第9話 街での初仕事
領主の館を後にして、世奈は新しい相棒である騎士見習いのアッシュと並んで歩いていた。金髪碧眼、背筋の通った立ち姿は、まるで絵画から抜け出したような騎士そのもの。横を歩いているだけで、世奈の方が勝手に緊張してしまう。
今回の任務は、街の様子を巡回し、領民たちの困りごとを拾い上げること。
村と違って人口の多い街では、当然トラブルの数も多い。世奈は胸のネックレスに触れ、改めて心を引き締めた。
街の大通りでは、歩き始めてすぐに香ばしいパンの匂いと、干した香草の清涼な香りが混じり合って鼻をくすぐった。
通りを進めば、屋台がずらりと並び、果物、香辛料、布、細工物といった多種多様な品が声を張り上げて売られている。行き交う人も、農民風の者から旅人、商人、さらには富裕層らしき服装の者まで多彩だ。
馬車がすれ違うたび、子どもたちがはしゃいで駆け回り、通りすがりの旅芸人が三味線のような楽器を鳴らしている。
「すごい……! やっぱり村とは全然違うね」
「ここは領地でも一番大きな市場ですから。活気がありますがその分、揉め事も多いのです」
隣を歩くアッシュは、鎧の肩当てを少し直しながら淡々と答える。その表情は引き締まっていた。
すると市場の奥で、怒声が響いた。
「ふざけるな!金を返せ!」
果物屋の前で、中年の男が老婆に食ってかかっていた。
店先の籠には、赤く熟したリンゴが山積みになっている。だが男の手には半分かじられた実が握られ、その汁がぽたぽたと滴っていた。
「そ、そんな……!召し上がったじゃありませんか。それで納得して……」
「見た目と味が違うんだよ。どーせ色でも塗ってるんだろっ口当たりが悪い、金を返せ!」
老婆は必死に説明するが、男は聞く耳を持たない。周囲の客も「またか」とばかりに眉をひそめ、けれど誰も止めようとしない。
「ん~、一度に半分かじれるわけでもなさそうだしなぁ、どう思う?アッシュさん」
世奈はこうして相談できるだけでも、誰かが一緒に行動してくれる有難みを感じながら、問いかける。
アッシュは顎に手をあて、少し考えてから世奈の質問に答えた。
「はい、世奈さんの言う通りですね。まずいと言いながら、何回かかじっているのは不自然です。」
――前世でも、こんな人いたなぁ。商品買ってから一か月くらいして、部屋の雰囲気に合わないから返品してくれと持ってくるけど、ガンガン使ってた人とか……。
世奈は溜息をつきながら、一歩前に出る。
「とりあえず、止めてみる」
「わかりました。きちんとお体はお守りします」
警察と一緒に歩いているようなもんなので、平気だろうと近づいていった。
「すみません、ちょっといいですか?」
中年の男は、世奈の方に振り返り怒鳴り散らす。
「なんだ、邪魔するな!」
「半分食べてから“まずいから返金”って、おかしくないです?1口目でわわかりそうなもんですが、もしかして角度によって味が変わるリンゴだったんですか?」
世奈が不思議そうな顔で男に問いかける。
少しばかにされているように感じたのだろう。男は鼻息荒く威圧する。
「なんだよ!俺が悪いって言いたいのか?このババアが食べさせたリンゴと同じかどうかチェックしてやったんだよ。そもそも金払ってんだから客の方が偉いに決まってんだろうがっ」
自分は世の中のためにやっているという典型的な勘違い客だった。
その言葉に、世奈の胸の奥がチクリとした。お客様第一は確かに大事な言葉。でも、曲解すればただの横暴だ。
「じゃあ、おばあさんが返金したら、あなたは偉くなくなるんですか?そしたらただでリンゴを半分かじったネズミさんですねぇ」
世奈がさらに首をかしげなら話しかけると周囲でその様子を見ていた客が、少し笑ったような気がした。
男は顔を真っ赤にして怒り始める。
「そもそもなんなんだよ、お前!俺に恥かかせようとしやがって、だったらお前がババアの代わりに金払え!」
感情的になっている上に、めちゃくちゃな要求をしてくる。
ネックレスが淡く光を放つ。
――【スキル発動条件を満たしました。強制共感を使用しますか?】
「じゃあ、お金の代わりに学びをあげるね」
男の目が虚ろになり、幻覚を見せられる。
男は仕事の取引先から、今回の一件のせいでもう一緒に仕事は出来ないと断られている。しかも受けた仕事の報酬も、うちの評判にも影響があったから金はやらないと言われ、生活ができなくなり、家を失って露頭に迷っていた。
少し経ってからがっくりとした様子で、男は静かに去っていく。
謝ったら死ぬ病気にでもかかっているのか、最後まで謝罪はしなかった。
「うーん、とりあえず落ち着いたのかなぁ」
老婆は安堵の涙を浮かべて世奈に頭を下げる。
「助けてくださってありがとうございます、よかったら食べていって」
と老婆はリンゴを切り分け、差し出してくる。
「いえ、ただの通りすがりです、ではせっかくなので~」
世奈はそう言ってリンゴを頬張る
ひと噛みすると、「シャクッ」と心地よい音が響き、歯ざわりの良さに思わず頬がゆるむ。口の中いっぱいに広がるのは、甘みと酸味の絶妙なバランス。間違いなく当たりのリンゴだった。
「おいしい~、一個ください。あ、半分に切ってもらえます?」
「ありがとね~、はいどうぞ」
世奈は代金を払って、リンゴを受け取った。それを見ていた野次馬も何人かがリンゴを買い始め、店の利益にもつながったようだ。
「世奈さんお疲れ様でした」
アッシュが世奈をねぎらう」
「そんな大層なことはしてないんだけどねぇ、実力行使するタイプでもなかったからね」
――正直、殴りかかってこられたら私じゃ無理だしなぁ
隣に誰かがいることへの安心感も街の揉め事に首を突っ込む時の世奈の保険になっていたようだ。
そして、世奈は半分に切ってもらったリンゴを差し出す。
「はい、よかったら食べて」
アッシュは不思議そうな顔で、世奈を見る。
「え?」
手は差し出したまま、少し笑った。
「だって、美味しかったから誰かにも共有したいじゃん」
アッシュも笑顔になり、リンゴを受け取る。
「ありがとうございます、世奈さん」
一人で歩いていた時と比べて、少し楽しくなりそうだと微笑む世奈だった。




