スシトバチ
世界崩壊後に初めて贅沢をしてやろう。
そう思って通販の飲食の欄をタップすると、色々とラインナップが出てきた。
その中に見つけたのは――。
【・寿司
梅 100MP
竹 300MP
松 600MP】
燦然と輝く寿司の文字。
一番安い弁当が3つで100MPなので梅ですら3食分。松はそれだけで6日間生きていけるほどの価格だ。まあ安い弁当が安すぎるという説もあるが、それにしてもこの値段は結構な冒険だ。
だが今の俺にはMPがある。
一回くらいは許されるはずだ。
「……いやでもやっぱりもったいないか?」
数分の優柔不断の逡巡があったが、結局【松】を俺はタップした。
これにて予定していた買い物を終え、すぐさま注文した諸々が宅配ボックスに届く。
まずは電子レンジやデスクや椅子などを設置していき、そして最後に桶に入った寿司を部屋に持ち帰って来た。
買ったばかりのデスクに寿司桶を置き、買ったばかりの椅子に座る。
おっとそうだ、電気ケトルでお湯を沸かして緑茶も入れないとな。
準備は完了した。
椅子に座った俺の前には、豊かな香りの熱いお茶と、トロや甘エビやイクラなどの新鮮なネタが揃った寿司が輝くように並んでいる。
「なんて……素晴らしい光景だ」
見ているだけで美味しい錯覚をおぼえるほどだ。
まさか崩壊した世界でこんなものが食べられるとは夢にも思わなかった。
なんなら崩壊する前の世界でもせいぜいスーパーのパック寿司でこんないいお寿司食べてなかったからな。
ということはむしろ今の方がいい暮らしできるようになってるのか……?
いやそんな馬鹿な……。
考えすぎるとドツボにはまりそうなので、難しいことは忘れて早く食べ始めることにしよう。
やっぱり最初はイクラだ。
プチ……プチッ……。
「う、まいっ……!」
口の中でプチッとはじけ、とろぉと中身が出てくるそのまろやかさ、そしてもちろん臭みはまったくなく、うまみだけが凝縮されている。
シャリの酢飯の味もちょうどよく、ネタと調和しハーモニーを奏でている。
食べてよかった。
お茶を飲みながら、俺は心の底からそう思った。
しかもこんな贅沢をしてもまだMPは結構残っている。
もちろん貯MPしておきたいというのもあるけど、たくさん余っているからこそ使うべきところがある。
残りはそこに注ぎ込むことにしよう。
俺の見立てでは、これだけたくさんMPがあれば、それは最大限の効果を期待できるはずなんだ。
ふふ、楽しみだな、何が手に入るか。
イクラの次は甘エビのプリプリ感を楽しみながら、俺は寿司と椅子の座り心地を心ゆくまで味わい、今後のことに胸を躍らせていた。
一時の優雅な時間を過ごし、食後にもう一杯熱いお茶をエアコンの効いた部屋ですすりながら、リビングから見える窓の外の風景を見ていた。
ふっ、とその時窓枠に切り取られた景色を何かが横切った。
ん? なんだ?
黒いような黄色いような、小さいものだったような。
気になって窓ガラスに張り付いてよく見てみると、もう一度それが横切る。
今度ははっきり見えた。
ハチだ。
種類まではわからないけど、まあまあ大きい気がする。
世界が終わってもハチはいるんだな。
……いや、おかしくないか?
世界が終わってもハチがいるのはおかしくはないけど、ここは外から隔離された空間だぞ? なぜハチが?
というか、ハチがいるということは近くに巣があるんじゃないのか。まずいなそれは。
ベランダに出たが、俺の家から見える範囲には何もない。
だったら別の場所かと玄関から出て探そうとすると、共用廊下の上から話し声が聞こえた。
「そちらにも出たんですね! これはどこかに巣があるに違いませんよ!」
「ウッス」
この声は、日出とこの前住民になった土屋だ。
上の階の廊下で話しているようなので、俺もそこに話を聞きにいくと。
「なんか気になることを話してる声が聞こえたんだ。もしかして、そっちにも蜂、出た?」
「九重さんもでしたか! そうなんです、ベランダに出るたびに纏わり付かれてそれはもう大変なんですよ」
「うちもそうッス。ハチがブンブン飛んで来て、洗濯干すのも命がけッス」
やはりそうか。
しかも我が家よりももっとたくさん飛来してきてるようだ。
たくさんいるということは一匹迷い込んだってわけじゃない、巣があるってことだ。
そして我が家は少なめで、202号室と303号室の日出と土屋のベランダにはたくさん飛来する。
ということは……。
「203号室か?」
「やはりそう思いますよね九重さんも」
「ええ。見てみましょう」
俺たち3人は空き部屋である203号室のドアを開け、ベランダに行……かずに窓を開ける手を止めた。
「あるな、でかいのが」
「これは大物ですよ! 大物! そりゃうちにも土屋さんにもハチがたくさん来るわけですねえ!」
「まじやばいッスね」
ベランダの天井に大きなハチの巣が作られていた。
この部屋は誰も住んでないから、気付かれないうちにハチが巣を大きくしていたようだ。
これは放置してると危険だな。
「しかしどうやってハチがここに来たんだろうか。異空間になっているのに」
「たしかに不思議ですねえ。可能性としては、僕らが出入りするときに、一緒に入ってきたくらいでしょうか」
「ああ、それならたしかに不可能じゃないですね。ハチなら女王蜂さえいればどんどん巣は大きくなりそうですし」
今後はマンション空間に出入りするときも気をつけないとな……というのは現実的には無理があるか。
そこを気にするより、入って来たものに対処する方がまだ楽だろう。
というわけで、対処だな。
「あの、これ、どうするんスか」
「当然、マンションのトラブルは解決しなければならない」
蜂の巣の駆除、挑戦してみるしかないだろう。
「駆除ッスか、九重さんできるんスか?」
「もちろんやったことない。だから土屋なんとかできないか?」
「え? 自分ッスか!? 無理ッス! 虫は苦手なんスよ!」
素手で叩きつぶしそうな強面してるのに意外だな。
「でも土屋の擬態の能力を使ったらちょうどよくないか? それでハチに気付かれないようにすれば、すんなり巣を取り除けるだろう」
「いやいや、勘弁してくださいッス。たしかに人間の目には見つからないけど、動物は鋭いって言うじゃないッスか。フェロモンとかそういうので気付かれたらやばいッスよ」
動物にも効くかもしれない、と言ってもどうしても首を縦には振らない。効かなかった場合のネガティブな想像から土井は逃られない。
しかたない、いい作戦だと思ったんだが。
「じゃあ……」俺は日出の方を見た。
「いやいや九重さん! 毒を消せるって言ってもそれは食中毒とかであって蜂の毒はやったことありませんからね! それに、もし蜂の毒も消せるとしても、刺された時点ですでに痛いじゃないですか!」
まだ何も言ってないのに拒否された。
まあ、言うつもりだったのだが。
と、日出と土屋が今度は俺を指差してきた。
「だったら九重さんがやってくださいよ! 魔法の杖で打ち落とせるんじゃないでしょうか!?」
「いや、そんなので衝撃与えたら中から一気に蜂が出てきて阿鼻叫喚の地獄絵図ですよ。絶対いやです」
「「「「………………」」」
三人とも黙り。
結局皆、蜂が怖いのだった。
ミツバチとかより明らかに大きいし、種類はわからないけど多分スズメバチの仲間だぞあいつらは、しかたない。
お前やれよ……いやお前が……という譲り合いの沈黙の時がひたすら流れていく。
さて、どうしたものか。