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第六話










 お二人が貴族学院に入学して三年。

 彼らは揃って十五歳になった。


 入学前にたてたエリザ様の作戦は、吃驚する程うまくいった。


 やはり、婚約者なのに意識して接触を避け、出会っても冷淡な二人の仲を訝しむ人間はいたそうだ。

 そして、入学早々坊っちゃまはやらかした。

 互いに級友と談笑中。思わぬ場所で鉢合ってしまい、予期せぬ接触で焦った所為か坊っちゃまは、堂々とエリザ様を罵倒してしまった。


 曰く、お前のような地味女が笑って廊下を歩くな。もっと端を申し訳なさそうに歩け、だそうだ。


 理不尽この上ない言い草だが、原作のウィリアルドもよくそんなことを言っていた。

 その場を、かしこまりましたと涼しい顔でいなしたエリザ様は、坊っちゃまの行動に呆れ憤る級友に、こっそり囁いたらしい。


『あれはね、君の可愛い笑顔を他の男に見せたら誰かが惚れてしまうかもしれない。頼むから目立たないようにしてくれってことよ。私の婚約者はとんでもない意地っ張りで照れ屋なの』


 ………と。


 その証拠として、毎日のように届く手紙と花束の話をして、純粋無垢な顔で幸せそうに、殿方って可愛いわねぇと笑ったらしい。


 それからも何度か同じようなことがあって、おかげで坊っちゃまは、婚約者を前にしたら真面に話すことすら出来ない、とんでもなく照れ屋で恥ずかしがりの、でも一途なへたれ男と言われているそうだ。


 坊っちゃま自身もそう見られている自分をしっかり受け入れ、エリザ様のいないところでは、どうしても婚約者の前では素直になれない。いつも思っているのと反対のことばかり口から出て、彼女に申し訳ないと零しているらしい。


 嘘ではない。

 すべて坊っちゃまの本心だ。


 本人のいないところでなら、エリザ様を褒めることも、愛を語ることだって出来る。エリザ様をどれだけ想っているか、本人以外に必死にアピールするしかないへタレを応援してくれる友達がたくさん出来たと喜んでいた。


 だから誰も二人が想い合っていることを疑わない。

 結果として、お二人は似合いの婚約者として周囲から生暖かい目で見守られているそうだ。


 それに関して私は、心からエリザ様に感謝していた。

 エリザ様の機転のおかげで、エリザ様だけではない、坊っちゃまの名誉も守られた。


 婚約者をないがしろにするろくでなしと思われるより、本当に好きな子に素直になれないへたれ野郎の方が、どれ程イメージがいいだろう。

 彼女は坊っちゃまの名誉も、純粋な心までも守ってくれた。


 感謝を込めて、私も心を込めて淹れた紅茶を差し出す。

 ありがとうと受け取ったエリザ様の視線の先には、剣の稽古に励む坊っちゃまがいた。


 恒例のお茶会の日、今日は公爵家へエリザ様がいらっしゃっている。しかし、坊っちゃまの剣術の稽古が少し長引いていて、まだ先生と剣を打ち合っていた。

 逞しく成長した坊っちゃまに目を細めるエリザ様を習って、私も同じものを見つめる。


 女伯爵になるエリザ様を支えるため、坊っちゃまは学業はもちろん、学院入学後からは剣術も真剣に習い始めた。そんなに手広くやらなくていいと彼女は言っていたけれど、いざと言う時好きな人を守る力くらいは欲しいと自主的に始めたのだ。


 その結果坊っちゃまは、原作の優男風の美丈夫ではなく、がっしりとした体躯の美丈夫に成長していた。元々の甘いマスクは変わらないのに、そこに精悍さが足されて更に魅力的になった。


 ……多分同じことを思ったのだろう。


「最近ウィルが格好良くなりすぎて、小蠅が煩いのよ」


 溜め息混じりの低い声が呟き、少し驚きながらエリザ様の様子を窺う。彼女は変わらず坊っちゃまたちの方を見ていた。


「羽虫のことなどお気になさいませんように。坊っちゃまはいつでも一途です」

「判ってるんだけど……、私の態度が悪いからウィルがいつまでたっても素直になれないんじゃないかって何も知らない人に言われるのは、……ちょっと傷つく」


 そんな非難の仕方があるのか!?


 折角うまくいっている二人にヒビを入れようとする誰かの思惑に歯ぎしりしたくなった。


 今生の坊っちゃまは本当にエリザ様をお好きなのだ。

 その気持ちを知りもしない他人が推し量り、エリザ様に押しつけるなど言語道断。

 お二人がどれ程苦労をしてここまでの関係を築いたと思っている。


 稽古の合間にこちらを見た坊っちゃまは、手を振るエリザ様を見つけて渋い顔をする。愛想もなくプイッと顔を背けて、また打ち合いを始めた。


 我々にとってはいつものことだが、それが他人にどう見えるのか……改めてこの関係の困難さに胸が痛くなった。

 坊っちゃまを見つめるエリザ様の目にも憂いがある。

 慌てて彼女に向き直り聞いた。


「何かおありになりましたか?」

「……あのね、ゴードン。私、自分がまた生き直してるって気付いた時、ウィルにまた会うのが怖かった。あんな男とまた婚約なんて冗談じゃないと思った。

 でも最近……、もしかしたら一度目のウィルも同じ<呪い>で苦しんでたのかもしれないって、思うようになったの。私の接し方が違っていたら、結果は違っていたのかもしれない」


 今のように……切なく細められる瞳が、今の坊っちゃまに過去のウィリアルドを重ねているのが判った。


 ……いえ原作の彼は本当に屑でした。

 なんて言える訳もなく。


「だとしてもそれはエリザ様には無関係でしょう。何かそう思うような言動が以前の彼にありましたか?」


 少し考えて、彼女は判らないと零す。


「でしたら、心苦しいですが一度目のウィリアルド様は本心でああいうことを言う方だったということです」

「でも……」

「仮にそうであったとしても、それはもう終わったこと。今更エリザ様が気に病まれる必要はまったくありません」


 彼女の憂う理由が判って、先回りしきっぱりすべて否定する。

 今の坊っちゃまの言動が、原作の<強制力>であるという事実を知っているから尚更強く、はっきりと。

 私が坊っちゃまの幸せのため原作改変などに挑んでしまったから、坊っちゃまの言動に齟齬が生まれてしまった。<私>と言う存在がなければ、彼はまた何の疑問も抱かずにエリザ様を虐げる男に育っていた。


 悲しいが、間違いなく、ウィリアルドの本性はあれ。


 だから、エリザ様が過去のウィリアルドに対して憂う必要などない。


 私の揺るぎなさに、ぱちくりと音がしそうな動作で瞳を瞬かせたエリザ様は、少し頬を緩め聞いた。


「結構はっきり言うのね。前のウィリアルドだって、貴方にとって大事な坊っちゃまではないの?」

「いいえ。私にとって大切な坊っちゃまは、今目の前にいる坊っちゃまただ一人だけです。今生の坊っちゃまが幸せになれるなら、それ以上は望みません。ですから、エリザ様も羽虫の羽音など気になさいませんよう、どうか今の坊っちゃまを見ていてください」


 高く鉄のぶつかりあう音が響いてそちらを見ると、剣を弾き飛ばされ草地に膝を突いている坊っちゃまがいた。そのまま何事か指導されているのだろう、真摯な表情で教師の言葉に頷いているのが見えた。


 真剣な横顔は、凛々しく、精悍で、格好良い。

 あの表情もすべて、エリザ様のため。


 だから、過去のウィリアルドに対する引け目などいらない。

 坊っちゃまを見て、信ずるに値すると思ったら、選べば良いだけのこと。それ以上も以下も必要ない。


 坊っちゃまと過去の男を比べないで欲しい。


「ありがとうゴードン。そうね、私少し弱気になってたみたいだわ。ウィルはちゃんと約束を守ってくれてるんだから、私も信じなきゃね」


 少し元気になって、冷めた紅茶に口を付けるエリザ様の淑やかな指先を見ながら、少し気になって聞いた。


「坊っちゃまはそんなに女性に人気が?」

「ええ、進級してから特にね。……そういえば、この間お母様が何処かのお茶会でウィルが私を冷遇してるって話を振られたそうよ。でも、こっちには毎日届く花束と手紙って証拠があるから、いつもと同じことを言っておいたって教えてくれたわ」

「ありがとうございます」

「あら、全部ホントのことだもの、お礼なんか言わないで。お母様たちだって楽しんでやってるのよ」


 ありがたいことに、エリザ様の両親、現伯爵夫妻も坊っちゃまたちを暖かく見守ってくれていた。


 彼らも最初は、学院に入学する年齢になっても娘への態度の改まらない未来の婿に不安があったらしいが、そこはエリザ様がうまく執り成してくれた。

 そして坊っちゃまもいつもどおり、エリザ様のいないところでは素直に想いを語り、あちらが引く程必死に、本当に大好きなのに素直になれない自分を詫びた。でも絶対にエリザを裏切るような真似はしないから、婚約は継続して欲しい、彼女と離れたくないと父伯爵に土下座しそうな勢いで頼み込んで、信頼を勝ち取った。


 今生での坊っちゃまの意識は完全にエリザ様だけに向いている。


 だからなのか、今回は一緒に暮らしていても父母や兄のことなど一切気にしていなかった。

 時々あちらから接触してきて思い出すこともあるようだが、いずれ伯爵家に婿に入る身の上として、公爵家の人達のことは完全に別家庭の人間と割り切っている。だから溺愛される異母兄に劣等感を抱くこともなく、あるがままの自分を大切に伸び伸び生きられていた。


 坊っちゃまは、存在しない父母の愛や、兄への劣等感を埋めるためには生きていない。

 エリザ様を愛して、愛した人と歩むための人生を、生きていらっしゃる。


 それを間近で見られることが私の幸福。

 どうか、どうか、このまま穏やかに……。



「ゴードン、私、今のウィルが好きよ。出来れば、今度こそ彼とずっとずっと一緒にいたい」



 ふふと笑うエリザ様が、実はエリザ様をずっと慕っていたヒーローと正式に出会うのはもう少し後……一度目は何度も目が合うだけだったヒーローに、二度目は彼女から話しかけて、二人は急接近していく。


 そのきっかけが、ウィリアルドが女狐に出会うこと。


 まもなく転校生としてやってくる元平民の女は淑女としてのたしなみも知らず、はしたなく男にすりより、ウィリアルドはあっさり肉欲に溺れどんどん堕ちていく。


 ヒーローについては原作を知っている私しか知らないが、女狐のことはエリザ様の一度目の人生にも登場したので、お二人とも出会うことをご存じだ。

 その時期が近付いて来て不安定になっているのかもしれない。


 多分、それらの登場自体は<物語>として避けられないだろう。


 しかし、今のお二人の関係は原作と違う。

 それに対して強制力のろいはどんな形で働くのか……。


 お二人が結ばれるエンディングがないとしても、どうか坊っちゃまの破滅の道だけは避けられますように……。


 願って、エリザ様には決して向けられない笑顔で、楽しそうに鍛練に励む坊っちゃまを二人で眺め続けた。









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