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退屈な男

「退屈だ…」


東京丸の内。


第四次高度成長期を迎えた日本。その中心部となった東京のオフィス街には、我先にと海外企業が大小様々なビルを並べている。


日本企業、海外大手企業、多国籍企業などがその利権を争い群雄割拠となったこの時代。


その中でも群を抜いて目立つ建造物が一つ。


その最上階のオフィスで男が退屈そうに頬杖をつきながら、東京の夜を彩る小さな光達を見下ろしていた。



男の歳は20代後半で静けさに包まれた社長室に一人、佇んでいる。


身長は高く、母親譲りの白髪を自信ありげに後ろに流し、特注した眼鏡が彼の鋭い目付きをより一層主張している。


「もう何も、することがない」


彼のぼやきが、吹き抜けとなった社長室に風と共に流れた。


その言葉通り、彼にはもはや得るものが残っていなかった。


彼の代で世界的な企業へと進出した久世財閥。


その飛躍の要となった彼、もとい久世・リーネット・真司はこの世の全てを手に入れていた。


浴びるような金、割れんばかりの賛辞、十人十色の傾国の美女達。


どれか一つでも手に入れば大出世となるような夢物語を、真司は全てその手に収めていた。


彼も別にあらかじめ与えられた力に頼ってここまで来たわけでない。


時にまだ未開拓な分野を一人で切り開き、時に仲間や政敵と切磋琢磨しながら、共にその夢を紡いでいった。


真司も一時はその夢に酔いしれていた。


だがそれも夢。


彼が夢から醒めた時、残されていたのは「これから何を目的に生きればいいのだろうか」という思いだけだった。


この世の何をもってしても彼の渇きは潤おわないのだろう。


それ程に彼は傲慢であった。


これが御伽噺ならば、傲慢な王が全てを掌に収めた後それを打ち倒すべく正義感に満ち溢れた何者かが剣を握るのだろう。


だがここは現実で、世界的な権力者となった真司に盾突く者など最早残されていなかった。


順風満帆、されど乾燥無味。


久世・リーネット・真司というケーキを縦に割ればきっとそんな二色に分かれている。


「いっそのこと全てを捨てる。なんてのも悪くない」

彼は珍しく自嘲した。


自分にはそんな事が決して出来ない事を真司は知っている。

生まれながらにして持つ権力、責任、そして期待。

それら全て真司は応えてきたし、それが自分の願望であると真司は理解している。


だが最早彼の人生は彼一人のものではなくなっていた。


彼の一挙手一投足には意味があると見なされ、「久世の行く道に栄光あれ」と揶揄だが尊敬だかよく分からない言葉を高校ではよく投げられた。


だがそれでも、あの頃は楽しかった。


しがらみに囚われず、自由に生き、自分の欲望の先には果てなき道が続いていると本気で信じていた。



その道は所詮敷かれたはりぼての偶像とも知らずに。




「ふん、こんな回顧など、俺には似合わん」


そんなふうに彼が夜景を見ながら黄昏ていると、不意に社長室の扉がノックされる。


時計を見れば針がきっかりと午後8時を指している。




「涼香か。入れ」


「失礼致します」


社長室の扉が開くと、ふわりとした、それでいて派手さのない黒と白のクラシカルなメイド服に身を包んだ女性が傾き三十度の完璧なお辞儀と共に入室した。


涼香と呼ばれたその女性は、日本人形のように端正な顔立ちから艶っぽい黒髪を腰まで伸ばし、うなじを辺りでひとつに束ねている。


すらりと佇むその姿は雪のように儚げで、だがその中心には硬く熱い何かを携えているようにも見える。



「…また例の打診か?」


「はい、今回は既に見合いの場をあちらが用意しております。書面だけで断るのは困難かと」


彼らの会話は阿吽であった。


明治時代から続く久世家と十文字家の主従関係。


久世家に新しく子が生まれれば、歳の近い十文字家の子供が久世本家に入殿する。

そして考えうる限り全ての英才教育を共に受けた後、使用人は晴れて専属の使用人となる。

メイド、付き人、SP、秘書。

涼香は真司の使用人としての肩書きを持ってはいないが、役割で言えばそれら全てを上回るだろう。




真司が涼香に明確な肩書きを与えなかったのは、「自分の持ち物いちいち名前をつける奴などいない」という如何にも彼らしい傲慢な考えであった。


「また見合いか。結婚する気はないとあれだけ言っているのに」


「大旦那様も跡目が心配なのでしょう。心中お察し致します」


彼の立場上、世継ぎを作ることは最重要案件である。


だがやはり立場上利益だけを求めた政略結婚の申し込みも後を絶たない。


過去に一度だけ全てが面倒になり、嘘でもいいから涼香と婚姻するという情報を流そうとしたが、それも主と家来という立場上許されない。


「はぁ…」


真司が大きく溜息をつく。


全てを満たしてくれると思っていた道はいつの間にか下り坂に入れ替わり、通った所からは図々しい根っこが足の裏にこびり付く。


彼は心底退屈でしょうがなかった。





「真司様、何か仰いましたか?」




涼香が怪訝そうな顔で真司を見た。


「いや、何も」


「そうですか。ですが今確かに私の名前を呼ぶ声が」


「いいや?俺は何も言ってないし、何も聞こえなかったぞ?」


その答えに涼香がこてりと首を傾ける。


真司はいつも飄々としていて表情を変えることの無い涼香がついに冗談を覚えたのかと感心する。


だが涼香の顔は真剣で、とても冗談のようには見えない。


(やってくれるな、涼香め。なかなか演技派じゃないか。退屈しのぎに丁度いい)


「相変わらずお前は気が利くな。いいぞ、付き合ってやる」




「真司様、本当に何も仰られてはいないのですね?何か私を驚かそうとしているのではなく、本当に。」


「ああ、そうだ。」


「でしたら、緊急事態です。真司様。」


涼香の流麗な顔立ちが少し険しくなる。



「先程から、何かが私を呼び掛けています。

幻聴の類かと思いましたが、私の精神状態は良好です。

何より私が考えていることに、向こうが少なからず反応します。声質から相手は女、何度もゆっくりと私の名前を呼んでいます。

…いまちょうど、呼ばれました。これ程の鮮明に聞こえるのは幻聴とは思えません。

これが真司様の思惑でないならば、何かが私の頭に直接介入している事になります。

方法は分かりませが、少し私と距離を置いて下さい。」


涼香はこめかみの辺りを抑え、淡々と状況を説明していく。


そうくるか、と真司は少しワクワクしていた。


真司は教養としていくつかの小説を読むことはあったが、趣味の範囲で行うことはなかった。

その面涼香は無類の小説好きであった。真司が所有する屋敷の離れにある彼女の部屋には三面びっしりと本が所狭しと並んでいる。


なるほど彼女ならば、こういう状況の起こる小説にも明るいのだろう。

そんな風に真司が感心するほど涼香の表情は強ばっていて、初めて見る涼香の表情に、これが演技とは思えなかった。


「なかなか面白い設定じゃないか、涼香。もしかするとお前の頭には爆弾か何かが埋められたのかも知れんな。どれ、見てやる」



真司がニヤニヤと楽しそうにしながら涼香に近づいていく。


それを見た涼香が酷く焦った顔をする。


「いけません!真司様!涼香は冗談を言っているのではないのです!

…ほんとうに、…何か、何かが話し掛けているのです!しかもそれは恐らく人間ではありません!…根拠はありませんが…そう感じるだけの何かを、涼香は感じているのです!」


彼女が自分のことを涼香と呼んでいたのはいつ頃だっただろうか。

少なくとも十二の頃までは頻繁に使っていた、そんな記憶がある。その癖を初めての公の場で指摘されて以降、彼女が自分を涼香と呼ぶのは真司の前だけとなった。


(ここでその手札を切るとは、上手いな涼香)


涼香はなおも真剣に真司を説得しようとする。


だが彼女が必死になればなるほど真司は益々楽しくなっていく。

「中々、迫真の演技だが、そろそろ次の展開に進んでもいいんじゃないか?涼香」




そう言って真司が涼香の手首をとる。


その瞬間、彼の視界は天地が逆さまになった。


「真司様!」


視界が揺れる。


どうやら床に倒れてしまったらしい。


何度も涼香が俺を呼ぶ。


そんな顔も出来たのか、お前。


突如として涼香の顔が近づいた。


何だ、お前も倒れるのか。いいぞ、これからどうなる。


視界が細ばり、ぼやけ始めた。


くそ、これから面白くなりそうだってのに…



彼らが意識を手放すその直前、下界の建物からでも視認出来るほどの閃光が東京で最も高い場所から放たれた。



そして次に彼らが目を開けると、そこは見知らぬ樹海だった。








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