アンドラスと逆流れの川
・川の中に魔石があったよ。でも流れが変だし水面エグい色に光っててヤバそう!
地図に書き込まれていたこの文言は、マンションから東の川に書かれていた。
×印は橋の南――以前俺たちが東に魔獣退治に向かったときに渡った橋から下流にいったところにつけられている。
正確な距離はわからない。手書き地図は縮尺まではさすがに再現していない。
だから見逃さないために、俺はまず橋に行きそこから川沿いに下っていった。
「わざわざ地図に記すくらいだから、並の魔石じゃないはずだ。しっかり川を観察してれば見逃すことはないだろう。だから、アンドラスも頼む」
「ご安心を。悪魔は人間換算で視力6あるので、見逃すことはありません」
川沿いに下っているのは、アンドラスと共にだ。
この世の食のために魔石を必要としたアンドラス。
それに対して俺は、大きく稼げる手段を提案した。
それが川の魔石。
水の中、それも川にあるのは回収するのに危険を伴う。
なんなら魔獣の相手をするよりも危ないかもしれない。
大自然は魔獣や魔法の力よりも強い、実のところ。
しかも魔獣がいないと決まったわけじゃない。
川の中に魚やザリガニのような魔獣が潜んでいる可能性もある。その場合、陸で魔獣の相手をするよりはるかに危険だ。
色々な可能性を考えると、川の魔石を一人で狙うのは危険だという結論になった。
しかし大きな魔石、ひょっとしたら特別な星魔石があるかもしれないというのを見逃すわけにはいかない。
そこにちょうどアンドラスが魔石を取りたいと言ってきたので、これ幸いとタッグを組んだという事の次第だ。
「そういえばアンドラスって、この世界見るの初めてか? ずっとマンションの中にいたよな」
「ほとんどそうですね。ただ、門を掃除している時に外側に出たこともあったので、まったく知らぬわけでもありません。そうはいっても、やはりなかなかの眺めです」
アンドラスは珍しいものを見るような表情で周囲に視線を向けた。
たしかに、本来なら驚嘆するような光景だ、すっかり慣れてきてしまっていたが。
俺自身、慣れが油断になってくる頃だな。あらまえて気を引き締めよう。
気合いを入れている俺の横で、アンドラスは動きにくそうな燕尾服と革靴で、しかしそんな様子を見せずスムーズにひび割れた地面をまたぎ、瓦礫を登っている。
こんな状況でも優雅な執事のスタイルを崩さないのはさすがで、ガチャの一番の大当たりということだけはある。
だがしかし、よく見るとそれはアンドラスがこのような環境でも楽勝でなんでもできるということを表しているわけではなかった。
立ち居振る舞いがエレガントであるだけで、瓦礫が邪魔な場所をよじ登るには相応の時間がかかっている。空を飛んだり、大ジャンプして障害物を越えるなんてことはできない。
そういう意味では身体能力は俺たちより少し高いくらいでそこまで変わらないと思う。あくまでそう見せない常に余裕と気品がある仕草や表情をしているのだ。
ここでずっとそれをキープできているのは、たいしたものだ。
「とはいえ、自分はやはりマンションの中の景色の方が好きです。穏やかで安定している、理想的です」
「一般的な悪魔のイメージと大分違うんだな」
「イメージと実態は往々にして異なるものですから。……おや、件のものはあれではありませんか?」
アンドラスが指さした川の中腹に目を向けると、青紫のしぶきが上がっていた。
川の真ん中に顔を出している魔石の刺条の結晶に当たった水が、そんな変わった色にはじけている。
「地図の通りだ、かなり大きいな」
「皆さんがマンションでリサイクルボックスに入れるものと比べても大きいですね。それに紫色が濃いように思えます」
「かなり期待できるな。よし、行こう」
「はい。お手伝いいたします、美食のために」
俺たちは道路から河川敷に降りていった。
元から人工物の少ない河川敷はほぼ昔のままだ。
河川敷から見る川も普通の川とほとんど同じだが、時折キラキラと太陽の光を受けて水中から不自然なほどに青紫の反射光が水面を照らしている。
川の中にも魔石がところどころ沈んでいるんだろう。
ただそれらのほとんどは小さく、わざわざ川に入るほどのMPではない。あくまで狙いは川の真ん中にある魔石だ。
経験則でわかってきたが、魔石は大きさだけでなく色合いもMPに重要だ。青紫が濃ければ濃いほど多くのMPが凝縮されている。濃さが際立ち黒に近くなればなるほど、小さくても多くのMPが手に入る。
そして川の真ん中にあるものは青紫色というより暗い紫紺の魔石。
間違いなく、相当量のMPをため込んでいる。
「泳いで行くのですか?」
「まさか。結構流れが早いし、深さも腰より深いから泳ぐのは無謀だ。こいつを使う」
俺が掲げたのはもはやおなじみの中級魔道士の杖。この杖で作る盾を小舟のようにして、上に乗っていくという策だ。
いきなりは行かない。
まずは河川敷の草や小枝を川に流してみて、どこの岸からスタートすれば中央の魔石にたどり着くかを見極める。
まず一度やってみると、魔石の影響か川の流れはかなり乱れていて、草はぐるぐると回転したあげくあらぬ方向へと向かっていった。
これはなかなか骨が折れそうだ。
流れが読めないなら、とにかく色々な場所で試すしかない。
俺たちは何十回も場所を変えて草枝流しを試していった。
その結果、最終的にはなぜか100mほど下流の流木側から川に入ると、そこからの流れが魔石へと逆上って向かうことがわかった。
「下流と上流の概念が壊れそうだ」
「マンションの外では常識は通用しないのですね」
「中もそれほど通用してたかな。さて、じゃあ頼む、アンドラス」
「おまかせを。絶対に放しませんのでご安心を」
ロープを体にくくりつけ、アンドラスに片方を持ってもらう。
魔石まで水流に乗って行った帰りは、これを引っ張ってもらえば戻れる。
それに万が一バランスを崩して水の中に落ちても、命綱になるし一石二鳥。
ロープがあれば直接川の中を歩いて魔石に最短距離で向かうことも考えたが、やはり身動きの取りにくい水の中をいくのはリスキーなので――水棲魔獣がいるかもしれないし――杖を小舟にする作戦をとった。
ロープを腰につけた俺は中級魔道士の杖の盾を展開して水面にそっと浮かべ、その上に乗り込む。
魔法の盾の性質もあるのか浮力は十分確保でき、水流に乗ってゆっくり動き始めた。
予想通り、杖の舟は草と枝で実験したのと同じように水流に乗り川の上を滑っていく。
転覆しないようにバランスをとりながら魔石のところに到着するのを持っている時間は長く感じたが、実時間で言えば二分強で予想通りに魔石のところに到着した。
あとは変なことが起きる前に、さっさと魔石を回収して戻るだけだ。
ショベルで魔石を削り、回収していく。
勢いよくやると杖の舟がひっくり返りそうなので、焦らずゆっくり慎重に。
……………………よし、こんなもんかな。
見えてる部分の魔石はあらかたとることができた。水中深くにある分はさすがにとれないが、それはしかたない。
あとは戻るだけ、と俺は手をあげてアンドラスに合図を出した。
ロープがピンと張り、ゆっくりと岸に向かって舟が動き始めた。
思ったよりスムーズに終わったな。
そう安堵しながら水面下に視線を落とした時だった――影が水中をこちらに向かってきているのに気付いたのは。
「この影……魚じゃない! アンドラス、魔獣が来てる。迎撃する」
「お気をつけを、九重様。自分もお力添えいたします」
杖を構えて魔獣に相対する準備をしていると、空気が歪んだ気配が岸から漂ってきた。
アンドラスの左手に、橙色の炎が燃え上がっていた。