day.7
小百合さんお泊り騒動から、ほんの少し経った頃。
今日は平日だというのに、珍しく冬悟がずっと家にいる。
そんな最悪の日に、俺は昨夜、面白い動画を見つけてしまったせいで、夜更かししてしまい、本来起きなければならない時間にも関わらず、いまだに深い眠りについていた。
「…おい、そろそろ起きろ。」
微睡んだ意識の中で、冬悟の声が聞こえる。
………うっせぇなぁ。
何度も軽く揺すられるが、それが逆に心地よくて、また深い眠りへと誘う。
しかし、突然身体の上にあった重みが軽くなって寒くなり、ジリリリリッ!!と耳元で響き渡る、爆音のアラーム音に驚き、ガバッと飛び起きた。
「うわぁ!!!な、何事!?」
驚きのあまり、心臓がバクバクしている。
辺りをきょろきょろしていると、冷たい視線を感じて、ゆっくりと見上げた。
すると、何故かこの部屋にいる冬悟が、俺を冷ややかな目で見下ろしている。
「あ、あれ?何でアンタが、俺の部屋に?」
「…漸く起きたか。遅刻するぞ。」
その視線が、スッと時計に移動した。
それを追うように、俺も時計を見ると、なんと、あと5分で出ないと間に合わない時間ではないか!
「ヤバいっ!!遅刻する!」
ぼーっとした頭を、無理やり叩き起こし、朝からフル稼働させ、ダッシュで用意する。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよ〜!!」
起こしてもらっておきながらも文句を言うと、お決まりの溜息が聞こえそうなくらいの、呆れた声が耳に入ってきた。
「起きないお前が悪い。寧ろ、起こしてやっただけ、ありがたいと思え。」
「クソッ!」
全くもってその通り過ぎて、何も言い返せない。
何でコイツがいる日に限って、寝坊なんかしちまったんだよ、俺の馬鹿野郎〜!
ドタバタと玄関に向かうと、突然、呼び止められた。
「おい。」
「何だよ!?」
もう出ないと間に合わない。
そんな時に引き止められ、焦っている俺は、凄い剣幕で冬悟を睨みつけたが、何かをギュッと手に押し付けられた。
ひんやりとしている、渡された袋の中を何だろう?と確認すると、そこには、おにぎりが2つと保冷剤が入っていた。
「…向こうで食え。」
どうやら、朝食を用意してくれたみたいだ。
それを見た途端、さっき邪険にしてしまったことを、すぐに後悔した。
時々垣間見せるコイツの優しさに触れる度に、いつも戸惑う。
気まぐれだってわかってるけど、俺を気遣ってくれたことに、素直にお礼が言いたくなった。
だけど、コイツに言うのは、少しだけ恥ずかしい。
俺、前まではそんなこと思ったことなかったし、誰かにお礼が言えない方ではないのに、何でコイツにだけ……?
でも、言わないのはダメだと自分に言い聞かせ、視線は合わせないようにして、それを口にする。
「あ、ありがとう…。じゃ、いってきます!」
バタバタと慌ただしく俺が出て行った後、冬悟がリビングに戻ると、今、ここには絶対にあってはならない物が、床に転がっていた。
「………あの馬鹿は大学に、一体何をしに行ったんだ?」
それを手にした冬悟は、盛大に頭を抱えるしかなかった。
電車の中でおにぎりを頬張り、チャイムギリギリになんとか教室に滑り込むと、俺を見つけた浩二が手を振ってくれた。
「はよ〜ッス。」
「ゼェッ…ハァッ…っ、はよ。何とか間に合った〜。」
「どしたよ?また寝坊か?」
朝から全力疾走をさせられ、疲れてしまった俺は、浩二の横にドサッと崩れ落ちるようにして座る。
そんなよれよれの俺を見て、浩二はニヤニヤと笑った。
「寝坊。昨日動画見過ぎてさ〜。」
「あ〜、あるあるだよな。あ、先生来た。ジャストタイミングだったじゃん。」
「ほんそれな。」
教科書を取り出そうと、持ってきた筈の鞄を掴もうとして、ピシッと固まる。
あ、あれ……?
漸く運動後の汗が引いたかと思ったら、今度は別の汗がダラダラと噴き出てきた。
固まったまま動かない俺を、浩二が隣からひょいと覗き込む。
「純也?どうした?」
「………どうしよ、鞄持ってくんの忘れた。俺、今日の教科書何も持ってねぇわ。」
「〜〜〜〜〜〜ッ!ククッ!!」
「終わった……。」
こんな日に限って、1〜5限目まで、全て授業がある。
ホントに今日は、最悪の日だ。
泣きそうな顔で浩二を見ると、必死で笑いを堪えながら、腹を抱えている。
「そっか、お前…ププッ、スマホしか持って来なかったのか…クククッ。今日もここで動画の続きをブフッ!…見にきたんだ?」
「………。」
口の端をピクピクと引き攣らせ、時々吹き出しながら、からかってくる浩二に、ジトッとした眼差しを向けた。
「………んなわけねぇだろ。ガチで最悪。悪ぃけど、教科書見せて。」
「どうぞ。プフッ。」
悪いのは全てを忘れた俺だが、何故かイラッとする。
だが、ここは我慢だ。
隣でずっと肩を震わせている浩二と教科書を共有してもらい、なんとかこの時間は乗り切った―。
授業終了のチャイムが教室中に鳴り響き、長かった1限目がやっと終わった。
「俺、今日もう帰ろっかな。」
この時限と次は浩二と一緒だから何とかなるけど、3限目からは別々だ。
浩二以外の友達がいない俺は、誰に教科書を見せてもらおうかと考えるのが憂鬱で、既に心が折れそうだった。
「でも、出席しねぇと単位ヤバくね?」
「そ〜なんだよなぁ。マジでどうしよ…。」
ずっとサボってきた自分が悪いのだけど、今日の授業は、何個か絶対に出席しなければならないものがある。
しょんぼりと項垂れて、頭をぐるぐると悩ませていると、教室のドア付近が、何やらいつもよりザワザワし始めた。
「あれ?この学校、あんなカッコいい人いたっけ?」
「見たことない人よね。もしかして、別の学部の人じゃない?」
「あ〜ありうる!後で話しかけようかな〜?」
主に女子達が、黄色い声でキャッキャッと騒いでいるのが聞こえてくる。
何事だろうと思い、そろりと顔を上げると、そこには、本来ここにいる筈のない人物が、きょろきょろと誰かを探していた。
あれっ?俺、今日は寝不足でおかしくなってる?
見えないものが、見えてる気がする。
その人物は、俺と目が合った瞬間、ズンズンとこちらに向かって、近づいてくる。
「と、冬悟!?何でここに…!?」
「えっ、諏訪さん?」
驚き過ぎてぽかんとしたまま、ぱちぱちと何度も瞬きをした。
だけど、目の前に迫ってくる男は、消えてはくれない。
幻〜!………ではなさそうだ。
いつもよりラフな格好で現れた冬悟は、俺の目の前まで来ると、机の上に、ドンッと持っていた物を勢いよく置いた。
よく見ると、それは今日持ってくる筈だった、俺の鞄だった。
「おい、馬鹿者。お前は何をしにここに来ているんだ?」
目の前の男と、この鞄とを、交互に見比べる。
「えっ……と??もしかして、わざわざ持ってきてくれたのか?」
ある筈のない事態に、理解が追いつかない。
コイツ、今日は朝から何なんだ?
突然の優しさ全開に、戸惑いの感情以外を見出だせない。
「それ以外に、俺がここに用事があると思うのか?」
コイツが俺のために……?
いやいや、それはない、それはない。
今日は偶々、ヒマだったんだ。
なにはともあれ、助かったことだけは、事実だ。
「あの、その……サンキューな!すっげぇ助かった!」
やっぱり、今日の俺は、完全に寝不足でおかしくなっていたようだ。
なんと、無意識に、冬悟にガバっと抱きついてしまったのだ。
ハッとした頃には、時すでに遅し。
冷や汗が滝のように流れていく。
俺、なんてことしちゃってんだ!!??
ヤバい……これはヤバ過ぎる!!
怖すぎて、コイツの顔が見れない。
そのまま硬直していると、頭上から手が振り下ろされた気がした。
な、殴られる―!?
ぎゅっと強く目を瞑ったが、ぽんっと頭に温もりを感じただけだった。
あれ―?
そろりと目を開けると、アイツの手が、俺の頭に置かれていた。
は、はぁ〜〜っ!!??
他人に頭を撫でられることなんて、いつ以来だよ!?ってくらい久しぶり過ぎて、心臓のドキドキがうるさいくらいに大きく鳴り響き、身体中の穴という穴から、汗が吹き出ている気がする。
「今日は偶々休みだったから持ってきてやったが、次はないぞ。」
その声色から、呆れられていることが伝わってくる。
……そうだ、偶々なんだって。
勘違いしちゃダメなんだ。
「わかってるって!もうマジで神!」
だけど、まだドキドキが収まらくて、それを隠すために、そのままぎゅーっと抱きついていると、背後から、ン゙ン゙ッと咳払いが聞こえてきた。
「あの〜、お取り込み中のとこ悪いんだけど、え〜っと、諏訪さん?はじめまして、俺、中山 浩二です。純也の友達させてもらってます。」
スッと冬悟の視線が、浩二を捉える。
冬悟の無機質な瞳が初めての浩二は、ビクッと少し緊張したように、指先を震わせた。
「あぁ、君があの浩二クンか。純也から話はよく聞かせてもらっている。これからも、コイツをよろしく頼む。」
コイツ、余所行きの顔してやがる。
普段よりもうんと穏やかな口調のおかげで、浩二の緊張もすぐに解けたようだ。
あっ、そうだ!と何か妙案を閃いたらしい浩二は、冬悟にニコッと笑いかけた。
「もうすぐ授業始まるんで、せっかくなんで、諏訪さんもご一緒にどうですか?」
浩二のあまりにも狂った発言に、さっきの驚きはどこかに吹き飛び、別の驚きがやってきた。
すぐさま冬悟から離れ、浩二の胸倉を掴んで振り回す。
「はぁ!?おい、何言ってんだ浩二!?」
「いや、俺はもう帰らせてもらう。」
冬悟の方は、特に驚きもしないで、淡々とそう答えた後、そのまま立ち去ろうとした。
しかし、その前に、俺の手から逃れた浩二が、サッと立ち塞がる。
「まぁまぁ。こんな機会滅多にないですし、純也となんちゃって大学生活を1日体験してみても、面白いかもですよ!」
「結構だ。」
浩二を躱し、スタスタと冬悟がドアに向かおうとしたところ、運悪く、そこに先生が入ってきてしまった。
「そこの君、早く着席しなさい。」
「………。」
はぁっと溜息を吐いた後、渋々こちらに戻ってきた冬悟は、大人しく俺の隣に座った。
「この授業が終わったら、俺は帰るからな。」
そう俺に耳打ちをすると、不機嫌そうに頬杖をついて、黒板を眺めていた。




