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それは不思議にありふれて 〜第二章 【影踏】 その①

 ── 愛は正義よりも強い ──

              〈スティング〉


五月晴れと呼ぶには雲が多すぎるがやたらと暑い土曜日だった。どうしてもという千比呂の誘いで、桜木町のジャック&ベティと言う映画館へ4Kリマスタリングされた古いSF映画のリバイバル上映に付き合うことになった。


里緒としては、全く興味の無い分野ではあったが、千比呂が映画代とお昼をご馳走してくれるというので、そこまで言うならと重い腰を上げてあげる事にした。


丁度中間テストも終わったばかりだし、祠の御霊遷し以来 ”ものいみごとがかり” の仕事も特にすることもない。

”ものいみごとがかり” とは、斎事係と書く。神奈川県立猫柳高校生徒会の係に属する学校の敷地内にある猫柳神社に関わる世話をする係だ。大伴千比呂と木下里緒はそこに所属する高校1年生だった。


みなとみらいの方にもしばらく行っていなかったので、昨日はテストが終わるとすぐに千比呂の家で今日の予定をふたりで立てていた。


千比呂の意見ばかり聞いていると、飲食店巡りの食い倒れツアーになってしまうので、それ以外のレクリエーションを里緒がメインに提案する形になってしまうのは必然で、ランドマークの展望台やマリンタワーの展望台だったりガンダムに登ろうと提案するも、高い所好きのおバカ扱いをされたばかりか、ガンダムはひと月以上前に終了となっていたことを聞かされた里緒は、なんとなくショックを受けた。


「で、そのソイレントなんちゃらはどんな映画なの?」

蝶ヶ崎駅の上りホームで電車を待ちながら里緒は千比呂に確認をする。


久しぶりの遠出に里緒は少々気合を入れてノースリーブのベージュのワンピースに母の形見のハイブランドのバッグを肩から下げている。


対して千比呂はリーバイスの503に、マジックで書いたような『腕白』と大きくロゴの入った白Tシャツ。そこにクリーブランドガーディアンズに改名する前のインディアンズのベースボールキャップに、ホームセンターのガインズで三千円で買ってきた大きめのスクエアタイプのリュックを右肩にかけていた。


とてもオシャレとは言い難い一見すると男子高生のような出で立ちである。ただし、かなりイケメンの部類に入る。駅のコンコースを歩いている時など、何度かすれ違う女の人が振り返っていた程だ。


「ディストピア系になるのかなぁ。未来の世界で、食糧難は改善されたんだけどね、その代わりソイレント・グリーンって完全食ばかり食べてるんだけどね、こっから先はネタバレになっちゃうから教えたげない」

たくらみ顔で微笑む千比呂。


「完全食って、おんなじ名前のがアメリカでそんなやつなかったけ?」

なんとなく聞き覚えのある実際の完全食品の名前を里緒は思い出した。


「そう、よく知ってんね! 絶対アレこの映画から名前取ってるから!」

嬉しそうに目を輝かせながら里緒の手を取り握りしめてきた。


「完全食品の開発秘話みたいな話なん?」

握られた手をマイクに見立てて里緒が尋ねる。


「そんなんじゃないよ。絶対面白いから。名作なんだから」

今度は千比呂が手を握ったまま引き寄せてマイクに見立てた。


「ほな期待してまっせ」

下手くそな関西弁で里緒が笑った。


不意にホームに電車の接近を知らせる曲が鳴り響いた。地元出身のビックバンドの代表曲が使われている。蝶ヶ崎市には、もっと大御所の歌手もいて、そちらの曲は相模線のホームで以前使用されていたのだが、今では使われていない。その代わりになのか、その歌手のギターを携えた黄金像が市役所前の広場に建てられた。


あまりの黄金っぷりに千比呂はそれを幸福の王子と呼んでいた。


アナウンスが流れ、黄色い線の内側までお下がりくださいと言うので、足下に視線を落として黄色い線の内側にいるのをふたりで確認する。


ホームに滑り込んだ電車のドアはふたりの立つ停車位置の若干手前で開いた。降りる人を確認すると3号車の真ん中のドアから乗り込んだ。


車内は土曜の朝にしては意外と空いていて、ふたりは横並びに座れた。ホーム上の階段位置を外して少し前方気味の車両が比較的空いている事が多いのは、経験から知っていた。


発車の曲が流れ、電車がゆっくりとモーター音を高めながら走り出したが、ほんの十数秒走った所で緊急アナウンスが流れた。


「緊急停止します! 近くの物にお掴まりください!!」

緊張感を隠せないアナウンスが終わらない内に、耳障りなブレーキ音が響き渡り、圧倒的な重力に後ろから押される。


座面に右手を付き千比呂が自分の身体と里緒を支えるように左手を里緒の肩に回す。膝に抱えた自分のリュックがふっ飛ばされていっても気にする様子もなかった。

20メートルばかりの制動距離で電車は止まった。窓外の真下にはまだホームが見える。


「大丈夫?」

千比呂に肩を抱かれながら里緒が心配そうに訊く。

「大丈夫」

そう応えると千比呂は、5メートル先まで飛んでいった自分のリュックを拾いに行って周りを気にしながら照れくさそうに戻ってきた。

ちひろが男だったらあたしの婿にしてやんのになと、里緒は千比呂のイケメンっぷりに惚れ惚れした。


少し慄えるような声でアナウンスが流れる。

「お急ぎの所誠に申し訳ございません。線路に立ち入りがあった為、止むを得ず緊急停車いたしました。安全が確認されるまで、しばらくそのままお待ち下さい。尚、これより車掌が車内のお客様の安全を確認に伺います。怪我をされた方、お加減の悪くなった方がいらっしゃいましたら、車掌までお申し出ください。」


アナウンスの間にも窓外のホームを駅員が点検の為か、すごい勢いで駆け抜けて行き、車外が段々と騒然としてきた。


「人轢いちゃったのかな?」

千比呂が眉間にシワを寄せながら怪訝そうに独り言を呟く。

「まじかぁ...」

言いながら電車の窓を開け里緒が顔を覗かせた。


「何か見える?」

極力外を見ないようにしながら千比呂が里緒のワンピースのスカートを引っ張った。


「パンツ見えるからヤメレ!見た感じ何にも居ないけど、何か居たような感じは残ってるかな...めちゃくちゃ人集まってるよ。なんか駅員さんが電車の下を覗き込んで調べてる」

千比呂の手をはたき落としながら里緒が外の状況を報告する。


「居ないのに居たようなとはこれ如何に?」

千比呂が口を挟む。凄惨な状況が展開されている訳では無いと知り、少し余裕を取り戻したようだ。

「死んでる人は居なさそうってこと。怪我してる人はいるかも知れないけど、それはわかんない」

この世ならざるものを見ることが出来る里緒らしい表現だった。


10分程経った頃に後ろの連結部分のドアが開いて車掌が入ってきた。

「この度はお急ぎの所誠に申し訳ございません。ただいま原因の調査を行っておりますので今しばらくお待ち下さい。お客様の中に怪我をされた方、体調の悪い方など要らしゃいませんでしょうか?いらっしゃいましたらお知らせください。念の為救急車もこちらに向かっておりますので早急に対応させていただきます」


こちらが申し訳なくなるほどにいっぱいいっぱいなのが見て取れた。それでも中にはどうなってんだと車掌さんに詰め寄る老害おじいさんなども居たりしたが、他の乗客のオジサンになだめられたりなどしていて車内は、ちょっとしたカオスになっていた。


この車両には特に身体に問題が発生した乗客は居なかったので、平身低頭と腰を低くしながら車掌さんは隣の車両へ移動して行った。


なだめられたおじいさんは、まだ不満そうにブツブツ言ってるようだったが、誰にも相手にされずそのうち黙って後ろの車両に移動した。


「きょうは、映画は無理かなぁ」

千比呂が天井を見上げて溜息をついた。

「明日また行こうか?」

里緒が慰めの提案をする。


潤んだ瞳で無言で里緒を見つめてくる。その口元は緩んでる。

「だから好きだよ、りお」

突然抱きついて来て、里緒の頬に自分の頬を何度もこすりつける千比呂を振りほどこうと頑張ってみたが、圧倒的なフィジカルの差に諦めて、されるがままになっていた。


そうこうしている内にまたアナウンスが流れた。

「現在、原因調査に時間がかかっております。復旧のお時間はわかりません。お急ぎの方はバスにて振替え輸送のチケットを発行いたしますので改札の窓口にお申し出ください。また、当車両は一旦停止位置の調整を行いますので、誠に申し訳ございませんが乗客の皆様には降車していただけますようお願い致します」


ふたりはアナウンスを聞くと完全に今日の予定に見切りをつけた。

電車のドアが開くと乗客の列に混じって外に出る。

駅のホーム上は、スマホをかまえた野次馬で溢れていた。

立入禁止の規制テープが貼られ、お巡りさんも駆けつけてきている。


ふたりが規制テープをくぐり野次馬の横をすり抜けると、ドアが閉まり、電車はそのまま100メートル程バックした。

駅員とお巡りさんに加えて救急隊員も担架を抱えて電車の前方の一団に加わる。

色めき立つ野次馬達に背を向け階段を登ろうとしたが、上り側の階段は見物の人で溢れていたので、下り側の階段から登ろうと駅員の詰め所前を通りがかった時に、開け放たれたドアの向こうから怒鳴るような声がした。


「何も居ないってどういうことだよ!? こっちのカメラの映像には電車に飛び込む子供の影がハッキリ映ってるんだぞ!!」


千比呂と里緒は顔を見合わせる。

「ね?」

里緒が周りから隠すように小さくVサインを出していた。


入場取り消しの手続きを済ますと、改札を出て駅のコンコースで立ち止まり、これからどうしようかと相談をしていると急に、

「ちひろちゃん! りおちゃん!」と、名前を呼ばれて振り向いた。


駅のコンコースにある蝶ヶ崎市観光協会の売店前で見知った顔の赤いアロハシャツの女性が手を振っていた。この売店で店長を任されている吉積さんだ。

歳は30やや過ぎくらいだろうか、長い茶髪の吉積さんとは猫柳神社の御守りやキーホルダーなどの領分品とは、宝先生にも呼んでもらえない神社グッズの受注発注でお世話になっている。


「おはようございます、吉積さん」

里緒がにこやかに挨拶する。千比呂はその横ではにかみながら頭を少し下げた。


「これから電車に乗るの? だったら今動いてないわよ。人身事故みたいよ」

吉積さんが眉間にシワを寄せながら手を顔の前で払っている。


「わたし達その電車に乗ってたんですよ。映画に行こうと思ったんですけど、今日は諦めます」

千比呂が両手を上にして肩をすくめる。


「ええ〜! マジで? 誰か轢かれちゃったの?」

吉積さんが興味津々で食いついてきた。


「それが誰も轢かれてなさそうなんですけど、あたし達が駅員さんの部屋の前通ったら、監視カメラに子供の影が電車に飛び込むのが映ってた〜、って言ってたんですよ」

里緒が自分の両肩を抱きかかえながら少し大げさに怖がってみせた。


「ひえ~、また出たの? 時々見かけられるらしいよ。線路の中で子供の影だけが遊んでて、駅員が注意に行ったら誰もいないんだってさ」

両手でお化けぇというジェスチャーをするように手を揺らし吉積さんが舌を出す。


「きゃあ〜、そうなんですか? お陰でこっちは予定が不意になっちゃいましたよ」

吉積さんに合わせて千比呂も両手で頬を押さえて怖がる素振りをしながら愚痴った。


「そうなの? それは災難だったね。だったら今日から美術館で現代美術家さんの個展をやってるから行ってみれば? 高校生は入場無料だったはずよ」

流石の観光協会の吉積さんが地元の観光情報を教えてくれた。

無料だったら良いかなと、千比呂と里緒は行ってみることにした。美術館の隣は図書館なので、そちらでも暇が潰せそうだ。


「ありがとうございます。行ってみますね」

ふたりは吉積さんにペコリと頭を下げた。

「気に入って貰えるといいけどね。そうそう恋愛成就の御守り、結構売れてるわよ。土日明けにまた発注書流しておくからよろしくね」

提案が受け入れられて吉積さんも嬉しそうだ。グッズが売れてるという情報は千比呂達に嬉しく届いた。


吉積さんにサヨナラを告げて市立美術館を目指す。途中お昼前にはまだ早いが、G系ラーメンのお店に立ち寄り券売機で購入するとカウンター前の席に陣取って里緒は並盛りに全部普通にニンニクなしで、千比呂は大盛りに野菜マシマシたれ多目ニンニク無しで店員さんにお願いしながら食券を渡す。


何度か訪れていて覚えてくれていたのだろう、女子高生離れした千比呂の注文を笑顔で聞き入れてくれるのは嬉しかった。初めてふたりで来た時などは、残さず食べれますか? と、しつこいくらいにどんな量になるか説明されたが、千比呂がスープの一滴も残さず丼をあおって飲み干すと、次回から何も訊かずに笑顔で注文を通してくれるようになっていた。


腹ごしらえも済み、川上音二郎の別邸跡のある公園の奥の階段を登る。登りきった丘の上にガラス張りのおしゃれな市立美術館があった。

入口の自動ドアをくぐり、常設展示部屋の入口カウンターで映画の学割証明の為に持ってきていた学生証を見せると、係のお姉さんが笑顔で入室を促してくれた。


中に入ると、急に異世界に迷い込んだような空間が広がっていた。

展示総数は、14点と少なめだが、そのどれもがびっくりする程大きい。淡い色調で彩られた幾何学の重なりは、美術音痴の千比呂が観ても心奪われるものだった。


ボードに作者の履歴が掲示されていたので、里緒は小声で読み上げた。カタカナと漢字の混じった作者は日系アメリカ人の男性で、聞いたこともないが何となく権威のありそうな数々の賞を受賞していた。


「女の人が描いてると思ったら男の人なんだね」

千比呂が意外そうにボードに顔を近づける。

「良いよね。完成された感性って感じ」

里緒がダジャレで褒めた。


ふたりはすっかり気に入ってしまい。帰り際にミュージアムショップで企画展のカタログを買った。里緒が、どうやっても収まらなさそうなカタログをブランドバッグに詰め込もうと四苦八苦していると、千比呂が自分のリュックに入れてくれると言ってくれた。


「値段より機能美ってやつ重視だからね。わたしは」

そういって笑っている。


美術館の出口を抜けると、公園が一望出来た。松の木が乱立する公園を縫うように小道が続き、川上音二郎の別邸を再現したという古民家がその先に見える。


時間がゆっくり流れるような癒やしの眺望に和みながら、松の枝の上に浮かぶ青白い顔をしてこちらを見ている女の姿さえ見えなければ完璧なのになと、里緒は思った。

そんなものには気づきもしない千比呂は、眩しそうに目を細めながら、木々の枝の隙間からの木漏れ陽が揺らぐのを楽しんでいた。


その後は図書館には寄らず、少し雲も多くなってきたので散歩しながら帰る事にした。


海沿いの国道を通らずにその一本手前の脇道を辿る。途中、野球場の公園に設置された運動器具などでふざけて全力で懸垂や腹筋運動をしてみたりしながら帰った。


道中、里緒が道にたむろする幽霊がいると教えてやると、スマホで写真におさめてみようと千比呂が試みたりなどもしてみたが、何も映っていなかった。


時々こうして里緒が見えている世界を除いてみようと試してみるのだが、千比呂がそれを目にすることは殆どなかった。

何度か画像の全体もしくは、半分程が真っ白になったりすることもあったけれど、それは里緒が見ている光景には程遠いようだ。


駅の方から帰ると、里緒の家のほうに先に辿り着く。道草気分で裏道の隠れ家風カフェでお茶をしたので、すっかり夕方になってしまった。


「じゃあ、明日は7時半に迎えに行くからね」

カフェのケーキセットで幸せをほうばりながら、明日は朝イチの上映回を観ることになった。みなとみらいまでの時間を考えると、9時の上映開始時間に間に合わせるにはそのくらいの余裕を見ていたほうが良いだろうということになった。


「オッケイ。わたし朝は強いからね。6時くらいに起こしてあげようか?」

千比呂は得意気に顎を突き出した。

「じゃあ、6時半に電話して」

負けじと里緒も顎を突き出す。


アハハと笑うと、じゃあねと手を振り合って別れようとしたが、千比呂が思い出してリュックから慌てて美術館で買ったカタログを取り出すと、里緒に手渡しながら舌を出した。


里緒も受け取りながら舌を出す。

アハハとまたふたり笑い合う。笑いながら里緒がくるくると回ってみせて自宅の門扉に消えていく。ワンピースの裾をふわりと膨らませながら、門柱の影に左手だけを残して消えて行く。残された左手も指をヒラヒラとさせながら吸い込まれるように門柱の影に消えていった。


「マリリンとアインシュタイン!」

古いアメリカ映画のタイトルを千比呂が大きな声で叫ぶ。

「正解っ!」

門柱の影から里緒が応える。

ガッツポーズを決めながらクルリと背を向けた千比呂は、

「イエスッ!!」と、呟くとそのままスキップをしながら自宅まで帰った。


背中で爆笑している里緒の声を感じていた。


【影踏】その②へ続く

第二章 第1話目はここまでとなります。

この章は少し悲しい物語になります。

胸糞な展開もあるかもしれません。

何卒めげずにお付き合いいただけると幸いです。

出来ましたら、いいねや評価、感想などいただけると今後の展開の参考にさせてもらえると思います。

何卒よろしくお願いいたします。


それでは、2話目もお楽しみください。


寿賀 旦

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