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day.11

4限目、5限目と残り全ての授業を、冬悟と一緒に受けるハメになり、お目付け役効果のおかげで、今日は一睡もすることなく、乗り切ることができた。


「やっと終わった〜。」


だけど、慣れない状況に、いつもの倍は疲れた気がする。

それなのに、隣の男は、いつもと変わらず、涼しい顔をしている。


何でだよ。


背筋を伸ばしてスタスタと歩く冬悟の横で、くたくたになりながら、校門まで向かった。


「車を出してくるから、ここで待っていろ。」


そう言い残し、近くの駐車場に向かった、その広い背中を見送る。


そうだよな。

アイツは電車でなんか、来ないよな。


そしたら、帰りは楽できるな〜なんて思いながら、校門から少し離れたところで、アイツが戻ってくるのを、欠伸をしながら待っていた。


だけど、今日は最悪の日だ。

そのことを、今の俺は、すっかりと忘れてしまっていた―。


「純也?」


突然、聞き覚えのある声で名前を呼ばれ、思わずパッと顔を上げてしまった。

その瞬間、それを後悔することになる。


しまった…!

反応するんじゃなかった!


相手の姿を目に捉えた途端、ビクッと体が震え、みるみると強張っていく。

そこには、かつての“客”だった男が、こっちを向いて立っていた。


この男は、ニヤニヤと気色の悪い笑顔を浮かべながら、こちらに近づいてくる。


「やっぱり純也だ。最近連絡がつかないから、どうしたのかと思ってたよ。」


「あ、えっと…。」


咄嗟に、じりっと一歩後退りした。


この男は、俺を結構いい値で買ってくれていた、元太客だ。

だが、どうやら気に入られていたようで、まるでストーカーのように、こうして何度か大学にまで押しかけてきていたヤツだった。


当時の俺には、それが好都合で、いつもふらっと現れたコイツに誘われるがまま、何度もホテルに出かけていた。


………だけど、本当は、ずっとずっと嫌だった。

自分の身体を、どうでもいい奴にベタベタ触られる度に、吐き気がした。

弄ばれる度に、心を殺し続けた。


浩二には気のせいだなんて言ってたけど、最近ずっとつきまとわれていることには、気付いていた。

しかし、もう抱かれるつもりはないため、ずっと逃げていたのに。


今日に限って、気を抜いてしまったのだ。


何やってんだよ、俺……ッ!


「やっと会えたぜ。なぁ、純也?今までずーーーっと連絡してたのに、一体どうしちまったんだよ?金なら用意してあるぜ?だから、久しぶりにヤらせろよ。今日は奮発して、5万でどうだ?」


じりじりと壁際に追い詰められていき、段々と逃げ場を失っていく。


どうしよう―。


ハッハッと息が苦しくなっていき、冷や汗が止まらない。

それでも何とか拒絶したくて、視線を合わせないまま、首を横に振った。


「いや、俺もう客取ってないから。」


「ハハッ、相変わらず、交渉上手だなぁ。じゃあ、7万にしてやるから、行こーぜ。」


とうとう追い詰められてしまい、完全に逃げ場を失ってしまった。

次の手を考える間もなく、その汚い手が俺の腕をぐっと掴んだ瞬間、バッと払い除ける。


「は、離せよっ!だから、俺はもう、客は取ってねぇつってんだろ!!」


「はぁ?何意味わかんねーこと言ってんだよ。おらっ、さっさと来いって。じゃねーと」


すると、男はスマホをポケットから取り出し、ある動画を俺に見せつけてきた。

それを目にした途端、驚愕のあまり、目は見開いていき、顔からは、サアァッと血の気が引いていく。


「そ…れは……。」


「そ、お前のハメ撮り動画だよ。綺麗に撮れてるだろ?お前が来ねーなら、この動画、SNSに拡散しちゃうぜ?嫌だよなぁ?お前のあられもない姿を、世界中の皆に見られるなんてさぁ。」


絶望が、目の前にそびえ立っている。

あぁ、これが、今まで俺のしてきたことの、ツケなんだ。


今の生活が快適過ぎて、全てを忘れてしまっていた。

今はお金に困ることもなく、身体を求められることもない。

やっと、俺もまともな生活を、手に入れることができたと思っていたのに。


過去が、俺を捕らえて離さない。


その現実を目の当たりにし、カタカタと体は小刻みに震え始め、奥歯はカチカチと鳴って止まらなくなった。


「わかったなら、来いよ。」


もう一度、男にぐっと腕を引っ張られたが、今度はもう、振り払える気持ちは残っていなかった。

頭は真っ白になっていて、まるで自分のものではないように、身体が勝手にふらふらとついていってしまう。


少し歩くと、ふと、冬悟と交わした結婚の契約内容を思い出した。


“どれだけの金額を積まれても、他の奴には抱かれないこと”


その瞬間、ハッと自分を取り戻し、もう一度、その手を勢いよく振り払った。


「………行かない。」


俺は、絶対に10億円を手にするんだ。

その強い思いが自身を奮い立たせ、なんとか気持ちを立て直すことができた。


キッと真っ直ぐに、この男を睨みつける。

すると、男の方も目の色を変え、スマホを大きく振りかざした。


「じゃあ、拡散決定だな。せいぜい、俺に歯向かったことを、後悔しな!」


そう叫び、男の指が、スマホに触れようとする。


俺の人生、クソダサで、あっけなかったな―。


覚悟を決めて、顔を伏せると、前からぎゃあっ!という男の悲鳴が聞こえてきた。


「…なるほどな。これがその動画か?」


まさか。


聞き馴染みのある声が聞こえ、ぱっと顔を上げる。

すると、背後からその男の指を捻り上げ、男のスマホを取り上げた冬悟がいた。


そして、もう片手には、自身のスマホを手に持っている。


「お前達のやり取りは、最初から綺麗に撮れている。この動画を元に、貴様を警察に突き出せば、暴行罪、脅迫罪、撮影罪は成立するだろうな。それに、そのままホテルに連れ込んでいたら、不同意性交罪まで立証できたかもしれないんだが。残念だ。」


冬悟が纏っている空気は、怖いくらいに凍てついていて、そしてとても威圧的だった。

それに圧倒された男はゴクッと生唾を飲み、じりっと後退りする。


「な、何なんだよテメー!?テメーには何の関係もねーだろうがよ!!さっさと人のスマホ返せや!」


今にも誰かを殺すんじゃないかっていうぐらい殺気立った目が、スッとその男を捉える。


「悪いが、関係なくはないのでな。今ここで、このスマホは破壊させてもらう。」


「はぁ!?ふざけん」


抵抗しようとしたその男の口を、ミシッと音が鳴るくらいに、手で強く塞いた冬悟に、男の体がカタカタと震え始めた。


「異論はないな?それと、貴様がこの悪趣味な動画を拡散するなら、俺は俺のやり方で、貴様をこの社会から抹殺してやろう。」


氷のような視線で釘を刺された男は、わかったというように、コクコクと何度も頷いていた。

冬悟がバキッと真っ二つに割ったスマホが、ボトボトッと地面に転がる。


「ところで、貴様、コイツのストーカーをしていたのか?」


震える男はブンブンと首を横に振り、今日偶々ここを通った時に見かけただけだ、と叫んだ。


噓吐き。


たけど、これ以上は可哀想に思えてきて、何も言わなかった。


「そうか。なら、もう用済みだ。だが」


男をもう一度冷たく見下ろした後、ゆっくりと俺の方に近づいた冬悟は、男に触れた手とは反対の手で、そっと肩を抱き寄せた。


「金輪際、俺の妻に近づくな。」


冬悟が低く唸ると、その男は首を縦に振った後、物凄い速さで逃げていった。


あまりの手際のよさに、一連の流れをただただ見ていることしかできなかった俺は、暫く呆然としていた。


「帰るぞ。」


肩を抱き抱えられたまま、ゆっくりと歩き出す。

そのまま、近くに停めてあった車に乗せられ、その手が離れていった。

だけど、その場所だけは、今でもじんわりと温かさが残っていた。





帰りの車の中は、とても静かだった。

俺も冬悟も黙ったままで、時間はそんなに経っていない筈なのに、やけに長い沈黙が流れている。


その沈黙を破るように、重い口を漸く開いた。


「あのさ……その…さっきは助けてくれて、ありがとう。」


冬悟はこちらに一瞥をくれることもなく、あぁとだけ返事をくれた。


だけど、その声色が、いつも以上に素っ気なく感じ、そういえば、冬悟にはもう、俺が“汚れもの”であることがバレてしまったんだと、気が付いた。


……あーあ、短い結婚生活だったな。


結婚してからの快適な生活が、走馬灯のように脳内を駆け巡り、それを一瞬で壊した自分自身が情けなくて、泣きそうになってしまった。


それを誤魔化すために、話しを続ける。


「……俺の家、貧乏でさ。昔からずっと金がねぇの。高校の時からバイトしてたんだけど、時給があんまよくなくて。何とか大学に入っても、普通のバイトじゃ、やっぱり時給が安くてさ。俺、妹が1人いるんだけど、ソイツを高校に通わせてやりたくて、がんばって仕送りしてた。でも、それだけじゃ足りなくて。身体を売ったら、たった1回で3〜5万くらい稼げてさ。………今は馬鹿だったって思ってる。」


窓にもたれながら、ポツリポツリと話す俺の言葉を、冬悟は何も言わずに聞いていた。


どうして、コイツにこんな話をしてしまったのかよくわからないが、きっと、ずっと、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。


誰かに、助けて欲しかったのかもしれない。


話題のチョイスをミスったな、とハハッと自嘲うと、今まで黙っていた冬悟が、ゆっくりと口を開いた。


「…3〜5万か、安いものだな。」


淡々とした口調のまま、静かに続いていく。


「だが、当時のお前は、それ以外の方法を思いつかなかったのだろう。仕方がないとは言わんが、これに凝りて、二度としないことだ。お金でお前を“買った”と思っているああいう連中は、何をしても許されると勘違いしている奴が多い。」


「……アンタの言ってることは、正しいよ。けど、何もかも持ってるアンタには、きっと、俺達貧乏人のことなんて、わからねぇよ。でも………もう絶対にしない。」


せっかく助けてもらったのに、話を聞いてもらったのに、素直になれない俺は、八つ当たりしてしまった。


俺、最悪だ―。


それ以上、冬悟は何も言わなかった。

俺は窓の方を向いたまま、嗚咽が漏れないように必死で堪える。


本当は、あの時来てくれたことが、嬉しかった。

この声が聞こえた時、何故だか、安心したんだ。


……俺と一緒に暮らしてくれて、ありがとう。


言えない言葉を飲み込んで、今後の生活をどうしていこうかと考えながら、流れる景色を眺めていた。





その日の夜は、なかなか眠れなかった。


自分の部屋で1人きりになると、身体が勝手にカタカタと震え出す。

布団を被って、キツく目を閉じてみても、先程のことを思い出して、涙が溢れてきてしまう。


前はこんなの、全然平気だったじゃん。

それに、前はずっと、独りだっただろ。

明日離婚されても、俺は大丈夫。


何度繰り返し呟いても、この震えが止まらない。


一旦落ち着こうと、ふらふらになりながら部屋を出ると、リビングもまた、真っ暗で、静寂に包まれていた。


怖い―。


一度決壊してしまった感情を、押し止めることができず、その場で立ち尽くしてしまう。


「うっ……く……ひっく…」


ここから動けなくなってしまい、子どものように泣きじゃくっていると、冬悟の寝室のドアがカチャと開いた。

中から出てきた冬悟は、俺に気付いて、電気を点けてくれた。


「こんなところで、何をしている?」


泣いていたなんてバレたくなくて、咄嗟に声を抑え、腕でゴシゴシと涙を拭った。

それでも、恐怖心は拭いきれない。


いつも、どんなことがあっても、誰かに甘えるなんてできなかった。

だけど、本当は、ずっと甘えたかった。

最後だから、ちょっとだけ、甘えてみても……いいのかな。


「えっと、その……1人じゃ眠れなくってさ。なぁ、一緒に寝てもいい?」


ダメだって言われるかもしれないと思いつつ、えへへっと笑って、冗談っぽく言ってみる。

だけど、その声は、僅かに震えていたかもしれない。


すると、冬悟は自分の部屋のドアを、今よりも大きく開けてくれた。


「…好きにしろ。」


そう言われた瞬間、タッと走って、その部屋に入り、すぐにベッドに潜り込んだ。

そして、反対側から入ってきて、俺に背を向けた、冬悟のその背中に、ぎゅっとしがみついてみる。


鬱陶しいと、払い除けられるかもしれない。

だけど、それも杞憂に終わり、今日は何も言わずに、その背を貸してくれた。


こんな優しさでも、今の俺には充分だった。

その背中を、少しだけ濡らしてしまう。


「………ありがとう。」


冬悟の匂いと温もりが、側にあることに安心して、あっという間に深い眠りに落ちていった。

強く強く、その服の裾を握り締めたまま―。

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