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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
13/20

咲耶、帰る ⅲ

 ――ピンポーン――


 廊下でインターフォンの音がした。


 朝から、誰だろう?……パタパタとスリッパを鳴らして音のする場所まで走った。それは階段の下り口のフリースペースにあった。モニターに映っているのは眉目秀麗びもくしゅうれい髭面ひげづらの天具だった。


 以心伝心、望みが届いたのだと思った。


「大石さん。ひとりですか?」


 念のために訊いた。大神や怖いお婆さんたちが一緒ではたまらない。


「もちろん。昨日は行き違いになったようです。迎えに来たのですよ」


 迎えに?……一瞬、彼がそうする理由を考えた。彼の言葉遣いが丁寧になっているのにも違和感を覚えた。が、考えているより聞いたほうが早いと思った。


「私も訊きたいことがあったのです。今、開けます」


 そう告げて階段を駆け下りた。


 玄関ドアを開けると「おはようございます。東京は、朝から暑いですね」と話しながら彼が入ってくる。言葉の丁寧さに猜疑心さいぎしんが働く。本物の天具だろうか?……見た目も全身から発する雰囲気も、天具そのものだけれど……。


「魔母衣村とは違いますよ」


 彼をリビングに迎え入れ、冷たい麦茶を出した。


「ありがたい。いただきます」


 グラスに向かって両手を合わせた彼は、おもむろにそれを握って一息で飲み干した。


「で、訊きたいこととはなんですか?」


「その前に、大石さん、何かおかしいです」


「私が、ですか?」


「ほら、それです。以前は俺って言っていたのに、言葉が丁寧になってよそよそしいです」


「そりゃー……」


 一瞬、くだけた様子を見せたが、ハッとしたように態度を改めて神妙な顔で手を合わせた。


「……神様の前ですから」


「神様?」


 咲耶は思わず背後を振り返った。そこに麒麟が座っているのかと思ったが違った。


「山上咲耶さん、あなたの守護神は麒麟に変わった。それは大神さまになったということです。私の家から突然、大神さまが消えたので、村の者たちはとても失望した」


「大神……、私が?」


「そうですよ」


「止めてください。ばかげているわ。村にはれっきとした大神さまがいるじゃない!」


 咲耶の感情が爆発した。つい先日、彼女らに殺されかけ……、いや、おそらく殺されたのだ。それを今更、大神だと祭り上げられるなんて、納得がいかない。


「……前の大神さまは、……落盤事故の現場で死んでいた」


 彼の話は、懺悔ざんげのように聞こえた。


「あの人が死んだ?」


「はい。私が遺体を確認しました」


「神様も岩石にはかなわなかったということね」


「いや。大神さまは頭を食いちぎられて死んでいたのですよ」


「エッ……」


「おそらく麒麟の、いや、新たな大神さま、あなたの仕業です」


「どうして私が……」


 受け入れがたい指摘に言葉を失った。天具の話は、おそらく真実なのだろうけれど、あの大神が麒麟に食い殺されたとしたなら、それは因果応報、彼女らが雅や月子を殺したからだ。私のせいではないし、同情するつもりもない。


 最大の問題は、自分自身が大神という怪しげな立場に置かれたことだった。


 咲耶が黙っていると天具が口を開いた。


「大神さまがいないと、葬儀ができない。今、村には11の遺体がそのまま置かれている。放っておけば異界の物を抑える力も弱るでしょう。村の者たちは、大神さまが村に戻ってこられることを期待しておるのです」


「止めて!」


 思わず声を発した。葬儀だの異界の物だの、押し付けられるのはまっぴらだ。


「参ったな……」


 天具がポリポリと耳の裏をいた。


 長い静寂が続いた。先にそれを破ったのは天具だった。


「ご両親は、いつ戻るのかな?」


「両親……」


 咲耶は殴られたような衝撃を受けた。


「お父さんは魔母衣村出身です。いつかはそこに戻りたいと考えられているのではないでしょうか?」


「父が……」


 そうだろうか?……咲耶にはわからなかった。


「……石上さん」


「はい。何でしょう? 大神さま」


「私と話したいなら、大神さまと呼ぶのは止めてください。それから、……敬語も」


「ん……」


 天具が表情を曇らせた。


「それから、前に石上さんが来た日、葬儀の連絡に行った家を教えてください」


「どうして……、いや、なぜだ?」


 彼の口調が以前のものに戻った。


「その人が、ストーカーかもしれないのです」


「ストーカー?」


 咲耶は、その日に届いたストーカーの手紙を天具に見せた。


「なるほど。内容からすると、このストーカーは魔母衣村出身者というわけだ」


「はい。かれこれ1年前から、こんな手紙が届いています」


「ふむ……」天具は鼻を鳴らし、に落ちたように話し始めた。「……この近くに住んでいる村出身者は2人。ひとりは津上家の3男坊で隆斗りゅうとという大学生。彼とは連絡が取れていて、葬儀の日には村に戻っていた。もうひとりは……」


 彼はそこで口をつぐんだ。


「もうひとりは?」


「……彼とは連絡が取れなくなっている。巧家出身の田尻幸利という教師で、今は失踪扱いになっているそうだ。大神、いえ咲耶さん、あなたの学校の先生です。何か知らないかな、その先生のこと?」


「え……、私は、……何も知りません」


 咄嗟とっさに嘘をついた。


「彼が学校で咲耶さんを見初め、身を隠して様子をうかがっている……」


 彼が壁や天井に目をやった。


「まさか、そんなはずはありません」


 きっぱり否定すると、天具がイヤイヤと首を振る。


「村の者なら、見たい場所を覗き、聞きたい音を聞くことができる」


「そうやってストーキングを……。そうしたら私のストーカーは100人ぐらい、いるのね」


 咲耶は天井を見上げた。村に行った時、初対面だというのに自分のことを知っていた住人達の顔が脳裏をよぎった。霊的なものと信じていた眼や耳が、彼らのものだと知って少しだけ腹がたった。一方、死んだ幸利が、自分が大人のオモチャを持っていたことを知っていた理由がわかって、のどのつかえが取れた思いもあった。


「魔母衣村に個人情報保護などという価値観は存在しないからな。村は運命共同体。己も他者も同じ自然の一部にすぎないという思想の下にある」


 天具が、彼らしい理屈を言った。


「全体と一部は区別できないということですね。それなら、大石さんが私の部屋を覗いたように、私もストーカーの部屋を覗けるんですよね?」


「どこでも覗けるというわけではない。魔母衣村の者がしるしを残した場所だけだ」


「シルシ、ですか?」


「俺たちは、また訪ねたい場所、関心のある場所に印を残す。そうすれば、再訪するのに道に迷うことはないし、何かがあった時、そこを覗いたり、そこでの物音を聞いたりすることができる。その印を共有することも可能だ」


「防犯カメラや盗聴器を仕掛けるようなものですね」


「まあ、そうだ」


 彼が苦笑した。


「私の部屋の印は、誰が着けたのかわかりますか?」


「ああ、それなら咲耶さんの父親の比呂彦さんだ」


「父が……。どうしてそんなことを?」


「そこまではわからない。いずれにしても、その印、比呂彦さんは誰かに教えたのだろう。可能性が高いのは奥さん、母親、あるいは大神といったところだな。それがいつしか多くの者に知られることになった」


「ストーカー行為を助長したのは、父だということになりますね」


 咲耶は、胸の内にモヤモヤするものを感じた。お父さん、どうして印をつけたのだろう? それが他人に漏れて眼が増えた時、どうして印を消してくれなかったのだろう?


「比呂彦さんは旅をすることが多い。遠くからでも可愛い娘を見るために、印をつけたのではないかな」


 天具が、まるで咲耶の気持ちを読んだようなことを言った。


「印、消すことはできないのですか?」


「もちろんできる。印をつけた本人なら、簡単なことだ」


「本人じゃなかったら?」


「消すことはできない。が、別のもので上書きして、効果をなくすことはできる。そのためには印がついた場所を知る必要がある。……もっと簡単なことは、印がつけられた物そのものを破壊することだ」


「なんだかわかりませんけど、とりあえず津上家の隆斗という人の部屋が見たいのですけど。できますか?」


 天具が天井を見上げて少し考える仕草をした。


「ふむ……。できるが、それには条件がある」


「条件?」


「咲耶さんが村に戻って葬儀を行うことだ。魔母衣村の秘術を使う以上、その程度の貢献をするのは当然……、ではないかな?」


「わかりました」


 葬儀だけならいいと思った。それが〝人道的〟というものだ。


「よし、契約成立。麒麟の神像を用意してくれ」


 天具はそう言うと、自分の玄武の神像を取りだしてテーブルに置いた。咲耶も麒麟の神像を置いた。それを天具が珍しいものを見るように観察してから姿勢を正した。


「掛けまくもかしこきトオメミスラギノカミよ、ガイアの日本、東京に住まう津上隆斗の家につけし印の写しを、ここにいます大神に与えたまえ……」


 彼はそう声にすると長い間、頭を垂れた。やがて顔をあげた彼は印が共有されたと告げ、隆斗の部屋を覗くやり方を教えてくれた。


「掛けまくもかしこきトオメミスラギノカミよ。津上隆斗の住まいの印を覗かせたまえ……」


 そう念じて眼を閉じると、初めて見る光景が広がった。天井の隅から見下ろしている画角だ。小さな台所と6畳の和室がつながったアパートの一室だった。学習机とこたつを兼ねたテーブルが壁際にあって、床には雑誌や衣類が散らかっていた。そこに布団が延べてあって、脱ぎ捨てられた衣類のように若者が横たわっている。


 隆斗はコンビニのバイトでもしていそうな普通の若者で、まだ眠りこけていた。彼が咲耶の家のポストに封筒を入れたのは寝る前のことだったのだろう。


 横になって眠る彼の姿をよく見ようとすると、視界が動いた。ちょうど部屋の中央辺りに眼が移動したようだ。


 おや、と思ったのは、彼の左手の薬指が中ほどで欠けているのに気づいたからだ。何か、ひどい事故にでも遭遇したのだろう。少しだけ同情した。その同情を消し去ったのは、開けっ放しの押し入れが視界に入った時だった。


 押し入れの中、壁の一面に咲耶の様々な写真が貼ってあった。自分で撮ったものをプリンターで印刷したものらしい。中には学校の更衣室で撮られたものらしい下着姿や水着姿のものまである。


「ひどい!」


 怒りが爆発すると、ぷつんと景色が消えた。


「正真正銘のストーカーのようだったな」


 隣で天具が言った。彼も同じ景色を見ていたのだろう。


「サイテーな男です」


「で、どうするつもりだい?」


「ストーカーには天罰を。ダメですか?」


「もちろん、かまわない。犯罪を実行する以上、報復を受ける覚悟があってしかるべきだ。村では、罪びとは四神の生贄になる。大神に対する罪なら麒麟の贄にして当然。……だが、TPOはわきまえることだ」


 天具が天具らしい理屈を言った。


「TPO?」


「TIME、PLACE、OCCASION。時間、場所、状況ということだよ。天罰を与えるにしても、村には村の、日本国には日本国のルールがある。人を呪わば穴二つ。ここで人を殺すのなら、咲耶さんにもそれなりの代償が要る。法治国家だからね」


 天具は、咲耶が隆斗を殺そうと考えている、と知っているような言い方をした。


「ここでのストーカー行為は、日本の法律で裁けということですね」


「ものわかりがいいね」


 彼が満足げにうなずいた。それが咲耶のかんさわった。


「雅と月子が贄にされたのは、村のルールだから仕方がないということですか? とても文明人の常識じゃないわ」


「彼女らの行方はまだわからない。贄になったのかどうかさえ……」天具が眉をひそめた。「……そもそも、常識じゃないことをしたのは咲耶さん、君なんだよ。君が無防備に彼女らを連れてきたのが悪かった。村長は君が贄を連れてきたと喜び、歓迎さえしていた」


 天具は言葉を切り、苛立ちを押さえるように深い息をした。


「……この世界に住んでいる村の者たちは、生きるのに嫌気がさした人間を連れていくことが多い。黄泉の穴で命を終えることは、一種の幸福だからね。咲耶さんだって、この世界で毎年、多くの失踪者がいることは知っているだろう?」


「そんな話、私は知らないもの。どうして行く前に教えてくれなかったの? 知っていたら、友だちを連れていくことはなかった……」


「常識だから、咲耶さんは知っていると思ったよ」


「そんな常識……」


「友人の葬式に旅行気分でついてくるのは非常識だろう? ということは、あの2人はこの世界の常識から脱出しようとしていたのだ」


 天具が言いくるめようとしている気がした。


「だから死にたいと考えるなんて、飛躍しすぎです」


 天具を責めても何も変わらない。これから何をすべきかが大切だ、と考えた。だって、私はサイコパスだから……。


「……黄泉の穴で死ぬことに、どんな意味があるというのですか?」


「よく訊いてくれた……」


 天具の表情が教師のそれのように変わった。


「村は、この世とあの世をつないでいる。そこで重要なのが大神さまの役割だ。……知恵を持った人間は、生まれたことの意味、生きることの意味を求める。生まれたこと、生きることに意味があるなら、死ぬことにも意味がある。それが命を有効に使うということだ。今、生きていることの有益性。死ぬことの有益性……。それが自己肯定感というやつだ。人の死は未来につながっている。黄泉の穴で死を迎えるということは、世界を守るという意味において、未来により強くかかわることだ。その価値がわかるから、村から移り住んだ者の多くは、人々が黄泉の穴に行くのに手を貸してやる。……もっとも、君の友人が裁きの家で亡くなったのだとしたら、異例なことだ。おそらく前の大神が死んだためだろう。本来は祝福の家で逝くべきだった」


「祝福の家?」


「黄泉の穴にはそうした空間がある。裁きの部屋とは反対側の大空間だ。そこで人の魂は四神とひとつになる」


「祝福の部屋で死んだ者の魂は神に捧げられ、裁きの部屋で死んだ者の魂は異界の物に捧げられ、真ん中の墓に納められた魂は、魔母衣村にとどまって、異界の物が人間界に侵入するのを防いでいるということですか?」


「さすが大神さまだ。のみ込みが早い」


 天具が満足そうにうなずいた。


 その日、初めて咲耶のスマホが鳴ったのは、新庄市に向かう新幹線の中でのことだった。福島駅を出て奥羽本線に入った列車は、新幹線の路線とは思えない暗い谷間を走っていた。ディスプレーに表示された電話番号は03ではじまる固定電話のものだった。


「すみません」


 咲耶は天具に断って席を立った。着信音が切れたら席に戻るつもりだったが、それはデッキに着くまでしぶとく鳴り続けていた。

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