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day.15

目の前の大金に目を奪われていると、スタスタと誰かの足音が聞こえてきた。


「これでお願いね。」


その小切手を、ばあさんに無理やり手に握らされる。

その瞬間、スッと引き戸が開かれた。


「お祖母様、話とは一体……純也?」


よく知った声に振り向くと、会社から直接来たのか、スーツを着たままの冬悟が、そこに立っていた。

珍しく、困惑したような表情を、浮かべている。


だけど、手の内にある物のせいで、サッと冬悟から視線を逸らしてしまった。


「いつからここに?」


「少し前からよ。話をするなら一緒がいいと思って、わざわざ来ていただいたの。」


俺に尋ねた筈なのに、何故か美代子さんが答える。

俺の方を見たまま、眉間を押さえた冬悟は、はあっと深く溜息を吐いた。


「…一緒に話をするつもりなら、何故私にそう連絡してくださらなかったんですか。」


「あたくしがお迎えに上がった方が、早いと思ったからよ。冬悟さんが結婚された方ですもの、あたくしも個人的にお話ししたいじゃない。」


冬悟はその後は何も言わず、スッと俺の隣に座った。

ぱっと目が合ったその時、お前の好きにしろと、言われた気がした。


そうだよな。

……コイツにとっては、俺なんて、必要ないもんな。


冬悟を取るか、20億を取るか。

気持ちが、ぐらぐらと揺らいでいく。


「さて、お2人ともお揃いになったことだし、早速本題に入らせてもらいます。冬悟さん、あたくしに黙って、勝手に小百合さんとの許嫁を解消して、純也さんとご結婚されたのはどういうことでして?」


「…貴女に事前に報告すると、絶対に反対されると思ったので。暫く経ってから、報告しようと思っていました。」


美代子さんと対峙した瞬間、冬悟は心を殺したように、その声からも表情からも、感情というものが一切消えてしまった。


冬悟……?


少し俯いて、何かに耐えるように、どこか一点だけを見つめている。

そんな冬悟は初めてで、隣にいる俺まで、不安になってきてしまう。


だけど、そんな冬悟の変化に、美代子さんは気付いていないようだった。


「そりゃ反対しますよ。冬悟さん、貴方、諏訪家の跡継ぎだという自覚が、きちっとありまして?失礼ですけど、どこの馬の骨とも知れない、ましてや大学生で、男と結婚するなんて、到底許されることではありません!おわかりですよね?」


「…ですが実際、純也と結婚しています。別れるつもりもありません。」


淡々と受け答えする冬悟に、美代子さんはやれやれと頭を抱えた。


「冬悟さん、お気持ちはわかりますが、諏訪家の次期当主たるもの、子どもの産めない男との結婚は認められません。次の跡継ぎは、どうするつもりです?冬悟さん、貴方が立派な当主になるように、心を鬼にして、貴方のために、言っているのですよ!」


あぁ、今はっきりと、どうして冬悟が俺と結婚したのか、わかってしまった。


「今からでも、遅くはないわ。今時バツイチぐらい、大したことではなくってよ。さぁ、さっさと離婚届を出して、この馬鹿馬鹿しい茶番を、終わらせてちょうだい。」


「…貴女にとっては茶番かもしれませんが、私は本気です。どうしても認められないなら、諏訪家から私を勘当してもらって構いません。」


「何ですって!!??」


……やっぱりな。


その発言に、美代子さんは動揺したようだったが、やがて怒りでフルフルと肩を震わせると、ダンッと机を強く叩いた。


「何を馬鹿なことを言っているの!軽々しくそんな発言をするもんじゃありません!貴方を立派な当主にできなかったら、貴方のお母様に、あたくし、顔向けできやしません!」


これを皮切りに、美代子さんのお説教が止まらなくなった。

キーキーと甲高い声が、客間に響き渡る。


「いつまでも我儘言ってないで!我が諏訪家の当主たるもの、常に正しい行いをしなさいと、あれほど口酸っぱくお伝えいたしましたでしょう!?この離婚は冬悟さんの為なの!わかってちょうだい!!」


誰も口を挟み込む余地さえ与えないくらい、弾丸お説教がまだまだ続いている。


さすがに俺も、これはキツイ。

でも、きっと、これがコイツの日常だったんだろうな。


ちらっと隣に座る冬悟を横目で見ると、さっきと全く変わらない姿勢で、眉一つ動かさないでいる。

ただ、1つだけ違ったのは、何かに耐えるように、僅かに震える拳を握りしめていた。


…………。


ふぅ〜〜〜っと長い息を吐いた後、美代子さんの声を遮るぐらいの大きな音を、わざと出すようにバンッ!と机を叩いて、俺は立ち上がった。


「だーーーっ!もう、うるせぇーーーー!!!」


大声で叫んだ俺に、驚いた2人の視線が集まる。


狙い通りになった俺はニヤッと笑い、手の中にずっと持っていた小切手を、その場でビリビリと破り捨ててやった。

はらはらと舞った紙屑が、紙吹雪のように落ちていく。


さようなら、俺の20億円。


「なっ!?」


「ばあさん、ごめん。だけど、俺は冬悟の味方だから。」


その紙屑を拾い上げた冬悟は、驚いたように目を見開き、こちらを見上げてきた。


「お前……何して」


「いいから、アンタは黙ってろって。」


何か言いかけた冬悟に、大丈夫だと笑ってみせる。


「ば、ばあさん!?まぁ〜!はしたない!それに、偽装妻の貴方が、しゃしゃり出てくることじゃないわ!!」


鬼の形相でギッと俺を睨みつけてくる美代子さんを、哀れむように静かに見た。


「んなことねぇよ。偽装だろうが何だろうが、今は俺が冬悟の妻だ!それに、アンタが冬悟の話を、全然聞いてやらねぇからだろ。いつも、こんなに抑圧的だったのかよ?」


「抑圧的ですって!?貴方、ご自分が何を仰っているのかおわかりになっていらして!?失礼にも程がありましてよ!!」


相も変わらずキーキーと甲高い声で吠えてくる美代子さんを、キッと睨みつける。


「コイツ見てりゃわかんだろ!アンタが窒息トークかましてくるもんだから、言いたいことも、言えやしねぇじゃねぇか!それに、口を開けば、立派な当主になるためだとか、これは冬悟のためだとか言うけど、全部アンタの思い通りにしたいだけだろ!?どれもこれも、本当に冬悟を思ってのことじゃねぇじゃん!!」


「黙りなさい!!!」


顔を怒りで真っ赤にした美代子さんは、全身をワナワナと震わせている。


「貴方に一体何がわかるっていうの?家を継ぐっていうのはね、とっても大変なことなの。貴方みたいな大した家柄でもない人には、この苦労はわかりゃしないでしょうね!貴方は結婚しなかろうが、男と結婚しようが、関係ないのかもしれませんけれど、古より代々続く、ましてや本家であるあたくし達には、それを後世に繋いでいくっていう責任があるのよ!」


美代子さんは何よりも家を大事にし、ずっと守ってきたのだろう。

だけど、その思いが強過ぎるあまりに、誰かを苦しめてしまっていることには、全く気付いていないようだった。


「…ばあさんが、家を大事にしてるっていうのは、よくわかったよ。でも、だからって、それが冬悟の気持ちを、存在を、無視していい理由にはならないと思う。」


「あたくしが、冬悟さんのお気持ちを、存在を、無視しているですって?ハッ、そんなことないわ。いい加減なこと言わないでちょうだい!」


どうやったら、コイツが苦しんでいるって、この人にわかってもらえるんだろう。

絶対に自分は間違っていないという、確固たる信念を持つ相手に。


ギリッと唇を噛み締め、必死に言葉を考えていると、それを遮るように、そっと腕に大きな手が触れてきた。


「純也、もういい。」






冬悟に止められ、驚いたが、その静かな声色から、コイツが落ち着いているのが伝わってくる。


「でも…。それじゃ、冬悟が」


振り向いて、すぐに口を閉じた。

今の冬悟のその瞳には、先程はなかった、強い意志を感じる。


「…お前のおかげで、もう大丈夫だ。」


数秒間、じっと見つめ合う。

ほんの僅かな時間だったけど、今なら大丈夫だって思えた。

その言葉を信じて、ゆっくりと座る。


冬悟は顔を上げ、今まで伏せていた視線を上げ、真っ直ぐ美代子さんの目を見た。


「…お祖母様、私の話を最後まで聞いていただけませんか。」


冬悟の意志の強い眼差しを向けられた美代子さんは、ピクッと眉を顰めた。


「な、何よ?言ってごらんなさい。」


「…ありがとうございます。」


スッとお辞儀をした冬悟は、ふぅっと息を吐き、ゆっくりと話し始めた。


「…私がまだ物心がつく前に母が亡くなったため、幼少期よりずっと貴女に育ててきてもらいました。貴女の期待に応えたい一心で、ずっとその厳しい教えに従ってきたつもりです。立派な当主となる為に、遊ぶことなく勉学に励み、貴女の言う通り、友達すらも選別にかけた。許嫁は既に決められ、恋愛感情にも蓋をした。」


きっと俺の想像を絶する程、厳しく育てられたのだろう。

それでも、幼い冬悟は、美代子さんに認めてもらいたくて、ずっと必死だったのだろうことは、容易に想像できた。


「…ですが、貴女は一度たりとも私を認めてくれたことはなかった。どれだけ努力を重ねても、返ってくるのはダメ出しばかり。何が正解で、何が間違いなのかわからなくなってきた私の心は、段々と壊れていきました。」


「冬悟…。」


痛いくらいに胸が締め付けられて、机の下にある冬悟の手を、咄嗟にぎゅっと握った。

すると、一瞬ピクッと動いたが、振り払われることはなく、まるで大丈夫だとでもいうように、優しく握り返された。


その手は、とても温かかった。


「小百合さんとの結婚が差し迫っていた時、私は純也と出会いました。最初はよくわからない奴でしたが、愚かな程素直で、真っ直ぐで、そして私を、諏訪家の人間としてでもなく、社長としてでもない、ただの諏訪 冬悟として接してくれるこの人に、俺の心は動かされました。」


一体どこまでが本当で、どこまでが嘘なんだろう。


冬悟が俺のことをどう思っているのかは、全く見当がつかない。

全部が本当で、全部が嘘かもしれない。


ただ、本当であって欲しいと、願う自分がいる。


「諏訪家の次期当主になるのは、私しかいないのは、承知の上です。家のルールも当然。ですが、それらをかなぐり捨ててでも、この人と一緒になりたいのです。もし、それが叶わぬのなら、私は諏訪家を去ります。………もうこれ以上、何も奪われたくはありませんので。」


「冬悟さん…。」


「次の株主総会で、社長を交代する準備は既に整えております。今ここで勘当していただけるのなら、当主の座からも社長の座からも、私は身を引く次第です。だからどうか、今、ここで、ご決断をお願いいたします。」


机に頭がつきそうな程、深く頭を下げた冬悟を、美代子さんはとても寂しそうに見つめていた。

きっと、自分がこれほどまでに追い詰めてしまっていたことに、漸く気付いたのかもしれない。


だけど、それは少しばかり遅かった。


ふぅと小さく息を吐いて、意を決したように、美代子さんはスッと背筋を伸ばした。


「…冬悟さんのお話は、よくわかりました。純也さんとのことも、貴方が本気であることは、よくよく理解いたしました。ですが、諏訪家の当主たるもの、ルールを破ることは許されません。よって、冬悟さん、貴方を諏訪家から追放いたします。貴方がこの家の敷居をまたぐことは、2度と許しません。……話は以上よ。さっさと出ていってちょうだい。」


冬悟は俺の手をグッと引っ張り、一緒に立ち上がった。

引き戸を開けて俺を先に出した後、振り返った冬悟は、ありがとうございます、今までお世話になりましたと深く、そして長く頭を下げた。


美代子さんの表情は俺からは見えなかったが、その背中は小さく見えた。


これでよかったのかなんて、俺にはわからない。

だけど、冬悟は自らの手で、心の自由を勝ち取ったのだろう―。





2人で屋敷から出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

繋いでいた手はすぐに離れ、互いに歩き出す。


「冬悟、本当によかったのか?」


閑静な住宅街のため、街灯が少なく、見上げた冬悟の表情は暗くてよくわからない。


「…あぁ。この方が、俺達にとっては互いのためだ。それに、このために、俺はお前と結婚したんだからな。」


「そっか……。じゃあ、アンタの目的は、達成されたんだな。」


「…あぁ。」


お互いに少し黙った後、その沈黙を破るように、冬悟が口を開いた。


「少し歩くか。」

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