day.10(冬悟視点)
昼食時に、散々頭の痛い話を聞かされた後、別の講義に向かった中山と別れ、純也と一緒に、次の講義室へと向かう。
「帰んなくてよかったのか?」
寧ろ、帰って欲しいのだろう。
こちらを見上げてくる、いつも馬鹿正直なその瞳が、そう物語っていた。
「…あぁ。お前の授業参観も、どうやら必要みたいだからな。」
「浩二のヤツ、余計なこと言いやがって。」
隣で歩きながら、純也はむうっとその口先を尖らせて、むくれている。
…自業自得だと思うのだが。
だが、“授業参観”というのは建前で、実際には、中山から聞かされた、つきまといの件が気になり、今日は最後までいることにしたのだ。
いつもなら、放っておく筈なのだが。
コイツがどうなろうと、俺には関係ない筈だ。
だが、何故だか、今朝から放っておけず、のこのこと、こんなところまで来てしまった。
…で、トドメがこれか。
しかし、当の純也は、お目付け役だと言った俺の言葉を信じ、しょんぼりと項垂れている。
自覚がある程、普段は講義中ずっと寝ているのか、コイツは?
あの後、ずっと黙ったまま、目的の講義室に辿り着いた。
だが、そこには本日休講との紙が貼られてあった。
「あれ?休講になったんだ。じゃあさ」
急に元気になった純也は、クルッと俺の方に振り返り、ニッと笑ってみせる。
「ちょっと、ふらふらしに行こーぜ!」
この発言に、内心で頭を抱えた。
コイツは、ふらふらとどこかに遊びに行っている場合ではない。
その自覚が足りない純也を、目を細めて制する。
「だから、お前は馬鹿なんだ。図書館やら空いている教室やらで、しっかり勉強しろ。」
むんずっとこの馬鹿の首根っこを掴み、ズルズルと空いている講義室まで引きずっていく。
「えー!?嫌だーーー!!」
ジタバタと抵抗してくる純也を無視して、誰もいない部屋にポイッと放り込んだ。
すると、不貞腐れながらも、渋々机の前に、大人しく座った。
その隣に、俺も座る。
「…わからないところは教えてやるから、課題をやれ。」
「マジかよ…。」
抗議の目をこちらに向けてくるが、それを見返すと、逃げられないとわかったようで、純也は黙って課題に手を付け始めた。
しかし。
「なぁ……もうわかんねぇ。」
開始1分にも満たない内に、わからないと泣きつかれるとは思ってもみなかった。
本当に、コイツは授業を聞いていないようだ。
「…何がわからないんだ?」
「ここと、これと……あとこれ。」
「………ほぼ全部だな。」
思わず、溜息が零れてしまう。
だが、教えると言ってしまった手前、今更突き放すわけにもいかない。
仕方なく、一から丁寧に教えてやると、真剣な表情で、俺の説明を聞いていた。
最初は小難しそうにしていた表情が、段々とわかった!という風になり、やがて、嬉しそうになっていく。
コロコロと変わっていくその横顔を見ていると、ふと、先程中山に言われたことを思い出した。
…1日1食、実家に仕送り、か。
それらの内容は、初めて会った日の翌日に、周に調べさせ、既に知っていることだった。
純也の家はシングルマザーで、少し年の離れた妹が1人いる。
幼少期は母親に借金があり、少ない給料のほとんどはその返済に充てられ、食べていくのもままならない状態だったようだ。
働き詰めの彼女に甘えることもできず、ずっと独りで過ごしていたらしい。
借金の返済が終わっても、なお生活は苦しいままだったようで、高校に入ると、自身と妹の授業料や、生活の足しになるようにと、バイトで稼いだ金の大半を、仕送りしていた。
恐らく、現在俺から貰っている50万も、ほぼ全額仕送りしているのだろう。
高校卒業後、当人はそのまま働くつもりだったが、母親からの希望もあり、大学進学のために1年間働き、資金を少し貯め、今は奨学金で大学に通っている。
だが、日々の掛け持ちバイトに追われ、講義中に睡眠を取るせいで、授業についていけなくなってしまったようだ。
そして、栄養失調気味だったのは、最初にアイツを抱いた時に、すぐに気が付いた。
それは、身長のわりにあまりにも軽過ぎで、若いわりに肌が荒れていたからだ。
だが、その原因が、薬ではないことは、強引に賃貸を解約した際に、周に家捜しさせてわかった。
ラブホに詳しく、行為にも慣れていたことから、きっと、その身体を売って、金をかき集めていたのだろうと推測するのは、難しくなかった。
結婚の条件として提示した、“俺が望む時に抱かせること”。
これは、そんなお前を抱いてはいけない、という自戒の意味も込められている。
だから、あの日以降は、一切アイツを抱いていない。
あの日、俺と同じ、今にも死にそうな顔をして、死んだ目をしていた純也を利用してやろうと、思い付いた。
そして、利用して、最後に捨てればいいかと、そう思っていた。
それに、コイツなら、俺との生活をすぐに解消して、出ていくだろうと思っていた。
すぐに離婚届を提出するだろうと。
だが、余程金に執着がある奴だったようで、10億円で釣ると、逃げ出すことなく、真っ直ぐに俺に噛み付いてきた。
意外と骨のある奴だったコイツを見ているのは飽きず、そして、側に置いておくのも……案外悪くはなかった―。
「終わった〜!!」
突然聞こえたそのデカい声で、俺の意識もここに引き戻された。
んーと伸びをするように腕を上に伸ばし、ガッツポーズを作った純也は、くるっとこちらの方を向いて、ニカッと嬉しそうに笑った。
「こんなに早く課題終わったの、初めてだ!冬悟サマサマだな!!」
「…今日だけだからな。明日からは自分で何とかしろ。」
すると、ガンッとショックを受けたような顔をしてから、ガバッと俺に縋り付いてきた。
「そんなぁ〜!冬悟せんせぇ、俺を見捨てないで〜!」
「誰が先生だ。お前みたいな馬鹿な生徒は、こっちから願い下げだ。」
引き剥がそうとしても、全然離れようとしない。
冷たく見下ろしても、お構いなしに、俺を揺さぶってくる。
「そんなこと言うなよ〜!偶にでいいからさ、教えてくれよ〜!お願いっ!」
なぁなぁ!と五月蝿いコイツに、根負けしてしまった。
「…暇な時だけだからな。」
「うん!」
眩しい程に明るい純也の笑顔に、心の奥が少しだけ、いつもと違う感じがした。




