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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
3/20

殯(もがり)の夜

 ――カラカラカラ……、遠くから何かが回る音がしたかと思うと突然、霧が晴れた。開けた土地に数件の農家があって、オレンジ色の灯りをたたえている。カラカラ鳴るのは、家々の前にある小さな風車だった。


「ここなの?」


 雅の問いに、「うむ」と天具がうなずいた。


 ――カラカラカラ……、その音に、眼をやらずにいられない。


「風車だ。この村は風車と水車で電気を作っている」


 天具が教えた。


 電話もテレビもないと聞いていたので電気もないと思い込んでいたのだが、それがあることに咲耶はホッとした。もしかしたら、と考えてスマホを出してみたが、天具の言った通り圏外だった。


 咲耶の祖父の家は、村はずれから10分ほど歩いたところにあった。軒先に提灯がぶら下がっている。中で光っているのは、ろうそく型のLED電球のようだった。スマホの電波も届かない世界にLED電球あるのを不思議に思ったが、それを尋ねる余裕はなかった。屋内から霊気にも似た妖しい気配が流れ出していたからだ。


 いる!……と、思った。咲耶の部屋に現れる目や耳のような存在だ。


 天具は、まるで自分の家に入るように気軽に引き戸を開けた。屋内は文字通り、通夜のように静まっていた。三和土たたきに靴が並んでいるので人はいるに違いない。


「こんばんは、天具です」


 凍り付いた空間に彼の声がとどろく。


「今日は通夜ですか?」


 月子が訊くと、「もがりだ」と天具が答えた。


 トトトと低い音がして、中年女性が現れた。真っ白な単衣ひとえを着ていた。


「石上さん、ありがとうございます。咲耶さんとお友達も、父のために、ありがとうございます。山上比呂彦の姉のアヤメです」


 彼女は板の間に座って頭を下げた。


 初対面なのに、アヤメさんはどうして私がわかったのだろう? 友人が一緒だと、どうして知っていたのだろう?……咲耶の脳裏を疑問が過った。


「さあ、さあ、どうぞお上がり下さい……」


 アヤメはそう言うと先に立って、4人を招き入れた。


 廊下の左手は木製の雨戸で締め切られ、右手に10畳の和室が三間続いていた。室内を照らすのもLED電球だ。手前の二間には座卓がずらりと並んでいて、酒や料理があった。白喪服姿の男性が4人、1列に座っていたが、一言も口を利かない。一番奥の部屋は、白い布で隠されていた。


「まずは、死者にご挨拶を」


 そう告げたアヤメは奥に向かう。咲耶は、男性たちに会釈をしてアヤメの後を追った。


 アヤメが白い布をめくりあげた。甘く芳しい匂いが流れてくる。部屋の中央に遺体が横たわっていた。甘い香りは枕元の香炉から立ち上るもので、それが死臭を隠していた。


「どうぞ、お参りください」


 咲耶たちが白い布で囲われた空間に入ると、背後で布が閉じた。アヤメは入ってこなかった。白い布の上部に注連縄しめなわがあって、和室をぐるりと囲んでいた。外部から邪気が入るのを妨げているのか、あるいは死者の魂を内部に封じ込めようとしているのか……。そのどちらかだろうと咲耶は考えた。


「さあ……」


 天具に促され、咲耶が先頭になって進んだ。塩や水、米や果物が供えられている遺体の枕元に座って初めて、向かい側の白喪服姿の老婆の存在に気づいた。祖父、山上比古造の妻のヒムカだろう。彼女は夫の死に戸惑っているのか、あるいはそれを受け入れようとしているのか、ぼんやり座っている。咲耶たち4人が遺体の前に座っても、彼女は気づかないようだった。


 比古造の顔は皺くちゃで、父親と似ているような気がしなかった。布団に覆われた身体がやけに薄いのは、顔同様、水分を失って皺だらけだからかもしれない。ミイラのような痩せ細った身体を想像してから、それを振り払った。先祖をミイラのように思うのは不謹慎だ。


 手を合わせた咲耶は、初めまして、成仏してください、と眼を閉じて祈った。そうしていると気持ちが良くなって身体がふわふわと浮くような心持だった。


「ワシは仏にはならんよ」


 老人の声がした。


「エッ……」


 思わず小さな声が漏れ、祖母に眼をやった。彼女は相変わらず細い眼を遺体に向けていた。その唇が動いたとはとても思えない。やはりお爺ちゃんか……。彼の顔に眼をやる。彼の唇も結ばれていたが、その魂が自分に向いている気配を感じた。……聞いたのは彼の声に違いない。そう確信した。


「美人になったなぁ」


 夢見心地の中で、再び声を聞いた。


「こっちへ来なさい」


 その声で夢から覚めた。声は背後、部屋を囲む布の向こう側からした。天具が立つので、遺体とヒムカに頭を下げてから立った。何故か、足がふらついた。


 布をくぐり出たとき、「頭がふわふわする」と雅が言った。「私も」と月子が応じた。


 中央の部屋に並ぶ男性たちの正面に座ると、天具が男性たちの紹介をした。村長のおおとり法山ほうざん、その息子の徳水とくすい、アヤメの夫の多賀史たがふみ、その息子で大学生の比古一ひこいちだと……。


「初めまして。山上咲耶です」


 頭を下げると、彼らは大きくうなずいた。


「知っている。村長さんたちもな。だから紹介はいらない」


 多賀史がぶっきらぼうに応じた。その風貌はミイラのような祖父以上に比呂彦には似ていなかった。


「本来なら、両親が参列するところですが……」


 まだ、頭がふわふわして上手く話せない。暗記してきた挨拶を必死に述べた。


にえを連れてきたのだな。良きかな、良きかな……」


 法山が満足げに言った。


 贄ってなんだろう?……咲耶は首をかしげた。雅はキョトンとし、月子はだるそうにしている。


「まったく、父親の葬儀にも来ないなんて、比呂彦には困ったものです」


 そう言ったのは、未成年の咲耶たちのために飲み物を運んできたアヤメだった。その時になって初めて、父と血がつながっているのは伯父ではなく、伯母の方かもしれないと思った。


「田舎なもので、気の利いたものはありませんが……、サクランボのジュースですよ」


 3人の女子高生の前にクリスタルのグラスが並んだ。桜色の半透明の液体の中で光が躍っている。


「ワァー、奇麗……」


 雅が声を上げた。


 ――コホン……、月子が小さな咳払いをして彼女の袖を引いた。場をわきまえろというのだろう。


「ごめんなさい……」


 雅が消え入るような声で言った。


「いいのですよ。父は賑やかなのが好きでしたからね。今度は黄泉の国で楽しくやるでしょう。この男の人たちの方が陰気臭すぎるのですよ」


 アヤメはそこにいる男性たちをこきおろし、雅に微笑を向けて慰めた。


「咲耶は17だったな?」


 唐突に多賀史が言った。


「はい」


「ウチには跡取りがいない」


「え?」


 咲耶は驚いた。目の前に比古一という立派な息子がいるのに、どういうことだろう?……思わず比古一に目をやった。彼が少女のように頰を染めている。不思議だ。


「知らないのね。この村では娘が跡取りになるのよ」


 咲耶の隣に座ったアヤメが言った。


「女系家族、ということですか?」


 口をきいたのは瞳を光らせた月子だった。


「そうなのよ。それで私が山上家を継いで比呂彦が家を出たの」


 なるほど……、疑問がひとつ解けて大きくうなずいた。


「こんな時に話すのはどうかと思うのだけれど、なかなか会う機会がないから……」


 アヤメが座りなおした。


「咲耶ちゃん、私の子供になって欲しいの」


「エッ?」


 彼女が何を言っているのか分からなかった。


「比古一と結婚して、養子になって欲しいのよ。そうしたら、あなたが次の家長。この家の主よ」


 彼女に手を握られた。汗ばんだ手のひらだった。


「伯母さま、私、まだ高校生です。比古一さんだって……」


 咲耶は戸惑い、いや、むしろ抵抗した。電話もインターネットも使えない田舎の家に魅力は感じなかった。それを話さなかったのは、天具が莫大な遺産があると言ったのを覚えていたからだ。それに、あの純金の神像だ。それは莫大な遺産があることの証拠に違いない。


「もちろん、高校を卒業するまでは待ってやる」


 多賀史が言った。


「村の者が何も知らんと思っておるのか? 村に戻りなさい。ここがお前さんの生きる場所だ」


 法山の話に咲耶は打ちのめされた。彼は、秘密を知っている、と脅かしているのだ。どうやって知ったのかはわからない。が、咲耶の家族の秘密を知っているのは間違いないとわかった。


「どういうこと?」


 雅が訊いた。咲耶は応えられなかった。法山が口を開く。


「この世には、あの世に通じる門がいくつかある。咲耶は艶邪虜えんじゃるに冒されたのだ」


「エンジェル?」


「エ・ン・ジ・ャ・ルだ。怪異門かいいもんを通ってあの世から来た異界の物だよ。とてもか弱い魔物と言える。咲耶さんは、比呂彦の娘とはいえ、まだまだ未熟。明日、比古造の魂を引き継ぎ、贄を捧げれば、そういうことも無くなるだろうが……」


 彼の強い視線が咲耶たちの間を移動した。


 目玉の妖怪を見慣れた咲耶にも、艶邪虜とか怪異門とかいったものは聞いたことがなかった。まして何も知らない雅と月子は目を白黒させていた。


 静寂があった。外から流れ込む風車の回る音が、やけに大きく聞こえた。


 長い沈黙を破ったのは天具だった。緊張した空気に耐えられなかったのかもしれないし、あるいは咲耶たちをその場から解放してやろうとしたのかもしれない。


「咲耶さんは疲れているでしょう。その話は葬儀が終わってからにしませんか? 汗も流したいでしょうし」


 先ほどまでの威厳はどこに消えたのか、太鼓持ちのような口調だった。


「そうね。そうしましょう」


 アヤメが同意し、咲耶たちは天具と共に席を立った。葬儀のために客間が使えないので、天具の家に泊まらせてもらうことになっている、と彼女が説明した。


「困らせてしまったな。悪かった」


 山上家を出た後、懐中電灯をつけた天具が言った。


「サクの結婚話なんて驚いちゃった」


 暗闇の中でも雅は陽気だ。


「いえ……。艶邪虜とか怪異門とか、どういうことでしょうか?」


 咲耶は天具に訊いた。


「私も気になりました。オカルトじみていますよね」


 月子が同調する。淡々とした口調だが、胸を踊らせているのがわかった。


「ふむ……。歩きながら話すことではない。家に着いたら話そう」


 彼はそう言うと、唇を結んだ。


 天具の家は10分ほど坂道を下った川のせせらぎの聞こえる場所にあった。山上家に比べれば敷地は狭かったが、建物は洋館風の近代建築で、玄関といくつかの窓から明かりが漏れていた。屋根の上でふたつの風車がカラカラ回っている。


「おお、立派な家だ」


 雅が声を上げた。


「俺と妹夫婦で住んでいる家だ。年寄りはいないから気楽だろう」


 咲耶は、天具の配慮が嬉しかった。


「これ、金じゃない?」


 玄関の前に立った時、月子がドアノブに注目した。腰を曲げ、その重厚感のある作りを観察する。


「その通り、18金だ。よくわかったな」


 そっけなく言った天具が、それを握ってドアを開けた。


 まるで天具が帰ってくると知っていたように、玄関で幼い少女が待ち受けていた。彼の顔を見ると満面の笑みを浮かべ、三和土に下りて彼の足に抱き着いた。


「天具、おかえり!」


 回らない口で言った。


「鈴子、いい子にしていたか?」


「うん」


「石上さんのお子さんですか?」


 月子が訊いた。


「いや、姪っ子だ。まあ、入って」


 彼は鈴子を抱き上げると下駄を脱いだ。


 咲耶たちは遠慮せず上がり込んだ。そこは、まるで住宅展示場のような内装の真新しい家で、樹木の香りがした。咲耶は照明器具の豪華さに驚いていた。ドアノブだけでなく、それらも金色の装飾が施されている。それが本物の金ならば、相当高価なものだろう。


 リビングには誰もいなかった。ダイニングの照明は消えていて、その奥のキッチンから光が漏れていた。


「お帰りー」


 若い女性の声がする。


「ああ、客が3人だ。お茶を入れてくれ。睦夫は?」


「あら……」


 キッチンから女性が顔を見せた。


「……いらっしゃい。あなたが咲耶さんね。妹の富貴です」


 彼女は咲耶に向かって微笑んだ後、村が田舎なので驚いただろうと月子と雅に向かって話した。


「お世話になります」


 3人の声がそろった。


 富貴はおもむろに天具に向いた。


「睦夫は、まだ穴の中よ」


「働き者だな」


 話ながら彼は、座れ、というようにソファーを指し、自分も壁の掛け時計に眼をやってから腰を下ろした。時計の針は、まもなく午後9時を指そうとしていた。


「朝方まで、戻らないと思うわ」


「ひとりでいるんだろう? 危ないな……」


「そう思うなら、お兄さんも手伝って」


「山上家の葬儀が終わるまでは無理だ。第一、それほど働いてどうするつもりだ? 何か欲しい物でもあるのか?」


「お客様に訊かせることではありませんよ」


 富貴はぷいっと顔をそむけてキッチンに姿を消した。鈴子が天具の膝を下りて母親のもとに行った。


「艶邪虜と怪異門のことだったな」


「あ、はい……」


 天具が切り出すと月子と雅の瞳に好奇心が瞬いた。咲耶のそれには不安が混じっている。


「この世、あの世というとき、あの世は死後に魂が行く黄泉の国だ」


「天国や地獄ということ?」


 雅は黄泉の国を知らなかった。


「天国や地獄というのは、宗教上の考え方だ。現世で良いことをすれば天国や極楽といった安楽の世界に行けて、悪いことをすると地獄で苦しみを味わう。この村での死後の世界は違う。死後、多くの人の魂は黄泉の国へ行く。この世とあの世、それをつなぐのが怪異門だ。冥界門めいかいもん神鬼門しんきもん獄国門ごくこくもんともいわれる。この村はその門の上にあって、異界の物がこちらの世界に来るのを押しとどめる役割を担っている。門はいくつかあって、世界中に点在している。そこには、この村と同じようなものがあるはずだ。まだ見つかっていない門もあるかもしれない……」


 咲耶たちは、彼の話に度肝を抜かれて言葉を失っていた。


「……そうしたこともあってか、時折、異界の物がこの世に入り込む。わかっているモノのひとつが艶邪虜だ。邪悪な色気に取り込むという意味がある。他に、邪悪な鳥の使い燕邪吏えんじゃり、これはカマイタチと呼ばれることが多い。嫉妬の炎をかきたてる炎邪虜えんじゃろ、金縛りを引き起こす蛇娘の媛蛇虜えんじゃろといったものがある。呼び方はほぼ一緒。エンジャロ、エンジャリ、エンジャロ。どれでもいい。それらはこの世に、魂を食いに来る」


 彼は〝艶邪虜〟〝燕邪吏〟〝媛蛇虜〟と異界の物の種類をノートに書いた。雅と月子が蒼い顔をしていた。


「魂を食べられたら、どうなるのですか?」


 月子が訊いた。


「死ぬ」


「それじゃ、サクは……」


 月子と雅の瞳が咲耶に向いた。恐怖と同情を湛えて……。咲耶は、幸利に襲われたことを思い出した。それから沢山の眼と耳だ。


「咲耶さんの場合は少し違う。この村の者の血を引いているからだろう。おそらく、異界の物を倒した。自覚があるかどうか知らないが」


「それで生きているのね」


 月子と雅の瞳から恐怖が消えた。咲耶もホッとした。


「しかし、魂は傷ついただろう。一部は欠損したかもしれない」


「そうしたら、どうなるんです?」


「感情的に普通でなくなる。サイコパスのようなものだ」


「私がサイコパス……」


 そう考えると、幸利の遺体を平然と解体したことにも納得がいった。


「キャ、怖い」


 雅はそう口では言ったが、眼は笑っていた。


「サイコパスにも良いところはあるのよ」


 月子が言った。


「最後にひとつ。夜となく昼となく、村は深い霧におおわれることがある。その時は家を出ないでほしい。外にいる時に霧が出たら、その場を動かないこと。30分以上、霧におおわれることはないだろう。霧が晴れるのを待って、家に戻れ。まあ、注意してほしいのは、そんなところだ」


 立ち上がろうとする天具を咲耶は止めた。


「黄泉の国に人の魂を食べる物がいるなら、死んだお爺さんの魂は……」


「あ、食べられちゃうの?」


 雅が素っ頓狂な声を上げる。


「いや、この村の者は違う。村の伝承では、その昔、村の主オモイカネはスクナビコナと契約した。死後の魂は黄泉の国に送るが、門を守る者のそれは、葬式でこちら側に戻してもらうと。……戻ってきた魂は子孫と一体化し、異界の物を封じる強力な魂に成長するということになっている。いや、それが事実だ」


 彼の視線を受けて、咲耶の心臓がドキンと鳴った。


「うわ、ずるい」


 相変わらず雅は反射的だった。


「どうして?」と、月子。


「だって、私と月子の魂は、死んだら食べられちゃうのよ。この村の人は食べられないなんて、ずるいじゃない」


「なるほど。それはそうね」


「死後、人間の魂に消滅する恐怖があると思うかい?」


 天具の眼が笑っていた。


 咲耶たちは首を傾げた。


「感情は肉体があってこそのものだ。戻った魂は子孫の肉体の中で再び喜怒哀楽に向き合わなければならない。それを幸福と捉えるか、不幸と捉えるかは、その魂次第だろう」


「お兄さん、あまり脅かしちゃいけないわよ」


 富貴がトレーに紅茶と手作りのシフォンケーキを載せてきた。フォークやスプーンは銀製だが、金の飾りが施されていた。


「ごめんなさいね。兄は、若い女性を脅かすのが趣味なのよ。自分が持てないものだから」


 彼女はクククとのどを鳴らして笑った。


「大丈夫です。私たち、そういうの、慣れていますから」


 雅が親しげに応じた。


「素敵な食器ですね。スプーンとフォークのデザインもおしゃれです」


 咲耶は話題を変えた。


「そう? ありがとう。私のデザインなのよ」


「へー、すごい!」


 雅がケーキをもぐもぐしながらフォークをながめた。


「いろいろなところで金が多用されているのですね」


「主人が金を掘っているのよ」


「穴の中にいるというのは、そういうことなのですね」


 金の採掘という仕事のことはよくわからないが、なんとなく納得した。


「この村の重要な産業なのよ。穴の中にいるから、夜になったのも気づかないのね。疲れるまで帰らないの」


 そんな話をしながら、彼女は鈴子がこぼしたケーキのくずを拾い集めた。


「良いお母さんね」


 月子が咲耶に話した。それが富貴の耳にも届いたらしい。彼女は気をよくして、「良いものあげるわね」と言って、飾り棚から小箱を取り出した。その中にはイヤリングや指輪があった。


「ほっそりしたあなたには、これが似合うと思うわ」


 彼女は月子の耳に大きな三日月が揺れるイヤリングをつけた。


「これは、あなたに……」


 金色のバラの花の飾りがついた指輪を、雅の右手の薬指にはめてやる。


「こんな高価そうなもの……」


「ありがとうございます」


 月子は遠慮がちだったが、雅は無邪気に喜んでアクセサリーを受け取った。


「私が作ったものだから下手くそだけれど、純金なのよ。大事にしてね」


「いただけないです。ねえー」


 月子は雅に同意を求めたが、彼女はきょとんとしていた。


「もらっておきなさい。この村では、その程度のものは子供のオモチャだ」


 天具が言うと、「お兄さん、ひどいわね」と富貴が笑った。そんな風なので、月子はそれをもらうことにして礼を言った。


「咲耶さんにはこれを。山上家の守り神よ」


 富貴はデフォルメされた太陽をあしらったイヤリングを手にしていた。拒む理由はなく、喜んでそれを受け取った。


「さあ、部屋に案内しよう。汗を流してからゆっくり休むといい」


 天具が立った。


 案内された風呂は広く清潔なものだった。2階の個室は子供部屋として作ったものだろう。ベッドや机、クローゼットが備わっていた。テレビや電話はなく、自給自足的な生活に見えながら、天具の家族の暮らしは咲耶の家のそれとあまり違わないように見えた。やはり金を採掘して得る収入は少なくないようだ。


 咲耶たちは3人一緒に風呂に入った。裸を見せ合うのは恥ずかしかったが、5分もせずに慣れた。月子は少年のように脂肪がなくスリムで、雅は童顔に似合わない豊かな胸をしていた。その乳房の下に小さな乳首のようなものが一対あった。「副乳っていうらしいわ」雅が屈託ない笑みを作ったのが印象的だった。


 汗を流すとどっと疲れを覚えた。雅たちも同じようで、修学旅行のように集まって話す気力はなかった。それぞれの部屋に入り、ふわふわのベッドに横になる。ひとりになったからか、一瞬、とても落ち着いた気分になった。すると、はじめて聞いた黄泉の国や魔物のことを思い出した。


 窓から流れ込む風は冷たいほどでエアコンなどいらなかった。そもそも、部屋にエアコンはなかった。冷たい風が流れ込む窓から魔物が入り込んでくるのではないか? 想像すると不安になった。窓を閉めてみる。すると、すぐに暑苦しさを感じた。少しだけ窓を開け、明かりを消した。カーテンの隙間から闇に光が忍び入ってきた。


 魔物が出る村なら、自分の部屋に出る眼や耳の大群が現れるかもしれない。そう考えて暗い天井をいつまでも見ていたが、目玉も耳も現れなかった。そんなことをしているからか、あるいは魔物が怖いのか、エアコンのない静寂に馴染めないのか、疲れているはずなのに寝付けなかった。もうひとつ、不安の原因に心当たりがあった。魔母衣村の人たちが、初対面の自分のことをあれこれと知っているという謎だ。もちろん、その疑問には答えが用意できた。父か母が、村人たちと連絡を取り合っていた可能性だ。


 思い切ってカーテンを開けた。街灯のない空は星々で埋まっていた。ベッドに寝転がってもそれが見えた。とてもロマンチック……、そんな風に思いながら星の数を数えた。そうしているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。


 谷間の村に朝日がさすのは遅かった。咲耶が眼を覚ました時、スマホの時刻表示は9時を少し過ぎていた。〝圏外〟の文字が冷たく光っていた。


「ヤバイ、寝坊した」


 着替えて飛び出すと、雅や月子も出てきたところだった。


「寝坊したの?」


「咲耶も?」


「雅も?」


 3人は顔を見合わせて笑った。


「良かったー」


 声が重なった。


1階に下りると天具はすでに出かけていた。葬儀の準備だという。富貴と彼の夫、睦夫が咲耶たちの朝食を出してくれた。睦夫は筋肉隆々のプロレスラーのような男性で、少ない仲間と穴の中で金を掘っているのだと話した。


 3人は、昨夜、富貴に金製のアクセサリーをもらったと伝えて礼を言った。


「そうか、思い出になるといいな」


 彼の態度は、無骨というのがふさわしい。態度は悪いが、優しさがにじみだしていた。


「沢山、採れるの?」


 雅が訊いた。


「そうよ。たくさん採れるの。そうでなかったら、こんな村、みんなが出て行ってしまうでしょ」


 富貴がフフフと笑った。


「しかし、金を掘るのは命懸けだぞ。落盤もあるし異界の物も現れる」


「そうなの?」


 雅は真剣だった。昨日、天具に異界の物の話を聞いていたが、信じていなかったようだ。


「おお、眼には見えないがわかる。仕事の邪魔をしてくるのだ」


「どうやって?」


「火を噴きつけてきたり、怠け心を焚きつけたりする。それらと戦いながら穴を掘るわけだ」


「危ないから、兄と一緒に行ってほしいのだけど……」


 コーヒーを淹れながら富貴が言った。


「ひとりの方が安全だ。あいつらは人の心を動かして、人間同士を戦わせようとするからな」


「とはいってもね……」


 富貴が顔をしかめた。


「私も葬式の手伝いに行った方がいいのではないでしょうか?」


 咲耶は訊いた。外の世界に住んでいるとはいえ、比古造の直系の子孫にあたるのなら、そうすべきだと思った。


「いやいや……」睦夫が首を横に振る。「……その必要があるなら、天具の兄が言ってくるはずだ。そうする必要がない印に、あんたの分も喪服を預かっている。式に顔を出せばいいということだ。そんな心配をするより、あと2時間ほどしかないが、村の中を3人で散歩でもして来たらどうだ」


「これこれ、喪服」


 富貴が白喪服を咲耶の前に運んできた。


「昨日、山上家にいた人たちが来ていたものですね」


「浴衣と似たようなものだから、着るのは簡単でしょ」


 なるほど、と思いながら、咲耶は礼を言って受け取った。


「私と月子は?」


 雅が訊いた。


「葬儀に参列できるのは、青龍を守護神としている人たちと、各家の家長だけなの。2人は私たちと留守番よ。儀式は獄国門まで往復するから夕方までかかるのよ。留守番で正解だわ」


 富貴が雅と月子に説明し、それから咲耶に視線を戻した。


「葬儀が真夏なのは良かったわね。みそぎがあるから、寒いときは大変なのよ」


「禊ですか……」


 咲耶は、言葉は知っていたが、それの具体的なイメージがなかった。


「葬儀の時刻まで、川に下りてみると良い。美味い水が飲めるぞ」


「うん、行ってみよう!」


 睦夫の話を聞くと、つまらなそうにしていた雅が跳ねた。


 村は緑豊かだった。いや、緑しかなかった。大樹に草花、木々の間を飛ぶ鳥に花々を巡る蝶、カッコウやモズが澄んだ声で鳴いているかと思えば、蝉の声は騒々しい。梢を揺らす風の音を追えば、高い空が眩しかった。人工的なものがあるとすれば散在する家々の屋根の上で回る小さな風車の音ばかり……。3人の額に汗が浮いていた。


 小道を下ると清流があって子供たちの声がした。小学生ぐらいだろうか、男子も女子も全裸で遊んでいる。「ヤダ……」と雅が声を上げたが、彼らのつるりとした下半身から眼を逸らすことはなかった。


「田舎なのね」


 咲耶は思ったままを言った。


「自然と調和している……、いえ、人間も自然の一部だと思い知らされるわね。みんながこんな暮らしをしていたら、地球の温暖化なって心配する必要がなかったのかもしれない」


 月子が優等生らしい話をした。


「私はヤダな。電波が届かないから、ゲームはできないし動画も見られない」


 雅がスマホで写真を撮った。


「本当に魔物なんているのかしら……」


「昔の人は、理屈で説明できないことを神様や精霊や悪霊のせいにしたのよね?」


 雅が流れに頭を出した石に飛び乗り、手を水に浸すとすくって飲んだ。


「みやびは、電波が届かないから、ここの人たちを非文明人と決めつけているわね」


 月子と咲耶も石に飛び移った。


「だってぇ、石上さんの話では、この村の人たちは人類を冥界のモンスターから守るヒーローのようだけど、そんなことあるかなぁ?」


 雅が言うのはもっともだと咲耶も思った。自室の天井に現れる妖しいものがいるのは間違いないけれど、それは人に危害を加えない虫のようなものだと思うし、艶邪虜と教えられたものと接触した記憶もない。


「サクは戦ったのでしょ? どうなの?」


 月子に問われ、自分はわからないと応じた。


「そうなんだ……」


 彼女は水をすくって飲むと、美味しいと声にした。


「もしかしたら、河童がいるわよ」


 3人は靴を脱ぎ、手に持って浅瀬を歩いた。子供たちが遊んでいるのとは、反対の川上に向かって……。どれほど歩いても川もそれを取り巻く緑の風景も変わることがなかった。水の中を泳ぐのは河童ではなく魚で、大きなトンボが3人の目の前をかすめていった。稀に、木々の向こうに住宅が見え、流れの強そうな深みに円筒状の水車が沈んでいて、そこから黒いケーブルが村に向かって伸びていた。


「ここは自然と人工物の比率が、都会と逆ね」


 咲耶が感じたことを月子が言った。


 川の中を歩くのは30分が限界だった。水の冷たさで足がヒリヒリしてくる。3人は流れから出て、川辺の巨石に座って脚を乾かした。


「立派な石だね」


 雅は自分たちが上った巨石から川面を覗く。


磐座いわくらみたいね」


「ツキ、磐座って、なぁに?」


「神様が降りてくる場所よ」


「へー、月子は何でも知っているのね。さすが優等生」


 咲耶は感心した。


「歴史の本に出てくるのよ」


「ふーん」


 雅が鼻を鳴らすように感心し、靴を履いて「帰ろう」と言った。


 スマホを見ると、富貴の家を出てから1時間ほどが過ぎていた。それは情報機器としては役立たないが、時計とカメラとしては十分に機能していた。


「……だね。ギリギリだわ」


 咲耶と月子も慌てて靴を履く。


 家に帰ると白喪服姿の天具が迎えに来ていた。


「遅刻したら祟られるぞ。神像と守り刀を忘れるなよ」


 そう急かされ、白喪服に着替えると、タオルでくるんだ神像と守り刀を懐に入れた。


 履物は藁草履で、それも天具が用意していた。


「バイバイ」


「それじゃ、夕方にね」


 雅と月子に見送られ、山上家に向かった。道は上り坂のうえに太陽に照らされていて、昨夜、石上家に向かう時のように楽ではなかった。儀式が半日も続くかと思うと気も重い。藁草履のゴワゴワした紐が肌にすれてヒリヒリする。


 途中から、白喪服を着た人々が合流した。山上家に向かうのに違いない。そのたびに咲耶は緊張を覚えて懐の神像を押さえたが、彼らは咲耶をチラッとも見なかった。まるで昔からそこに住んでいる者のように、あるいは空気のように受け入れているようだった。


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