day.63
あの後、パニックになった人々に取り囲まれる前に、冬悟は俺の手を引いて、車に乗り込んだ。
そのまま自宅に向かって走り出した車の中は、さっきの情熱的な感情は一体どこへ行ったのやら、恐ろしいくらいの沈黙が流れていた。
無言のまま、車は何度か迂回しながら、漸く自宅に辿り着く。
「ただい」
ま、と言って家に入ろうとするも、先に入った冬悟が勢いよく振り返り、俺を逃がすまいと後ろのドアをバンッと叩いて、睨みつけてきた。
あまりの気迫に、ヒュッと息を呑む。
「おい、お前、さっきはどうして、あそこにいた?どうして、あんなことをした!」
その瞳には、怒りと心配と不安の感情が入り混じっている。
そして、顔の横に伸びたその腕は、僅かに震えていた。
こんなに感情を剥き出しにした冬悟を見たのは初めてで、言いたいことは沢山あるのに、喉が締まって言葉が出てこない。
「………っ。」
何も言わない俺に、冬悟はギリッと奥歯を噛み締め、より一層、怒りの感情を露わにした。
「お前、さっきの状況が、どれだけ危険なことだったか、わかっているのか!?もし、奴らが暴れ出したら、お前は怪我をしていたかもしれん。それに、もし、気狂いな奴がいたら、殺されていたかもしれないんだぞ!!」
以前の俺なら、こんなに怒られたら、冬悟の言いたいことなんてちゃんと聞かずに、逃げ出していただろう。
でも、冬悟の口から出てくる言葉は、全て俺への心配ばかりで。
俺が妻だと名乗ったことに対して、怒るものではなかった。
あぁ、この人は本当に―。
だから、俺はもう、逃げない。
「冬悟…。」
怒られているとはわかっているのに、不安で押し潰されそうになっている、目の前の男を抱き締めたくて。
ぱっと腕を伸ばし、その背中にしがみつくように回した。
「おい、何を」
「心配かけてごめん…っ!ごめんなさい……冬悟!」
急に抱きついた俺を振り払うことなく、寧ろ、冬悟から力強く抱き締められた。
息ができなくなる程に強く、そして、痛く―。
「許さん。」
俺を抱き締めてくれているその身体は、小刻みに震えていた。
それだけで、冬悟がどれだけ俺を心配してくれていたのか、痛い程に伝わってくる。
「お前はどれだけ俺が心配したか……不安だったのか、何もわかっていない。」
俺を抱き締める腕に、今よりもぐっと力が込められる。
「あの時、お前に何かあったらと、気が気じゃなかった。生きた心地がしなかった。お前がいなくなるかもしれないと思うと……怖かった。」
切なく詰まったその声に、俺の心も震え、泣きそうになってくる。
「…俺にとって、お前は誰よりも大事な存在だ。……お前を失いたくない。もう、この手で守りきれないかと、心臓が潰れるかと思った。」
いつも強い冬悟が、これ程までに弱い姿を、俺に見せてくれた。
そして、語られたその言葉達に、堪えきれなかった涙が一筋、頬をつたっていく。
こんなにも、冬悟の中に、俺の存在があったなんて―。
ずっとずっと、俺だけが、冬悟を追い求めているんだと思っていた。
どれだけ冬悟が俺を想ってくれていたのか、今はっきりと知り、ぎゅっと胸が締め付けられる。
俺に言葉で伝えてくれた冬悟に、俺もちゃんと伝えたい。
「冬悟。」
キツく抱き締められている腕から、少しだけもぞもぞと動き、俺の呼ぶ声に反応して、俺の肩に埋めていたのを持ち上げた冬悟の顔に、そっと両手を添え、こちらを向かせた。
「いつも、俺を守ってくれて、ありがとう。こんなにも、俺のことを想ってくれて、ありがとう。」
俺の大好きな人の、その大好きな瞳に、笑いかける。
「でも、俺もあの時、怖かったんだ。冬悟が俺のところから、いなくなっちゃうんじゃないかって。俺の大好きな冬悟の笑顔が、なくなっちゃうんじゃないかって…っ!」
「純也…?」
ぐっと喉が詰まりそうになる。
だけど、それを振り切るように、声を絞り出した。
「俺、最近ずっと冬悟の様子がおかしいことに気付いてた。ずっと疲れてて、俺に笑いかけてくれる顔も、どこか曇ってた。でも、アンタは何も教えてくれなくて……。」
そっと目を伏せて、ゆっくりと閉じる。
すると、あの時の惨めな感情が蘇ってきた。
「寂しかった……きっと俺を守るためだってわかってたけど、何も言ってくれねぇのが、寂しかった…!だから、冬悟にとっては、俺なんて必要ねぇんだって、悔しかった!!」
溢れ出そうになる涙をぐっと堪え、真っ直ぐに冬悟を見つめる。
「だけど、俺はアンタを諦められなかった。本当は、妻だとか、そんなのもうどうでもよくって、ただただ、冬悟を守りたかった。俺も冬悟を、ちゃんと側で支えたかったんだ!!」
俺の想い、届いてくれ―!
堪えていた筈なのに、やっぱり涙が溢れてくる。
そんな俺を、冬悟はぐっと抱き締めた。
だけど、その手はもう、震えてなどいなかった。
「…ずっと寂しい思いをさせて、すまなかった。お前を守ることに必死で、逆に傷付けてしまっていたことに、気が付かなかった。」
その指が、俺の涙を拭っていく。
そして、そのまま、頬を撫でる。
「だが、1つ訂正させてくれ。お前がいなければ、俺はもうとっくの昔に壊れている。そもそも、お前の存在がなければ、ここまで保つことさえ、できなかっただろう。……俺にとってお前は、もう、なくてはならない存在だ。」
「っ……!」
喉の奥で、歓喜の嗚咽が漏れる。
そっか……よかった。
俺、冬悟のこと、支えれてたんだ。
今度は冬悟が、しっかりと俺の目を覗き込んできた。
その表情は、とても晴れやかで、とても穏やかだった。
「純也、俺を守ってくれて、ありがとう。これからも俺の側にいて、俺を支えてくれ。」
そんな言葉をもらったら、泣いてる場合じゃねぇな!
ごしごしと袖で涙を拭いて、力強くコクンと頷き、ニッと笑った。
すると、冬悟も優しく笑ってくれる。
言葉にしないと、わからないことだらけだったのに、互いに笑い合った今の俺達の間には、これ以上の言葉は必要なかった―。




