9 ヨルカ 最悪の出会い
ビクッと身を固め、振り返ると、可憐で小柄な女性が立っていた。
皮鎧と弓矢を装備しており、その手には矢がつがえられ、その目は敵意に満ちている。
「お前達は誰だ? アントスパイダーの大群をこの土地に連れてきたのは、私たちの村を潰す気か!? ゴルド族の手の者だな?」
思いきり敵だと認識されているようだ。
この状況はまずい。
この者の勘違いを解かなければならない。
「いや、俺たちは……」
「問答無用!!」
謎の美女は複数の矢を放ってきた。
「えぇ~!?」
……何のための質問だったんだよ。
と思いながら、放ってきた矢を避ける。
散々走ってきて、へとへとなのに……。
しかし、文句を聞いてくれないんだろうな。
サタンとゾイルは紙一重で矢を避ける。
矢は顔の数センチ横をかすめる。
風切り音が耳もとで鳴る。
なかなかの射撃の名手らしい。
それに、矢の速度が異常に速い。
完全に見切ってかわした――はずだった。
それなのに、サタンの頬には細く血が走っていた。
頬を伝う血を指でぬぐい、サタンは目を見開く。
「なぜだ……?」
驚きのあまり、思わず声が漏れた。
謎の美女は、その反応を待っていたかのように、優越感をにじませた笑みを浮かべる。
そして、わざわざ教えてやるとでも言いたげに口を開いた。
「ふふ。自信満々に避けたつもりだったのでしょうけど、魔力をまとった矢は、威力も攻撃範囲も増すのよ」
なるほど。
矢そのものだけではなく、その周囲を覆う魔力まで含めて避けなければ傷を負う、ということか。
魔力弾をまとわせた矢。
そう考えればわかりやすい。
「なるほどな……」
サタンは、自分がかわした矢へ視線を向けた。
地面に突き刺さった矢は、根元まで深くめり込んでいる。
着弾点を中心に地面はひび割れ、その一撃の重さをはっきりと物語っていた。
あれをまともに受ければ、ただでは済まないだろう。
魔力だけで構成された魔力弾よりも、物質に魔力をまとわせたほうが、質量と運動エネルギーが乗る分、威力も効率も高いらしい。
同じ威力を出すにしても、消費する魔力は少なくて済む。
魔力量の少ない者にとっては、かなり理にかなった戦い方だ。
「これは避けられるかしら!?」
謎の美女は、猫がねずみをいたぶるような不気味な笑みを浮かべると、複数の矢を同時につがえ、空へ向かって放った。
放たれた矢は高く昇り、頂点に達した次の瞬間、放物線を描きながらサタンたちへ降り注いでくる。
矢の雨。
そう理解した瞬間、背筋が冷えた。
「よそ見している暇なんてないわよ」
しかも、それで終わりではなかった。
上空を見上げたサタンたちめがけ、今度は真正面から鋭い一射が飛んでくる。
謎の美女が放つ矢には、どれも濃い魔力が込められていた。
速度も、威力も、普通の射手とは比較にならない。
真上から降る矢。
正面から突き刺さる矢。
逃げ場を奪い、回避の意識をずらしたところへ別方向から仕留める。
それが、この美女の常套手段にして必殺技だった。
「ちょっ……! こ、これはやばい!」
ゾイルが悲鳴じみた声を上げながら、真上と正面から迫る矢を必死にかわす。
だが、矢にまとわりつく魔力のせいで、わずかに避けるだけでは足りない。
大きく動いてかわすしかなく、その分だけ体力を激しく削られる。
しかもゾイルは、先日の傷で血を流しすぎている。
貧血気味なのだろう。
そこへ先ほどまでの逃走劇まで重なった。
すでに体力は限界に近いはずだった。
傷は薬でふさがるが、体力の回復は時間がかかる。
「ふふ、踊りなさい。私たちの村を襲おうとする愚か者にはちょうどいいわ」
サタンめがけ、矢の雨と魔力をまとう渾身の矢が襲う。
「甘いな」
しかし、それらはサタンに一本たりとも当たることはなかった。
矢は不思議と、サタンの周囲数メートル先で突如方向を変え、獲物のいない地面へと深く突き刺さる。
まるでサタンの周りにはバリアがあるように。
目を凝らすと、サタンの周囲は霧がかったようにかすんで見える。
「な!!? どうして?」
必殺技で勝負はついた。
そう思っていたのに、サタンへ向かった矢がことごとく当たらない。
謎の美女は、その異常な光景に動揺を隠せなかった。
「なんなの、いったい!?」
自分の攻撃が、こうもあっさり防がれている。
その事実を、どうしても認めたくなかった。
美女は意地になり、再び《デスシャワー》を放つ。
先ほどよりも多くの魔力を矢にまとわせ、同じように空へ打ち上げた。
矢は宙高く昇り、頂点から死の雨となって降り注ぐ。
だが――結果は変わらなかった。
当たらない。
一本たりとも、サタンを射抜けない。
「どうなってるのよ!?」
「ふふ。さっき丁寧に解説してくれた礼に、今度は俺が教えてやろう」
サタンは余裕めいた笑みを浮かべながら言う。
「お前の矢は魔力を帯びている。だから俺は、周囲に魔力を流して“向き”をずらしていたのさ」
「……? それだけで防げるわけない!」
「ただ漏らしているだけならな。だが、俺は違う」
そう言うと、サタンは片手を軽くかざした。
その瞬間、空気がわずかに震え、彼の周囲に淡い光がいくつも浮かび上がる。
「見えやすくしてやろう」
彼の周囲に現れたのは、小さな光の粒だった。
数え切れないほどの微細な粒が、渦を巻くように高速で回転している。
サタンは、肉眼では捉えきれないほど小さな魔力の弾を無数に生み出し、自身の周囲を巡らせていたのだ。
矢が迫る。
すると、その粒が横合いからわずかに触れる。
叩き落とすわけではない。
撃ち砕くわけでもない。
ほんのわずかに。
進む向きをずらすだけ。
だが、それで十分だった。
矢は、サタンの身体をかすめることすらできず、その脇をすり抜けていく。
まるで、見えない傘が矢の雨を受け流しているかのようだった。
さらに、矢には魔力がまとわりついている。
そのぶん外側から力が伝わりやすく、横からわずかに押されるだけで軌道は容易くぶれていた。
「なるほど……」
ゾイルが思わず息をのむ。
「矢は横からの力に弱い。それを利用したのか……!」
サタンの戦術に、ゾイルは素直に舌を巻いた。
「そういうことだ」
サタンは無表情のまま、いかにも当然といった口ぶりで答える。
(……ビビったぁぁ~!!!!!)
だが、その内心はまるで違った。
サタン自身、冷や汗をかきながら必死に矢を受け流していたのである。
表情に出していないだけで、心臓はうるさいほど鳴っていた。
(われの言った通りだったろう?)
ルシファーの得意げな顔が、頭の中にありありと浮かぶようだった。
そう、これはすべてルシファーの指示である。
もちろん、先ほど美女に向けて披露した理屈も、ほとんどがルシファーの受け売りだ。
サタンはゾイルと同じく、必死に矢を避け続けていただけだった。
だがその最中、ルシファーが頭の中で冷静に告げたのだ。
矢の性質。
魔力の流れ。
そして、防ぎ方を。
サタンはそれを、無我夢中で実行したにすぎなかった。
ただし、もう魔力はほぼ空だ。
この会話でどうにか誤解を解くしか手はない。
(ほんと頼りになります。はい)
サタンはおざなりに感謝を伝える。
(サタンよ。先ほど手に入れたアントスパイダーの能力も確かめてみるか)
(それはこの場にうってつけだな。よし!)
「“粘糸”」
ねばつく糸が美女の体にまとわりつく。
美女は自由を奪われた。
さて、これで魔力は空になった。
この辺で美女が話を聞いてくれると助かるのだが……。
「うわあ、なんだこの糸~。やはりお前!! アントスパイダーの親玉だな!!」
何を言っているんだ。この娘は。
少しオツムが残念なのかもしれない。
「ゴルド族の手下と言ったり、アントスパイダーの親玉と言ったり……。なあ、この辺にしとかないか? 俺としては戦う理由がないんだけど?」
「うるさい。お前らをここで始末しないと村がめちゃくちゃになる」
「俺はお前達の村なんて知らないんだけど? 俺らが用があるのはもっと先……」
「もっと先にある隠れ里を攻め落とす前に、われらの村を占領しようということだろう!!」
どうやら、何か事情がありそうだ。
以前に襲撃でも受けたのだろうか?
「こうなったら、禁術を使うしか……」
「禁術?」
「ヨルカ!! おやめ!」
しわがれた声ではあったが、そこには強い意志がこもっていた。
声の主は、また別の人物だった。
現れたのは老婆である。
豪華な飾りを身につけているところを見るに、この土地の有力者なのだろう。
その背後には、護衛と思しき屈強な若い男が四人、付き従っていた。
「しかし、おばあ様! この者たちはアントスパイダーを引き連れてきた魔人どもです。きっと私たちの村を襲うつもりだったのです!!」
ヨルカと呼ばれた美女が、なおも食い下がる。
どうやら、その豪奢な衣装の老婆はヨルカの祖母らしい。
「それが勘違いだと言っておるのだ!! 周囲を巡回している警邏隊の話では、その者たちはアントスパイダーを炎の魔法で追い払ったとのこと。この場に焼け焦げた遺骸がいくつも転がっておるのが、その何よりの証拠じゃ」
「ぐぬぬ……」
ヨルカは言い返せず、唇をかんだ。
「それに、ゴルド族はユニコーンにまたがり野を駆ける民。馬に乗れぬ者は一族の恥とまで言われておる。騎乗できることに並々ならぬ誇りを持つゴルド族が、馬にも乗らず、敵地のど真ん中をうろつくものかい」
老婆はそこで一度言葉を切り、サタンたちをじっと見た。
「それに、その方は……ゴルド族ではない。……そんな矮小な存在ではなさそうじゃがねぇ」
「!?」
自分の誤りを完膚なきまでに指摘され、ヨルカは顔を真っ赤にした。
「だいたい、ここにアントスパイダーはおらんではないか。この方たちが追い払ってくれた時、お前はどこで何をしておったんだい?」
「それは……この者たちの後ろに、ぞろぞろとアントスパイダーがついてきているのを見て、撃退しようとしたのです。そしたら急にあたりが明るくなって、私は、その時に追跡していることを相手に気づかれたのだと思いました。案の定、アントスパイダーの何匹かが私に向かってきたので、応戦していたのです」
なるほど。
それで、俺たちがアントスパイダーを引き連れてきたのだと勘違いしていたのか。
「お前さんたち。私はこの先にある村、ワ族の族長だ。私の孫娘が大変失礼なことをしたねぇ。お詫びといってはなんだが、うちの村でゆっくりしていっておくれ。ヨルカ! あんたは反省しときなさい!」
族長である祖母に叱られ、ヨルカはしゅんとうなだれた。
先ほどまでの強気な態度は、すっかり影を潜めている。
「サタン様、いかがします?」
「招待してくれるんなら、行こうじゃないか。ばあさん、うまい飯食わせてくれるかい?」
「貴様、おばあさ……族長に向かって、その口の利き方は……!!」
サタンの無礼な態度に、ヨルカは再び食ってかかる。
「ヨルカ!!!」
だが、サタンの口の利き方を咎めたヨルカのほうが、逆に叱られてしまった。
この娘、学ばないな。
「あなたの口に合う料理があるかはわかりませんが、腕によりをかけて用意しましょう。お前たち、先に村へ行って、歓迎の準備をするよう伝えておいで」
族長の老婆は護衛の一人にそう命じると、その男はすぐさま村へ向かって駆け出した。
「では、私についてきてくだされ」




