ブリジッダの店
城門から出て馬車に乗った。
ちょっとテンションが上がった。
子供の頃、シャーロック・ホームズのドラマを見ていた。海外ドラマのやつだ。いや、犬の顔をしたホームズも見たが、どっちかというと俺はリアルなシャーロックの方が好きで・・・。
ともかく、あのロンドンを走っていた馬車にそっくりなやつだ。
4人乗りの辻馬車というやつだな。
ブリジッダが御者に金を渡していたし、タクシー代わりなんだろう。
とはいえ、街に馬車がひしめき合って走っているかというと、そうでもない。
ロンドンの街から比べれば、田舎も田舎。辻馬車も街を流しているのを捕まえたわけでは無さそうだ。
しばらく走ると、一軒の商店の前に馬車が停まり、ブリジッダが俺に降りるように言った。
店は開店前だったが、入り口に近付くと中から少年が出てきて俺とブリジッダを招き入れた。
そう。ブリジッダは一人で俺を迎えに来たのだ。
少し意外な気がしたが・・・。でも、着いたところも商店だし、貴族の暮らしというわけでもないのだろう。
店の中から出てきた少年はブリジッダに頭を下げると俺には目も合わせず店を出て行った。
俺はブリジッダが手招きするままに店の奥へと進んだ。
「さあ、そのみすぼらしい服を脱いで。まずは体を洗いなさい」
そう言うと、木の手桶を一つ手渡された。
「これは・・・」
「その奥に水場があるわ。そこで体を洗いなさい。時間をかけていいから。私は店の仕事をしている。洗い終わったなら、着替えを用意しておくから服を着て。これからの事を話しましょう。わかった?」
「は、はい」
俺は頷くと、ブリジッダは満足そうに頷いて引き返していった。
さて・・・。
扉を開くと、風呂が・・・あるわけも無いよな。
中世ヨーロッパに風呂に入る習慣は無かったと聞く。
だが、それはローマ時代に始まった入浴の文化が、伝染病や風俗、売春、宗教的理由などによって歪曲し、結果として廃れたからだ。
公衆浴場として多人数の者が同時に入ることを前提にしていたことが理由の一つなんじゃないのかと俺は思う。男女混浴で大勢の人間が風呂に入ってたら、そりゃあ風紀も乱れるだろうし、伝染病の温床にもなるわな。
だが、ここには風呂は無かったものの、水浴び場はあった。
明らかに体を洗うための空間で、水捌け良く、水道に蛇口まであった。
それに石鹸らしいものもある。
湯は無いようだが・・・。
季節はわからないが、暑くも寒くも無い気候で、水でも我慢出来なくもない・・・かもしれない。
俺は手桶に水を汲み、まずは髪から洗うことにした。
したんだが・・・。
こんな長い髪だったことは生前、一度も無く・・・。
しかもシャワー無しで風呂に入ったことなど、最近はとんとなく・・・。
手桶に髪を入れてみたり、石鹸を擦り付けてみたりしてなんとか・・・。
とにかく苦労して体を綺麗にした。
たぶん、小一時間かかったんじゃないかと思う。
水浴び場から出ると、タオルと、木綿と思わしき生地の白いワンピースが用意されていた。
それと同じく白いパンツ。
「お、ゴムが入っている・・・」
ウエストの部分は伸縮するように出来ていた。
一安心だ。どうやら、この世界は不潔な中世ヨーロッパ的な文化圏では無いようだ。
人種的には、ヨーロッパっぽい顔立ちはしているけどな・・・。
ワンピースの腰の部分には紐がついていて、それを軽く縛る。
飾り気のない木綿のワンピースだ。
鏡が無いので自分の姿を見ることは出来ないのだが、色白の華奢な少女らしいので、まあまあ似合うのではないかと思う。
ようやく綺麗になった髪はゴールド系ブロンド。
いや、ブラウンかな・・・。濃いめの金髪だということにしておこう。
まあ、見た目なんかどうでもいいけど。
髪もタオルで水気を切っただけだから全体的にペタッとした感じになっていた。
その髪は腰まである。
正直、邪魔だ。
せめて縛っておきたいが、縛るものも無いからそのままにするしかない。
「ブリジッダを探さなきゃ、だが、その前に・・・。ドナ?」
声を掛けると、金色の鱗粉をまき散らしながらピクシーが現れた。
「何よ?このうじむし・・・。あら、随分綺麗になったわね。まあ、表面だけだけど」
「いちいち文句を言うなよ」
「だって気持ち悪いんだもん、あんた。で、なに?何の用?」
「ああ。さっきのブリジッダの話は本当かって、いうのと、ブリジッダの本心について聞きたい」
「ブリジッダの本心?」
「ああ。俺を・・・というかエレノアに親切そうだったが、何故だ?」
ドナは、空中でくるっと宙返りしてみせた。
「さあ?そんなことわかるわけないでしょう?人の心まで見通せっていうの?私は神じゃないのよ。なんでも知っているわけじゃないわ」
「そうか・・・知ってることだけってやつか・・・」
「なにそれ?馬鹿にしてるの?」
「いや、なんでもない」
どうやら、このピクシーにも限界はあるようだ。何処かの委員長みたいなことを言いやがるな、と思ったけど、言ったのは俺だった。
まあ、いい。
ドナにわかることだけ聞いて、俺は店の表へと向かった。
店はオープンしていた。
どうやら、この店は雑貨屋らしい。
俺の知識の範囲では、だが。この世界の常識ではわからん。けれど、店の奥の壁には剣と思しきものが掛かっているし、入り口付近には乾燥させた草のような物が皿の上に載っている。たぶん、なんかの薬草とかだろう。こっちの棚には日常雑貨と思しきものがあるし、奥のガラス嵌った棚には、アクセサリーっぽいものもある。
ブリジッダは接客中だった。
相手は中年の男で、宝石が縫い付けられた派手な服を着ていた。
貴族なんだろうな・・・。というか、貴族でしかあり得ん服装だな。あれで一般庶民だったら、ただの馬鹿だよな。
赤い生地に宝石を縫い留めた服なんて悪趣味なのもの、誰が欲しがるんだ・・・と俺は思ってしまうが、この世界では普通なんだろうか。
エレノアに気付いたブリジッダは、宝石服男に気付かれないように左手を振った。
待っていろ、ということなんだろう。
売り場の奥の方に、椅子があったので、そこへ腰かけた。
そこは、店の入り口が見渡せる位置にあった。
ブリジッダは、宝石服男に何かを売り込んでいるようだった。
ドナが言うには、ブリジッダも元は貴族のはずだったが、その口調は客を煽てるようにも挑発するようでもあり、客はブリジッダの手の内で転がされているように見えた。
なるほど、屋敷を出て商売を始めた、というわけか。
店の中を見渡しても、使い込まれた感じがあり、それでいて整理されている。
掃除も行き届いているようだ。
なるほど、商売はうまくいっているようだ。
しばらくすると、宝石服男は満面の笑みで店を出て行った。
ブリジッダも満足そうな顔をしている。
どうやら、何か大きな商談でも纏まったらしいな。
「エレノア、いらっしゃい。怪我の様子をみてあげる」
手招きするので店の奥へ戻る。
二階へと続く階段を上り、一つの部屋に入った。
「何処か痛いところある?」
ブリジッダは優しい声で尋ねる。
もう、何年も・・・そんな声で聞かれたことは無いな・・・。
自分が子供になったんだ、と実感する。
だが、俺は怪我はない。というか、治ってるはずだ。
返事をするべきだが・・・やはり貴族の少女らしく、丁寧な言葉遣いをするべきだろうか。そうだろうな。その方がいいだろう。
「特に・・・ありません」
「我慢しなくていいのよ、見せてごらんなさい」
そう言うとブリジッダがエレノアの手を取った。
ブリジッダの手は、想像よりもガサガサとしていた。
近くで見ると、目元には小じわがみえた。ヨーロッパ系っぽい顔立ちで、しかも異世界人だし、年齢を推測するのは難しいが・・・30は過ぎているようだな。
少し肌荒れした手も、それは仕事をこなしてきた経歴からくるもの。むしろ手入れされた爪や、近くで見上げる首筋は透き通るように白い。大人の女を感じさせる。
精神年齢中年の俺からすれば、まさに匂いたつような色気に感じる・・・ような気がしたが、どういうわけだろう・・・興奮はしなかった。
やっぱり、体が少女だからか?
「あら・・・?」
エレノアのワンピースを捲っていたブリジッダが怪訝そうに首を傾げた。
「あなた・・・かすり傷一つないのね・・・」
ああ、過剰に治癒魔法の効果があるらしいのでね・・・と答えるわけにもいかないので黙っていた。
「一応、お医者様を呼んでいるのだけど・・・要らなかった?」
俺は慌てて首を振った。親切を無碍にしてはいけない。
「いえ、ありがとうございます。怪我はしていないとは思いますが、せっかく来ていただいたのであれば・・・」
「そうね。一応、診てもらいましょう」
その後、医者に素っ裸にされて隅々まで調べられたのは、計算外だった・・・。
何故か服を全部脱ぐように言われ、髪の中へ手を突っ込んだと思ったら、手を引っ張られたり尻を撫でられたりした。
挙句、上から下まで隅々まで確認されてしまった。
まだ慣れない少女の体で、自分の体だという実感がないから耐えられたが、これがこっちの世界の常識だとしたら、正直、二度と医者などに診てほしくはないものだな。