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day.16

冬悟と並んで、静かな川沿いをゆっくりと歩いていく。

暗くなったその道には、殆ど人はいておらず、耳を澄ませば、サラサラと流れる川の音と虫の声だけが聞こえてくる。


「…お前と出会ったあの日、男と結婚すれば、あの人に縁を切ってもらえるんじゃないかと思いついた。」


冬悟は前を向いたまま、ポツリポツリと話し始めた。


「小百合さんの耳に入るよう根回しすると、案の定、向こうから出向いてくれた。その後は、小百合さんが連絡を入れてくれたようで、あの人がお前の周辺を嗅ぎ回り始めた。正直、ここまで上手くいくなんて、思ってもみなかったがな。」


えっ!?

全部、コイツの計算だったのか!?


その告げられた事実に驚き、完全に振り回された怒りも湧いてきたが、それ以上に、ここまでやる執念に、感服してしまった。


辺りが暗いせいで、冬悟の表情がよく見えない。

冬悟は、淡々と話しを続ける。


「後はあの人と話をつけるだけとなった。だが、お前まで連れて来られていたのは、正直計算外だった。お前の挙動不審のおかげで、あの人に買収されたとわかった時は、どうしようかと思ったが……お前が味方してくれて助かった。」


心底ほっとしているような声に、コイツは本当に目的を達したんだなと思った。


「だが、おかげで、お前に情けない姿を見せる羽目にはなったがな。」


「それはお互いさまだろ。」


俺だって、この間、冬悟に情けない姿を晒している。

だから、そんなの、全然気にならない。

そんなことより、俺が気になっているのは―。


冬悟が目的を達した今、俺達の関係はどうなるんだ?


だけど、それを聞くのが、今は怖い。

前の俺なら、10億円だけもらって、喜んでさよならしたのに。


だから、その話にならないよう、必死で別の会話を考える。


「そうだ!なぁ、さっき、ばあさんに話したことは、冬悟の本当の気持ち?」


「………お前のこと以外はな。」


その言葉に、何故だか、ズキッと心が痛んだ。


いやいや、そんなこと、わかりきってたことだろ。

……だけど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、期待しちゃったんだ。


どこまでも馬鹿な自分に、思わず笑ってしまう。


「ハハッ。だよな。」


ニカッと無理に笑顔を作ってみせると、いつの間にか俺の方を向いていた冬悟は、少しだけ顔を顰めた。


「…それより、お前の方こそ、本当によかったのか?あの時破り捨てた小切手に、一体幾らの金額が記されていたのかは知らんが、それなりのものだったんじゃないのか?」


確かに、あれは惜しかった。

破る時に躊躇ったことは、言うまでもない。


だけど、今はお金よりも、大事なものを知ってしまったから。


「いいんだよ、別に。大した金額じゃなかったし。それに、俺が冬悟の味方でいたかっただけだから。」


ニッと笑うと、冬悟の目がそっと細められていった。

そして、ゆっくりと俺から離れていく。


「…そうか。お前のおかげで、俺の目的は達することができた。後は、お前への報酬を、支払わなくてはな。」


その報酬が支払われれば、俺達の契約は終了し、きっと、それぞれの生活に戻っていくのだろう。


だけど、俺は。


「その報酬のことだけどさ、俺はまだアンタと」


そっと冬悟の手が俺の口を塞いだ。

そして、軽く首を横に振る。


「それ以上言うな。」


こんなに切なそうに揺れる、冬悟の瞳を初めて見た。


どうして、そんな目をするんだ?

何で、そんな目で俺を見るんだろう?


どうして、俺の言葉を、聞いてくれないんだ?


塞がれていた口が解放されても、冬悟はこれ以上、聞いてくれそうもなかった。

その雰囲気に、俺も押し黙るしかできないでいた。


静寂の中、川のせせらぎだけが、やけにうるさく聞こえていた。





次の日の朝、目覚めると、いつも通り冬悟はもういなかった。


大学に行き、漸く会えた浩二に、昨日までのことを話す。


「なんか、いろいろ大変なことになってたんだなぁ。まぁ、でも、純也が無事でよかったよ。」


浩二は俺を慰めるように、ぽんぽんと軽く肩を叩いた。


「だけど、アイツは俺との契約を、終わらせるつもりなんだ。」


俯いてしょげる俺を見て、浩二は不思議そうに首を傾げた。


「10億円が、確実に手に入るってわかったのに、何でそんなにしょぼくれてんだ?前までの純也だったら、10億はもらえるわ、離婚もしてもらえて、晴れて自由の身にはなるわで、万々歳で喜びまくってたと思うけど?」


「それはそうかもだけど…。」


それでも浮かない顔をしたままの俺に、浩二は机に頬杖をついて、ふぅと息を吐いた。


「純也はさ、諏訪さんとどうなりたいんだ?」


きっと浩二に嘘は通用しない。

それに、俺のこの気持ちに、もう既に気付いているに違いない。


「俺、これからも、冬悟と一緒にいたい……。ちゃんと恋人らしいこともしてみたい。だから、離婚したくない!」


フッと優しく笑った浩二は、今度はバシッと気合いを入れるように、俺の背中を強く叩いた。


「じゃ、それをちゃんと、諏訪さんに伝えねぇとな!お前もう授業終わったんだし、こんなとこで油売ってねぇで、さっさと帰って伝えてこいよ。後悔してからじゃ、遅いんだからな!」


「いや、今帰っても、仕事で家にいねぇから。でも、サンキューな、浩二。」


浩二のおかげで、この気持ちを伝える決心がついた。


俺は冬悟に、受け入れてもらえないとしても、この気持ちをちゃんと伝えたい。


そう意気込んで帰宅すると、朝にはなかった物が、机の上に置かれていた。


え……?


急いで確認すると、それは10億円の小切手と、このマンションの権利書だった。


小切手の字は、間違いなく冬悟の字だ。

机の上を眺めていると、もう1枚紙が置いてあることに、気が付いた。


その紙には、“報酬は渡した。だから、お前と離婚する。契約内容は、覚えているな?”とだけ書かれていた。


「何だよ…これ…?」


それを見た途端、頭が真っ白になる。


愕然としていると、突然、スマホの電話が鳴った。

すぐに出ると、今会いたい人からではなく、母からだった。


「純也!?あなた大丈夫!?どこにいるの!?純也から突然、見たこともない金額が振り込まれてきて、お母さんもうびっくりしちゃって!何か事件にでも巻き込まれたんじゃないかって、心配で心配で!それに、純也の奨学金が、全額返済されたって連絡があって」


何で。


「…大丈夫、ちゃんと無事だから。うん、また今度説明するから。」


そう言って、電話を切った。


誰がやったのかは、すぐに見当がついた。

スマホを持つ手が、ふるふると震える。


「……あんのクソヤロ〜〜〜!」


絶対見つけて、絶対シバく。


10億円の小切手を握りしめて、バンッと勢いよく、外へと飛び出していった。

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