5:働け
俺は暗殺の恐怖にしばらく屋敷内の自室に引きこもっていた。
「ステフお菓子」
俺はベッドに寝そべりながらシタガウル男爵家のベテラン使用人に威厳をもって命じた。
「なりません坊っちゃん」
「え?なんで?」
俺は意外な返答に飛び起きる。
「お館様の指示でございます。いい加減働けとのことでした」
「いやいや。暗殺者が差し向けられるかもしれないんだって」
「それは坊っちゃんの推測でございましょう?」
それはそうだが、理屈より外出の恐怖が勝るのだ。俺は無理やり話を打ち切った。
「とにかく俺は外には出ない」
俺はベッドの布団に潜り込んだ。
使用人は呆れたのか、部屋から出ていったが、しばらくして戻ってきた。
「アンジェリカ様をお連れしました」
「聖騎士の天職持ちをこんなことに呼ぶなんて馬鹿なの?」
俺は使用人ステフの言葉にまたも飛び起きる。そして聞く。
「それで、アンジェが給仕してくれるの?」
「バカか貴様は!?私はお前を連れ出しにきたのだ。働け」
「てっきり優しいステフが自分は父上に禁止されて給仕出来ないから代わりの給仕役としてアンジェを連れてきてくれたものとばかり…」
「気がきかず申し訳ございません」
「外に出るぞトリガー!お前には王命を遂行する義務があるんだ」
「嫌だ外には危険がいっぱいなんだ!」
「私が護衛してやると言ってるだろう!私が信用出来ないのか!?」
アンジェの真摯な言葉が耳朶を打つ。
「アンジェ……」
俺はアンジェの目をしっかり見て答える。
「世の中に絶対はないんだアンジェ!そもそも信頼関係と俺の安全性は全く別物だよね?」
「ぐっ、お前と言うやつは!」
そして俺はベッドに戻り布団に立てこもる。
「あっコラ!出てこい!」
「嫌だ!俺はすべての人間から護衛を選べと言われたらアンジェを選ぶが、それ以上に室内にいるほうが安全なんだ!外はリスクだらけだ」
俺とアンジェのやり取りを見てステフはやれやれとため息を着いた。
「はあ、仕方ありませんね」
お?諦めたか?そう思ったが甘かった。
「この手を主家の子の血で染めたくはないのですが、お館様の指示であればやむを得ません」
ステフはそう言うと、懐からまるで光を反射しない黒い刃物を2本取り出し両手で構えた。
「え?何いってるの?何してるの?」
「お館様から、坊っちゃんがどうしても働かないというのなら暗殺もやむなしと指示を受けております。私実は暗殺術も嗜んでおりますし、恥ずかしながら実績もございます」
そういうステフの顔には表情がなく、俺の勘違いでなければ殺気が漏れ出ている。
「ひぇっ」と思わず小さな悲鳴が漏れる。だが、俺はなんとか言葉を絞り出す。
「ははは。またまた。王命はどうするのさ」
「軍閥貴族に暗殺されたことにいたします。王も同情してくださることでしょう。当然王命を遂行出来なかった罰は下されません」
「や、屋敷内で死んだら怪しまれるぞ!」
「森の中で暗殺されたことにいたします。調査をするのも報告するのもシタガウル男爵家です。まず疑われませんし、仮に疑われたとして誰が証明出来ましょう」
「ま、待て落ち着け待て!アンジェ!た、助けてえ」
ゆっくり歩み寄ってくるステフに怯え、アンジェに泣きつく。アンジェも顔が引きつっている。まあ、他所の貴族家の暗殺騒動に巻き込まれかけたら慌てもするだろう。
「ス、ステフ殿、落ち着いてください。ま、まだ猶予はありますよね?」
アンジェが言った。
「それは坊っちゃん次第ですな」
ステフの殺気にさらされて、俺は折れた。
「そ、外に出ます!働かせていただきます!労働バンザイ!勤労こそ人の生まれた意味だよ!」
俺のセリフにひとまずステフは歩みを止めてくれた。しかし、ナイフは構えたままだ。黙したまま俺を見てる。
冷や汗が背を伝う。
多分今俺品定めされてるぅ〜。本当に今殺さなくていいのか検討されてるぅ〜。
永遠とも思える時間の末、やがてステフは言った。
「いいでしょう。ぜひお仕事に励んでください。お館様にも坊っちゃんの勤労意欲が目覚めたと報告しておきます」
「はい!よろしくおねがいします!」
「それではこれからお仕事にいかれるかと思いますので、私は失礼いたします。アンジェリカ様、坊っちゃんをよろしくお願いいたします」
そしてステフは部屋を出ていった。
「ふううううう…。こ、怖かった。あんなシリアルキラーに今まで給仕してもらってたの?」
「別にシリアルキラーではないだろう。職務上人を殺す事があるというだけで。理屈の上では兵士や騎士と変わらない」
俺の愚痴にアンジェが答える。そして放心している俺を気遣う口調でアンジェは続けた。
「とりあえず外に出よう。初日からいきなり労働は大変かもしれない。今日はリハビリということで外を歩こう。なっ」
アンジェも家族に命を狙われた俺を哀れに思ったらしい。
「はい。よろしくお願いいたします」
そして俺は屋敷を出て、シタガウル領内の山の麓の湖畔に向かった。労働の体裁と、癒やしを求めて。
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