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第四話















 エリザ様に謝罪を届けた日から半月。

 伯爵家から婚約者として交流を持つためのお茶会の招待状が届いた。


 緊張で殆ど眠れなかったという坊っちゃまはあの日と同じ手土産を携え、今度は私も一緒に伯爵邸に向かった。


「ようこそいらっしゃいませ」


 出迎えてくれたエリザ様はとても七歳とは思えない所作で頭を下げた。どうやら能力の出し惜しみをして婚約解消を狙うつもりはないらしい。

 案内された部屋で席に着いてすぐ、エリザ様は少し恥ずかしそうに、先日のお礼として自ら刺繍したというハンカチを坊っちゃまに差し出した。

 受け取った坊っちゃまは、しかし、それをチラリと視線で撫でただけでテーブルに投げ出し、私が今まで見たこともない表情で、聞いたこともない科白で、突然エリザ様を罵倒し始めた。


 呆気に取られると言うのはこういうことを言うのだろう。

 私自身も目の前で起こっていることが一瞬理解出来なかった。


 私のお育てした坊っちゃまが、天使のような坊っちゃまが、目の前で、女の子をその愛らしい顔を歪めて口汚なく罵倒している。


 確かに、判っていたことだ。

 アニメのウィリアルドはいつもこんな風にエリザを虐げていた。


 でも、実際それを目にしたら胸が裂けるように痛んで……慌てて止めようとするのを、今罵られているエリザ様が止めた。少女は軽く首を横に振って私をその場に縫い止めると、視線を坊っちゃまに移し、真っ直ぐ前を向いて彼の言いたい放題にさせる。

 しかしその目に怯えや困惑はなく、毅然としていた。


 やがて言いたいことをすべて言ったのか、坊っちゃまはフンと鼻を鳴らして腕を組むと、エリザ様から顔を背けた。その瞬間は愉悦を浮かべていた表情が、じわじわと青くなって白くなって、正気に返ったような青い目が怯えて周囲を見渡す。

 そして私を見つけた瞬間、今にも泣き出しそうに歪んだ。


「じい……」


 蚊の泣くような声で呼ばれて、今度こそ坊っちゃまに走り寄った。跪き、指先の冷たくなった手をしっかり握る。


「坊っちゃま」

「私はまた……」


 絶望に涙を浮かべ、震え俯く。

 どう声を掛ければいいのか判らない。

 本当に意図せぬ行動なのだろう。


 初めて目の当たりにした<強制力>に私も唇を噛み締めた。


「……まるで<呪い>ね」

「何がだ!」


 エリザ様の呟きを聞き付けた坊っちゃまが怒鳴る。多分、そんなふうに言いたかったではないだろうに、エリザ様に対した時だけ反応が鋭くなるようだ。

 一瞬で親の仇を見るような形相になった坊っちゃまの肩を落ち着くように撫でると直にハッとする。


 そんな坊っちゃまを冷めた目で眺めていたエリザ様の視線が私に向いた。深い水色の瞳が、さあどうする? と問う。

 躊躇いなく、今日のために用意してきた案を提示した。


「手紙には素直なお気持ちが書けたのです。口頭でないなら本心での会話が出来るかもしれません」

「用意させましょう」


 すぐにエリザ様が紙とペンを用意させる。侍女が持ってきたそれをひったくるように受け取った坊っちゃまは、すぐさま思い付く限りの謝罪の言葉を書いてエリザ様に渡した。

 素早く目を通したエリザ様は、便箋と坊っちゃまを見比べ、ふむ……と眉間に皺を作って黙る。坊っちゃまはそんな彼女を見ることも出来ずにテーブルに向けて頭を下げている状態だ。

 やがて、彼女が質問をした。


「ウィリアルド様は私のことがお嫌いですか?」

「当たり前だ! 私の婚約者が何故」

「坊っちゃまっ、思ったことはすぐに口に出さずに紙に書いてください。……そうすれば、坊っちゃまもエリザ様も傷つかずにすみます」


 私の提案に坊っちゃまは一瞬もどかしそうな顔をしたものの、すぐにペンを握り直し何かを書こうとした。が、何も書かないまましばらくペンを彷徨わせ、やがて……。



 便箋の真ん中に、凄く小さく<好き>と書いた。



 ストレートな好意。


 それを見た瞬間、エリザ様の目が点になった。

 慌てて坊っちゃまを見れば、こちらは真っ赤になって俯いていて……それを見たエリザ様も、ポッと頬を赤らめさせる。そして手元を覗き込むために前屈みになっていた身体を慌てて引いて、視線を余所に向けた。


 もじもじと照れ合う二人を前に、嫌な空気が流れていた空間に変な間が出来て、私までいたたまれない気分になってしまった。


 ……そうだった。

 坊っちゃまはまだ七歳。


 読書はある程度出来ても、筆記は家庭教師が着いて習い始めたばかり。

 心に浮かぶ言葉を即座に文章にして筆記することなど、出来るはずもなかった。

 先日の謝罪の手紙も、私が代筆したものを、何度も書き直し、一晩掛けて清書したのだ。


 これは私の落ち度。


 本人も能力不足を痛感したのだろう。やがて袖を引かれ、代筆を願われた。

 内緒話をするように耳元で囁かれる言葉を聞き取り、書き留めてエリザ様に差し出す。



 酷いことばかり言ってごめんなさい。

 でも、これからも会いたい。


 でも、声を出して会話したらまた酷いことを言ってしまうと思う。

 でも、それは私の本心じゃない。


 どうか信じてほしい。


 これから、たくさん勉強して、早く、文字も言葉もたくさん覚える。

 これからも、話をしたい。


 これからも、婚約者でいて欲しい。



 差し出した便箋に目を通したエリザ様は、堪えきれなかったのだろう溜め息を落とした。

 その顔に浮かぶのは苦悩と葛藤。


 ……それはそうだろう。

 彼女は未来を知っている、経験しているのだ。

 今生の坊っちゃまがまだ彼女に酷いことをしていなくとも、酷い目には既に合わされている。

 訪れる苦痛を回避するために、彼女はやり直しているのだ。

 ここで坊っちゃまと関係を絶てば、一度目と同じ生は回避出来る。

 これ以上坊っちゃまと関わらなければ傷つくこともない。



 彼女には、坊っちゃまが願う、これから……を断る権利がある。



 それに、彼女との縁がこの場ですっぱり絶たてるなら、それはそれで原作改変という私の望みにも沿うのだし……。


 坊っちゃまがテーブルに置いたペンを引き寄せたエリザ様は、背筋を伸ばしたまま便箋に何事か綴り始めた。


 それは、七歳の子供が書くには美しすぎる文字。


 確実に彼女は二度目の人生を生きているのだと思った。

 流暢な文字の端々の乱れは、精神年齢と肉体に齟齬がある所為だろう。美しい文字を書く術を知っていても、まだ習練の足りない肉体は思うように反応出来ないのだ。


 けれどその齟齬も彼女は直に克服し、人生二周目のチートで、優秀な淑女の名を欲しいままにする。


 それはそれで、可愛げがない、賢しいとウィリアルドの不興を買うのだが、二度目の彼女は婚約者のことなど一切気にせずやりたいことをやって伸び伸び輝く。

 婚約という事実を盾に一々絡んでくるウィリアルドへの決め科白は、私はいつ婚約を解消していただいても構いません、だった。


 アニメを見ているときはそれがスカッとして面白かった。


 でも今の私は坊っちゃまの執事で……。

 お育てした坊っちゃまの幸せを願っている。


 この強いお嬢様にコテンパンにやられる坊っちゃまは見たくなかった。


 やがて顔を上げたエリザ様が、便箋を一枚こちらに差し出してくる。

 坊っちゃまの隣からそれを盗み見て、零れたのは安堵の吐息だった。



 美しい文字が綴る言葉は優しかった。



 手紙と花束とお菓子をありがとう。

 私はウィリアルド様を信じます。



 坊っちゃまにも判るように簡潔に綴られた便箋を抱き締めた坊っちゃまは、ありがとう……とエリザ様を見ないよう、虚空に向かって呟いた。






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