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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
9/20

大神潤女(うるめ) ⅰ

 山上比古造の葬儀から戻った新神は、大神の婆の遺体の前に座っていた。その身体は粘土細工のようにひしゃげ、目玉が飛び出した哀れな状態で、遺体というより肉塊といった表現が似合っていた。


 眼球は、何度か元の場所に戻そうと試してみたのだ。しかし、頭蓋骨が割れて頭が歪み、それはどうしても戻の場所には戻らなかった。そんな絶望的な状態にしたのが守り神であるはずの麒麟だったから、胸がひどく傷んだ。


「まだ、何も教わっていなかったのに……」


 新神は、知らないことが多すぎた。とはいえ、これから磨母衣村を守るのは、自分しかいないとわかっている。


「たった今から私が大神になります」


 悲壮な決意といえた。遺体に向かって頭を下げる。襲名と言っても難しい儀式や手続きがあるわけではない。いや、あるのかもしれないけれど、琉山がなくなった今、それを知るすべがなかった。古木が倒れ、その跡に新たな種が芽をふくといった、極自然な形で琉山の後を継いだ。新たな大神は自分の名前を潤女うるめと決めた。


 潤女の最初の仕事は、葬儀を円滑に行うための復讐だった。罪を犯した者はそれを償わなければならないし、被害を被ったものは恨みを晴らして補償を受けなければならない。それが潤女の理屈だ。


 大幣を手にして麒麟の神像の前に座った。


 まずは山上咲耶を……。眼を閉じて念じるとベッドに横たわる姿があった。何事もなかったように深い眠りの中にある。「相変わらずだな……」冷笑が浮かんだ。潤女は月子の部屋を覗き、雅の部屋を覗いた。誰もが深い眠りにあるのを確認してから、石上富貴の寝室を覗いた。鈴子の寝顔はあったが、富貴はいなかった。別の部屋を覗く。富貴がアクセサリーを作るのに使用している小さな部屋だ。彼女は作業台に向かってアクセサリーを作っていた。


 彼女が天井を見上げた。覗かれているのに気づいたのだ。彼女は軽くうなずくと別の部屋に移った。玄武の神像が祭られた部屋だ。彼女は神像の前に座った。


『新神、いえ、大神さま、何か御用でしょうか?』


 富貴の声が頭の中でした。


「石上の富貴よ……」言葉は心で語り、姿は心の眼で見る。「……魔母衣村に悪しき者が入り大神の婆が亡くなった。その始末をつけなければならぬ」


『悪しき者……、ウチに宿泊する山上家の娘たちのことでしょうか?』


「いかにも」


『私には、そのようには見えませんが……』


「あの者が人を殺めていることは知っておろう?」


『そのことは確かに……』


 彼女の表情は穏やかでなかった。自分たちも似たような存在だと顔に出ている。


「あの者には魔母衣村の者以外の血が混じっておる。それは大和のものでもない。ゆえに、我々が知る常人とは異なる。富貴は考えるのをやめ、私の命令に従え」


 大神は彼女の疑問と反論を封じて雅と月子を連れ出すように指示した


『山上咲耶も連れて行くのでしょうか?』


「彼の者に術は通じまい。2人だけで良い」


 そう伝え、鳳家、野上家、山上家など11軒の家長たちに黄泉の穴に集まるよう命じた。


 村を朱雀がつくる深い霧がおおった。


 富貴が神像を手にして2階に上がっていた。大神が眼と耳を富貴のいる部屋に移したとき、彼女は雅の額に手を当てていた。


『天乃雅、クズノカミの名のもとに命じる……』


 潤女は、富貴が睡眠中の雅と月子に暗示をかけて連れ出すのを確認したあと、眼を開けてホッと息を吐いた。麒麟に突き付けられた問題は、あまりにも大きく深刻だ。


「乱世は避けられぬか……。婆は迂闊者だ」


 虚空をにらみ、唇をかむ。血の味がした。白衣に着替え、懐に神像をいれた。そうして大幣と麻の実を入れた皮袋などを手にして家を出た。深い霧を目にしてひとつうなずく。まだ、麒麟の力は残っているようだ。それが救いだった。


 足を進めると、あっという間に黄泉の滝が作る沢に出る。まだ来ていない者がいるだろうか?……振り返り、白い気体の塊に向かって目と耳を凝らした。神像に手をやって目を閉じると、懐中電灯を手にして霧の中を歩くヒムカとアヤメの姿が見えた。比古造の葬儀と多賀史の死に直面し、母娘は心身ともに弱っているようだった。


「怒れ」


 彼女らに向かって念を送る。2人がハッとしたように顔を上げた。


「お主らが疲れ切っているのは、咲耶とその友人のためぞ。怒れ。戸惑いと悲しみを怒りに変えるのだ」


 念を受け取った彼女らの瞳に赤い光が見えた。新たな生気が宿ったのに違いない。


 潤女は目を閉じたまま流れに足を入れた。そこをスイスイとさかのぼり、現世の肉体を滝に打たせて身を清める。それから黄泉の穴に入った。内部は真っ暗だが、宙に浮かぶ目は道も足元のでこぼこも認めることができて、道に迷うことも岩につまづくこともなかった。


 時折、赤い霧のような異界の物が潤女の魂を狙ってくる。彼女は大幣を軽く振ってそれを滅した。


 黄泉の穴の奥深い裁きの家に入って初めて、潤女は目を開けた。いくつかの懐中電灯の明かりがたたずんでいる。たたずむという表現は似合わないのかもしれない。潤女は思った。燈明や蝋燭ろうそくの灯りと違い、懐中電灯の明かりは光のつるぎのように鋭く闇を切り裂いている。


 光の周囲に集まっているのは、女性ばかりが22名。雅と月子以外の20人は、12家の家長と呼ばれる年長の女性と同伴者たちだ。年老いた家長はヒムカのように娘を同伴していて、転ばないように支えられ、あるいは異界の物から守られていた。そうやって村の伝統が引き継がれていく。


 そこにいる者は誰もが、これから行われることを理解していて、神妙な顔をしていた。上空ではコウモリがざわついていた。人間の魂を食えない異界の物たちが、コウモリのそれを食っているからだ。時折、魂を食いつくされて死んだコウモリが落ちてくる。


「大神さま、お待ちしておりました」


 全員を代表してトヨが言った。


「まもなくヒムカとアヤメが来る。儀式はそれからです。とりあえず柱と火の用意を」


 杭の準備は玄武を祭る3家の仕事で、火は白虎を祭る3家の仕事だった。

潤女はぼんやり立っている雅の前に立ち額に人差し指を当てた。


「天乃雅、これより神の審判がある。裸になりなさい」


 小声で言っただけで、雅は素直に全裸になった。潤女は、月子にも同じことをした。


 ほどなくヒムカたちが姿を見せた。


 積み重ねられた薪に火がつけられる。潤女はそれに麻の実を投げ込んだ。甘い香りが煙に混じって穏やかに広がった。


「では、これより麒麟神を慰め申す贄の儀式を執り行う。天乃雅、岩井月子、ここに……」


 潤女は、2人を火の前で四つん這いにさせ、彼女らの身体を祭壇にして金の麒麟像を置いた。大幣を拝み、「掛けまくもかしこきタカムスビノカミ、スクナビコナノカミ、クズノカミたち……」と祝詞をあげる。その間、祭壇と化した2人はピクリとも動かなかった。まるで自分自身が祭壇だと信じているようだ。


 麒麟神よ、我に力を、永遠の時を……。潤女は祈った。新神だったとき、麒麟の声を聞いたり、姿を見たりしたことがなかった。唯一見たのが、麒麟が比古造を切り裂いた現場だった。が、混乱のさなかで、よく見ることができなかった。


 麒麟はいるのだ。ならば、姿を見せてくれ、声を聞かせてくれ、契約を結んでくれ。……焦りを覚えながら、必死に麒麟を呼び、麻の実を火に投じた。


 祝詞が終わる。


「柱を」


 潤女の指示で女性たちが二手に分かれた。杭を持つ者と雅と月子の身体を抑える者と……。忘我の境地にあっても、死に面した多くの者は意識を取り戻し、もがき苦しみ、暴れるものだ。


 2人の顔が持ち上げられて正面を向いた。その目はまだ恍惚としている。


「納めませい」


 大神は、麒麟の神像を取って命じた。


「エィ」


 その場にいた女性たちは呼吸を合わせて長い杭を突き刺した。そうされて初めて雅と月子は意識を取り戻した。


 ――ウァー!――


 2人の悲鳴は獣の遠吠えのようだった。それは黄泉の穴を走り、山彦のように反響を繰り返した。


 彼女らの声帯の振動は長くは続かなかった。鋭い杭の先端が喉を引き裂くより早く絶えた。


 悲鳴に誘われた異界の物が方々から現れ、2人の魂を食らおうとした。裁きの家は、彼らの輝きで満ち、赤く燃えるようだった。


「神々よ、この世に迷える異界のものを滅せよ!」


 潤女は大幣を高く掲げて叫んだ。すると12の神像が明滅して四神が現れた。それは異界の物を襲った。


 潤女は大幣を左右に振りながら、四神が宙を走り、逃げ惑う異界の物を始末する様を静かに見ていた。その中に麒麟の姿がないのを寂しく思った。そうして飛び交う哀れな物たちは、ことごとく四神の餌食になった。


 異界の物たちを平らげた四神は、それぞれの像の中に消える。それを待って、潤女はそっと動いた。


「柱をひとつ、これへ」


 深い穴を大幣で指示した。雅と月子、そのどちらが運ばれてくるかはどうでもよかった。大切なのは神に捧げられる魂の数だ。


 家長たち、大神の足元の穴に月子の身体を貫いた杭を立てた。


 潤女は数歩移動して別の穴の傍らに立った。


「もうひとつの柱を……」


 そうやって雅と月子の始末が済むと、女性たちを前に口を開いた。


「お疲れさまです。が、まだ、儀式は途中です。翌朝、山上咲耶をここで払う」


 払うとは、この世から抹殺し、あの世に送るということだ。


 一瞬、その場がざわついた。誰も口を開いたわけではない。大きく揺れた感情が風をおこしたのだ。潤女は、表情を曇らせた富貴をねめつけた。


「彼の者、異端の者にして力強し。油断しませぬように」


 注意を促すと、ざわつきは治まった。血筋の同じヒムカとアヤメでさえ、魔母衣村の道理を受け入れたようだ。


 潤女はチラッと雅の遺体に眼をやった。彼女は柱の一部と化し、百年も前からそこにあるようだ。自分が新神の間に裁きの家に立てられた柱はたった1柱。その少なさに麒麟も呆れ、婆を殺したのかもしれない。婆は、自分の命を献じて責任を取ったのかもしれない。それを理由に3柱が立つというのだから皮肉なものだ。


 潤女は先頭になって黄泉の穴の出口へ向かった。四神が現れた後だからか、僅かな異界の物も姿を見せなかった。


 出口に近づくと黄泉の滝の音がいつもより大きく聞こえた。神経が高ぶっているのだ。……潤女はそう分析して、自分の未熟さを戒めた。


「丹念に清めなさい」


 潤女は後ろに従う女性たちに注意を与えてから、上部から流れ落ちる5本の滝の真ん中に身を置いて心を沈めた。彼女がそうするように、従っていた者は80歳を超える老婆まで、冷たい滝に長く打たれて身体を清めた。一部の者は雅と月子の体液と糞尿で汚れていたが、滝に身を任せるとそれらはことごとく流れて消えていた。正に神の力だ。誰もがそう思った。


 全員が身体を清めて滝つぼから出ると、潤女は霧を呼んだ。それは満天の星や黒い森を隠した。女性たちは光の欠落した霧の中で別れ、銘々の家路についた。


 帰宅した潤女は、神棚に神像を戻して感謝の祈りを捧げた。ついでに〝眼〟を使い、咲耶の寝室を覗く。彼女はスヤスヤと寝ていた。とはいえ、幸せそうではなかった。眠りの中でも友人の命が尽きたことを感じ取っているのかもしれない。


 普段着に着替えると、土間に下りた。そこは刈り取った麻から実を分けたり、大幣や注連縄を作ったりする作業場だ。壁際には様々な道具や材料が並んでいる。壁に掛けて干してある麻の中から手ごろなものを選んだ。真夜中ではあるが、眠れそうにないので新神のための大幣を作ろうと思った。もっとも、新神を誰にするか、まだ決めていない。自分より若く霊力の強い者を選ぶことになるわけだが、まだ18歳の潤女にとって、それを選び育てるのは骨の折れる仕事になるだろう。


 石造りの作業台の前に掛け、麻の茎を置いた。それをたたいて繊維を取り出すのだ。


 ――トン、トン、トン、トン――


 横槌よこづちでたたくのは麻の茎だが、鳴るのは台の石と木製の槌がぶつかるからだ。それが世の中だ、と言った婆の言葉を思い出した。


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