第11話 潜入
朝から街はざわめきに包まれていた。石畳を踏みしめる馬車の車輪、客を呼び込む露店商の声、パンを焼く香ばしい匂い。そこである露天商が、大きな声で商いをしていた。
少し前の話。
「……じゃあ、作戦の確認をもう一度」
アッシュが低い声で言う。
「うん。私はカスハラお客様役で、アッシュは露店商。人目の多い通りで口論して、教団の人間をおびき寄せる。私はそのあと“スカウト”される役」
「世奈さんが被害者役だと危険では?」
「なんとかしたいって気持ちがあるかね……あの時の領主の息子を思い出せば、多分できる」
軽く拳を握る世奈。その目には一瞬、怒りと覚悟の色がよぎった。
2人は衣装も変えていた。アッシュは髭をつけ、粗末な革のベストに袖をまくって露店商の姿に。世奈はボサボサの髪に地味な服、化粧を薄くして田舎者のように見せている。
準備を終えると、彼らは往来のど真ん中に小さな台車を引き出した。そこに並べられたのは果物や干し肉、香辛料などだ。
アッシュが大声を張り上げる。
「安いよ安いよ〜!他の店じゃ手に入らない上物だよ〜!」
通りには買い物客が集まりはじめ、露店の周囲は人だかりになっていった。そこへ、世奈が“客”として近づいていく。
「ねぇ、この干し肉、安いけど……ちゃんとしたやつなの?」
世奈はわざと鼻にかかった声で言う。
「当たり前だろう、うちは信用第一の店だ」
「でも〜、他の店よりも安すぎるのよねぇ。ほんとに大丈夫? 腹壊したらどうするの?」
周囲の客がクスクスと笑い始める。アッシュは眉をひそめ、演技に入った。
「客だからって、いちいち疑ってんじゃねぇ!文句があるなら買わなくていい!」
「な、何ですって!? 私はお客様よ!」
「だからなんだ! こっちが売ってやらなかったら、あんたは何も手に入れられないだろうが!」
アッシュはわざと大声を張り上げ、人々の視線を集める。
「この通りで一番品数があるのはうちの店だ!あらゆる商品を扱える店のほうが偉いに決まってる!」
その言葉に、世奈はわざと震える声で反論した。
「ひどい……ひどいっ!! 客が我慢しないといけない世界なんて、消えてしまえばいいのに!!」
そう叫ぶと、世奈は人混みを押しのけて走り去った。
――こんな演技で大丈夫なのだろうか、心配になってきた。
世奈は走って街角を曲がり、小道へと入り込んだ。人通りは少なく、石畳も苔むしていて薄暗い。息を整えるふりをして、うつむきながら涙を拭う仕草をする。
その時だった。
「……さっきの話、聞いていました」
低く穏やかな声がした。顔を上げると、中年の男が立っていた。背は高くないが、目つきが鋭い。
「心配しないでください。私たちはあなたの味方です」
「え……?」
「あなたのように、理不尽な扱いを受け、傷ついてきた人は多い。我慢する必要なんてありません。あなたのために、私たちがやれることがあります」
男は懐から小さな紙切れを取り出した。古びた地図のようだ。
「今夜、この場所で集まりがあります。参加してみませんか? あの傲慢な店を、後悔させてやりましょう」
世奈は、目を潤ませたまま真剣にうなずいた。
「本当に……そんなことが、できるんですか?」
「ええ。私たちには力がある。お客様第一教団――あなたの怒りは、無駄にはしません」
男は満足そうに笑い、世奈の手に地図を押しつけると去っていった。
夜。
街の外れにある教会は、昼間とは打って変わって薄暗く、不気味な雰囲気を漂わせていた。入口に灯るランプの明かりが、逆に影を濃くしている。
扉を開けると、昼間の男が待っていた。
「ようこそ、新しい同志の方。こちらへどうぞ」
男に案内されるまま、世奈は教会の奥へ進む。壁には「お客様第一」の文字が大きく掲げられ、聖句のように飾られていた。しかし、文字の書き方や装飾はどこか狂信的だ。
奥の床が開き、地下へ続く階段が現れる。
「こちらが、我らが集う場所です」
地下へ降りると、そこはまるで秘密結社のアジトだった。松明の灯りが薄暗く揺れ、大きなホールには数十人の信者が集まっている。皆一様にローブをまとい、壇上に立つ一人の男を見上げていた。
その男は、他の信者とは違い、白いローブを身にまとっている。顔は見えないが、話し方に妙な迫力があった。
「我らは、もう我慢しない。商人も、店も、役人も、客を軽んじた結果どうなった? 我々は声をあげるべきだ。客こそが、この世界の神である!」
その言葉に、信者たちは一斉に「お客様第一!」「お客様第一!」と唱和した。
世奈は背筋を伸ばし、演技の続きを続ける。信者の一人が彼女の肩に手を置いた。
「今日から、あなたも私たちの仲間です」
胸の奥に、じわりと緊張が広がった。
――この教団のトップが、首謀者。
ここが活動の中心に違いない。
世奈は人知れず息を吸い込み、覚悟を決める。




