5◎レモンミントゼリーをのせたムースケーキ
「黒い糸屑ですか」
私は誤魔化すように、ケーキをフォークで切り取る。魔法伯爵家ならではの、季節外れなレモンゼリーにミントを散らした贅沢なムースケーキだ。魔法を使えば、季節を気にすることなく好きなものを食べられる。
レモンミントゼリーを乗せたムースケーキは、マテオの好物だと聞く。稀代の魔法使いである父は、この婚約に相当乗り気なのだろう。
「ええ。何か不正な待遇を見かけると、普段感じないもの凄い義憤を感じるんですよ」
「やっぱり、私と母のことも」
「すみません」
私たちは、一旦紅茶を飲む。
「その怒りが、自分でもおかしいと思うほどなんです。その度に、あの黒い糸屑を思い出して」
気を取り直して続けるマテオは、どこか苦しそうだ。私は心配になってしまう。
「無理にお話なさらなくても」
「無理じゃありません」
少し嬉しそうにマテオが笑う。社交用ではない、気の緩んだ顔だ。思い詰めている時に心配して貰えるというのは、嬉しいものである。まして、転生の列とか黒い糸屑とか、誰にも相談できない悩みだったのだ。今までさぞ辛かったことだろう。
「それで、お母君は?お姿が見えないようですが」
先ほどよりは気楽な調子で、マテオはもう一度聞く。
「それが、今朝村へ下りたきり、まだ戻らないんです」
「その小説でも、私が初めてここを訪問した時に同じことが?」
「いえ、特にそんなことは」
なかった、と言おうとして思い出す。
「そういえば、あの時ぶつかって来た黒い顔の人が、エタ小説がどうとか言ってましたね」
「エタとはその小説の題名ですか?」
マテオは何も知らないので、とりあえず説明しなければ通じない。
「連載が長く止まることです。永遠に続きが発表されない連載中なんです。要するに未完のまま放置されていることです」
「なるほど。その怪奇小説のこととは限らないんですね」
変に深掘りする性格でなくて良かった。マテオは、必要な情報だけ得ると主題にすぐ戻る。
「この小説のことかどうかは分かりません。連載が止まった小説全般への怨念が黒い糸屑になって、私たちにくっついたのかもしれません」
「きっとこの小説についてですよ」
マテオは確信に満ちた声で言う。頼もしさにときめく。しかしそう思う理由は聞きたい。
「どうしてです?」
「あの糸屑がついたから、私たちは同じ世界に生まれ変わって来たのでしょう?」
「そうでしょうか」
懐疑的な私に、マテオは自説に対する確信を持って力強く頷く。
「もし、未完の小説全般に対する恨みなら、私たちは別々の小説に転生してもおかしくはありませんよね」
「まあ、そう、かな?」
歯切れの悪い私の返答に、マテオはニコッと頬を緩めた。何だか心がざわざわする。遠い記憶にあるような、どこか懐かしい、落ち着かない気持ち。
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続きます