クロリンダ
クロリンダ、とレオ爺さんは言った。
それがクスリの名前か?と尋ねれば、そうだと頷いた。それは異国の女性の名前なのだそうだ。
どうして女性の名前なのか、と思ったが、俺は聞かなかった。
正直、半信半疑だ。
そもそも、俺は昨晩、毒殺されたのだし、自ら進んで得体のしれない薬を飲むなんて馬鹿げている。
レオ爺さんの家を出て、俺は畑の間を歩いていた。
昼にもならない時間。
たぶん。
時計も無いし、日の上り具合でそう思っただけだ。
小川に差し掛かり、休憩をするつもりで手ごろな岩に腰を掛けた。
「ドナ!」
返事は無い。
「ドナ!?」
やはり返事は無かった。
「ドナ!返事をしてくれ。聞きたいことがあるんだ」
レオ爺さんを信用していいか、クロリンダが本当に効果のある薬なのか・・・。聞きたいことは山ほどある。
だが、やはり返事は無かった。
「3日間はいるって言っただろう?勝手にいなくなるなよ。神・・・に言いつけるぞ?」
どうやって?
自分で言って、自分に突っ込んだ。
俺は・・・神と話せるような存在ではない。
いや、むしろ厄介者なんじゃ・・・。
ドナが返事をしないので、俺はため息をついた。
誰が見ているわけでもないんだがな。
なんとなく、誰もいない空間に呼びかけている自分の姿がかっこ悪いな、と思ってしまったんだ。
そんな、常に誰かの目を気にするなんて・・・。
もうここは日本じゃないのに。
そもそも、もう俺ですらないのに。
「エレノア・・・」
おかしな気分だ。
はっきりと自分の意識はある。あるのに、目に入る自分の手や足、そして体。
それは自分のものでは無い。華奢な、色白の少女の手足。だが、それは自分の意思で自由自在に動いているのだ。
「なあ、エレノア」
俺は今は亡き少女に語り掛けようとした。
聞いているはずはないのだが。
ドナの言ったことを信じるなら、エレノアの魂は、とっくに転生フェーズに入っているはずなのだから。
「俺は、どうすればいい?エレノア、俺は、お前の人生を生きてもいいのか?」
知らない少女。
数少ない味方を失い続けた不幸な少女。
クロリンダの薬を飲めば、この少女の気持ちもわかるかもしれない。
「もう少し、待ってくれよ。必ず、お前の記憶を呼び覚ますから」
失われた魂だったとしても。
俺がエレノアとして生きていく以上、俺はエレノアの記憶を取り戻すべきだ。
日常的な知識や、身を守るためのノウハウだけではない。エレノアの人生を無かったものにして、俺がエレノアになるのは何だか違うような気がした。
いや、罪の意識か。
この少女の人生を奪ってしまったような、そんな・・・。
例え、確かに死んだ少女だったとしても。
どうやらぼうっとしていたらしい。
死んだエレノアの魂のことを考えているうちに、息苦しくなって思考停止していたらしい。
首を振って立ち上がる。
ジャリっと、背中で重い何かが地面に擦れた。
みすぼらしいショートソード、エレノアバスター・・・か。
ふと、誰かの声を聞いた気がした。
「レオ爺さん?」
いや、違う。
再び聞こえた声は、何処かせせら笑う様な若い男の声だった。
「・・・よう、エレノアちゃん」
振り向くと男が立っていた。
そいつの顔には見覚えがあった。
警察隊の騎士だと言った、昨日の男だ。若い方の、部下らしい方の。
今日は私服なんだろうか。
黒っぽいシャツに黒っぽいズボン。街歩きをするような服装だった。こんな畑と小川の中では不釣り合いだ。
「なに・・・なんのよう・・・だ」
思わず声が上ずってしまった。
聞くまでも無い、かもしれない。
心臓がバクバクと言っている。手足が震える。息が浅くなり、喉が渇く。
「なんでまあ、こんな場所に出歩こうとするのかな。これでは、まるで・・・殺してくださいって言っているようなものだ」
ああ。
そうかもしれん。
迂闊だった。俺は、命を狙われているのだ。
ふらふらと人目のない場所に出歩くなんて・・・。馬鹿だな、俺は。
全然、危機感が無いよな。
背中のエレノアバスターが重く感じる。
手を伸ばして・・・剣を掴め。
目の前の男は、きっとエレノアを殺しに来たのだ。
エレノアバスターの元の持ち主、ゴーチェとか言ったか?あいつと同じ・・・。
「エレノア、お前が悪いんだからな。俺の任務は監視だったんだ。チャンスがあれば殺せ、と命令されていただけなんだ」
そう言いながら、男は腰の剣を抜いた。
それは、護身用といった感じのショートソードだった。
エレノアバスターよりも短いかもしれない。
「お前が隙さえ見せなければ、こんなことをしなくても済んだんだ。だから、エレノア。お前は自ら死を選んだんだよ」
そう言うと、剣先をまっすぐにこちらへ向けた。
その刃が日光をキラリと反射する。
まだ間合いにも入らない。充分に距離が有る。
あるのに・・・俺は微動だに出来なかった。
一昨日から何度も命を狙われているというのに、俺は日本人の自分のままだった。殺意をむき出しにした相手に、どう対処していいのかわからない。
ただ震えて剣先を見つめるだけだった。