56:生贄の儀式③
「カエンとは結局言葉を交わせずじまいだったな…」
アンジェが俯いたまま小さく呟いた。
その声音には悔恨が滲んでいる。
「…」
俺がなにか声を掛ける前に、場の空気が変わった。白装束に身を包んだ一人の少女が儀式の間に姿を現したのだ。
ぞわっと心がざわめく。
ここに至るまで何処かで期待していたのかもしれない。アインが生贄になるのではないか、もしくは見知らぬ誰かがかわってくれるのではないか。
隣を見やればアンジェも鎮痛の面持ちだ。
重たい沈黙が場を覆ったその時。
「なぜカエン・バーナーがそこにいる!?」
遠く天上から怒声が降ってきた。ざわめきが波のように広がり、観覧席が一斉に騒がしくなる。
俺とアンジェは思わず顔を見合わせた。
「おいアンジェ。もしかしてだけどあれ王様の声じゃないか?」
「そのようだな」
互いに予感を感じながら、同一の予感を感じているのか、そしてそれが正しいのかすり合わせていく。
「王様カエンが生贄になること知らなかったっぽいな」
「カエンを生贄に捧げることは王のご意思に背くことになるかもしれんな」
「忠臣としては儀式を止めるべきだよな?」
「ああ。確認のためにも一旦止めるべきだろう」
行動を起こす大義名分は用意された。そうとわかるや俺達は即座に行動を起こした。
「アンジェヤキトリに乗っていけ。最悪ヤキトリの暴走ってことにするぞ!」
一応保険もかけておく。
アンジェはヤキトリに騎乗しながら不敵に笑う。
「安心しろトリガー!そうはならない!悪いのはひとえに王のご意思を無視したアフリマン枢機卿の暴走だ!我々はその勇み足を止めにいくだけだ!」
『プギャっ!?なんだメスカスコラ!』
「済まないヤキトリ。緊急事態なんだ!あとで償う!今はカエンのもとへ行ってくれ!」
『プギャー!」
アンジェに手綱を握られたヤキトリは、火を纏って祭壇に向かって駆け出した。
*
「アフリマン枢機卿!生贄の変更について国王の耳に入れていないとはどういうことか!!説明願おう!」
観覧席から飛び降り、儀式の場へと割って入ったアンジェの姿に、カエンは思わず息を呑み、身を強張らせる。
「アンジェ!?」
予想だにしなかった乱入に、声が裏返った。
だが、その一瞬の動揺を突くように、今度はアフリマン枢機卿が低く、鋭く言い放った。
「カエン、何をしているのですか。儀式を続けなさい。今中断されてしまえば、アインが生贄になってしまいますよ」
「・・・っ!?」
その言葉は、痛烈にカエンの胸を撃ち、行動に駆り立てた。しかし…
「させん!」
アンジェがそれを妨げた。
アンジェとトリガーが選んだのは問題の先送りだ。カエンが生贄になるにせよ、アインが生贄になるにせよ今儀式を止めれば、少なくとも次の新月の夜までは命が繋がる。
ドラグニカ龍帝国の脅威は刻一刻と迫っている。しかし、国家の危機を個人の命よりも優先できるほど強い理性を持ち合わせてはいなかった。
それに、まだ希望はある。
ヤキトリが不死鳥へと覚醒する可能性も、完全には潰えていない。
アンジェは迷いなく天職の力を振るう。
『聖なる力 投網』
光が弾け、神聖な輝きを放つ投網が空中に展開する。
次の瞬間、それはカエンの身体を逃げ場なく包み込んだ。
「えっ、ちょ、ちょっと!? アンジェっ! 痛いっ!」
「我慢しろ!!」
アンジェは力任せに投網を引き、カエンを祭壇から引き剥がした。
「私は怒っているんだ!いつの間にか身代わりになって!知らぬ間に避けられて!今止めなかったら別れの挨拶すらできなかったんだぞ!」
「ごめんアンジェ…でも、アインが…」
「うるさい!わかっている!カエンにも考えがあったのだろう!?だが、それもこれも後で聞く!」
そう言うとアンジェはアフリマン枢機卿に向き直った。
「アフリマン枢機卿。これはどういうことでしょうか?王に生贄の変更が伝わっていないようですが?」
「はて…」
アフラマンはとぼけたように眉を上げる。
「手違いがあったのかもしれません。しかし、儀式を止めるわけにはいかない。龍帝国のドラゴンに対抗するには不死鳥の孵化しかありません。生贄の変更程度でこの儀式を中止されることなど…」
その時だった。再度天上より怒号が響いた。
「どういうつもりだ!アフリマン枢機卿!」
紛れもない国王の声が観覧席より響いた。誰の耳にもその怒りと非難の意思が明確に含まれていた。
「儀式は中止じゃ!信用ならぬ!ドラゴンに対抗しうる火炎術師を生贄に捧げようなどと!」
気づけば兵士が儀式の間を囲んでいた。槍と盾が構えられ、完全に制圧態勢へと移行していた。
兵士の背後でトリガーが「やっちゃってください」等と言って煽っている。
兵士たちの無言の威圧を受け、アフリマンは一瞬だけ目を伏せた。その口から漏れたのは、諦観を帯びた、静かなため息だった。
「アフリマン枢機卿、手荒な真似はしたくありません。こちらへお越しください」
兵士の一人が勧告する。しかし、アフリマンは首を振った。
「悪いがそれはできない」
次の瞬間アフリマンの天職の力が振るわれた。
『顕現せよデーウ』
その言葉に呼応してアフリマンの肩にとまっていたタチヨタカが甲高い不気味な鳴き声を上げて飛び立った。
赤紫色の濃霧が吹き出し、タチヨタカの前身を隠す。隠されたそのちいさな影は瞬く間に膨張し、やがて翼持つ醜悪な怪物へと変貌した。
地下洞窟に瘴気を帯びた不気味な風が吹き、兵士たちは思わず一歩退く。
「悪魔?」
誰かが震える声で呟いた。しかし、誰もが同様の感想を持った。
突如顕現した異形に、視線も意識も完全に釘付けにされる。
その隙にアフリマンは祭壇に駆け寄った。不死鳥の卵を胸に掻き抱き、狂気すら孕んだ声で唱えた。
『古き火卵よ裂けよ、天に還らぬ影をこの地に堕とせ』
「どうして!?それは生贄の聖句!?」
カエンは驚愕し、悲鳴にも似た声を上げた。それを聞いた者たちも皆一様に驚愕の表情だ。誰もアフリマンの意図がわからない。しかし、アフリマンは詠唱を重ね儀式は続く。
『再生を拒む灰より来たれ、名もなき炎の裏なる主よ
陽と月の狭間に残りし黒き核、今こそ声を得よ
不死を偽りし火の胎よ、滅びを知る者を呼び覚ませ
天に昇れぬ焔の残滓よ、我が血に応え地に現れよ』
そして儀式は完遂された。
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