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『俺の姿はお前にしか見えない』 影の騎士様が、私の夫に!?なのに意外過ぎる極甘婚生活

 

「――はぁ? 借金のカタに結婚ですって!?」


 ——リリア・ヴァレンティア。

 琥珀色の瞳に豊かなブロンドの髪。小柄ながらも毅然とした態度で知られる公爵令嬢だった私の人生は、父の失敗で一変した。


 父は、無謀な事業投資、豪奢な浪費、そして最後に賭博で大負け。

 見事なまでの転落劇だった。


「ギャンブルと浪費、そして無謀な融資……父上は本当に才能の塊ね。間違った方向で」

「不甲斐ない父ですまない、リリア」


 窓辺で金貨を指先で弾き、その冷たい音に乾いた笑いを重ねる。

 かつては宴に明け暮れたこの屋敷も、今は広すぎる空間が虚ろさを際立たせていた。


 そして持ち込まれたのが、父の借金返済の条件としての婚約話。

 その相手が——『影の騎士』。



「影の騎士なんて、ただの伝説じゃなかったのね……」


 影の騎士。王家に代々仕え、王国の裏側で人知れず戦い続ける者。

 その一族の者は太古の呪いで契約者にしか姿を認識されず、存在は常に噂と恐怖の中にあった。


 人々は囁く。


「影は、忠義と孤独の化身」

「契約を結んだ者だけが真実を知る」

「決して逆らえない存在」


 ——そんな伝承がまことしやかに流れていた。



「その血と力を絶やさぬため、一時的に契約者を適齢期の女に書き換え、次世代の影の騎士を作る――要するに、騎士の子孫を私が産めってことね」


 このように無慈悲な制度のもと、騎士本人の意志は尊重されず、ただ役割を果たすことが求められるらしい。



「……お嬢様、契約書はすでに取り交わされております」


 侍女のマルティナが、声を震わせて告げる。


 私は長く息を吐き、金貨を机に置く。


「借金返済の代償として影に嫁ぐなんて。これ以上、喜劇の台本みたいな人生があるかしら?」


 もう飲まなきゃやってらんないわよ。


 グラスに赤ワインをなみなみと注ぎ、一息であおる。



 その瞬間——


「……ノクス・アルヴァ。影の騎士だ」


 背筋を冷たく撫でるような低く響く声。


 振り向けば、月明かりに紛れるように漆黒の騎士が立っていた。


 鋭い眼差しと整った顔立ち。月光の中で輪郭が淡く滲み、影そのもののような存在感。



「……なによ。意外とイケメンじゃない」


 酔いの勢いで出た言葉だった。


 ノクスはわずかに視線を逸らし、耳が赤く染まっていく。


 その様子は、まるで不器用で困惑した猫のようだった。



「う、うわっ、何言ってるの私!」


 彼の反応を見て私もさすがに冷静さを取り戻す。


 だけど慌ててグラスを置こうとして手元が狂い、グラスはカラカラと転がり、床に倒れたボトルを追いかけて自分も転倒。


「いっ、痛っ……」


 床に座り込んだ私の視界に、すっと差し出される黒い手袋越しの手。



「……怪我はないか」


「は、はい……! って違う!」


 心臓が爆発しそうな鼓動の中、私はただただ顔から火が出そうな思いで寝室へと逃げ帰った。


 翌朝、シーツに顔を埋めて転げ回りながら、昨夜の出来事が悪夢であってほしいと願った。


 だが部屋の隅には、丁寧に置かれた銀のワインボトルと、花の香りがする果実水と共に『次回からは飲みすぎないように』と走り書きされた小さなメモがあった。


「いやあああぁぁぁぁ!」


 枕に顔を埋め、私は盛大に悶絶した。



 ◆


 結婚初日……というか契約の翌日?


 緊張と妙な空気が屋敷を包んでいた。



「……よろしく」


 自室の隅で小さく頭を下げる影の騎士——ノクス・アルヴァ。


 対して私は、何と返せばいいのか分からず、紅茶のカップを持った手が小刻みに揺れるばかりだった。


「こちらこそ……た、頼りにしていますから」


 言葉はたどたどしく、視線は宙をさまよう。


 ふたりの間に流れる沈黙は重苦しいようで、どこか可笑しくもあり、不器用な私たちの関係を象徴していた。



「では……失礼する」


 影のように音もなく去っていく彼。その背中は冷たいはずなのに、どこか寂しさを滲ませていた。


 ——これから本当に、この“影”と共に歩んでいけるのかしら。



 翌日から、奇妙な日常が始まった。


 夜更け、屋敷に漂う甘い香り。かつては酒や香水の匂いで満たされていた空間が、優しいバターと焼き菓子の香りに変わっていくなんて。


「……信じられない」


 そっと廊下を進み、足音を殺してキッチンの扉をわずかに開く。


 そこにいたのは、誰よりも鋭く、そして孤高だった影の騎士——ノクス。


 真剣な表情でクッキーを成形し、繊細な模様を描くようにアイシングを施している。


 その手には戦いの傷跡が残っていたけれど、指先の動きはまるで芸術家のように優しかった。



「……ふふっ。ギャップがすごいわね」


 笑いを堪えながらそっと扉を閉めた。


 翌朝、食卓には可愛らしいリボンで結ばれた小箱が置かれていた。


 開けると、宝石のように美しいクッキーが整然と並んでいる。


 ひと口かじれば、口いっぱいに広がる優しい甘み。自然と頬が緩み、胸が温かくなった。


「この人……こんな一面を隠していたのね」



 その翌晩。


「影の騎士が劇場に……?」


 夜、ノクスが屋敷を抜け出す姿を見つけた私は、抑えきれない好奇心に突き動かされて尾行した。辿り着いたのは、王都で最も華やかな劇場。


 最上階の隅に腰掛けた彼は、誰にも気づかれないように身を潜めていた。そして、幕が上がると同時に、その冷たい顔が驚くほど柔らかくなり、少年のような瞳で舞台を見つめていた。


 煌めくドレスをまとった役者たち、華やかな音楽、そのすべてを全身で楽しむ彼。その姿は、孤独な影ではなく、ただ夢を見つめるひとりの人間だった。


「あなたは本当は……こんなに純粋な人なんだ」


 胸がじんわりと熱くなった。



 数日後、古びたレシピ帳を熱心に眺めている彼の姿を見かけた。


「……新しいレシピ?」


 問いかけると、視線をそらして頬を少し染めながら「次は……スフレを作ってみたい」と小声で答えた。その不器用な可愛さに、思わず笑みがこぼれた。


「なら、一緒に作らない?」


 その日の午後、粉まみれになりながら奮闘する二人。膨らみすぎて焦げたスフレを眺めて「次こそ成功させよう」と笑い合った時間は、何よりの宝物になった。



 だが、その穏やかさは長くは続かなかった。


 王都は緊張に包まれ、通りの空気も重苦しくなっていた。


 盗賊団の暗躍、そして闇取引の噂——街角の人々が怯えながら目を伏せる光景が広がっていた。


 夜ごと帰宅するノクスの姿には、隠し切れない戦いの痕跡が刻まれていた。切り傷、血痕。それでも夜には変わらずキッチンに立ち、クッキーを焼く彼。



 翌朝、机に置かれた包みには、私の好きな甘いお菓子と『気に入ってくれたら、嬉しい』と書かれた小さな紙片が添えられていた。その小さな優しさに触れた瞬間、涙があふれた。



「……悔しい」


 その夜、胸が痛くて眠れず、私はひとり涙を堪えながら決意した。


 あの人の優しさを、誰も知らないままで終わらせたくない。


 彼の手が作る温かな甘さを、知らぬままに笑う人たちに知らしめたい。


 言葉ではなく、行動で示そう。



 翌朝、私は意を決して庶民の市場へと足を運んだ。いつもなら見過ごしてしまうような小さな屋台も、この日は妙に輝いて見えた。


 頭の中では『影の騎士スイーツ計画』という無駄に仰々しい名前がついてしまっていたけれど、もう後戻りはできない。信頼できる商人に真剣な顔で相談すると、彼は最初こそポカンとしたものの、すぐにニヤリと笑った。



「奥様……本当に、よろしいので?」

「ええ、もう。やると決めたらやるのよ!」


 彼のスイーツを世に知らしめる。


 彼の優しさを、存在をみんなに知ってもらいたい。


 こうして始まった『影の騎士スイーツ』は、思わぬ勢いで評判を呼び、あっという間に行列ができる名物屋台となった。


 焼き菓子を頬張った子供たちや女性客はこう感想をもらす。


「このクッキー、食べるとなんだか心がほわっとなるんだよ」

「優しい味がする……絶対にイケメンが作ってるに違いないわ!」


 その声を聞くたび、私は胸の奥で『はい、イケメンです!でも寡黙で甘党なんです!』と叫んでいた。



 しかし、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。


 数日後、彼がその屋台に姿を現したのだ。



「……これは?」


 店頭に並ぶクッキーを、ノクスは無言でじっと見つめていた。その横顔は険しいというより困惑でいっぱいで、思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。もちろん店主は彼の姿を認識していない。ただ楽しげに、訪れた私に語りかけていたのだ。


「おお、奥様いらっしゃい! ご覧の通り、おかげさまで大人気ですよ!」


「旦那様のレシピのおかげだわ。あぁ、あとは店主さんの腕もね」


「いやぁ、いい奥さんをもって、旦那さんは幸せ者ですな!」


「ふふふっ。そうかしら?」


 その瞬間、彼の目がかすかに揺れた。唇がきつく結ばれ、拳がゆっくりと握られていくのが見えた。小さな呼吸を整えた後、低く震える声が漏れた。


「……余計なことを」


 短い言葉を残し、彼は足早に去っていった。その背中は、孤独と葛藤を背負い込む影そのものだった。


 夜。重い足取りで帰宅した彼は、私をまっすぐに見据えた。目の奥に隠し切れない怒りと恐れ、そして寂しさが滲んでいた。


「勝手なことをするな……俺はただ、影として役割を果たし、消えるのが役目……」


 その声は冷たく響いたが、どこかかすかに震えていた。晒されることへの恐怖、自分の存在を他人に知られることの苦しみ——それが染み込んでいた。


「でも……あの人たちは、あなたのことを知らずに、平気で侮って——」


「関係ない!」


 鋭く吐き捨てるような声が、部屋中に響いた。その声には、誰にも知られることなく生きてきた影の悲しみが、痛いほどに滲んでいた。


「私は……ただ、あなたのことを知ってほしかっただけなのに!」


 言葉を絞り出した瞬間、涙が溢れた。ノクスは目を伏せ、唇をきつく噛み、拳を握ったままその場に立ち尽くした。彼の背中は、誰よりも強く、そして誰よりも脆かった。


 静寂が重く流れ、息をすることさえ苦しい時間が過ぎた。その後、彼は一言も告げずに扉を閉めて去っていった。その音が、冷たく、遠くに響いて消えていった。


「こんなつもりじゃ……なかったのに……」


 かすれた声でつぶやき、私は床に膝をついた。冷たい床の感触が頬に伝わり、涙がぽろぽろと溢れて止まらなかった。ひと粒ずつ、静かに落ちる涙の音が、広すぎる部屋の中で寂しく響き続けていた。



 ◆


 その夜。静かだった街は、突如としてざわめきに包まれた。舞踏会の最中、城門近くで火の手が上がり、続いて悲鳴が響き渡る。


「何事だ!?」

「襲撃か!」


 闇に紛れて現れたのは、王国を狙う悪名高い盗賊団。王都で流れていた不穏な噂が現実となった瞬間だった。奴らは火を放ち、混乱に乗じて貴族や富裕商人を標的に襲撃を開始していた。



「賊だ!」

「早く避難を!」


 煌びやかな舞踏会場で笑みを浮かべていた貴族たちも、一瞬で蒼白になり、裾を引きずりながら右往左往する。


 付き合いで出ていた私も同様だった。


 あれほど誇らしげに身につけていたドレスや宝石も、今やただの重荷。誰ひとりとして立ち向かおうとはせず、無様に転びながら場を離れていく姿が、皮肉にも滑稽に見えた。


 そんな混乱の渦中で、ただ一人、静かに立ち向かう影があった。


 ノクス——誰にも見えない存在が、今まさに剣を抜き、無音の誓いを胸に賊の前に立ちはだかっていた。



「ここは、俺が守る。お前は逃げろ」


 その声は小さくても、夜風に乗って鋭く響くように感じた。


 賊のひとりが狂気じみた笑みを浮かべ、剣を振り下ろす。しかしノクスは冷静に受け止め、瞬時に体を捻って相手を地面に伏せさせる。その動きは鋭く、美しさすら感じさせた。


 剣戟が鳴り響き、金属音と悲鳴が混じり合う。ノクスは無駄のない動きで次々と敵を制圧していくが、相手の数は多く、押し寄せる波のように次々と襲いかかってくる。傷が増え、血が地面に染みを作り、その足元は赤く濡れていった。



「ノクス……!」


 遠くで見つめる私の胸は張り裂けそうだった。足はすくみ、恐怖が全身を覆う。しかし、もう見ているだけではいられない。彼にすべてを背負わせるわけにはいかない。


「もういい……もう、独りで戦わないで!」


 気づけば、私はスカートの裾を摘み、無我夢中で走り出していた。剣が交わる音、賊の叫び声が耳をつんざく中、ただ彼の背中を目指して駆け寄る。誰も気づかない彼の存在。でも私だけは、見えている。


 賊の刃が振り下ろされる寸前、私は思わずその背中に飛び込み、両腕で強く抱きしめた。



「私だけは、あなたをちゃんと見ている。誰にも気づかれなくても、私には見えているから!」


 その体が小さく震えた。冷たく硬い影だと思っていた背中は、温かく脈打ち、生きていることを確かに感じさせた。涙が頬を伝い落ちても、私は決して腕を離さなかった。



「リリア……なぜ……こんなことを……」


 その声は震えていた。驚きと戸惑い、そして恐れが混じっている。


「だってあなたが……あなたのすべてを愛してるから!」


 その瞬間、柔らかな光が私たちを優しく包み込んだ。


 ノクスの体を覆っていた影が、夜明けの霧が晴れていくように薄れていく。彼自身も息を呑み、胸に震える手を置いた。



「呪いが……解けた……?」


 目を瞬かせ、呼吸を忘れたような表情で私を見つめてくる。その表情は幼さを帯び、不器用で、けれど無防備で愛おしかった。


「もう影じゃないわ。あなたは——私にとって世界で一番誇らしい光なの」


 その言葉を聞いた瞬間、彼の頬に一筋の涙が伝った。


 賊たちは次第に押さえ込まれ、駆けつけた兵士たちによって鎮圧されていった。混乱の収束が近づく中、私たちの周囲だけが静かで、柔らかい光に満ちていた。



「ありがとう……俺を、見ていてくれて」


 ノクスは、不器用ながらも優しい笑みを浮かべ、そっと私の髪に触れた。その手は信じられないほど温かく、安心感を与えてくれた。



「これからも隣にいてくれるか?」


「もちろん。あなたが望むなら、これからも、ずっと」


 その瞬間、彼の頬に赤みが差し、不器用で心からの笑みが咲いた。


 夜空には、いつの間にか無数の星が輝き、静かに私たちを見守っていた。私は心の奥底で、これからも共に歩む未来を誓い、そっと彼の手を握り返した。



 ◆


 数日後、王都随一の大劇場。華やかなロビーで、私はノクスと腕を組んで立っていた。彼はまだ落ち着かない様子で周囲を見回し、視線が私に向かうたびに緊張と照れが混ざった笑顔を見せてくれる。


「こんな場所に来る日が来るなんて、思ってもみなかった」


 その声は戸惑いを含みつつも、どこか楽しそうだった。彼の瞳は、舞台の幕が上がる瞬間を待つ子どものようにきらめいている。


「大丈夫よ。今日は二人で物語を楽しむ夜。あなたとなら、どんな舞台ももっと素敵になるわ」


 私はそっと彼の手を握り、温もりを確かめた。もう冷たい影ではなく、確かな命のぬくもりがそこにあることが何よりも嬉しかった。


 やがて案内係に導かれ、ふたり並んで座席に腰を下ろした。劇場内はきらびやかで、ざわめきと期待に満ちていた。


 開演を待つ間に私が会場で購入したお菓子の小さな包みを開けると、隣のノクスが目を輝かせる。


 袋の中を覗き込みながら「もう食べてもいいか?」と真剣に尋ねてくるその様子に、私は吹き出しそうになりながら肩を震わせた。


 そしてモグモグと咀嚼しながら、小声で「もう少しバターを多くした方が美味しいのに」と真剣に呟く姿に、笑いを堪えるのがさらに難しくなる。



 幕が上がる直前、ノクスがそっと私の耳元に顔を寄せて囁いた。


「次は、俺が君の物語を守る番だな」


 少し頬を赤らめながら言うその言葉に、私は思わず笑みをこぼした。


「ええ、一緒に歩んでいきましょう」


 舞台の幕がゆっくりと上がり、光と音楽に包まれる。私は心の奥底で願った。——これからの未来も、この人と手を取り合いながら、時々こうして笑い合いながら、輝き続けられますように。



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よろしくお願いいたします(*´ω`*)

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― 新着の感想 ―
ああああああああ! なんて可愛らしい純愛!! 端々に溢れるワンコみたいな可愛い彼がたまんねぇ!!!!
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