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第二話














 原作改変に挑むと決めても、今の私に蘇った記憶を共有出来る相手はいない。

 一番信頼していた妻は三年前に事故で亡くなった。


 ……本当はその時、私はこのお役目を辞するつもりだった。


 長年連れ添った妻を突然亡くして、改めて自分の人生を見つめ直した。

 妻と二人ずっと夢見ていた引退後ののんびり生活は一年もなく。結局、彼女は生涯現役のまま死んでしまった。引退後に二人で為したいことをたくさん話し合ったのに、私は彼女に何もしてやれなかった。

 そんな後悔が判るのか、子供たちからも誰かに役目を引き継いで、家に戻るように勧められた。


 私は充分公爵家のために尽くした、もう楽になろう。


 だが、悲しみにくれ辞職を考えた私を奮い立たせてくれたのもまた……坊っちゃまの存在だった。


 私と同じように、彼もばあやと呼んで慕っていた人を亡くしたのに、坊っちゃまは涙を堪えて、ただ私を気遣ってくれた。拙い言葉で私を慰め、どうかじいは長く生きてくれと、笑ったのだ。


 たった四歳の幼児が、だ。


 その顔は、まるですべてを理解しているようだった。私の後悔も、去る理由も、全部判っているように、じいには長生きしてほしいから……と坊っちゃまは私を送り出そうとした。


 ……それでどうしてこの人を一人置いていけるだろう?

 私には無理だった。


 一月の休職の後、館に戻った私に心底驚いた顔をした坊っちゃまは、なんとか引きつった笑顔を見せて、やがて堪えきれない涙に顔を歪めて聞いてきた。


『皆が、じいはもう戻らないと……、そう、言ってたのに……』

『そんな嘘を坊っちゃまに吹き込んだものは私が罰しておきましょう』

『本当に……戻ってきて、くれるのか?』

『私は生涯坊っちゃまの執事です。坊っちゃまが嫌だと言ってもおそばを離れません』

『……じい!!』


 泣いて駆け寄ってきた子。

 しっかり抱き締めた坊っちゃまの衣服はよれよれであちこちに染みがあり、うっすらと饐えたような匂いまでして、胸が締め付けられた。


 多分私の休職中、坊っちゃまは殆ど放っておかれたのだろう。

 ……否、私が戻らないなどわざわざ吹き込まれたなら、放置よりも酷く、悪意を持った誰かに恩着せがましい世話を受けたのかもしれない。


 たった一月離れただけでこの有様。

 私がいなくなったら、この方はどうなるのか。

 心配で不安で、そばを離れるなんてこと考えられなくなった。



 あの日から私は、私のもてるすべてを掛けて、坊っちゃまを愛し守り、お育てしてきたと自負している。



 記憶のアニメで、ウィリアルドの生い立ちが詳しく説明された覚えはない。物語に登場する時、彼は常に尊大で、公爵令息という立場をかさに着てヒロインを見下す、バカで嫌な婚約者でしかなかった。

 どんな経緯を経て、この愛らしい坊っちゃまが、あの嫌なウィリアルドに変貌するのか私には判らない。


 ……ならば、ああならないようにこれまで以上に大切に、精一杯お世話しよう。


 決意を新たに、天使のような寝顔で眠る坊っちゃまの頭を撫で続けた。



◆◆◆◆◆



 坊っちゃまと婚約者様との顔合わせは公爵邸で行われた。

 しかし、私の同席は叶わない。だから、考え得る限りの対策を坊っちゃまに授けた。


 私が記憶を取り戻した日、坊っちゃまは公爵様から、婚約者が決まったことを知らされたそうだ。

 今日までほったらかしにしてきたくせに、彼らは苦労して伯爵家への婿入り話を纏めてきてやったからありがたがれと上から目線で命じ、坊っちゃまは反射的に、嫌だと思ったそうだ。

 その気持ちのまま戻って私に婚約者が決まったことを告げた。


 あの、嫌そうな、不貞腐れた顔は、婚約それ自体にではなく。

 不信を抱き始めた両親への嫌悪感の表れだったのだろう。


 だから、それはそれとして、知らない間に決まってしまった婚約を嫌だなぁと思う気持ちは判ると同意を示しながら、相手もそうだということを教えた。

 お相手の令嬢も貴族としての義務を果たすため、親からこの婚約を告げられるだろう。

 しかもあちらの方が爵位が下、向こうからは覆せない。

 婚約に対して嫌な気持ちは、坊っちゃまより多いかもしれないと、諭した。


 でも、決まってしまった以上、希望も持っているはず。政略で引き合わされても、仲良くしようという気持ちを互いが持てば、良好な関係を築くことは出来る。

 不安をもってこの婚約に向き合っているのは相手も同じなのだから、最初から拒絶せずに、まずは相手を知る努力をするべきだ。

 私の言葉に目を輝かせた坊っちゃまは、そうだなと素直に納得して、来るべき日に向けて嬉しそうに準備を始めホッとした。


 ひとまずはこれでいいはずだ。

 最初に起こる最悪な顔合わせは回避出来る。


 そう安堵していたが、……甘かった。


 この物語は彼女のためのもの。

 ウィリアルドの予想外の動きを<物語>が許す訳なかった。



◆◆◆◆◆



 顔合わせ当日。

 戻ってきた坊っちゃまの色をなくした顔を見た瞬間、ああ……と溜め息がもれた。

 多分、私の企みはうまくいかなかったのだろう。

 落胆を隠し、膝をついて手を差し出した私に走り寄ってきた時にはもう、坊っちゃまは泣いていた。坊っちゃまを抱き締め、呼吸しやすいよう背中を撫でながら聞いた。


「婚約者様はどんな方でしたか?」

「……っ、可愛い、子だったんだ」

「それはようございました」

「金髪の巻き毛の、おとなしそうな子で……お辞儀も綺麗で、でも、一緒に庭を歩いてる時は、たくさん話しかけてくれた……」

「そうですか」

「なのにっ……、なのに私は!!」


 涙に声を詰まらせる彼を抱き上げてソファーに座らせる。だばだばと音を立てて流れる涙をハンカチで拭って、続きを促した。


「酷いことを言ってしまったっ。あんなこと言うつもりなかったんだっ、本当にっ!! なのに……、思ってたのと全然違うことばかり、口から、出てっ……」


 挨拶の後、大人たちに促され彼女と庭園を散歩した坊っちゃまは、見事な造園に感動する少女を可愛いと好ましいと思ったらしい。

 だからそれを伝えようとしたのに……。


「綺麗な髪だと褒めたかったのに、くすんだ巻き毛は鳥の巣みたいとか……薄い水色の瞳が濁った水みたいで気持ち悪いとか……こんな地味で不細工な女が婚約者でがっかりした、なんて……そんなこと言いたかったんじゃないのに……どうして……どうして……。じい、私は頭がおかしいのかもしれない。彼女を見てたら、思ってることと違うことばかり、口から出るんだっ」


 ……ああ。

 これが原作の強制力というものなのだろうか?


 今生でその場面にはいなかったのに、アニメで見た映像が蘇る。

 ウィリアルドは初対面からヒロインを見下していて、二人きりになった途端、こんな不細工が婚約者なんて恥ずかしい。公爵家の息子である自分が婿入りしてやるのだからしっかり尽くせと尊大な態度で接した。


 最悪の初対面。

 あれが再現されたのだろう。


「婚約者様は何かおっしゃっていましたか?」

「何もっ……私も、自分が恥ずかしくて、また話しかけて、変な言葉が出たら嫌だから、その後顔も見られなかった」


 初対面の子供から暴言を吐かれて、庭園に置き去りにされた少女の映像が蘇る。


 繰り返された最悪の初対面を経て、人生二度目の彼女は、やっぱりこんな男と生きていくのは無理だと決意する。


 それが物語の始まり。


 ……多分、今日の彼女は人生二度目の、物語スタート時の彼女なのだろう。


「坊っちゃまは酷いことを言ったと判っているのですよね?」

「当然だ!! 女性に言っていいことじゃないっ、なのに、どうして……」


 焦り泣く坊っちゃまを慰めながら考える。

 アニメの会話までしっかり覚えている訳じゃないが、この先も顔を合わせる度、ウィリアルドはヒロインを詰ったはずだ。

 今直接謝りに行かせても、同じ強制力によって会話は成り立たないかもしれない。

 ならば……。


「急いで謝罪のお手紙とお詫びの品を贈りましょう。私が伯爵邸へ届けます」

「信じて、貰えるだろうか……」

「判りません。ですが、坊っちゃまは悪いことをしたとお思いなのでしょう?」

「もちろんだ!」

「ならば誠意を見せることが一番大事です。拙くてもいい、坊っちゃまの言葉で婚約者様に謝ってみましょう。それから原因を探り、解決策を捜すのです」

「じい……」


 青い目にいっぱいに涙を溜めて、唇を噛み締める坊っちゃまの上気した頬を手袋を外した手で撫でる。そして出来る限りの信頼を込めて言い聞かせた。



「大丈夫です、坊っちゃま。じいは信じています。じいがお育てした坊っちゃまは、初対面の相手に、しかも女性に本心から暴言を吐くようなお方ではありません」

「じぃ……」



 また泣き始めた彼を宥め、善は急げと促す。


 そして翌日、私は坊っちゃまが一晩中机に齧り付いてしたためた分厚い手紙と、一緒に庭を歩いた時に彼女が素晴らしいと褒めたという薔薇の花束と彼女の好物の菓子を携えて、伯爵家へ向かった。




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