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54:生贄の儀式

 カエンはアインが生贄に選ばれてからそう日が立たぬうちに一つの決心を固めていた。


 代わりの生贄が見つからなければ自らがそのかわりになる。テスカトリポカには否定されてしまったが、そんなことは知ったことではない。


 カエンは幼少より孤児院で育った孤児院で敬虔な神の下僕となるべく教育をうけている。


 結果、カエンには十分すぎるほどに道徳と教養が備わっていた。


 そしてそれは彼女に事態のままならなさを認識させ、決断するに十分な理由を与えた。


 国家も教義もカエンの感情を押し留めるには足りなかった。


 カエン自身にとっても意外なことだったが、彼女にとって孤児院の子供達の生命は国家よりも教義よりも自らの命よりも優先したいものだったらしい。


「失礼します」


 カエンの声が執務室に響いた。


「おや?カエン。どうしました?」


 場所は、不死鳥の卵が安置されている聖室からほど近い位置にある、アフリマン枢機卿の執務室だ。


 豪奢だが実用一点張りの室内。書類の山、儀式用具、神学書。


 忙しい偉い人の部屋ですという主張が強い。


 窓際には不気味な怪鳥タチヨタカがとまっている。


「アフリマン枢機卿。大事な話があります」


 カエンがアインの身代わりになるには、不死鳥孵化の儀式、そのすべてを取り仕切るこの男の協力が不可欠だった。


「大事な話……ですか。これはまた、穏やかではなさそうですね」


 枢機卿はそう言いながらも、すでに察しているように思える。


 カエンは一歩前に出て、背筋を伸ばし、深呼吸を一つ。


「あたしが生贄になります。アインを、生贄にしないでください」


 言い切った。


「わかりました」


 アフリマン枢機卿は、必死に懇願するカエンを前に、穏やかに微笑んでそう言った。


「え?」


 思わず間の抜けた声が出た。


 単刀直入なカエンの願いをアフリマン枢機卿は拍子抜けするほどあっさりと受け入れた。


 カエンは戦時下の国家にとって、ドラゴンに対抗しうる切り札の一つだ。こんな簡単に許諾をもらえるとは思っていなかった。


 カエンは怪訝に思ったがせっかく許可を得たのだ。下手な発言をして意見を翻されてはたまらない。

カエンは抱いた疑問を飲み込み頭を下げた。


「ありがとうございます」


 カエンの視界の隅でアフリマンのテイムする不気味な怪鳥、タチヨダカの大きな口がにぃっと歪んだ。





 いよいよ儀式当日を迎えた。


 場所はコーカサスの岩山の中腹。


 かつては山小屋がぽつんと一軒あるだけの寒々しい場所だったそこは、今やまるで別世界のように変貌していた。


 急造とは思えないほど整備された収容施設が立ち並び、王を含むお偉いさん達が滞在するための宿泊区画まで用意されている。


 国家の本気を嫌というほど見せつけられる光景だった。


「すごいな。ぎりぎりまで部外者の立ち入りを制限していたというのに…よくこんな工事が…」


 アンジェが感嘆の息を漏らした。


「ああ、麓のヤキトリの仔を総動員したらしい」


 コーカサスの岩山の麓には巨大な鳥小屋が設置されていた。


 中にいるのは、数百にも及ぶ飛脚鳥。


 羽ばたく音と鳴き声が重なって、常に騒がしい。


 これらはすべて、ヤキトリの仔すなわち、火を纏い、人語を操るようになることを期待されて集められた鳥たちだ。


 目的だけを考えると儀式における実用性はないように思えるが、実際のところ、人員や資材を儀式場まで運ぶ輸送手段としてもフル活用されている。


『おいヒトカスごらぁ!なんだこの鳥カスどもはァ!!』


 数日前、麓の鳥小屋を目にした時、ヤキトリはなぜか全身に火をちらつかせながら露骨な不快感を示した。


「お前の仔だぞ。知らんのか?」


 そう聞くと。


『知らん!』


 即答だったのが印象的だった。


 今、ヤキトリは妙にそわついていた。


 落ち着きなく翼を動かし、ときおり火の粉を散らす。


 原因は俺とアンジェにあるのかもしれない。


「くっ……私は、一体どうすればいい……。国家の大義と、友の命……どちらを選べば……」


 アンジェは唇を噛みしめ、最近聞き慣れてしまった苦悩を漏らした。


 聖騎士としての高潔さを持つ彼女にとって、どちらを選んでも倫理に反するこの選択は強く彼女を苛んでいた。


「仕方ないだろ!」


 俺は自分でも驚くほど、荒い声を出していた。


「何も思いつかなかったんだ!俺たちだって、不死鳥のテイムに失敗したら死ぬかもしれないんだぞ!諦めて、状況に流されるしかないだろうが!」


 迫るカエンが生贄になるという現実。


 それが、俺をささくれ立たせていた。


 アンジェは俺の言葉を受け、視線を伏せて小さく息を吐いた。


「……すまない、トリガー。私ばかりが善人面をしてしまって……」


「……」


「それでも私は、カエンを助ける方法を考え続けたい。今まで頭脳労働を、お前に任せきりだったからな」


 責めるでもなく、縋るでもなく。ただ、悔しさのにじむ声だった。


 結局、今日に至るまでカエンを助け、なおかつアインも犠牲にしない方法は一つも思いつかなかった。


 今日を逃せば、不死鳥の孵化の儀式はしばらく実施できなくなる。だから儀式の邪魔をすればいいかといえばそうではない。


 次の新月の夜を待てば再開できるし、俺達は国家に処刑される恐れがある。


 仮に国に咎められずに済んだとしても、次はドラグニカ龍帝国のドラゴンという、現実の脅威が待っている。


 ドラゴンに対抗できるのは不死鳥だけとされている。


 次善策であるヤキトリの不死鳥化も結局、何の成果も得られていない。


 お手上げだ。


 考えれば考えるほど袋小路に迷い込み、苛立ちと焦燥ばかりが胸の内で膨れ上がる。


 いっそ、元の構想どおり、アインを生贄にしてしまうか。


 そんな考えが脳裏をよぎる。


 カエンが生贄になる可能性はまだ公にはされていない。そのため、表向きにはアインが生贄役として同行している状況だ。


 しかしそれを実行すれば俺たちの中には、決して消えない罪悪感が残りカエンからは深く恨まれるだろう。


 何より俺達自身が長くアインと接してしまい情が湧いてしまってる。


 アイン自身、カエンを生贄にするくらいなら自らが生贄になると主張しているが、俺もアンジェもそれを受け入れられずにいた。




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