day.14
結局、あの後、冬悟とは会えないまま、朝を迎えてしまった。
翌朝も、俺が起きた時には既に、冬悟の姿はなかった。
この心のざわざわを、浩二に聞いてもらおうかと思ったが、今日は講義が1つも被っていないため、大学で会う予定がない。
「はぁ〜っ。ツイてねぇの。」
しょんぼりしながら1日を過ごし、帰ろうと思って校門に向かうと、何やらザワザワと人集りができている。
何だ?
ひょいと覗くと、そこにはピカピカに磨き上げられた、真っ黒なベンツが停まっていた。
この大学、こんな車で来れるようなヤツ、いたっけ?
まぁいいや、俺関係ねぇし。
人集りを掻き分け、車の横を通り過ぎようとした途端、スーッと静かに車の後座席の窓が下がった。
「貴方が、瀧本 純也さんかしら?」
知らない女性の声で突然名前を呼ばれ、ビクッと驚いて、周りをキョロキョロと見回す。
「オホホ、車よ車。こっちに来てちょうだいな。」
まさかと思いながらも、恐る恐る車に近づくと、運転手が車のドアをゆっくりと開き、1人の女性が降りてきた。
その女性は、綺麗な着物を着て、グレーヘアなのに髪をしっかり結っており、しゃんと背筋が伸びた、凛とした佇まいの老婦人だった。
「初めまして。あたくし、諏訪 美代子と申します。冬悟さんの祖母でございます。貴方が、冬悟さんの現在の妻でよろしくって?」
“現在の”という言葉に引っかかりを覚えたが、何も言い返せない。
このおばあさん、物腰は柔らかいのに、冬悟の比じゃないくらい、威圧感がもの凄い。
ニッコリと微笑むその笑顔は、完璧過ぎて、逆に氷の仮面を被っているように感じ、怯んでしまう。
「そ、そうです。」
喉がカラカラになって、やっとの思いで言葉を発した。
「突然ごめんなさいね。一度きちんとお話ししないとと思って、機会を伺っておりましたの。どうぞ、お乗りになって。」
え?
俺も行くのか??
美代子さんが先に車に乗り込むと、ドアマンをしていた運転手に、あとに続くよう促される。
空けられている車の座席を見て、ゴクッと息を呑んだ。
これに乗り込めば、何故だか、全てが終わってしまう予感がして、足が竦む。
その場で立ち尽くしていると、後ろからトンッ運転手に背中を押され、そのまま倒れ込むように座席に座ってしまった。
バタンとドアが閉められる。
「出してちょうだい。」
エンジンが静かにかかり、車はゆっくりと動き出した。
ま、待ってくれ!
俺は行きたくない!!
だが、無情にも、車は走り出す。
車内では、隣にいる美代子さんがずっと世間話をしているのを、大人しく黙って聞くしかなかった。
暫くすると、昔からありそうな、大きくて風格のある屋敷が、目の前に現れてきた。
「着きましてよ。」
その前で車は停まり、運転手が開けたドアから美代子さんが降りる。
俺は反対側のドアから、自分で降りた。
「でっけぇ…。」
その屋敷は、母屋と離れがあり、広大な土地に建っていた。
余りの大きさにぽかんと見上げていると、玄関の中から、こちらにお越しになって、と呼ばれる。
だが、玄関ですら威厳があって、敷居をまたぐのも躊躇われた。
そもそも、何で俺1人で、こんなとこに連れてこられてんだよ〜!
泣きそうになりながら、ええいままよと敷地の中に足を踏み入れる。
「お邪魔しま〜す…。」
靴を脱ぎ、入ろうとした時にハッとした。
普段脱ぎ散らかしている俺は、いつものように、脱ぎっぱなしでお邪魔しようとしていたが、どこもかしこも整い過ぎているこの家では、乱れた靴が異物のように浮いている。
それに気付いた俺は、慌てて、靴をきちんと並べた。
改めて家の中を見ると、ずっと昔からあったのだろうと思わせるような木造建築で、目で見える柱1本1本に静かに積もる歳月の気配が満ちている。
だけど、きちんと手入れが行き届いており、塵1つ落ちていない。
そして、玄関ですら、だだっ広い。
「こちらにいらしてちょうだい。」
案内されるままについていくと、縁側から見える日本庭園がとても美しく、庭なんてよくわからないが、見事だと思った。
畳の敷かれた和室の客間に通され、重厚な机の前に座らされると、目の前にお茶がコトッと出された。
「粗茶でごめんなさいね。いつもはお手伝いの方がやってくださるのですけど、今日はもう帰っていただいたの。」
美代子さんは、当然のように、向かい合うようにして座った。
こ、怖ぇよ〜!
萎縮して、縮こまっている俺を気にすることなく、美代子さんはお茶を一口啜った。
「さて、あまり時間がありませんから、単刀直入に言いますわね。貴方、冬悟さんと離婚してちょうだいな。」
「えっ?」
サラッとスゲェこと言いやがった、この人。
驚く俺を無視して、淡々と話を続ける。
「この間、小百合さんから、許嫁を解消して欲しいって連絡があったの。理由を聞いたら、小百合さんに、別の好きな人ができたからって言われたんですけれど、あたくし、何故か腑に落ちなくて。あたくしの方で探りを入れたら、なんと、冬悟さんが既に貴方と結婚をしていたのよ!あの時は驚いて、腰を抜かしてしまったわ!」
オホホと笑っているが、目が笑っていない。
だけど、簡単に、はいそうですかと、引き下がってたまるか。
ギュッと拳を握りしめ、意を決して、口を開いた。
「挨拶に伺わなかったのは、失礼だったと思っています。ごめんなさい。だけど、俺は離婚なんてしません!」
握った拳が、カタカタと震えている。
だけど、目の前の恐ろしい人の目を、必死に真っ直ぐ見つめ続けた。
「あら、どうして?貴方は冬悟さんにお金で買われただけの、偽装妻でしょう?あたくしの目は、誤魔化せませんことよ。」
そうだけど。
その通りだけども!!
でも、ここで引けるかと、喰らいつく。
「違います!偽装妻なんかじゃ」
「勘違いしないでちょうだい。貴方を責めているわけじゃないのよ?貴方はまだまだお若い。ちょっとお金に目が眩んでしまったのよね?あたくしだって、鬼じゃないわ。一度の過ちを、責めるつもりなんてなくってよ。」
ん?
「いや、だから」
「まったく、冬悟さんにも困ったものだわ。この歳になって、まだお痛なことをするなんて。」
あれ?
「ちょっ、俺の話を」
「貴方は冬悟さんに離婚したいって言うだけでいいの。簡単なことでしょう?」
……このばあさん、人の話全っ然聞かね〜!!
違うつってんのに、自分が正しいと思ってやがるのか、勝手にどんどん話を進めていきやがる。
……ホントは違わねぇけどさ。
「だから、俺は離婚しないってば!!」
大声で叫ぶと、漸くこの場がしんと静まりかえる。
ハァハァと肩で息をする俺を、驚いたように見た後、ばあさんはスッと立ち上がり、どこかへ行ったかと思ったら、すぐに戻ってきた。
「…そうよね。お金で買われたんですものね。違約金を払わないと、いけないわよね。うっかりしていたわ。」
すると、手に持っていた紙に、ペンを走らせる。
「いくらで買われたの?1億かしら、それとも5億?だったら」
何か書かれたその紙を、そっと目の前に置かれた。
よく見るとそれは小切手で、あり得ない金額が記載されている。
「20億でどうかしら?」
倍の金額が今、目の前にぶら下げられた。




