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それは不思議にありふれて 〜第二章 【影踏】 その⑧

蝶ヶ崎駅6階にある文化ホールの貸教室の中では、まだ大木まさる君への聴き取りが続けられていた。

里緒の発言を最後に一同は誰も口を開くこと無く、沈黙を保ちながら思索を続ける宝先生の次の言葉を待っていた。


時刻は午後6時を回っている。聴き取りを始めて1時間程が過ぎていた。


里緒は、自分の発言の中で何が重要だったのだろうと、好奇心に胸を昂らせていた。


横に座る千比呂はというと、空腹を満たすため身体を捩って先生達から隠れるようにこっそりスニッカーズを噛じっていたのだが、

大木親子からは丸見えで、その姿を見ていたまさる君と眼が合うと、ニコリと微笑みをもらってしまったので誤魔化すように照れ笑いを返しながら千比呂は、

人差し指を立てて唇に当て、肩をすぼめてみせた。

まさる君も同じ仕草を真似て、人懐こっい笑顔で千比呂を見つめている。


「やはり思いつくのはこれしか無いのですが……」

宝先生が長い沈黙を破って口を開いた。


場の視線が宝先生に集まる。

「どうもその煙が重要な部分になっているのではないかと思う。

いろいろ考えてみたのだが、思いついたのはある妖怪の話なんです」


妖怪という現実離れした単語に大人達は我が耳を疑ったが、宝先生は全く臆する事は無く、さも当然の事を語るように話を続けた。


「江戸時代の本でね。今昔百鬼拾遺という本がある。

妖怪画の画集のようなものなのですが、

その中に煙々えんえんらという妖怪が描かれているんだ」

じっくりと、光る眼鏡の奥で値踏みするようにその場を見渡しながら宝先生が話を続ける。


「この妖怪は特になにするわけでもないのだが、立ち上る煙などを眺めているとそれが途端に人の形に成ったりするらしい。

特にその本以外で伝承などは無いので、作者の鳥山石燕の創作だと私は考えているのですがね」


「創作の話ならば、関係ないのではないですか?」

誰もが思った疑問を神内課長が問いかけた。


「私が考えるに石燕がこれを考えついたのは、シュミラクラなどの錯覚から発想したのでは無いかと思うんです。

後世の創作物などでは公害に依って汚染された煙々羅が、人間に復讐するという背景を与えられたりもしているようですが、

元々は、立ち昇る竈門の煙を何をするともなしに眺めていたら、それが人の顔や何かの形のように見えてきたという話を、

時間にゆとりのある人、即ち江戸時代の頃ではあくせく働く必要の無い、気持ちにゆとりのあるとされる人だけが見ることの出来るというように変化し、

ある種、煙々羅を見ること自体が暇を持て余した特権階級の証のように扱われた為、

煙々羅も精霊の類などと同様に、ある種の条件を満たしたものだけが見ることができる特別な存在として昇華され、

人々に受け入れられたと考える研究発表もあるようです」

ここまでゆっくりと専門的になりすぎないように語ると、宝先生はペットボトルのお茶で喉を潤した。


「精霊だったり妖怪だったりするんですか?」

里緒が珍しく先生の長話しに食いついている。

そういえば去年ゲゲゲの映画を観ようと千比呂を誘ってきたのは里緒だった。


「それは認識する側の判断に依るところが大きいだろうね。

そしてこの件に関しては、精霊と考えると合点が行く部分もある。

そもそも精霊とは万物に宿った魂のことで、八百万の神様と同様に考えられるものだ。

この場合はね、煙に宿ったものじゃないかと思うんだ。

つまり煙の精霊だな。

この精霊と言うのは、霊力は強い割には様々な物事に影響を受けやすい。

この場合は、そのお兄ちゃんと呼ばれる亡霊の想念に影響を受けていると考えるのが正解だろう。

お兄ちゃんと呼ばれる亡霊に煙の精霊が取り憑き、お兄ちゃん自体が抱える暗い情念を増幅する、

言わばブースターの役割を果たしているのかもしれない」

煙の正体に関する考察を披露し終えると、宝先生は小さく肩で息をした。


「じゃあ、あれはその精霊が原因だったということですか?」

大多駅長が身を乗り出して宝先生の顔を覗き込む。


「ええ、概ねこの考察で合っているはずです。

しかし、そうなるとお兄ちゃんがまだ健在ということならば、

再び同様の目撃例が頻発しないとも限らないという問題が出てきます」

自分の推論に自信があるのか、宝先生はキッパリと言い切った。


「そんなぁ……」

情けない声を出しながら、大多駅長が椅子に崩れ落ちるように腰をおろした。


「今後はどうされるおつもりですか?」

神内課長が宝先生に尋ねる。


「そうですね……」

眼鏡を光らせながら、顎を組んだ両手の親指に載せ、宝先生は暫く考え込んでから口を開いた。

「憑依には憑依です。こちらも、神を宿しましょう」

それだけ言うと意味ありげに笑って里緒と千比呂を見た。


少しの間を置いて、里緒の顔が見る見る内に青ざめていった。


「まってまってっ! そんな精霊だか妖怪だかなんてあたしらどうにも出来ませんって!」

大慌てで里緒は両手を振りまわして拒否の意を示す。


「妖怪退治かぁ……」

机の下で右足をピッと伸ばし、千比呂は不敵に微笑んでいる。

リモコン下駄でも飛ばしたつもりなのだろうか?


その様子を見て里緒はフッと理解し、そして諦めた。


あ、だめだ。こいつまさる君にいいとこ見せようとしてる。


顔を上げて千比呂がまさる君を見据えて言った。

「まさる君。もっかい訊くけど、お兄ちゃんってやつはまだ消えてないんだよね?」


千比呂の問いかけにまさる君は少し暗い顔をして深く頷きを返す。


「オッケイ。お姉ちゃん達がそいつやっつけてやるからね」

そう自信満々に言うと、千比呂は親指を突き立てウインクをしてみせた。


わぁ、『達』って言ったなぁ…… 今。あたしも含めて『達』なんだろうなぁ……


里緒が虚しさと共に見上げた天井は、いつか見た視聴覚室の天井に似ていた。今どきジブトーンの天井も珍しい。


「では、大木さん親子に伺うことはこれで全部になりますか?」

神内課長が腕時計に目を落とし、宝先生に確認するように尋ねる。


「そうですね。最後にもう一度だけ確認するけど、そのお兄ちゃんが何者か、誰か何か言ってなかったかい? もしくは、直接話は出来なかったのかな?」

柔らかい笑顔をたたえつつ、宝先生がまさる君に問いかける。


「誰もお兄ちゃんが何なのかわからないみたいでした。ただ影踏のルールをみんなで伝え合ってただけで……

お兄ちゃんとだって影踏をしている時にしか会えなくて。

声を聞いたこともなかったから、

お兄ちゃんが話せるとか俺……考えたこともなかったです」

思い出すように考えながらつっかえつっかえ、

あまり有益な情報を持ち合わせていないことを申し訳なく思ったのか、

まさる君は、肩をすぼめて恐縮しながら答えた。


「ありがとう、気にしなくていいさ。

君が頑張ったのはわかってる。

こうして無事に帰ってこられたのがその証拠だ」

宝先生の慰めの言葉に、目線をあげたまさる君の瞳には涙が溜まっていた。

お母さんは、その横でまた目頭を熱くしている。


「先生、今日は仏モードじゃね?」

小声で千比呂が里緒に耳打ちをする。

「光ってんの後光じゃなくて、眼鏡だけどね」

里緒も応える。


「では、よろしいですか?

大木さん、今日はわざわざご足労いただきありがとうございました。

いただいたお話を今後の対策に活かしたいと思います。

私共は、まだ少し残って協議したいと思いますが、大木さんは、お帰りいただいて結構です。

進捗については、またご連絡いたしますが、何かありましたらいつでも先程の名刺の私の連絡先にご連絡ください。

また、ご心配ごとなどありましたら、なんでも構いませんので市役所のほうまでお気軽にご相談ください。

本日はありがとうございました」

神内課長がお役人らしくその場を一旦まとめ一礼をすると、

大木親子に退室を促した。


まさる君のお母さんは、涙を拭いながら立ち上がると、

ありがとうございますと、深くお辞儀を返し、まさる君の手を取り出口に向かう。


「まさる君。いっぱい食べてお母さん安心させたげてね」

パイプ椅子から身体をひねって里緒が手を振ると、やにわに千比呂が立ち上がり、

まさる君の許まで駆け寄り自分のスマホを取り出し真顔で言った。

「君、スマホ持ってる?」


まさる君がお母さんの顔を見上げる。

お母さんが微笑みながらうなづく。

それを見て、まさる君は千比呂に向き直ると、ズボンのお尻のポケットから2世代前の型落ちモデルのスマホを取り出してニッコリと微笑んだ。

「お父さんの使ってた古いやつ貰ったんだ」

みせびらかした画面の待ち受け画像は、

ヒートホークを振り回す某大佐専用の赤いモビルスーツである。


「オッケイ。Nodeは…… 入ってるね」

画面を見ながらアイコンを確認すると、千比呂はお母さんに目線を送りながらまさる君に自分のスマホの画面を見せて言った。

「Nodeのアドレスを交換しようよ。お兄ちゃんやっつけたらすぐに教えてあげるからね」


「いいよ!」

と、嬉しそうに大きな声で答えるまさる君を見て、

お母さんも嬉しそうだ。

「良かったねぇ」

と、微笑みながら千比呂に小さく会釈をした。


保護者の同意を得たと判断したのか、

「じゃあ、ちょっと貸して」と、千比呂がまさる君の手からスマホを借り受け、

手慣れた様子で自分のスマホと一緒に画面を操作する。


「ホイ、OK。音源送っとくからわたしの着信音に設定しといてね」

まさる君にスマホを返しながらそう言うと、Nodeの送信ボタンをタップした。


シンプルな電子音がまさる君のスマホから流れると、

画面上部に、千比呂からメッセージが送られて来たことを報せていた。


ワクワクした表情でまさる君が画面を操作すると、

よろしくと、親指を立てた猫のキャラクターの絵文字の下に音源データが表示された。


「これどんな曲?」

まさる君が目を上げると、反り返らんばかりに胸を貼ったドヤ顔の千比呂が居た。


「ふふん、これはね。最強のスーパーマンのテーマだよ。

知ってる? スーパーマン」

「知ってるよ。スーパーマンくらい。

でも、お姉ちゃんだったらスーパーガールじゃん?」

距離が縮まってきたのか、まさる君の口調が少し砕けてきた。


千比呂はそれを聞くと白い歯を光らせ笑いながら、

まさる君の頭を撫でて言った。

「このスーパーマンをやってた人はね。本当に強い人だったんだよ。

事故で一生身体が動かせなくなっちゃって、お医者さんにはこのまま良くなることは無いって言われてたんだけど。

一生懸命がんばって、少しだけ指先が動かせるようになったんだって。

残念だけど、病院のミスで死んじゃったんだけどね。

きっと生きてたら奇跡を起こせたんだろうなってくらい、本当に強い人だったの。

だから、まさる君。

わたしがお兄ちゃんぶっ飛ばしたらすぐに連絡してあげる。

この曲が聴こえたら大丈夫って合図だから。

だからね。

元気に安心して学校行くんだよ!」


口を真一文字に結んで泣きそうになるのを堪えて、

まさる君が無言で力強くうなづいた。


ベーブルースかよ?! というツッコミが頭によぎったが、

その場の空気が感動に染まっていたため、里緒は口をつぐんだ。

あたしは空気が読めるコなのだと、自分を称える。


代わりに、里緒と千比呂とまさる君でNodeのグループを作ろうと提案した。

提案は速やかに可決され、グループ名スーパーマンズが誕生した。



まさる君が大きくバイバイと手を振りながらお母さんと帰って行った後、今後の連絡方法や、対応について話し合うことになった。

千比呂はそろそろ空腹の限界が近いようで、時折お腹を鳴らしては真っ赤な顔をして身をすくめると、その度、里緒にからかわれていた。

どうやら、手持ちのスニッカーズは打ち止めのようだ。


「それで、私達は具体的にはどのようにアクションを取れば良いのでしょうか?」

神内課長の問いに宝先生が答える。

「先ずは、亡霊の正体を割り出しましょう。

神内課長の方から、蝶ヶ崎警察へ依頼していただき、30年以上前の踏切事故。

とりわけ、学生服姿から考えるに事件事故、または自殺の関係なく中高生男子の死亡事案が無かったか。

その中で、左腕の欠損があったもの。

以上の条件を満たした案件を資料から洗い出して欲しいのです」


顎先を親指でこすりながら、眼鏡を光らせて語る宝先生の要求を、ひとつひとつタブレットのメモアプリに神内課長が書き記す。


「それでしたら……

蝶ヶ崎警察は先日署を移転した際に資料全般をデータ化しているので、問い合わせれば一両日中には回答を貰えるでしょう。

署長には後程こちらから経緯と資料を添付して依頼をかけておきます」

ちゃらんぽらんそうな外見とは裏腹に、青いアロハに日焼け顔の神内課長がテキパキとやるべきことを明確化してゆく。


「大多駅長には前回のお祓いの後、不可思議な目撃談が駅構内で発生していないか再度確認していただきたい。

もしあれば、その詳細な内容を把握した上で、私に連絡をください」

宝先生に水を向けられると、大多駅長は姿勢を正して言った。


「確認してみます。

今後の連絡をスムーズに行うため、我々もNodeのグループを作りませんか?

関係者間で情報の齟齬が発生しづらくなると思うのですが、いかがでしょう?」

大多駅長の提案に全員が賛同したので、その場でグループを作ることにした。


全員が大多駅長とアドレスを交換すると、程なくしてグループへの招待が全員に届いた。


グループのタイトルは、

『超蝶ヶ崎バスターズ』

千比呂と里緒はその趣味丸出しのタイトルを暫し見つめると、

顔を見合わせ頷き合い、じっとりと残念そうな視線を喜色満面の大多駅長に注いだ。


「それで、除霊のほうはどういった段取りで行われるのですか?」

大多駅長が興味津々に宝先生に質問を投げた。


テーブルに両肘を付くと、組んだ両手の親指に顎を乗せながら、

よくぞ聞いてくださいましたと言わんばかりに眼鏡を輝かせた宝先生は生き生きとしていた。


「今回は、除霊では無く浄霊を行います。

その場から追い払うのではなく、完全にこの世から消し去るのです。

破魔の御神刀を用いて、黒い煙ごと亡霊の魂を黄泉平坂へ送ります。

黄泉平坂よもつひらさかとはあの世の入口です。

木下に位置を指示させて、大伴が斬り伏せます。

その為、現在の結界を一時無効化させ、件の精霊を呼び寄せる儀式を行います。

それには亡霊の正体、常世での真名を知ることが必要です。

警察からいただく資料はここで必要になります。

戦後の一般的な市民で真名を戸籍の名前とは別に持ち合わせている場合はまず無いと思いますが、

該当する事件案件が確定した場合、その身辺も含めた詳細な資料をお願いします。

これで、完全に精霊と亡霊を消しされれば、

今回の騒動は終了です」


語り終わると、満足気にペットボトルのお茶で一息つく宝先生。


ちょっと待ちなさいよと、里緒は胸がざわついた。

あたしが指示して、千比呂が斬り伏せる?

「あたしら危なくないんですか? それ!」

思わず声に出てしまった。


千比呂を見ると、なぜだかニヤつきながらウンウンと首を振って頷いてる。


「安心しなさい。刀は神楽用の竹光を使うから」

宝先生は、求められていない回答を、涼しい顔でサラリと言ってのけた。


「あんた怖くないの? 最前線で切込隊長だよ」

里緒の切込隊長という言葉に、益々ニヤつく千比呂。


ダメだこいつ。お兄ちゃんぶっ飛ばしてまさる君にいい顔することしか考えて無いや。


里緒の心が冷や汗をかいた。


「安心しなよ、里緒。

あんたのことは、わたしが守ってやるからさ」

イケメン顔で中指と薬指の間を開いてバルカンサインで爽やかに言ってのける。


早くも完全にやる気の千比呂だった。


「その根拠のない自信はどこから来るのよ……」

感情の行き場を失くした里緒にはもう呆れ顔する他に寄る辺がない。


「まぁそんなに心配するな。今度の召喚場所はホームの垂直上に位置する駅ビルの屋上にしたいと考えている。

見通しと足場は格段に良くなるからな。それに、前回の除霊の儀で護り札が有効だとわかったから、

まかり間違っても、君たちが精霊に取り憑かれるなんてことは無いと約束するよ」

自信に満ちた顔でそう語る宝先生に、

里緒はイラつきを覚えて何か言い返してやろうと思ったが、

少し考えて諦めた。


「では、日取りが決まったら連絡をください。

屋上の使用許可はこちらで取りますから」

事の結末が見えてきて安心した大多駅長が朗らかに申し出たところで丁度貸しホールのレンタル時間が終了を迎えそうになったので、

本日の話し合いは散会となった。


文化ホールの受付で退出の手続きを大多駅長が行っている間に、神内課長から提案があった。

「この後吉積さんにお願いして、下の海飛羽に一席用意して貰っているんですが、先生方も一緒にいかがですか?」


言われて宝先生は、横目で千比呂に視線を送る。

海飛羽かとうは地元海鮮料理の名店が屋号を変えて駅ビルに出店している若干高級な海鮮専門の居酒屋食堂である。


千比呂の心の天秤は、あっさりと豚骨ラーメンをふっ飛ばし、高級海鮮料理に傾いたようで、

里緒と並んでふたり、

鼻息荒く両の拳を握りしめ、へビメタバンドのヘドバンよろしく大きく何度も首を縦に振っていた。


その姿を確認すると、宝先生は嘲笑うかのように微笑み、

神内課長に向き直った。

「私達は車なもので、お酒には付き合えませんが、よろしいですか?」


「構いませんとも。もし飲みたくなったら仰ってください。代行運転の手配も出来ますから」

神内課長が爽やかに歯を光らせながら笑った。


  ※  ※  ※


「じゃあ何? 千比呂ちゃん達がその子の命の恩人ってわけじゃん? 凄いじゃん! かっこいいじゃん! ねぇ? そう思いますよねぇ、課長っ!!」

海飛羽での会食が始まり程なくして、吉積さんが完全に出来上がってしまった。


「痛いって、吉積さん! じゃんじゃんじゃんじゃんうるさいよもうっ!」

バシバシと力の加減もなく背中に張り手を見舞われ捲った神内課長が抗議の声をあげながら、身を捩る。


「逆パワハラってやつだねぇ」

里緒が猫の喧嘩を眺めるかのような表情で千比呂に呟いた。

「おふょふぁもふぇんふぃよふぇ」

多分、大人も元気よね。とでも言ったのであろう。

二杯目の特上海鮮丼を口いっぱいにほうばりながら、わずかに出来た口の中の空間に出汁巻き玉子を押し込みつつ、

千比呂が答えた。


海鮮丼の間に名物生シラス丼を挟んで平らげているので、すでに3杯目の丼飯である。

奢りと聞いてからの千比呂には容赦が無かった。


彼女の眼の前には、一端のパーティー程の数の料理が並んでいる。


「口の中に物を入れて喋らない」

里緒はついついお母さん口調になる。


宝先生を見れば、吉積さんに誘われて参加して来た田仲さんと大多駅長の3人で、真面目な顔をして何か話し込んでいる。

オカルト談義でもしているのだろうか、宝先生の話に田仲さんはしきりに頷いているようにみえた。


場の様子をひと通り眺めると、里緒は冷たい緑茶をジョッキで飲みながら千比呂の眼の前の料理をちょこちょことつまんで口に運ぶ。


「これ美味しいよ」

千比呂が里緒の取り皿にのどぐろの唐揚げを乗っけてきた。

こじんまりとした取り皿から頭と尻尾をはみ出して丸々一匹ののどぐろの姿揚げが、大口を開いたまま里緒をまっすぐ見つめている。


里緒は暫くのどぐろと見つめ合っていたが、意を決したように箸で掴むと頭からまるかじりにした。


「ホントだ。美味しいね」

バリバリと音をたて噛み砕いて飲み込むと里緒の瞳が輝いた。

口に合ったようだ。


「でしょ?」

なぜか得意げな千比呂に、里緒は微笑みを返して残りののどぐろを食べ進める。


「帰りは何時頃になりそうかな?」

まったりとした場の雰囲気を感じながら里緒が手首のスマートウォッチを見た。

8:08と表示された液晶画面を確認すると、いつの間にか混み合ってきた店内の喧騒が感じられる。


「まだまだ帰りそうにないね」

各々に盛り上がっている宴席を見渡して千比呂も呟く。


「あんまり遅くなっちゃうとね、明日も学校あるし」

少し考えるように天井を見上げる里緒。

「家の迎え呼んじゃおうか?」

千比呂の提案に暫く考えて、ガバッと身を起こした里緒が瞳をキラキラと輝かせて千比呂に顔を寄せてきた。

「翼さん!? 来てくれるかな? 来てくれるかな?」


里緒に詰め寄られながらたじろぎつつ千比呂がスマホを取り出して見せた。

「いま電話してみるから、ちょっと落ち着きなさいよ」

胸の前で手を組んだフワフワロングの美少女が、潤んだまなこで千比呂を見つめて来ている。


ここで父親に電話をしたら殺されるな。

スマホを操作する手元を凝視してくる里緒の視線に焼かれながら千比呂は、ここは素直に兄に連絡をしておくことにした。


Nodeの無料通話を押して、翼を呼び出す。

3回、4回とコールが鳴り、5回目に電話が繋がった。


「もしもし」

ぶっきらぼうな翼の声がすると、

スピーカーモードでもないのにそれを盗み聞き、興奮した里緒は声を殺し切れずにヒャーヒャーと掠れた空気を漏らしている。


里緒が撒き散らしてくるハートの群れを冷ややかな目でうっとおしく眺めながら千比呂がめんどくさそうに電話で要件を伝えた。

「どもどもわたしわたし、あのさ、今駅ビルに居るんだけど、

これから車で迎えに来れる?」


「なんだよ、オレオレ詐欺みたいな電話して。

今からすぐにはヤダぞ。

9時に母さん迎えに駅に行くからそれまで時間潰してろよ」

ぶっきらぼうな妹の電話に翼もぶっきらぼうに答えた。


スマホから漏れた翼の声に、

「翼さんやさしいぃ〜」

と里緒が隣で身をくねらせながら舞い上がっていた。


「じゃあ、駅ついたら海飛羽に来てよ。わたしら生徒会の仕事後で、市役所の人達と食事会してるから」

「良いのかよ?」

「良いと思うよ。先生とわたしら以外、みんな酔っ払っちゃってるから…… みなさん!兄が迎えに来るようなのでこちらで待ち合わせさせてもらってもいいですか?!」

スマホから耳を離し、周りの人達に確認するように声をかけると、

酔っ払い達は、口々に快諾の声でこたえた。


「じゃあ、母さんにも連絡してそこで待ち合わせるようにするよ」

スマホが拾ったその場の声を聞いて、翼はそう言うと電話を切った。

「あたしも話したかったぁ」

ひどく残念そうな里緒は、流れで白玉ぜんざいを注文した。


「いいじゃん。後で来るんだし」

「今が大事なのよ。今という刹那が切ないのよ。

あんたも少しは恋をしなさいよ」

里緒の絡み方にこいつ酔っ払ってるんじゃないかと、千比呂は訝しんだが、里緒は全くの素面である。


「なあにぃ? 恋バナ? オバちゃんも混ぜてよぉ〜」

おぼつかない足取りの吉積さんがレモンサワーのジョッキを片手にやってきて千比呂と里緒の間に身体をねじ込みながら腰を降ろしてきた。


「あ、吉積さん聞いて下さいよ〜」

里緒が甘えた声で吉積さんの腕に絡みついた。

何度も言うようだが、彼女は素面である。


「なになに? 何の話ししてたの?」

若干呂律の回らない口調で吉積さんが話に加わってくる。


「愛を知らないモンスターに恋心を教えてるとこなんすよ」

いたずらっぽい顔を千比呂に向けて里緒が言う。


「あら! そういうことならお姉さんに相談しなさいよ。こう見えても百戦錬磨の猛者なのよ」

吉積さんは高らかに笑う。


「ええぇ……わたしは別にそんなんじゃないですから……あはは……」

視線を外しながら、千比呂は力なく笑う。

恋バナは苦手だ。酔っ払いはもっと苦手だ。


「そうだ、吉積さん蝶ヶ崎が地元なんですよね?どの辺に住んでるんですか?」

なんとか話題をそらそうと大した興味もなしに千比呂が尋ねる。


「ん、私? 私はねぇ、十三間坂の方。海王寺の踏切の近所よ」

今にも眠ってしまいそうなトロンとした眼で吉積さんが答えた。


「へえ……」

それ以上会話を広げられない千比呂は途方に暮れて天井を見上げる。


「で、何? 千比呂ちゃんは好きな人いないの?」

脈絡などお構い無しに話が力ずくで恋話に戻された。

千比呂はただただ天井を見つめている。

その様子をニヤつきながら眺めていた里緒に、なんだか無性に腹がたった。


「わたしはいませんよぉ、あ、でも、里緒はね、居るもんね」

むりやり吉積さんの関心を里緒に押し付けようとした。


「へぇ〜、 誰よ誰よ??」

あっさり食いついた吉積さん。

白状しなさいよと、里緒にヘラヘラ笑いながら詰め寄る。

今度は里緒が標的にされた。


鋭い視線が千比呂に投げられたが、

いい気味だとばかりに頭の横で手をヒラヒラさせながらアホみたいな変顔をしてやった。


【影踏】その⑨へ続く

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