!
皆の者、俺についてこい!!
弓矢を持つ奴は、森の中に潜んでる奴らを射殺せ!!」
敵の策にことごとくはまり、ついにカシラの忍耐は限界を迎えた。
指揮官として保っていた理性が、音を立てて崩れ落ちる。
――もういい。
カシラは馬腹を蹴り、敵の大将であるサタンへと突撃した。
斬馬刀が唸りを上げて振り下ろされる。
重い刃が空気を裂き、その衝撃で周囲の空気が震えた。
柵に近づきすぎた弓兵を両断する。
巨大な斬馬刀を振り回し、張り巡らされた糸を断ち切り、飛来する矢を叩き落とす。
血に濡れた刃が、空気を裂きながら唸りを上げる。
「くそがァ!! てめえ……!!
よくも俺の息子を殺しやがったなァ!!」
顔を真っ赤に染め、血走った目でサタンをにらみつける。
怒りに任せたまま、カシラは狂ったような勢いで突っ込んできた。
どうやら最初に先陣を切っていたのは、このカシラの息子だったらしい。
それでも血の付いた刃で、透明な細糸を正確に断ち切る。
飛んでくる矢をものともせず、恐ろしい速度で距離を詰めてくる。
怒りに呑まれているはずなのに、その太刀筋は狂っていない。
その剣術と目の良さは、まさに驚愕に値した。
「これでも喰らいなさい」
ヨルカはデスシャワーをカシラに放つ。
魔力をまとわせた多数の矢を、カシラへ向けて連続で射放った。
「しゃらくせぇ」
カシラは口を膨らませたかと思うと、二つの火球を吐き出した。
なんと、口からファイヤーボールを放ったのだ。
一つは頭上から降る矢の雨へ。
もう一つは正面から迫る矢へ向かって激突する。
ぶつかった魔力の矢とファイヤーボールは爆散し、周囲の柵を破壊した。
「きゃっ」
爆散した木片がヨルカたちへ飛び散る。
「てめえらはあとで殺してやる。そこでおとなしくしてろ」
カシラは身をすくませるような大声で、弓兵たちを牽制した。
そして再び頬を膨らませると、サタンに向かってファイヤーボールを放つ。
「やるな。でもそれだけじゃ、俺たちは倒せない」
サタンは魔力弾を放つ。
一つはファイヤーボールにぶつけて爆散させ、そのうえでさらに複数の魔力弾を作り出し、連続で放った。
「なに!?」
カシラは、自慢のファイヤーボールがいとも簡単に無力化されたことに驚いた。
それどころか、複数の魔力弾がこちらへ向かってくる。
「くそが!! いくつかは任せるぞ!」
魔力弾への対応を愛馬に託す。
いくつかはユニコーンの角にはじかれ、そのほかはカシラの大剣にはじかれた。
ユニコーンの角は、やはりただの飾りではないらしい。
魔力弾をはじいた族長の大剣にはひびが入るが、ユニコーンの角は健在だった。
「なかなかやるな。では次だ。トルッカ!!」
「御意!」
トルッカとその部下三人がサタンの前に現れ、ユニコーンの四肢へ向かっていく。
「ブヒィィィン!?」
トルッカは大剣でユニコーンの脚に斬りつけた。
丸太すら切り裂きそうな斬撃だったが、太い前脚には打撲と浅い傷がついたのみだった。
しかし、十分に効果はあっただろう。
「しゃらくせー!! 雑魚が!!」
「ぐがッ!」
「ぐふッ!」
「ああ~~!」
部下たちも続くが、カシラの大剣の一振りで蹴散らされてしまう。
「仕方ない。手伝ってやるか」
サタンは手から糸を吐き出し、カシラのユニコーンの脚に絡ませた。
トルッカが与えた傷により、バランスを崩しかけていたユニコーンは、その糸の張力によって完全に体勢を崩す。
勢いよく転倒し、カシラは落馬した。
「ヒヒーン!」
ユニコーンのいななきと、地面への激突音が響く。
しかし、ユニコーンから投げ出されたカシラは落馬をものともせず、鮮やかに地面へ着地すると、すぐさま体勢を立て直してサタンへと疾走した。
蛮族のカシラは、背丈と同じほどもある大剣を片手で抱え、猛進する。
刃は欠け、血と脂で黒く鈍っている。
それでもなお、一振りで人を両断するだけの質量を誇っていた。
筋骨隆々とした体躯が呼吸に合わせて上下し、獣のような唸り声が喉の奥から漏れる。
対するサタンは、武器を持たない。
ただ静かに立ち、目を細めて相手を見据えている。
その瞬間、彼の体表を覆う空気が歪んだ。
魔力が皮膚の内側からにじみ出し、全身を包み込む。
淡く黒い光が走り、筋肉と骨が内側から圧縮されるようにきしんだ。
――硬質化。
皮膚は金属のような鈍い光沢を帯び、指先に至るまで魔力が行き渡る。
ただの肉体ではない。
殴るため、受け止めるための“武器”へと変貌した身体だった。
「砕けろ!!」
カシラが咆哮とともに踏み込む。
大剣が振り上げられ、空気を叩き潰す轟音とともに振り下ろされた。
避ける気配も、受け流すそぶりもない。
サタンの全身から魔力が噴き出す。
皮膚の下で膨張した魔力が、肉体を内側から押し広げ、強引に形を保たせる。
硬質化というより――魔力で無理やり身体を固めている状態だった。
大剣が肩口を叩いた。
ズンッ!!
鈍い衝撃。
刃は肉に食い込む前に止まり、魔力の膜に弾かれて滑る。
血は出ない。
ただ、その衝撃がそのまま地面へ逃げ、足元の土が砕け散った。
「さすがに重たいな!! だが、何とか受け切ったぞ!」
肉弾戦の経験がないサタンは、魔力で身を固め、カシラの攻撃を耐えた。
カシラの顔に一瞬、驚愕が走る。
次の瞬間、サタンの拳が腹部に叩き込まれた。
技も型もない。
ただ、腕を振るうだけ。
だが、魔力で硬質化された拳は、肉を打つというより岩塊を叩きつけるような衝撃を生み、内臓を直接揺さぶった。
「がはっ――!!」
蛮族のカシラは吼え、大剣を振り回す。
縦、横、斜め。
力任せの連撃が空間を叩き潰す。
サタンはそのすべてを受けた。
斬撃が肩に当たる。
脇腹に食い込む。
背中を叩く。
そのたびに魔力が泡立ち、身体の形を保つ。
切られているはずなのに裂けない。
砕いているはずなのに崩れない。
痛みはある。
かなり痛い。
だが、致命にはならない。
サタンは作戦の第二弾を発動させるため、ルシファーに呼びかける。
「ルシファー!」
「任せろ」
ルシファーはサタンの口を借りて詠唱する。
「この世の熱を奪い、その青く透明な槍で敵を貫け――《フローズン・ファングフィールド》(咲き乱れる凍てつく牙)」
ルシファーが呪文を唱え終えると、サタンの周囲十メートルに冷気が漂い、急激に気温が下がる。
カシラの目にも、空中の水分が六つの氷の花弁へ変化するさまが映った。
「雪?」
そして次の瞬間、地面から無数の氷の槍が生み出された。
一・五メートルほどもある鋭利な氷の刃が、カシラに向かって勢いよく伸びる。
地面から襲ってきた氷の槍を、カシラは瞬時に五本ほど叩き折った。
だが、すさまじい数の氷の刃が複数箇所へ突き刺さる。
複数の氷槍が族長の脚や胴を貫いた。
「ごふっ」
複数の氷槍に貫かれ、族長は吐血し、その場で身動きが取れなくなる。
胸の防具を貫き、血に濡れた氷の槍を、彼は茫然と見下ろしていた。
苦悶と恐怖に染まった顔は、自らが死ぬ運命にあると悟ったのか、やがて表情そのものが抜け落ちていく。
「勝負あったな」
サタンの周囲一面に氷の槍が生み出された光景を見て、生き残ったゴルド族はサタンとの力の差を理解したようだった。
精神的な支柱であったカシラもサタンに挑み、もはや虫の息だ。
武器を捨て、馬から降り、手を挙げて降伏し始めた。
「さて、言い残すことはあるか?」
サタンはカシラに近寄り、声をかける。
「ごふっ……せいぜいこの魔界であがいてみろ。お前みたいな半端者では……この先、とても生き残れんだろうさ。この先に……ライ……気を……つけ……ろ……」
「ふむ、精進しよう。もう楽にしてやる。さらばだ」
サタンは腕から出した糸を族長の首へ巻きつけ、魔力を込めて強化する。
そして、そのままカシラの首をはねた。
そうしてサタンは、ゴルド族のカシラの魂を食らうのだった。




