デートの約束
休み時間の廊下が、一瞬で静まり返った。
次の授業へ向かうはずだった生徒たちが、あからさまに歩調を緩めてこちらを見ている。教室の中からは、葵が口元を押さえて肩を震わせているのが見えた。
顔が熱い。
「デートって……私、君のこと全然知らないし、急にそんな事言われても、困るな」
なんとかそれだけ絞り出した。
断る理由としては、たぶん一番まっとうなはずだった。知らない相手と出かける義理なんて、どこにもない。
でも彼女は、その言葉を待っていたみたいに顔を上げた。
「知らないからこそです! 美咲先輩の行く場所に付いていくだけでも構わないです。お願いします! 私とデートしてください!」
私は言葉に詰まった。
理屈が通っていない。まったく通っていないのに、なぜか反論が思いつかない。
知らないから断る、と言った私に、知らないからこそだと返してくる。そんな返し方をされたのは生まれて初めてだった。
彼女は深々と頭を下げたまま、動かない。
ポニーテールの毛先が、微かに震えている。
廊下の視線が痛い。
このまま押し問答を続けたら、明日にはもっと大きな噂になっている。
「わかった、わかったから。私、今日シモキタ行こうと思ってたから、付いて来てもいいよ」
「え、ホントですか! ありがとうございます! じゃあまた、放課後!」
彼女は跳ねるように顔を上げると、そのまま脱兎のごとく階段のほうへ駆けていった。
上履きが床を叩く音が、遠ざかっていく。
呆然と立ち尽くしていると、背後から拍手が聞こえた。
「やっぱり、美咲さんは押しに弱いですね。グイグイこられると断れないから~」
「あー、なんでこんなことになっちゃったかな……」
私は壁に背中を預けて、天井を仰いだ。
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「いいじゃんか! 美咲、スラっとして男の子みたいだし、女の子にモテても仕方ないよね!」
「どういうこと? バカにしてるよね!」
「してませーん!」
葵はけらけらと笑いながら、私の隣に並んで歩き出した。
からかわれているのは分かっている。でも、こういう軽口を叩き合っている時間だけは、私にとって一番安心できるものだった。
教室に戻るまでの、ほんの十歩ほどの距離を並んで歩く。
「はぁ……でも、どうして私なんだろう? 彼女も私のことあまり知らないだろうし。葵みたいに人と話すのも上手くないし、友達も少ないし。なんでなんだろう」
半分は独り言のつもりだった。
私のことよく知らないで"好き"なんて勝手じゃないか。その"好き"は偽物ではないか。でも、さっき見た彼女の瞳は真っ直ぐで美しくみえた。
あの目を思い出すと、うまく切り捨てられない。
軽い気持ちの子が、あんな目をするだろうか。
「そんなことないよ! 美咲は隣で歩いているだけで目立つし……美咲は自分を卑下しすぎだよ」
「え?」
顔を横に向けると、葵は前を向いたまま歩いていた。
その横顔から、さっきまでの笑いが消えている。
「だから、自分のこと下げるようなこと言わないで」
低い、はっきりとした声だった。
冗談を返す隙間がどこにもなかった。
たかが自虐に、どうしてこんな顔をするのか、私にはさっぱり分からない。
「わかったよ。気をつける」
「うん」
葵はそれきり何も言わず、自分の席に戻って次の教科書を出し始めた。
こちらを振り返った時にはもう、いつもの葵の顔に戻っていた。
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なんだかモヤモヤする。授業中、あの真っ直ぐな瞳と葵の言葉が頭を離れず集中できなかった。




