day.17
外に飛び出したはいいものの、どこを探せばいいのかわからず、とりあえず、冬悟の会社に向かう。
そこで受付の人に社長をお願いしますと伝えたが、本日はもう退社したと言われてしまった。
仕方なく戻り、行きつけのお店やバー、近所のスーパーなどをくまなく探し回る。
だけど、どこを探しても見つからない。
ずっと走り回っていたため、ハァッハァッと肩で大きく息をする。
もう既に、どこか遠くへ行ってしまったのだろうか?
もう2度と会えないのだろうか?
そんな不安が心によぎったが、ふるふると頭を振り、そんなことはないと、無理やり否定する。
必死で思考を巡らせて、冬悟の行きそうな場所を考えるが、他にはもう思いつかない。
もう、ダメなのか……?
絶望に苛まれ、心が折れそうになった時、ふと、ある場所が頭に浮かんだ。
「そういえば…。」
もしかしたら、そこにいるかもしれない。
一縷の希望を胸に、そこに向かって走り出した―。
役所前に着くと、片手に何かの用紙を持って立っている、冬悟の姿を見つけた。
もう片手には、大きなスーツケースが握られている。
いた…!
「おい!そこのクソ野郎!!覚悟しやがれ!!!」
そう叫んだ後、目的の男に向かって走り、ドカッと勢いよく飛び蹴りを食らわしてやった。
そして、倒れ込んだ冬悟の上に馬乗りになり、ガッと勢いよく胸ぐらを掴み上げる。
「おい、テメェ!何勝手なことしてくれてんだよ!!アンタ、何でいつも1人で全部決めんだよ!何でいつも俺の意見を、聞いてくれねぇの?何で勝手に……いなくなるんだよ……。」
段々と視界が滲んで、ぼやけてくる。
冬悟が手に持っている紙が視界の端に映り、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「……もう離婚届も出したんだ?これでもう赤の他人様だってか!?確かに、アンタは当初の金額である10億を払った。だけど、この契約は、アンタが死んだら、遺産全部俺のものだろ!?こちとら、10億なんかで満足しねぇんだよ、バーカ!!だから、こんな物、こうしてやる!」
10億円の小切手を、冬悟の目の前で、見せつけるようにビリビリに破り捨てる。
欠片となったその紙は、ひらひらと舞い落ち、風がどこかへと散り散りに飛ばしていった。
なぁ、どうして何も言ってくれねぇの?
もう俺の気持ちは、アンタには届かねぇの?
何の反応も示さない冬悟の顔を見ることができず、流れ落ちる涙もそのままに、俯いた。
「……俺、こんなにも、誰かの側にいたいなんて、思ったことなかった。俺はただ、もっとアンタと一緒にいたかった…!だって、冬悟のことが、好きだからっ…!!」
きっと、これが最後になると覚悟して、ありったけの気持ちを込めて、キスをした。
やっぱり……届かなかった。
離れようとした瞬間、ぐっと頭をそのまま押さえつけられる。
「!?」
そのまま長く口付けられ、驚きのあまり頭がこんがらがり、息も段々と苦しくなってくる。
ドンドンと胸を叩くと、漸く解放してもらえた。
「なっ…!?」
「…馬鹿な奴だな。せっかく解放してやったのに、自ら進んで、籠の中に戻ってくるとはな。」
そっと親指で、目尻を拭われる。
俺を見つめるその瞳は、とても優しかった。
「離婚届は、まだ出していない。さっさと出さなければとは思ったが、何でだろうな。お前との関係が名残惜しくて、なかなか踏ん切りがつかなかった。」
ぽかんとしたまま涙が止まらない俺を、冬悟は優しく抱き締めた。
その腕の中は、想像以上に温かく、トクトクと一定のリズムで刻まれている心音が、心地よい。
「お前を俺から解放してやることが、お前のためだと思った。それがお前にしてやれる、最後で唯一のことだと。……それとも、報酬が足りなかったのか?」
最後の少しからかったような問いに、思わず、ふはっと笑った。
「全っ然足りねぇ!足りねぇよ、バカ。10億円にちょっと色付けたって、アンタの遺産とは比べものになんねぇんだろ?だったら、俺は遺産がいい。」
ズズッと鼻を啜りながら、ぐりぐりとその胸に頭を擦り付ける。
「もう2度と、会えねぇかと思った…。」
溢れてくる涙を隠すように、胸に顔を埋めた。
冬悟の大きな手が、戸惑いながらも、背中をさすってくれる。
「…昨日、あの人に言ったお前についてのことは、大方嘘ではない。お前と出会って、自分の中に、今まで感じたことのない感情が生まれてきた。お前を想うと感じる、この温かな感情が、多分、きっと……そうなんだろうな。」
驚いて、思わずバッと顔を上げる。
少しでも、冬悟の心に、俺の存在がいてくれたらと願っていた。
でも、まさか本当に、そんな奇跡が起こるなんて。
心がじわっと幸せな気持ちで、満たされていく。
「…だが、本当にいいのか?俺は重圧に耐えきれず家を出たような、ちっぽけな男だ。それに、もうすぐ、大企業の社長でもなくなる。……そして、誰かを愛することも、知らない人間だ。お前が思い描いているような、幸せな家庭はきっと築けない。それでも、お前は俺と、この結婚生活を続けてくれるのか?」
不安げに揺れる冬悟の瞳を覗き込み、ニカッと笑った。
「当ったり前じゃん!何度だって言ってやるけど、俺は冬悟がいいの!ただ、冬悟と一緒にいたいだけなんだって!別に社長じゃなくても、お金持ちじゃなくても、不甲斐なくてもいいよ。俺だって、汚れものだしな。それに……アンタは誰かを愛することを、知らないわけじゃないよ。愛し方を知らないだけ。それなら、俺が教えてやるから、問題ねぇしな!だから」
真っ直ぐに、冬悟の目を、至近距離で見つめる。
「俺達だけの、幸せな家庭を築こうぜ。」
フッと僅かに口の端を上げて、冬悟が笑った。
いつもの営業スマイルではなく、心から笑ったように見えたその笑顔に、胸がじんっと熱くなる。
「…だったら、覚悟しておくんだな。もう2度と、手放してはやらんぞ。」
その言葉と表情で、冬悟の返事が、どちらなのかすぐにわかった。
嬉しさが爆発して、ぎゅっと抱きつく。
「望むところだ!アンタも、もっと好きって気持ちを理解らせてやるから、覚悟しとけよな!」
「…あぁ、期待している。それと、お前は汚くなんかない……綺麗だ。」
すると、冬悟も、今より強く抱き締め返してくれた。
俺のことを受け入れようとしてくれたその言葉に、心が震え、泣きそうになる。
そして、冬悟の温かな体温と匂いに包まれて、幸せを噛み締める。
「そういえば、冬悟が社長辞めたらさ、俺もちゃんとバイトして、生活費何とかするから。2人でがんばっていこーな!」
励ます気持ちも込めて、ぐっと親指を立てると、何故か、はあっと溜息を吐かれてしまった。
「…お前は俺が、ニートか何かになるとでも思っているのか?」
「えっ?だって、アンタ今社長じゃなくなるって…?」
「俺が辞めるのは、諏訪ホールディングスの社長だけだ。俺が立ち上げた会社数社分の社長まで、辞めるつもりはない。それに、不動産所得や株所得もある。お前に生活費を心配されるようなことには、当分ならん。だから、バイトなんかせずに、真面目に勉強しろ。」
「へっ?」
想像を超えた内容に理解が追いつかず、目を丸くして、ぱちぱちと何度も瞬きをしていると、今度は頭を抱えられてしまう。
「大企業の社長ではなくなるだけだ。俺の会社とは比べ物にならんくらい、諏訪ホールディングスはそれだけデカい会社だからな。ただ、既に上場している企業も何社かある。生活自体には、何ら影響はないだろう。」
「???」
完全に思考回路がショートした俺を、呆れた目が見下ろしている。
「…わからんなら、もう考えるな。とにかく、お前は何も心配する必要はない。残り僅かな大学生活を、謳歌していろ。それと」
ふぅと息を吐いた後、冬悟が俺に向けてきた真剣な眼差しに、ドキリと心臓が跳ねる。
「な、何?」
「…お前との契約関係を、解消したい。これからは、1から、お前との関係を築いていきたいと思っている。」
「つまり、ただの夫夫関係になりたいってこと?」
俺のこの確認に、冬悟はゆっくりと頷いた。
「そういうことだ。」
それって、つまり、お金だとか目的だとか、一切関係なく、俺と一緒になりたいってことだよな!?
契約結婚じゃなくって、普通に結婚したいって思ってくれてるってことだよな!?
ドキドキと胸の鼓動が速くなり、段々と顔が熱くなっていく。
ただ、冬悟のことだ。
当の本人は、そこまで深く考えていないのかもしれない。
だけど、俺の答えは、既に決まっている。
「わかった。いいよ。普通の夫夫になろ!」
「では、これからもよろしく頼む、純也。」
その整った顔が、そっと近づいてきたかと思ったら、優しくキスされた。
初めて冬悟からキスされた俺は、驚いて目を見開く。
だけど、今までのどんなキスよりも、甘くて気持ちいい。
それに身を委ねるように、ゆっくりと目を閉じて、その甘い時間に酔いしれた。
暫くして離れていった後、照れているのを誤魔化すようにヘヘっと笑い、ぎゅっと冬悟の首に抱きついた。
「こちらこそ、よろしくな、冬悟!」
「あぁ。…さて、帰るか。」
よっと立ち上がり、帰ろうとしたが、ヒラッと1枚の紙が目に入ってきた。
「おう!っと、その前に、これもういらねぇだろ?」
冬悟の手から離婚届を取ろうと手を伸ばすが、ヒョイと躱される。
「お前、これも破り捨てる気だろう?」
「そうだけど?」
はぁっと頭を抱えられ、冷たい眼差しで睨まれた。
「馬鹿かお前は。何でもかんでも、その辺にゴミを捨てるな。それに、これは個人情報だ。その辺にばら撒くものじゃない。帰ったらシュレッダーにかけてやるから、それまで待て。」
「…はぁい。」
俺達は並んで歩き出し、同じ家に帰っていく。
2人で同じ未来を歩けることに、幸せを感じつつ、いつか冬悟の口から、ちゃんと好きだって言わせてやると、心の中で誓った。
だけど、この時は、知らなかった。
愛し合ってさえいれば、身分や年齢なんて、関係ないって思ってたんだ―。




