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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
7/20

麒麟 ⅲ

 鈴子は「うんしょ」と声にして、全身を使って引き戸を開けた。玄関に入り込むと、「んちょうあーん」と奥に向かって意味不明な声を上げた。


 奥から出てきたのは白髪交じりの髪の美しい中年女性だった。比古造の葬儀で見たような気がしたが、確信はなかった。


「あらら、鈴子ちゃん。山上家の咲耶さんも御一緒で……、どうしました?」


 少し驚き加減の彼女が、咲耶に視線を向けた。


 知らない相手が自分の名前を知っているというのは落ち着かない。そんな気分のまま、咲耶は事情を話した。


「あらら、それは大変ね。上がってくださいな。主人に訊いてみましょう」


 彼女は、自信ありげに言った。咲耶は遠慮しようとしたが、鈴子がサンダルを脱いで先に上がってしまった。仕方なく、咲耶もスニーカーを脱いだ。


「おう、いらっしゃい。どうしたね?」


 茶の間で迎えたのは法山だった。


「お友達がいなくなったそうなのよ」


「まさか……。そうなのか……。トヨ、茶を頼む」


 中年女性は彼の妻のトヨだった。彼女は「ハイ、ハイ」と面倒くさそうに言って奥に消えた。


 咲耶は、今度は法山に雅たちが失踪したことを説明した。


「パジャマ姿で外出とは、奇怪なことだな……」


 彼は額に縦皴を浮かべたが、決して咲耶や雅、月子に同情しているようではなかった。


「友達を探すのを手伝ってもらえませんか。ここには交番とか、ないのでしょうか?」


「交番? この村には犯罪などないからな。警察も交番も存在しない。人探しなら大神の婆の仕事だが、あんたも知っての通りだ。婆は逝ってしまった」


 彼の唇が虚しく震えていた。


「犯罪はなくても、昨日みたいに事件や事故は……」


 話しかけると法山が手で制した。


「すべて自然がなす業だよ。警察のような機関があったところで何も解決できないだろう」


「雅や月子がいなくなったのも、自然の業ということですか?」


 咲耶は動こうとしない彼に抗議した。空腹がいら立たせているという自覚はあったが、彼に向かう憤りを抑えることはできなかった。


「ん?……友達は自分の足でどこかへ行ったのだろう? それは自然ではない。自分の意思だ。腹がすいたら戻ってくるだろう」


 法山はどこまでも誠意がない。


「そんな……。それじゃ、自分で捜します」


 立ちあがると「まあ、待て」と彼が止めた。


「そうですよ。せっかくお茶を入れてきたのですから……」


 トヨが茶を運んでくる。茶菓子を運んできたのは娘のトミだった。鈴子が菓子のひとつをトンビのようにさらって縁側に行った。


「ワシは村長などやっているが、実質、この村を支配しているのは女たちなのだよ。人探しはこいつらに頼むといい。ワシは大神の婆の葬儀の準備に行く」


 立ち上がった法山を見上げるトヨとトミの顔に困惑が浮かんでいた。


 法山が外出した後、トヨに神棚の前に連れていかれた。


「神様に訊いてみましょう。あなたも力を貸してね」


 目の前に祀られているのは、金色の朱雀に日の女神が跨ったものだ。


「私の守護神は青龍だと聞いているのですが……」


 まさか、神頼みか……。呆れた気持ちがそう言わせた。


「そうね。山上家の守護神は青龍だから。でも、人捜していどのことなら守護神の違いに影響はないのよ。安心して」


 彼女は香炉に火を入れて座り、咲耶を右隣に、反対側にトミを座らせた。それから鈴子を呼び、自分に密着するように座らせた。


「子供の霊力はとても強いのよ。さあ、手を合わせて、天乃雅さんと岩井月子さんの居所を教えていただけるよう、一心に祈りましょう」


 彼女は静かに話して手を合わせた。鈴子もそうすることに慣れているようだった。大人と同じように両手を合わせた。


 鈴子がおとなしく祈るので、無視しがたかった。咲耶は、呆れる思いを封印して神に祈った。雅と月子の居所を教えてください、と……。


 甘い匂いが鼻をくすぐる。神頼みに呆れる思いと、消えた友人を捜す焦りが薄らぐと、脳裏に朱雀が現れた。それは暗闇の中で黄金の翼を広げ軽やかに、そして勢いよく飛んだ。光の矢が闇夜を切り裂いたようだ。朱雀は咲耶を導くように遠く点になって消えた。そこに意識を集中すると雅と月子の姿が浮かんだ。燈明とうみょうがひとつ揺らめくだけの暗い場所だったが、全裸の二人の姿が白く浮き上がって見えた。


「まさか……」


 思わず声が漏れた。目の当たりにした陰惨な光景に心臓が張り裂けそうなほど激しく、早く脈を打った。全身から脂汗が噴き出した。


「見えたのね」


 トヨの言葉は質問ではなかった。


「いいえ……」


 見たものが信じられず、強く首を振った。


「噓、おっしゃい」


 前傾したトミが、トヨの向こう側から見つめていた。彼女には見えたのだろうか?


「きっと、も、妄想です。夢に見たことがある光景でしたから……。絶対、そうです」


 夢を思い出しただけだと思うと、少しだけ冷静になることができた。


 シクシクと鈴子が泣いていた。


「お姉ちゃん、死んじゃった……」


 嗚咽する彼女がそう口にした。


「エッ……」


「串刺しの刑に処されたのですね」


 トミの言葉に、咲耶は頭がくらくらした。自分が見たものも串刺しにされた2人の姿だったからだ。串刺しの刑は何かの象徴なのだろうけれど、それが意味するところは全く見当がつかない。


「いいえ……」トヨが首を振った。「……彼女らの命は贄として神に捧げられたのです」


「まさか、本当に死んでいるわけではないのですよね?」


 そんなことがあってたまるか!……胸の中で叫んだ。


「咲耶さん。あなたは自分が見たものを信じられないの?」


「え?……私は見ていません。頭の中に光景が浮かんだだけです」


「咲耶さんは見たのよ。自分の眼で」


 トミが〝眼〟というところを強く言った。咲耶は、黄泉の穴で髑髏の落ち込んだ黒い穴の中に現れた眼球を思い出した。そして、自分の部屋の天井に現れる数えきれない眼を……。


「とにかく、黄泉の穴に行ってみましょう。そうすれば、何もかもはっきりするわ。トミ、準備なさい」


「お母様、葬儀の手伝いはしなくても良いのですか?」


「それは男たちに任せましょう。鈴子ちゃんはお家に帰ってね」


 トヨが言うと、鈴子はコクンとうなずいて帰った。


「咲耶さんも着替えて。あそこに入るには、白衣でなければいけないのよ」


 トミが咲耶の前に白喪服と変わらない白衣を置いた。


「あそこ……」


 咲耶は、白衣を前に身体が動かなかった。麒麟に襲われた恐怖もあるが、それ以上に、黄泉の穴で友人の無残な姿を目にするのが恐ろしかった。


「さあ、早く。手遅れになるわ」


「まだ死んでいないのですか?」


「今なら、彼女たちの魂を呼び戻せるかもしれない」


 そう教えられて希望を覚えると身体が動いた。急いで白衣に着替えはじめて気づいた。


「あ、私、守り刀も神像も持ってきていません」


「大丈夫です。私たちが着いています」


 トヨの言葉はとても頼もしかった。


 白衣のトヨは神像を拝み、それを懐にいれた。トミは安っぽいビニール製の鞄を抱えていた。2人とも、帯に守り刀を差している。


「外に出たら、私がいいと言うまで声を出してはいけませんよ」


 トヨが咲耶の目を見て言った。質問も拒絶も許さないという強い意志が見えた。咲耶は理由がわからないままうなずいた。


 トミが引き戸を開ける。外は深い霧に沈んでいた。白い闇、そんな言葉が咲耶の脳裏をよぎる。ここに来た時には太陽が昇っていたのに……。狐につままれた気分で敷居をまたいだ。


 トヨ、咲耶、トミの順番で深い霧の中に入った。前を歩く者の背中を見るのがやっとで、その先は見えない。こんな霧の中を鈴子は迷わずに帰れただろうか?……不安が膨らんだ。


 足元さえ見るのがやっとだというのに、トヨは確信を持った者の足取りで進んでいた。その背中に、鈴子が道に迷うかもしれないという不安は消えた。もし、鈴子に危険が及ぶようなら、トヨが彼女をひとりで返すことはなかっただろう。


 真夏だというのに、霧は氷のように冷たく重かった。道は村内のそれではなく、深い森の中の獣道のようだ。落ち葉は深く降り積もり、ときおり木の葉が頰をなでた。


 そうして白い闇を歩いたのはわずかな時間だった。突然霧が晴れ、目の前に水の糸が5本、まさしく黄泉の滝が現れた。


「もう口を利いてもいいわよ」


 トヨが言った。


「ここは黄泉の滝ですよね。どうしてこんなに早く着けたのですか? 昨日歩いた距離の半分もない……」


 咲耶は黄泉の滝とトヨの顔を交互に見た。


「朱雀神の力を借りたのよ」


 トヨはこともなげに言うと、流れに足を入れてジャブジャブと滝壺に向かっていく。


「朱雀神が、距離と時間を縮めてくれたのです。さあ、行きましょう」


 トミが追い越して流れに足をつけた。咲耶は慌てて彼女らを追った。


 滝をくぐり抜けた3人はずぶぬれになって岸に上がった。髪から、指先から、白衣から、したたり落ちる水滴は体温を奪った。滝の裏には直射日光も焚火もない。トヨが白衣の裾を持ち上げてギュッと絞った。咲耶がブルッと震えると、トミが同情した。


「火をたくのは、公的な行事の時だけなのよ。今日は、私的なことだから、我慢してね」


「はい。私なら大丈夫です……」


 自分のことより雅と月子を助けなければ……。そう考えながら黒い口を開けた洞窟を見つめた。昨日は気にも留めなかった注連縄が、この世にいる自分を拒んでいるように見えた。


「行きましょう」


 トヨが洞窟内に踏み込んだ。コケやシダの青臭い匂いがした。昨日のように円筒埴輪が並んでいたが、灯りは入っていない。大丈夫かしら? 不安を覚えた時、暗闇にサッと青い光がさして一瞬、咲耶の目がくらんだ。トミが手にした懐中電灯の明かりだった。足元は濡れていて、歩くとピトピト鳴る藁草履の音が洞窟に反響した。それは頼りなく、心細くさせた。


 咲耶とトヨの足元を、懐中電灯の明かりが後方から照らし続けていた。時折、昆虫や爬虫類、あるいは両生類らしき不気味な生き物が光を過った。葬儀の際は大勢の人間が入り込んだために隠れていたのだろう。彼らを踏まないように、咲耶は足を運んだ。あの赤い霧状の物が度々あらわれて3人を襲った。その度に、トヨとトミが守り刀を抜いた。刀身に刻まれた朱雀は自ら赤い光を放っているように見えた。とても美しいと思った。


 3人は円筒埴輪に沿って歩いていたが、3番目の分岐点でトヨが足を止めた。彼女はトミの顔に目をやり、小さくうなずくと左の穴に入った。その行動に躊躇いはなかった。


 何度も足を運んだ場所なのだろう。だからこそ、僅かな映像を見ただけで、雅たちがそこにいると理解したのに違いない。咲耶は、そんなことを考えながらトヨの背中を追った。


 その後も分岐がふたつあったが、どこでもトヨが迷うことはなかった。


 ピトピト鳴る音が消える。広大な空間に出たのだと咲耶は察した。頭上で嵐のようなざわめきがあって、空気がうなり小石が降る。


「魔物?」


 咲耶は見上げた。トミが向けた明かりの中を黒い塊が右へ、左へ、飛び交っている。


「コウモリよ」


「ああ、あれが……」


 コウモリを見るのは初めてだった。あまりにも遠く、暗く、固体の識別は出来なかったが、洞窟にコウモリというのは定番だ。恐怖も不快感もなかった。


 トヨが進む。――ジャリ……、足元から鳴る音はそれまでと違っていた。コウモリを照らしていた光が足元を照らす。それは岩や石ではなく、灰色の大小の骨片だった。


 あの空間と同じだ……。比古造の葬儀で入った髑髏だらけの墓場を思い出した。


 ――ジャリ……、懐中電灯の明かりが揺れてひとつの影を浮き上がらせた。直径10センチほどの杭に貫かれた骸骨だった。地面に突きたてられた杭に骸骨がかみついているように見えたが、杭は肋骨の内側を背骨に沿っており、今は消え失せた肉や内臓を口から肛門にかけて貫通していたのが明らかだ。ずいぶん古いものなのだろう。腕は肩から先がなくなっており、右足も膝から下が欠けていた。


 地面を覆う骨片は、彼らのように死んでいった者たちの骨なのだろう。喉が吐きだすべき息で詰まった。


「あれはお友達じゃないわよ」


 トヨの声が地下の巨大ドームに反響した。


 トミが光を動かす。ひとつ、ふたつ、みっつ……、同じように串刺しにされた骸骨がならんでいた。徐々に新しいものになるらしく、干からびた皮膚がまるで衣装のようにまとわりついたものもある。更に新しいものには髪が残っていた。


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