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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
6/20

麒麟 ⅱ

 黄泉の穴で起きた事件は、あっという間に村中に広まっていた。石上家に戻った咲耶は、葬儀に参加しなかった雅や月子、富貴、睦夫から質問攻めにあった。天具までも麒麟の姿形や多賀史と琉山が殺された時の様子を知りたがった。


 彼らの気持ちはよく分かったが、咲耶はとても疲れていて口を開くのも億劫だった。


「先に着替えさせてくれるかしら?」


 彼女たちの質問を遮って言った。


「それもそうだ。湯を浴びてくるといい」


 睦夫が理解を示してくれたのが嬉しかった。


 着替えを取りに部屋に入って驚いた。懐から神像を取り出してみると、青龍の姿のはずのそれが、あの麒麟の形をしていた。


「なんてこと……」何が何だかわからない。混乱の中で大神の持ち物とすり替わったのかもしれないと考えたが、それならどうして手にとっても平気なのだろう?


 しばらく考えたが、合理的な答えは見つからなかった。結局、答えの出ない疑問に悩むのは止めた。神像をタオルに包み、リュックに入れた。


 風呂で汚れを流した後、ダイニングで夕食を取った。天ぷら蕎麦だった。


「蕎麦は俺が打った」


 睦夫は得意げに言った後、「で……」と、どういう経過で麒麟が現れたのか訊いた。


「大神さまが祝詞を上げて……。私たちはオーって言っていただけなのです」


 咲耶は、そうしている間に地面が青く発光して5本の青い光の柱が現れたことや、それが麒麟の形になったことを説明した。


「ギリシャ神話のキマイラみたいね。あっちは、顔は角を持ったライオンで、胴体はヤギ、尻尾がヘビだけど」


「出た。歴史好きの月子」


 咲耶が作った深刻な空気を、雅が中和した。


「前に白虎が現れたのは25年前だったな」


 睦夫が言うと「そうね」と富貴が応じた。


 咲耶は彼の言葉を素直に聞いた。自分が経験したのと同じような出来事が、昔もあったことに安堵した。


「四神が出たことはあるのですね?」


 月子が訊いた。


「ああ、そう言い伝えられている。しかし、麒麟が出たのは初めてだな」


「あれは本当に麒麟なのでしょうか?」


 咲耶は、みんなが麒麟が出たと言っていることに釈然としないものを感じていた。


「どういうことだ?」


「麒麟だと言ったのは亡くなった伯父さんだけなんです。ビールのラベルの麒麟とはずいぶん違っていたと思うのですけど……。月子が言ったように、キマイラの方が似ているかもしれません」


「ビールのラベルの絵だのキマイラだの、どれが本当かなんてわからないだろう? 誰も本物を見たことがない。麒麟が、自分は麒麟だと言ったこともない」


「あれが神ではなく、魔物だという可能性はありませんか? 2人も殺したのですよ」


「ふむ……」


 睦夫が黙ると、代わって富貴が口を開いた。


「古代、多くの神は人間にとっては恐るべき存在でした。神の怒りをかわないために、あるいは怒りをおさめてもらうために、ユダヤではヤギを、マヤやインカでは人間を生贄にささげた。この村の神も、ヤマトの神も同じです。何もなければそれでよし。そうでなければ祟ることがある。祟る神は、異界の物と同じだと思いませんか?」


「伯父さんと大神さんは祟られたということですか?」


「いえ……。私が言いたいのは、神と異界の物を区別するのは、それを受け入れる人間の側だということです」


「見ようによっては神、見ようによっては魔物……。そういうことですか?」


「魔物そのものを神として祀っているということですね?」


 咲耶と月子が問うと、天具が割って入った。


「神か異界の物かなど、議論しても始まらない。今日、見たものをそのまま信じるしかないだろう」


 そう言われると、咲耶には言葉がない。


「……で、みんなが逃げた後、残ったのは大神の婆と咲耶さんだけだったのだな?」


「ハイ、大神さんが倒れていたので、助け起こしたら襲われたのです」


「大変だったね。怖かったでしょ」


 雅と月子が同情を示した。が、睦夫は違った。


「麒麟に襲われて大神の婆は死んだ。それなのに、どうして山上さんは無傷なのだ?」


「エッ……」


 睦夫の疑問は麒麟に襲われた直後、咲耶自身が感じた疑問と同じだった。


「襲われた時は、お腹に強い衝撃を受けたのですが……。痛みが取れてから周りを見たら大神さんが亡くなっていて、麒麟はどこかへ消えてしまっていたのです」


「不思議な話だな」


 睦夫も天具も首をかしげた。


「ミラクルね」


 雅が笑って場の空気を和ませた。


「あのう……」月子が遠慮がちに言った。「事件のこと、警察には届けたのですか?」


 睦夫と天具、富貴が顔を見合わせて表情を曇らせた。


「この村は特別なのだ」


 天具が答えた。


「電話がないから?」


「電話がないからといって、通報しなくてもいいということはないですよね?」


 雅と月子が質問を重ねた。


「麒麟が人を殺したといったところで警察が信じるはずがない」


「特別……、そう言ったでしょ」


 天具を支持する富貴の口調は挑むようだった。鈴子が怖がって部屋を出て行った。


「正直に言おう。この村は、日本国ではないのだよ」


 渋い表情で睦夫が言った。


 咲耶は驚いた。驚きすぎて、笑ってしまいそうだった。


「どういうことですか? 私たちは車で村の入り口まで来たはずです」


 天具に向くと、「そうだ」と彼が応じた。


「古代、大和朝廷が日本を統一した時、我々の先祖は神と共にこの村に隠れた。2000年以上前の話だ。それ以来、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治……、もちろん平成、令和の時代に至るまで、日本国政府の統治下に入ったことはない」


「ウッソー……」


 咲耶たちは同じように感じ、同じように反応した。


「この村は物理的にも、法的にも隔離されている」


「ヴァチカンみたいに?」


 月子が訊く。


「それ以上だよ。村は結界で守られていて、航空写真にも写らない」


「徹底するために車が出入りするような道も、電気や電話のケーブルも繋がってはいない。テレビや携帯の電波中継アンテナもない」


 天具と睦夫が交互に説明した。


「でも、みんな学校に行ったり、サク、あ、咲耶のお父さんみたいに、村を出て働いたりする人もいるのでしょ?」


 再び月子が訊いた。


「魔母衣村と日本国とは持ちつ持たれつ、対等な関係にある。我々は黄泉から日本国を守り、その対価として日本国は、村の人間が向こうで自由に活動する権利を保障している」


「ヒェー、アニメみたい」


 雅がのけぞり、椅子から転げ落ちそうになって慌てた。


「日本に駐留するアメリカ軍みたいなものですね」


 月子の解釈を天具が「そんなものだ」と支持した。


「それも危うくなったわね。もし麒麟のコントロールに失敗して村の外に出るようなことになったら……」


 富貴が難しい顔をする。


「そんなことはさせないさ」


 天具の顔には強い決意が現れていた。


「なにか手があるの?」


「オモイカネがいる」


「あの変人に頼むのか?」


 睦夫と富貴が目を丸くした。


「それは最後の手段だ。今は自分たちで出来ることをやろう」


「黄泉の穴の墓を直すことだな」


「村長が、にえが要ると言っていた」


「ふむ……」


 天具と睦夫が黙った。富貴は鈴子を捜しに部屋を出て行った。


 咲耶はたった今聞かされた話しを頭の中で整理した。麒麟を見ていなければ、結界があるから航空写真に村が写らないなど、信じ難いことだった。しかし、麒麟を見たいま、ありえないことも受け入れなければならないと思う。


 しかし、見たと思っている麒麟が幻覚ならどうだろう?……そう考えるのは、あの甘い匂いが幻覚作用を持っていると思うからだ。黄泉の穴で麻の実を大量に燃やし、オーと神を呼ぶことで集団催眠に陥ったのではないか? そうして麒麟を見たようなつもりになっているのではないか?


 いや、2人も人が死んだじゃない。あれは現実よ。……腹を切り裂かれた多賀史の遺体を思い出す。……でも、大きな刃物があれば、あれは人間でもできる。大神の婆の場合はどうだろう? 一緒に襲われたのに、私は無事で、彼女だけが死んだ。


 私が殺したとしたら、どうだろう? 幻覚を見て狂った私が彼女に体当たりしたのだとしたら……。頭がジンジン痛んだ。


「サク、大丈夫? 顔が真っ青だよ」


 雅の声で重苦しい思考から解放された。


「ごめん。色々あって……」


「疲れたわよね。サク、休んだ方がいいわ。私も休むから」


 咲耶は、月子に促されて立った。


「ゆっくり休むといい」


 天具たちに見送られ、雅と月子に支えられるようにして2階の部屋に入った。


 その夜、咲耶は、洞窟の中を父親の比呂彦と歩いている夢を見た。2人は意気揚々と暗黒の地底に向かっていた。


「洞窟の魔物を倒したら、明心と結婚できるんだ」


「頑張りましょう、お父さん」


 そう声をかける自分に自信が持てなかった。頭の隅で、何かが違うという自覚がある。


 たどり着いた洞窟の深部では、沢山の骸骨がうろうろしていた。


「たたき潰して粉にするのだ」


 父はそう言うとハンマーを手にして骸骨に襲い掛かり、骨を砕きはじめる。骸骨たちは逃げることも反抗することもなくされるがままで、砕かれ、潰されて粉になった。咲耶も父と同じように骸骨を捕まえて砕いた。あっという間に、目の前に人骨で作った粉が見上げるほどの山になった。


「ヨッシ、あとは曼荼羅まんだらだ」


 比呂彦は骨粉で床に曼荼羅を描き始める。それがチベット仏教で描かれる曼荼羅だと父は教えてくれたが、闇の中に骨だけで描かれた曼荼羅は、チベット仏教の極彩色豊かなそれとはずいぶん違っていた。


「できたぞ、見ろ」


 曼荼羅を描き終え、額に汗を浮かべた比呂彦が漆黒の天井を指した。


 見上げると、そこに北斗七星が浮かび上がり、やがてその他の星々が生まれた。燦然さんぜんと輝くのは北斗七星が指す北極星だった。


「この世もあの世もない。これで世界が統一される」


 咲耶には父が何を言っているのかわからなかった。あらためて曼荼羅に眼をやると、中央に並ぶ4体の如来が四神に変わっていて、青と白、赤と漆黒に輝いている。


「来た……」


 声をあげた父は空を見上げていた。確かにそれは北極星からやって来たように見えた。胡麻粒のようなものだったそれが、瞬く間に巨大化して麒麟になった。


 ――望ミヲ言エ――


 麒麟が言った。その顔は大神琉山のものだ。


「妻を生き返らせてほしい」


 ――贄ハソナタカ?――


「娘です」


 父が言うと、それまで植物のように意志を持たなかった骸骨たちが咲耶を取り囲み、手足を握った。彼らが自分を生贄にするのだとわかって驚いた。いや、驚いたのは父親の裏切りに対してだったかもしれない。


「お父さん、止めて」


 咲耶は抵抗を試みたがどうにもならなかった。彼らを振り払うことも逃げ出すこともできない。


「お父さん!」


 呼ぶと、振り返った父親の顔は髑髏に変わっていた。


 骸骨たちは何処からともなく物干し竿のような長い木の杭を持ち出してきて、仰向けに寝かせた咲耶の衣服をはぎ取り、両足を強引に開いて杭を肛門に突き刺した。強烈な痛みを感じたが、それは一瞬だった。


 骸骨たちは、持ち上げた両足を前後左右に動かして、木杭を大腸、胃袋、食道と、体内を器用に通した。そうした様子を、咲耶は宙から俯瞰的ふかんてきに見ていた。他人事のように……。


 身体を貫通した杭の先端が口から現れる。まるで口から男性器が生えたようだ、と思った。


 骸骨たちは、杭に突き刺した咲耶を担いで骨の粉の小山の頂上に上った。そしてそこに、さらすように杭を立てると、カタカタと骨を鳴らして笑った。


 私、死んだ?……ぼんやり考えた咲耶は自分の中に戻っていた。杭が身体を貫いているために、顔は空を向いていて見えるのは星ばかり……。そこに麒麟がやって来て覗き込むように近づいた。


 ――オ前ニ全テヲヤロウ――


 そう言った麒麟の顔は、母のものだった。


「お母さん!」


 杭で貫かれたのど……、裂けた口……。声にならない声で叫ぶと眼を覚ました。


 その瞬間、天井に目玉があったような気がするのだけれど確信はなかった。


 まだ深夜のようで、窓に明かりはない。改めて精神を集中すると、柱や天井板、床板といった建物を構成する樹木の中を、白アリが食いやぶっているようなゾワゾワした感覚があった。タタタタタ……、と音を忍ばせて走る足音も聞こえた。――ギギギー……、どこかのドアが開く音。――トン……、とドアの閉まる音がした。


 誰かがトイレにでも行ったのだろう。そう考えて枕元のスマホを手にすると、〝6:66〟と表示していた。


 ふーん、6時66分か……。頭の中で声にしてから、ありえない時刻だと気づいた。


 ベッドを飛び出してカーテンを開けた。外は深い霧におおわれていて何も見えなかった。いや、正確には黒い人影が歩いているのが見えた。それは蜃気楼しんきろうのように逆さまで、葬列のようにトボトボとどこかへ向かっていた。ゾワゾワする感覚は、彼らが動く音が原因のようだ。


 天具が、霧が出た時には外に出るな、と言ったのを思い出した。その時には見知らぬ土地で道に迷うということを心配しているのだろうと考えていたが、原因は宙を逆さまに歩く者たちにあるのだとわかった。


 幽霊? ゾンビ?……どちらも当てはまらない。怖い!……カーテンを閉めて毛布をかぶった。眼を閉じると、聞こえるのはこずえを揺らす風の音だけになり、ゾワゾワする感覚が消えた。


 助かった……。なぜかわからないけれど、そう感じて眼を開けた。室内に朝日が射していた。スマホの時刻表示は〝7:43〟……。正真正銘、日常の朝だ。串刺しにされたのはもちろん、麒麟に多賀史が殺されたことも、霧の中を逆さまに歩く人影も、全てが夢の中の出来事だと思った。


「また寝坊しちゃった」


 エヘッ、とかわい子ぶってリビングに入った。


「大丈夫よ、お友達もみんなまだだから」


 富貴が優しく笑った。睦夫の姿はなく、仕事に行ったと教えられた。


「それじゃ、雅たちを呼んできます」


「私も行く」


 鈴子が駆けてきて腕に摑まった。


「それじゃ、行きましょう」


 2人で階段を駆け上がる。最初にノックしたのは月子の部屋だった。


「ツキ、おはよう」


 声をかけても反応がなく、中はシンとしている。仕方がないので雅の部屋のドアをノックした。やはり返事がない。


「みやび、いないの? 寝てるの? 開けるわよ」


 月子の部屋のドアは開けられなかったが、雅のは気安く開けられた。


 ベッドは、もぬけの殻だった。毛布が乱れているので、一度はベッドに入ったのだろう。昨日着ていた上着とスカートが、椅子に無造作に乗っていた。


「おねえちゃん、いないね」


 鈴子が首を傾げている。


「月子の部屋かしら?」


 もう一度、月子の部屋のドアをノックした。やはり返事はなく、中はシンとしている。


「開けるわよ」


 恐る恐るドアノブに手をかけた。


 月子のベッドも、もぬけの殻……。やはりシャツとスカートが椅子にあった。きちんとたたまれているけれど……。洋服があるということは、彼女はパジャマのままに違いない。


「2人でどこに行ったのかしら?」


「オシッコかな?」


 まさか2人でと思うのだけれど、鈴子が言うのでトイレに足を運んだ。洗面所にも……。しかし、2人はいなかった。


 リビングに戻り、2人を見なかったかと富貴に訊いた。


「今日は見ていないわよ。夕べ、3人で2階にあがったでしょ。あれが最後……」


 咲耶の方が知っているだろう。富貴はそう抗議するような目をしていた。携帯電話がつながれば居所がわかるのに、と咲耶は恨めしく思った。


「散歩に出たのかもしれません。外を探してきます」


 そうは言ったが、2人がパジャマのまま外に出るとは思えなかった。


 玄関に行くと、彼女らのスニーカーがなかった。


「まさか……」


 本当にパジャマのまま散歩に出たのだろうか? 雅はともかく、賢く慎重な月子が、見知らぬ土地でそんな行動をとるとは信じられない。


「あっち」


 鈴子が玄関ドアを開けて指差した。山上家のある方角だ。外を捜すといったもののあてがあるわけではない。鈴子の示す方へ行くことにした。


「むやびー、つきこー!」


「ミヤビー、ツキコー!」


 咲耶が2人の名前を呼ぶと、鈴子も真似た。そうして鈴子が着いたのは、山上家と似た農家風の建物だった。


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