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麒麟の首  作者: 明日乃たまご
10/20

大神潤女(うるめ) ⅱ

 ――トン、トン、トン、トン――


 大幣おおぬさを作るのも、新神あらがみを選ぶのも、伝統を守るためには通らなければならない道だ。それで自分もそうしている。では、誰に伝統を引き継ぐべきか……。引き継ぐとしたら12歳前後の子供だが、自分とあまりにも年齢が近い。そんなことを考えながら横槌を振った。


「あと5年、婆が生きていてくれたら……」


 ――ドン――


 振り下ろす腕に思わぬ力が入った。


 いや、と思い返す。婆はもっと早く後継者を選ぶべきだったのだ。そうすれば、自分が大神になることなどなかっただろう。


 横槌は重く、大幣を作るほどの大量の繊維を取るのは簡単ではなかった。そうしたことを婆が自分のためにしてくれたことを思い返すと、新神を決めることが遅かったことや、麒麟への贄が少なかったことを、彼女の怠慢、もしくはうっかりミスと考えるのはやるせなかった。


「わかっているのです。婆は優しく、誰かを巻き込むことに躊躇ためらいがあったのでしょう……」


 ようやく大幣を作るのに必要なだけの繊維を作り上げたとき、夜は明けて障子が輝いていた。普段なら朝食を作る時刻だが、食欲がなくて止めた。かめの中にためてある麻の実を口に含み、ガリガリとんだ。それは人に幻覚を見せるだけでなく栄養価が高い。


 潤女は遺体の前に腰を下ろして祈った。


「婆、力を貸してください」


 気弱になっているのを自覚した。やはり、麒麟との縁が遠のいているのは痛い。


「オモイカネと麒麟の契約が切れたのだよ」


 婆の声がした。


「契約……。どういうことです?」


「1万年前、魔母衣村を開いたオモイカネが麒麟とした契約には期限があった。1万年という……、それに婆が気づくのが遅かった」


「その契約、結び直せないのですか?」


「すでに新たな契約が成立しているようだね。魔母衣村に機会が訪れるのは1万年後だよ。それまでは四神を頼って村を守るのじゃ。……麒麟は人の生死さえも操るという。その力、失うのは惜しかったのう」


「大神家の守護神はどうなります?」


「四神、すべてが守り神よ。案ずることはない」


「婆さまも私を守ってくれるのですね……」


「残念だが、契約により、我の魂は近いうちに麒麟に食われることになっておる。ヤチヨよ。お主は自身の力で未来を切り開くのじゃ」


 ヤチヨは5年前、潤女が新神になる前の名前だった。その名前を聞いて、潤女は本来の少女に戻った。眼がしらに涙が浮いた。


「泣くでない。お主は立派な大神だ。婆にはできなかったことを、すでに成し遂げた。しかし、ヤチヨよ。咲耶には気をつけるのじゃ。あの者の母親もまた、異界にふたをする者に違いない」


 明心がどうやって比呂彦と出会ったのかは知らなかったが、彼女がチベットの山奥の出身だということを潤女も知っていた。新神となってから、婆に命じられて母娘の行動に気を配っていて、その行動が常人のものでないと理解していた。


「はい、心してかかります」


「取り込めぬのなら、帰すという手もある」


「それはありません……」潤女は即答して目を開けた。「……婆さまをこのような目にあわせたのですから」


 目の前の遺体は、穏やかな死者のものではなかった。


「いや、そもそも婆が仕掛けたことだ。その結果がこれよ。誰も恨まぬ。何も望まぬ。……婆は十分生きた。これはこれで婆の定めなのだろう。悔いがあるとするなら、お主の行く末を見届けることができぬことだけよ」


 その時、潤女は、婆の飛び出した目玉が笑ったような気がした。


「私を試しておられるのですか?」


「いいや。素直な思いじゃ。ようやく婆は百年の拘束から解き放たれる。これが笑わずにおられようか……」


「安心しました。ゆっくり休みなさいませ」


 潤女は遺体に向かって両手を合わせた。彼女が幸せに逝けるよう、自分の不安は心の奥底に封じ込めようと決めた。


 潤女は婆の前で石のように動かなかった。いつの間にか太陽が高くなり影が短く濃くなっていた。


『大神さま』


 頭の中心で女性の声がした。


「鳳のトミか……」


 障子窓をあけた。目の前には青々とした麻の畑が広がっている。そよ風に揺れる緑の葉に勇気づけられた。風は屋内をも流れすぎ、室内に籠っていた生臭さを運び去った。


『はい。山上咲耶が訪ねてまいりました』


「遅かったな……」


 一瞬、帰す手もある、といった婆の声が脳裏をよぎった。


『はい』


「支度を整え、裁きの家に連れてまいれ」


 潤女は麒麟の神像の前に移り、それを静かに拝んだ。それから鳳家を除く11家の家長たちに召集の命を発し、濃い霧を呼んだ。青い麻の畑もミルクの闇に沈んだ。その景色に安堵し、障子窓を閉めた。


 麻の実を皮袋に詰め、水が入らないようにしっかりと紐でくくった。ギューッと紐を引き絞ると覚悟も決まる。大幣を握り表に出た。


 裁きの家の片隅で、潤女と11家の者たちは鳳家のトヨとトミが咲耶を連れてくるのを待った。異界の物が集まっていたが、大神を恐れて襲ってくることはなかった。彼らは雅と月子のもとに向かった。


 ほどなくヒタヒタという音がした。それが徐々に近づいてくる。トミが持つ懐中電灯の明かりが揺れると、天井のコウモリが飛んだ。驚いた咲耶の息遣いが聞こえた。


「魔物?」


「コウモリよ」


「ああ、あれが……」


 ――ジャリ……、と彼女らの歩む音がした。


「あれはお友達じゃないわよ」


 トヨの声が地下の巨大な空間に反響した。


 ――ジャリ……、3人が近づいてくる。……ヤチヨよ。咲耶には気をつけるのじゃ。あの者の母親もまた、異界にふたをする者に違いない……、婆の忠告を思い出す。


「あの柱にあるのが、ひと月前のものだと思うけど……」


 再びコウモリが飛んだ。


「他家の神像を盗もうとした男だよ」


「誰がこんなことを……」


 我よ!……潤女は、胸の内で声を上げた。武者震いを覚えていた。自分が怯えているとは考えたくなかった。


「決まっているだろう。神様だよ」


 トミが言った。


「雅と月子は?」


「ここは裁きの家……。彼らは罪を犯した者たちだよ。咲耶さんの友達は、どうなのだろうねぇ」


「きっと、あそこにいますよ」


 懐中電灯の明かりが大きく動き、昨夜、立てられたばかりの柱を照らした。


「ヒャ……」


 咲耶が座り込むのが見えた。彼女も恐怖を覚えるのだと知って、潤女は安堵した。


「お友達でしょう」


 トミが言った。


「ミヤビ! ツキ!」


 咲耶は立ち上がり、転びながら走った。そうして雅の遺体に抱き着いた。


 異界の物が恐ろしくないのか? それとも、見えていないのか?……潤女は咲耶の行動を不思議に思った。


「どうして、どうして、どうして!」


 彼女の声は怒りとも悲しみとも判別のつかないものだった。


「雅と月子が何か悪いことをしたのですか!」


「お友達は、咲耶さん……、あなたのために死んだのよ」


「私のため?」


「あなたが邪悪な存在だから……」


「あなたが大神の婆を殺した」


 トミの話は、潤女の胸もえぐった。それに応えるように、ゆっくりと進んだ。周囲に隠れていた者たちも守り刀を抜くと、咲耶を包囲するように動き出した。


「私が?……あれは麒麟が……。それなら裁かれるのは私のはず。雅や月子は関係ない」


 言葉を荒げる咲耶は、トヨとトミにばかり注意が向いているようだった。


「咲耶さん、あなたもお友達も、神の怒りを鎮めるための贄となるのです」


「ニエ……、それってどういうことですか?」


「生贄じゃよ。命を捧げるのじゃ」


 津上家の老婆が前に出て言った。


「エッ……」


「孫をこの手で送ることになろうとは……」


 ヒムカはとても切なそうだった。潤女は彼女に共感できなかった。同じ血をひいているとはいえ、一昨日、初めて顔を合わせたばかりではないか……。それに比べたら、婆とは長い付き合いのはずだ。


「今から、四神がお前さんを裁くのじゃ」


 津上家の老婆が宣言する。トミの懐中電灯の明かりが消された。すると老婆たちが手にした神像が光を放った。


 ――ジャリ、ジャリ……大神は彼女らと共に咲耶に向かった。


媛蛇虜えんじゃろよ。この者を縛れ」


 白虎は戦いの神、そして命を焼きつくす神だ。その神が呼び出した媛蛇虜は咲耶を金縛りにした。


 ヒムカが前に出て咲耶の帯を解く。咲耶の瞳には拒絶の色が浮かんでいたが、彼女は暴れることはもちろん、声を発することさえできないようだった。


「柱を持て、火を焚け」


 潤女は命じた。


 金子かねこ家と石乃いしの家の者が杭を引いてくる。たくみ家と野上のがみ家の者たちが薪を運び、火をつけた。パチパチと火が爆ぜ、裁きの家が赤く染まった。大神は火に麻の実を投じた。甘い匂いが人々の感覚を麻痺させる。


 他の者たちが咲耶の背後を押して四つん這いにさせた。その哀れな姿に数人の老婆が、ヒヒヒヒヒ……、と喉を鳴らした。


 杭の先端を突き刺しやすいように、2人が咲耶の臀部でんぶを左右に開いた。その内のひとりは、石上家の富貴だった。


「オー……」


 潤女は神を降ろす。そして祝詞を上げた。


「掛けまくもかしこきタカムスビノカミよ、スクナビコナノカミ、クズノカミよ。我らが贄を納めたまえ……」


 12家の家長たちも同じように祈願した。洞窟内に低い声がブツブツと広がった。


 ひとりの老婆が咲耶の髪を後ろに引っ張り、咲耶の顔を正面に向けた。媛蛇虜に縛られた咲耶は逃げる素振そぶりさえない。


 案じるまでもなかったか……。潤女は勝った、と思った。右手に大幣を握り、左手で懐から麒麟の神像を取りだした。


「良かろう。納めませい」


 手にしていた神像を高く掲げた。できることなら麒麟に戻ってきて欲しい。そのために、彼女の命を麒麟に捧げよう。そう強く念じた。


「エィ……」


 老婆の声がする。彼女らは全身を使って杭に力をこめた。


 ――グェ――


 それは声でもうめきでもなく、杭の先端が喉を突き破った音のようだった。引き裂かれた肛門から飛び散った血が、富貴の顔を汚した。が、麻の実で神経が麻痺した彼女は平気なようだった。


 ずぶずぶという嫌な音がして、杭の先端が口から出てくる。咲耶が異界の物に生まれ変わろうとしているようだ。


 なんの、特別な女などであるものか……。潤女は、眼をカッと見開き、舌の代わりに杭を突き出した咲耶の死に顔を見て思った。それは昨夜、贄に捧げた雅と月子と何も変わるところがない。


 異界の物が方々から現れ、咲耶の魂を食らおうとした。潤女は、そうさせてしまいたい衝動にかられた。が、咲耶は曲がりなりにも山上家の血を引く者だ。彼女の魂は魔母衣村にとどめ、村を守る盾の一部とすべきだ、と衝動を抑えた。


「神々よ、この世に迷える異界のものを滅せよ!」


 潤女は大幣を高く掲げて四神を呼んだ。それが異界の物を食い尽くした後、大神は地面に散らばった骨片をジャリジャリと踏んで新しい穴の場所へ移動した。


「柱をここへ」


 物体と化した咲耶の身体を8人で運び、杭をおこしてその穴に立てた。口からあふれた血液が白い肌に赤い線を引いた。


 なんて無様な格好だ。……潤女は胸の内で笑った。


「山上咲耶の魂よ、末永く魔母衣村の山上家に留まり、その血を守りたまへ……。オー……」


 祝詞をあげて四神を返した。


「哀れよ、のう……」


 周囲の目を気遣い、口ではそう言って咲耶の白い肌をなでた。垂れてきた血が指に触れる。


「チッ……」


 指を舐めた。妙に塩辛い血だった。


「儀式は滞りなく済んだ。四神も満足されておるだろう」


 言葉通り、潤女自身が一番ほっとしていた。後は婆の葬儀を済ませて……。そんなことを考えながら裁きの家を後にしようとした。


 その時、足元が青く光った。


 まさか……。山上比古造の葬儀の時の経験が潤女の身体をすくませた。


「大神さま!」


 老婆に中年女性……、みな同じ思いなのだろう。恐怖に顔をゆがめ、麒麟を守護神とする潤女に助けを求めた。


 潤女自身が困惑していた。もはや麒麟は大神家の守り神ではない。今度それが現れるときは、自分の命さえ危ういだろう。どうする? どうすればいい?……四神よ。反射的に祈った。もはや頼れるのはそれしかなかった。いかに麒麟が強大であっても、4体の神獣が一斉に対抗すれば抑えられるのではないか……。


「掛けまくもかしこきスクナビコナノカミよ、クズノカミよ、シシンノカミたちよ……」


 潤女が祈り終えるより早く1本の青い光の柱が立ち上り、思わず見とれた。それは上空に向いた咲耶が口から噴出しているようだった。間髪なく、空間の四隅からも同じものが生じた。


 ――グワン……、空気が鳴り5本の光が絡み合って洞窟を揺らした。上空からバラバラと落ちてくる黒い物がある。コウモリの死骸だった。


「助けて!」


 出口に向かって走る者がいれば、その場に座り込むものもいた。


 ねじれた光が作った形は前と同じで、頭は龍、胴体は亀、4本の足は虎で尻尾は蛇、背中には紅色の翼のある聖獣だった。


「これが麒麟神……」


 葬儀の時には人波に押されてよく見ることができなかったが、今は地面に根が生えたようにして、徐々に形状が定まった麒麟に感動を覚えていた。


「桁が違う……」


 文献で見たものと異なり、四神を合体したような特徴を持ったその体躯たいくは四神の倍ほどもあり、その神気しんきは10倍もあった。そのパワーに圧倒され、四神を呼び出すことをあきらめた。


「麒麟よ、なぜ、現れた?」


 契約が切れた麒麟が、なぜ、2度までも現れたのか?……それがわからず問いかけたが返事はなかった。実態を持った麒麟の身体が洞窟の壁にぶつかるたびに、岩石がドカドカと落ちてくる。ある物は贄と杭をくだき、ある物は目の前の老婆の頭を砕いた。もはや、そこに留まるのは物理的に危険な状況だった。


「麒麟よ、静まれ。そして我と新たな契約を結ぼう。我の魂はもちろん、毎年、100の贄をそなたに捧げよう」


 藁にもすがるような思いで声をかけた。


 麒麟は顔を潤女に向けた。


 想いが届いたのか?……一瞬、期待が膨らんだ。


 麒麟が地面におりる。ドーン、と地響きがしてバラバラと小石が降った。


 ――オモイカネトノ契約ハ切レタ。明心トノ契約ハ始マッタバカリ。今後1万年、我ハ彼ノ者ノ後継者ト共ニアル――


 その声は虎の咆哮ほうこうに似ていた。潤女だけが、その意味を解した。


 メイシン?……潤女は考えなければならなかった。そして、その名前が咲耶の母親のものだと気づいたとき、自分がしたことの愚かさに気づいた。


 ヘビの顔をした麒麟の尾が回転し、洞窟をガリガリと削っていく。


「逃げろ!」


 潤女が声を上げるのと、麒麟の尻尾がカッと赤い口を開けるのが同時だった。


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