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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
15/20

消えた建物と小さな森 ⅱ

 次の通報が多発したのは、東の空が白み始めたころだった。特定の地域から「家が消えて、森になった」「ガス漏れの匂いがする」「道路が水浸しだ」といった通報が数件入った。急行した交番の警察官が通報の事実を確認。住宅が消失した周辺で水があふれ、ガスの匂いがするという。実際、水道局やガス会社が出動する事態になっていた。


「夜は化け物で、今度はガス漏れか……」


 泰子は欠伸をしながら地域課の職員が走り回るさまを傍観していた。ほどなく情報が共有され、ガス漏れがあったのは山上咲耶の家の周辺で、消えた住宅というのが彼女の家だと知った。ガス漏れも水漏れも、住宅が消えたことが原因らしい。泰子は、署を飛び出して咲耶の家に向かった。


「どういうことよ……」


 現場を目の当たりにして、そんな言葉が口をついた。


 周囲はガス、水道、下水といった工事業者でひしめき合っていて、その周囲をマスコミと野次馬が取り巻いていた。地域課の警察官たちが規制線を張り、必死に野次馬の侵入を防いでいる。すでにガスや水道は遮断されているのだろう。異臭はなく、道路の冠水かんすいも解消していた。


 電気と電話の工事業者は見当たらなかった。緊急を要さないということだろう。電線が垂れ下がって揺れている。


 消失したのは山上比呂彦が所有する豪邸1軒だけで、住宅、車庫、日本庭園、物置、塀に至るまで、敷地内にあったはずのものがすっかりなくなっていた。代わりに、数えきれない巨木が林立する鬱蒼うっそうとした森を作っている。


 泰子はスマホを手にして咲耶に電話をかけた。相変わらず彼女の電話は不通だった。


「両親は、どこで何をしているのかしら……」


 西側の隣家が夫が妻を殺した家で、今は無人だった。泰子は東隣の家を訪ね、山上家の主人の所在を知らないか尋ねた。そこの住人は、山上夫婦を1年ほど見ていないという。道路向かいの住人に訊いても、答えは同じだった。


 山上咲耶はひとりで暮らしていたのかしら?……泰子は、やじ馬に混じって森と化した山上家を見つめた。


「夕べ、キマイラが飛んでいたのはこの辺りだよな」


 野次馬のひとりの男性が話し、その妻らしい女性が訊いた。


「見たの?」


「見たよ。龍の顔にヘビの尻尾だぞ。おまけにでっかくて、ちびりそうだったぞ」


「本当はちびったんでしょ。遅くまで飲み歩いているからよ」


 彼女が笑った。


 あの化け物が住宅を消して景色を変えてしまったのか?……化け物でもなければそんなことはできないとわかっているのに、疑問の域から踏み出せないのは、科学的思考を要求される警察官の習性だった。


 泰子が署に戻ると課長が出勤していた。他の署員と住宅消失事件の話題に夢中になっている。


「よお、雪城。ちょっと来い!」


 呼ばれた泰子の気分が落ち込んだ。夜勤で身体がきついのに、また、岩井月子を発見できていないことを責められると思うからだ。


「おはようございます」


「大変だったな。化け物騒ぎや豪邸の消失事件で……」


 泰子が拍子抜けするほど課長の機嫌は良かった。


「住宅が消失した現地を確認してきました。岩井月子さんの友人の家なものですから」


「なんだと?」


 課長は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。


「実は……」


 泰子は、半月前の殺人事件、担任の失踪事件、月子と雅の失踪事件、そして化け物目撃事件と今朝の住宅消失事件が、咲耶の周囲で起きていることに疑問を持っていると話した。


「その5件の事件が、関連しているというのか?」


「わかりません。どれも全く異なる性格の事件に見えますから。でも、ひとりの人間の周囲で、半月ほどの間に5件もの事件が発生するでしょうか?」


「確かに、偶然というには重なりすぎているが……」


 課長が首をかしげた。


「……ヨシ、三条!」


 頭を上げた課長は友昭を呼び、泰子と共に一連の事件解明を指示した。


「エッ!」


 泰子と友昭の声が重なった。


「それって、少年課の仕事ですか?」


「山上とかいう女子高生が関わっているのだろう? それなら少年課にとっても無縁じゃない。岩井議員の娘を捜すついでだ。やってみろ」


 彼はくるりと椅子を回して背中を向けた。彼がそうしたからには質問や反論は受け付けないということだ。


 泰子と友昭は眼を合わせて首を振った。


「どうするつもりだ? お前が余計な推理をぶつけるからだぞ」


 席に戻ると、友昭が不貞腐ふてくされた。


「私だって、課長があんなことを言い出すとは思わなかったわよ」


「で、どうするんだ。キマイラだの住宅の消失だの、オカルトの調査をするのか?」


「そっちは、それなりの機関がやってくれると思うわ。私は、山上咲耶を追う。彼女が何かを知っていると思うのよ」


「そうかもしれないけど、どうやるつもりだ?」


「とりあえず、彼女の両親や友人を捜して話を聞く」


「その程度のことならやってもいいだろう。俺が学校から名簿を取り寄せてやるよ」


「私、夜勤明けだから、明日は休みだし……。明後日から聞き込みに回るわ。それまでよろしく」


 泰子は、「なんだよ」と友昭が文句を言う声を背中で聞いて署を後にした。


 アパートに戻ってひと眠りした。目覚めた時、空は紫色に代わっていた。夜勤だったとはいえ、一日を損した気がする。すぐにテレビをつけた。あの現場がどうなっているか気になった。


 ビールとつまみ、テレビのリモコンを並べてテレビに見入る。


 どの局のニュースでも、あの場所が映った。ガスや水道の復旧工事は終わっていて、交通規制も解かれていた。森が私有地ということで、マスコミは道路上やヘリコプターから森に変わった住宅地を撮影し、時には森になる前の状況を、古い衛星写真を使って説明していた。300坪という森は小さなものだが、東京の住宅地としては贅沢な広さといえる。それを金額に換算したらいくらになるのだろう?……泰子は真剣に考える気持ちになれなかった。考えたらみじめになりそうだ。


 スタジオでは、物理学者や植物学者、専門家と称するオカルト研究家が並んでそれぞれの見解を述べていた。建物がどうして消えたのか? 樹木がどうしてあれほどの速さで成長したのか? 建物は消えたのではなく森にのみこまれたのではないか? 様々な推論が述べられたが、納得できる説明はひとつもなかった。


 マスコミが路上や上空から森を映すのに対して、内部を撮影しようと私有地に乗り込む若者が多かった。彼らはスマホやビデオカメラを手に、我先にと規制の解かれた私有地に飛び込んでいった。


「バカな連中ね」


 そう言いながら、スマホを手にして動画を検索した。森の中、いや、森そのものがどんなものなのか、とても興味があった。咲耶にまつわる5つの事件の謎を解くカギがあるかもしれないと思った。


〝消えた邸宅〟〝一夜森〟〝突撃、謎の森〟動画サイトにはいくつかの動画がアップされていた。すべて生配信だ。それらの中に泰子の好奇心を満足させるものはなかった。どれも侵入後、僅かに進んだだけで赤い霧に包まれ、動きが止まっているからだ。霧が晴れた後は、あるものは樹木を映し、あるものは空を、あるものは地面を映している。そうして一度止ると、映像はバッテリーが切れるまで静止画のような状態だった。


「何をしているのかしら? つまらない動画ね」


 文句を言いながら、聞き込みをして回るように、次の動画、次の動画と、閲覧して回った。その機械的な作業が終わったころには日付が変わっていて、テーブルには空き缶が5本も並んでいた。


 翌朝、テレビが新たなニュースを報じた。森に分け入った者たちが、入ったきり戻ってこないというものだ。その証拠に、彼らが乗って来た自転車やバイクが路上に置かれたままだった。


 ニュースを見た泰子はじっとしていられなかった。その日は休暇だったが、朝一番に出勤した。少年課には友昭の顔があった。


「お前も来たのか」


 おはようの挨拶もなく、彼が言った。


「おはようございます。ニュースを視たから」


「ああ、失踪者が増えそうだ。あの森の中で何が起きている?」


「私が知るはずないでしょ。それを確認しないと……。捜索差し押さえ令状を取って、森の中を確認しましょう」


「土地の所有者の山上は、何もしちゃいない。何の名目で取る?」


「捜査対象者は撮影のために無断侵入した連中よ。彼らが中に隠れているという理由でどう?」


「強引だな」


「そうでもしなきゃ……」


 泰子は動画サイトを開いて彼に突き付けた。新しい動画がアップされている。森の中を探検するといったものだけでなく、行方不明者を捜すといった動画がトレンドにあった。


「……ほら。ミイラ取りがミイラになるかもしれないのよ」


「仕方がないな。……で、俺たちだけでやるのか?」


「地域課の力も借りたいわね」


「そっちは、課長の努力次第だな」


 友昭が苦笑を浮かべたその時、「任せておけ」と課長の声がした。


「課長!」


 彼が急ぎ足でやって来た。


「あの森の件は私がやると、上に大見得を切ってしまったのでね」


 課長は自分の席に着くと「ああ、それから……」と言って2人を呼んだ。


「岩井議員の娘の捜索は中止だ」


「家に帰ったのですか?」


 友昭が訊いた。


 どこかで保護されたのに違いない、と泰子は考えた。


「いや、政治判断だそうだ」


「どういうことです?」


「私にもわからないよ。上からの指示だ」


「どこかで保護されたのですよね? それなら、山上咲耶のことを聞きたいので、月子さんに会いたいです」


「だめだ」


 保護されたのに会わせられないというのか?……そこから推理できるのは、月子が何らかの犯罪に関わっていて、それを隠したいということだろう。


 泰子が口を開こうとすると、課長が手で制した。


「もういい。岩井のことも山上も、化け物のことも調べるな。形だけの継続捜査とする。それより、あの森に誰も入れないことだ」


「誰も入れないって……。課長、何か隠していますね。何を知っているんです?」


 思わず詰問調になった。課長が目をつり上げた。


「私だって理由が知りたい。だが、上からの命令だ。お前たちは令状を取って、侵入者を森から叩きだせ。逮捕してもかまわん。誰も、あの森に入れるな!」


 とりつく島がないというのは正にこのことだ、と泰子は思った。


 午前9時、すでに大気は熱を持ち、泰子の額には汗が浮いていた。やるわよ。……胸の内で覚悟を言った。今から想定していた以上の、署あげての大掛かりな捜索が始まるのだ。


 道路には自転車とバイクを合わせて15台ほどが並んでおり、それ以上の数の人間が森の中にいると考えられた。


 統括指揮をるのは署長で、現場の陣頭指揮は少年課課長だ。森の前の道路は交通課が封鎖し、少年課と地域課の混成部隊22名が森に入って侵入者を連れ出すという単純な計画だった。


 草刈鎌や枝切鋏を手にした捜索隊員が敷地の前に横一列に並び、いつでも出発できる状態だった。泰子と友昭は毒ガス検知器とビデオカメラを手にしていた。2人が撮影した映像はリアルタイムで指揮車に送られる。毒ガス検知器は、赤い霧対策だ。動画で見たそれが、何らかの毒性を持っているのではないかと想定していて、反応があれば即座に撤退することになっている。


「こんな小さな森の中で、何をしているのだろうな?」


 友昭が樹木を見上げた。上空をマスコミのヘリコプターが飛んでいる。


「たった300坪だ。5分も歩けば反対側に出るだろう。それなのに、どうして戻ってこない?」


 そう話す課長の顔は青ざめていた。現場の指揮を任され、緊張しているのだろう。


「では、出発します」


 泰子と友昭は敬礼すると、敷地の前に並んだ捜索部隊員の後ろに着いた。


「捜索開始!」


 課長が拡声器を使って命令した。彼は指揮車に、捜索部隊は森に向かう。


 樹木は高く、その足元には茨のような低木が生い茂っていた。隊員たちは手にした鎌と枝切鋏で低木を刈りとってそれぞれの進路を確保した。


「5分だぞ」


 ビデオカメラを手にして茨の刈られた通路を歩く友昭が言った。


「5分じゃ、向こう側には出なかったわね」


 泰子は課長の言葉を皮肉り、何気なく振り返って驚いた。課長の乗った指揮車が見えるかと思ったが、すでに植物が成長していて、視界をふさいでいる。


「三条さん、後ろ」


 声をかけると彼が振り向き、泰子同様に目を丸くした。その顔に違和感を覚えた。普段、身だしなみに気を使っている彼の髭が異常に伸びている。


「なんて、成長の速さだ。中に入った連中は、これで行き場を失ったのか?」


「どうかしら?」


 前方に向きなおって目にしたのは、動画で見た赤い霧だった。


「霧に気を付けて!」


 毒ガス検知器に異常は見られなかったが、泰子は念のために前方の隊員に向かって声を掛けた。


「どう、気をつければいいのですか?」


 前を行く隊員から、笑い交じりの返事がある。その時だった。


『映像が来ないぞ』


 無線機の向こうから課長の声がした。泰子はモニターに眼をやった。正常に動いているように見える。赤い霧が何らかの電波障害を起こすのかもしれないと思った。


「こちらは正常に動いています」


『なんだって?』


「三条さん、無線通じる?」


「こちら三条、課長、聞こえますか?」


 三条の声に返事はなかった。


「ダメだ。一方通行だな」


 彼が首を横に振った。そんな彼の姿もうっすらと赤みを帯びた霧に包まれていく。


「雪城、ビデオの日付、おかしいぞ」


 彼の声を聞いてモニターに眼をやった。表示されている日時が秒を刻むような速さで進んでいた。


壊れた? いや、友昭のビデオカメラも同じなら、壊れたんじゃない。そう確信するものの、時間表示が早く進む理由は見当がつかなかった。


『何があった?』


 無線機から課長の声がする。


 何処からともなく漂ってきた赤い霧が、前方を行く隊員を包んでいた。驚いて立ち止まる者、腰をぬかす者、後退する者……。その中のひとり、ふたりが草刈り鎌を振り上げた。彼らは仲間に向かって鎌を振り下ろし、枝切鋏を突き立てた。


 ――ギェー――


 森の中のあちらこちらで短い悲鳴が上がる。


「何をしている、止めなさい!」


 怒鳴った泰子は身体の自由を失っていた。ギン、と左腹に痛みが走った。誰も何もしていないのに、制服の上から鋭い何かで切り裂かれている。自由を失った泰子は傷口を見ることさえできない。


 ドン、と何かがぶつかってくる。前を歩いていた隊員だった。右手を泰子の後頭部に置き、左手で胸を揉んでくる。キスをしようと近づける顔は狂気を帯びていた。


「止めなさい。この変態、強制わいせつで逮捕するぞ」


 泰子の声に効果はなかった。唇が彼のそれでふさがれた。


 突然、隊員が引きはがされた。友昭のどこにそんな力があったのか。投げ飛ばされた隊員は3メートルも飛んだ。別の隊員が彼に襲い掛かった。


「ありがとう。助かった」


「いや……」そう言った友昭の表情が歪んだ。「……お前を殺すのは俺だ」


 彼がのしかかり、泰子は棒切れのように倒れて頭を大木にぶつけた。眼を血走らせた彼が跨り、両手を泰子ののどに掛けた。


 止めて、……止めろ! 叫んでも声帯が動かず声にならない。


『何をしている? 応答しろ』


 焦る課長の声が虚しく鳴った。


 死ぬ……、死ぬんだ……、死にたくない、三条の馬鹿野郎……。薄らぐ意識の中でそればかり考えていた。


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