day.13
結局あの後、冬悟から離婚を切り出されることは、ついぞなかった。
そして、あの事件をきっかけに、俺は冬悟に心を開くようになり、アイツのことが…前よりずっと、気になるようになっていった。
あれから少し経った頃。
今日は休日だが、冬悟は今夜出席しなければならないパーティーがあるからといって、夕方にはスーツを着て出かけて行った。
家に残された俺は、動画を見たり、惰眠を貪りながらソファでごろごろしていたが、ふと、机の端に高級そうな黒い革製の名刺入れが置いてあることに気が付いた。
「あれ?これ、冬悟がいつも持ち歩いてるヤツじゃん。アイツが忘れ物とか、珍しいな。」
その名刺入れをそっと手に取って、思考を巡らせる。
いつも持ち歩いているものを忘れたら、俺だったら相当焦るし、すっげぇ困る。
それに、この間は、忘れた教科書を大学まで持ってきてもらったしな。
だから、今回は俺が持ってってやろう!
きっと、冬悟も困っているだろうし。
「そうと決まれば、早速行k…」
そこで、はたと気が付いた。
そういえば、俺、どこでパーティーしてんのか知らねぇわ。
連絡しても、冬悟は絶対出ねぇだろうし。
あ!
そういえばこの間、周さんから名刺貰ったっけ!
周さんに電話してみよっと。
「お電話ありがとうございます。諏訪ホールディングス株式会社の周でございます。」
「あっ、周さん?たき、…諏訪 純也です。この間は、ありがとうございました。」
大学では、今でも旧姓の瀧本を使っているため、諏訪と名乗ることが、めちゃくちゃ恥ずかしくて、そこだけ小声になってしまった。
「奥サマでしたカ!こちらこそ、先日は大変お世話になりましタ!ところで、本日はいかがされましたカ?」
いつもと全然違う、凄く落ち着いた大人な周さんの声色に、一瞬、電話番号を間違えたかもと思っていたが、俺だと認識した途端、いつものテンション高めの調子に戻った。
「えっと、冬悟のことなんだけど、今日パーティーがあるって、もう出かけたんだけど、忘れ物しちゃったみたいで。それを届けたいんだけど、もし周さん場所知ってたら教えてもらえないかな〜って思って。」
「Oh…あの社長が、忘れ物ですカ。それは由々しき事態ですネ。わかりましタ!場所をお教えいたしますが、口頭でも大丈夫でしょうカ?メールアドレスか何か教えていただけましたら、お送りいたしますヨ!」
「じゃあ」
メモしても、多分漢字とかわかんねぇし、万が一、聞き間違えたら、永遠に辿り着かない。
ここは安全牌を取って、メールに送ってもらうことにした。
すぐにお送りしますネ!と電話を切った周さんは、1分と経たない内に、住所を送ってくれた。
すげぇ!
マジで仕事早っ!!
周さんへのお礼のメールと、一応冬悟にもメッセージを送信した後、その住所を地図アプリで検索する。
ちょっと遠いかも。
だけど。
「よしっ、行くか!」
この名刺入れを鞄に入れて、ガチャと玄関の扉を勢いよく開けた。
電車で目的の駅に辿り着くと、そこから約20分程歩いて、漸く目的の場所に辿り着いた。
そこには、広大な敷地一面に、色とりどりの美しい草花が咲き誇る庭が広がり、その奥には、重厚な石造りの洋館が威厳をたたえて静かに佇んでいる。
その光景は、まるで洋画に出てきそうな、広々としたガーデニングパーティー会場だった。
「すげぇ。こんなとこ、日本にあるんだ…。」
あまりにも現実離れした空間に、呆気にとられて見惚れてしまった。
いや、こんなことをしている場合ではないと軽く頭を振り、よく目を凝らして見てみると、その庭の奥の方で、どうやらパーティーが開催されているようだった。
あちこちにスーツやドレスで着飾った人達が、大勢いる。
その様子を眺めていると、風に乗っていい匂いが、ふわっとこちらまで届いてきた。
夜はまだ何も入れられていない胃袋が刺激され、お腹がぐうっと小さく鳴る。
このまま紛れ込んで、ちょっとでもタダ飯にありつけねぇかな。
なんて思ったりしてみたが、普段着で来てしまったため、場違い過ぎる服装に、断念せざるを得ない。
冬悟に着いたと連絡しても、まだ既読になっていない。
電話をしてみても、出ない。
どうすっかなと、入口の前でうろうろしていると、突然背後から声をかけられ、肩がビクッと跳ねた。
「そこの坊や、誰かにご用かな?」
知らない男に、“坊や”と呼ばれ、一瞬にして頭が沸騰しそうになった。
坊やぁ!?
誰が坊やだ!
こちとら、とっくに成人してんだよ!!
そう文句を言ってやろうかと思って、バッと勢いよく振り向くと、そこには大きなスーツを身に纏い、帽子を被った、ふくよかな50代ぐらいの男性が立っていた。
確かに、この人から見たら、まだまだ坊やなの…かも?
文句を言いかけた口を、一旦閉じる。
「あの、諏訪はこちらにいませんか?」
「あぁ!諏訪さんとこの!従兄弟さんかな?」
はぁ?
何言ってんだ、コイツ。
アイツと似てるとか、ガチで無理なんですけど。
このオッサン、一体どこに目ぇ付けてやがるんだ?
じっとりとした視線を投げつけ、一応、今の身分を伝える。
「従兄弟じゃないです。妻です。」
「妻だって?アハハハハッ!」
突然の大爆笑に、こっちが引いてしまった。
何だこの失礼なオッサンは?
一体何がそんなに面白いんだと睨みつけると、ヒィヒィ言いながら、ないないとでもいうように、手をブンブンと振ってきやがった。
「面白い冗談だ。それは君の夢かい?だったら、諦めた方がいい。それは、絶対叶わないだろうからね。」
「は?どういうことッスか?」
すると、そのオッサンは目を見開いて、えっ!?と驚愕した表情で、こちらをまじまじと見つめてくる。
き、気持ち悪ぃ…。
「君、従兄弟なのに、本当に知らないのかい?ほら、諏訪さんとこって、昔からの名家さんでしょ?厳格なお家だって、この界隈でも有名だ。特にお嫁さんに関しては、同じような名家のお嬢さんしか受け入れず、代々許婚制度をとっているって聞くよ。だけど、あの容姿でしょ?周りの人間からしたら、もう悲劇だよ。だって、チャンスがないからね。」
なるほどな。
だから、小百合さんっていう許嫁がいたわけだ。
「そして、彼はその諏訪家の跡取りだ。確か、一人息子だったんじゃないかな?男と結婚するなんて、あり得ないよ。ほら、お世継ぎ問題があるからさ。どんなに国が男同士の結婚を認めても、結局、子どもを産めるのは女性だけだからね。」
……ペラペラとよく話すオッサンだな。
残念だけど、アンタの言動の全てが、とっても不愉快なんだよな。
だから何?って言いそうになるのを堪えるのに、必死だったわ。
だけど、もしそれが本当だとしたら、どうして、冬悟はわざわざ俺と結婚したんだ?
“男”である俺と。
ホントは“俺”である必要はなくって、誰でもよかったんだろうってことは、薄々気付いていた。
だとしたら、“男”である必要があったのか…?
じゃあ、アイツの目的って―?
オッサンから聞いた諏訪家の情報が多過ぎて、ぐるぐると頭を悩ませていると、よく見知った人物が、片手に何かを持ったまま、こちらに向かって歩いてきた。
「純也、もう来ていたのか。」
「おや、諏訪さん!可愛いらしい、君の“妻”って子が来ているよ。よかったね、坊や。」
「あぁ、どうも。」
では、私は失礼するよ、と去っていくオッサンの背中を、ジトッと睨んでやった。
「…金持ちって、アンタとかアイツみたいなのしか、いねぇの?」
「それは、どういう意味だ?それと、そんなわけないだろう。」
冬悟が手に持っている物が気になって、ちらっと横目で見ると、いろんな料理が沢山のった皿だった。
さっきから、匂いがたまんないんだよな。
俺が物欲しそうに見ていることに気付いたのか、冬悟はその皿を、そっと俺の目の前に差し出した。
「どうせ、何も食べていないのだろう?お前を中には入れてはやれんが、ここでなら、食っていいぞ。」
「いただきます!」
喜んで料理と箸を受け取り、すぐさま食べようとしたが、その前にハッと思い出した。
そもそも俺、タダ飯食いに来たんじゃねーわ。
一旦料理を片手で持って、もう片手でゴソゴソと鞄から名刺入れを取り出す。
そして、それを冬悟に手渡した。
「はい、これ。机に置きっぱだったぞ。」
「…これは、もう要らんやつだ。」
「は?」
「…名刺入れは、昨日新しいのに変えた。これは古いやつで、もう必要ないから、家に置いておいたものだ。」
冬悟の言っている意味を理解したくなくて、ピタッと思考が停止した。
だけど、ゆっくりと、その言葉を受け入れる。
「はぁー!!??ってことは、完っ全に無駄足じゃねーか!!先に言えよ!先に!」
「お前が俺に送ってきたLINNEに、何も書かなかったからだろうが。わかっていたら、とっくにそう伝えている。」
その反撃に、うぐっと口籠ってしまった。
確かに、何を持って行くのかを、伝え忘れた気がする。
……なんだ、俺、冬悟の役に立てなかったんだ。
寧ろ、邪魔しにきただけだったんだ。
その事実に、しょんぼりと肩を落として、項垂れた。
「……邪魔してごめん。俺、もう帰る。」
心が折れてしまった俺は、食欲も失せてしまい、持っていた料理と箸を冬悟に押し付けようとした。
しかし、逆にぐっと押し付けられ、受け取ってもらえない。
「せっかくここまで来たんだろう?これだけは食って帰れ。」
こっちに来いと呼ばれ、戸惑いながらもついていく。
すると、入口を少し入ったところの、木の陰に隠れてひっそりとあるベンチに、座らされた。
「ここなら、誰にも気付かれないだろう。ゆっくり食え。」
「…いただきます。」
多分、この料理は、俺のためにわざわざ取ってきてくれたんだと思う。
その皿には、綺麗に盛ってはいるものの、凄い量と種類が詰められていた。
その好意を無下にするわけにもいかず、ゆっくりと一口食べる。
その料理は、冷めているのに、とても美味しかった。
「これ美味っ!」
元々お腹が減っていたこともあり、食べ始めたら箸が止まらなくなった。
そんな俺の様子を、冬悟は黙って見ている。
「冬悟はもう食ったのか?」
「あぁ。全部お前のだ。」
「じゃ、遠慮なく!」
ニコニコと食べ続け、その皿の上は、あっという間になくなってしまった。
「ごちそーさまでした!はぁ、食った食った。」
お腹が満たされたこともあって、ご機嫌になった俺の頭を、突然、冬悟がそっと撫でてきた。
その慣れない感触に驚き、目をぱちくりとさせる。
「な、何?」
困惑して、視線をうろうろさせている俺を、冬悟の視線がずっと捉えている。
「…いや。お前は本当に、美味そうに飯を食うなと思ってな。」
「あぁ、なんだ、そんなこと?」
何か重大なことを言われるのかもしれないと思っていた俺は、拍子抜けして、アハハッと笑った。
そして、冬悟の方に向かって、ニッと笑いかける。
「だって、最近、冬悟と一緒に飯食うと、すごく美味く感じるんだ。なんでだろうな?」
何恥ずいこと言ってんだ俺、と自分にツッコミながらも、ありのままに伝える。
「…そうか。」
すると、そうぽつりと呟いた冬悟の表情が、ほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。
厳格なお家……か。
その表情を見て、ふと、さっきのオッサンの言葉を、何故か急に思い出してしまった。
どうでもいいヤツだった筈なのに、今はコイツのことが知りたくなってる。
「あのさ」
「諏訪さ〜ん?」
さっきのことを聞いてみようと思った矢先に、冬悟を探す声が聞こえてきた。
その声が、どんどんとこちらに近づいてくる。
「…俺はもう戻る。お前も、もう帰れ。」
俺から空になった皿と箸を受け取ると、冬悟は振り返ることなく、その声の方に行ってしまった。
その背中が遠ざかっていくのを、俺は寂しく見つめることしか、できなかった。




