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シロツメグサと出会い

 さて、クローバーだ。


 クローバーって何処に生えていたっけ。大人になってからはクローバーなんて意識の端にも浮かばない植物だったから、何処に生えているのかという記憶さえ曖昧だったが、公園の隅の方、とか、農道の脇なんかが思い出された。


 うん、街中では見かけないな。


 城門まで歩く。


 城門には、兵士がいて出入りを監視していた。

 城内から周辺部に働きに行く人なんかは顔パスで通してもらえるようだ。俺はどうしたらいいのだろう。


「あのう・・・すみません」

「ん?なんだ?」

 兵士は横柄な態度で見下ろしてくる。

「外へ行きたいんですけど、通してもらえますか?」

「ん?お前のような子供が城外になんのようだ?」

「えっと、クローバーを・・・えっと、おつかいで野草を採りに行きたくてですね」

「ほう、野草ね」

 兵士は、少し待て、と言うと後ろの籠から赤色の札を一つ取り出した。

「これを。帰りに回収する。そこへ名前を書いて行け」

 見ると、質の悪そうな紙とペン、そしてインク壺が置かれていた。


 インク壺を開けて、ペンを浸し、はたと気が付いた。


 字が・・・書けない。


 いや、正確には字が書けない気がした。


 実際には、エレノア・ディ・モンペリア、とカタカナで書いた。

 いや、書いたつもりだったのだが、冷静に見ると知らない文字がのたくっていた。


 ああ、そういうことなのか。


 ドナが、俺の中にはエレノアの知識がある、というのは。


 この文字の知識はエレノアの記憶なのだろう。

 そして、今さら気が付いたが、会話をしていた、この言葉もエレノアの知識なのだ。


 自分ひとり、頭の中で考えるのは日本語だが、自動で翻訳され口から出るのは、この世界の言葉だったのだ。


 どういうことなのかはわからないが、俺は、最低限のエレノアの知識だけを利用しているらしい。


 これも神の采配か。


 この調子で、エレノアの知識をすべて思い出せたらいいのに。


 

名前を書くと、あっさり城門の外へ出してもらえた。


 城外は水田や畑の広がる農村だ。


 城内は都市、つまり街だ。城外には、その都市を支える生産地が広がるというわけだ。

 高い建物などは無く、広々とした畑には野菜が育てられていた。キャベツっぽいものが主流だな。俺の知識の中では、キャベツって高原とかの涼しいところで作っていた記憶があるが、これはどうなんだろう。季節の問題かな。夏前くらい気温に感じられるからな。


 キャベツキャベツじゃないかもしれんがなを抜けると、トマトっぽい畑が広がった。


 どうやらこの村は、大規模に耕作をしているらしいな。


 真っ赤なトマトが、とてもうまそうに見える。


 ぐう、とお腹が鳴る。


 そうだよな、エレノア。お腹が空いたよな。


 だが、畑の物を勝手に持っていくのはいけないことだ。

 まあ、前世の常識だが、この世界でも大して違いはしないだろう。


 我慢だ。道端のクローバーで我慢するしかない。


 ああ、そうだ。クローバーを探しに来たんだった。


 地面を見回す。


 あ、あった。


 駆け寄ってしゃがみ込む。


 うん、間違いない。三つ葉のクローバーだ。


 ぶちっと千切る。


 そのまま口の中に入れようとして、一瞬嫌な想像がよぎった。


「毒、無いよな?」


「おうい。なにしとるんけ?腹が減ってるんか?嬢ちゃん」

 クローバーを手にしたまま俺は振り向いた。

 真っ赤に日に焼けた爺さんが、鍬を杖にして立っていた。


 い、今まで何処にいたんだ?

 全然気配を感じなかったぞ。

「えっと・・・クローバーは食べられ・・・ますよね?」

「うん?まあ、食えなくはないが。食うなら、新芽を湯に通した方がええな。まあ、旨くも無いがの」

「そうですか・・・」

「なんじゃ?腹が減ったのか?トマトでも食うか?ほれ?」

 そう言うと、木になっていたトマトを捥ぎり、ひょいっと手渡して来た。

「え?いいんですか?」

「おう、いいぞ。うちのトマトは絶品じゃ。なんなら1つと言わず2つでも3つでも。今年は豊作じゃ。まだ早生じゃが、うまいぞ。食うてみい」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて・・・」

「ほっほっほ。まるで貴族みたいなしゃべり方じゃの。なかなか賢そうな子じゃ」


 トマトにかぶりつく。

 しっかりとした皮の先にじゅわっと果汁が溢れ出す。

「おいしい・・・」

 本当にトマトなのか?まるで果実を齧ったような甘さだ。

 スーパーで売られているトマトなんかより、全然旨い。

「うまいじゃろう。街で売っておるトマトはの、少し青いやつを収穫するんじゃ。そうしないと日持ちがしないからの。今、お前さんが食うたのは出荷出来ない完熟じゃ。じゃが味は、間違いなく、そっちの方が旨いからの」

「そうだったんですね。こんなにおいしいトマトは初めて食べました」

「ほっほっほ。そりゃあ良かった。もう1個、食うかい?」

 そう言って爺さんは、もう一つ手渡してくれた。


 ああ、なんだろう。


 なんだか目から汗が出るようだ。

 爺さんの顔が歪んで見えるぜ。


「なんじゃ泣くほど旨かったのか?」

「いえ、すみません。おいしいです。ありがとう・・・ございます」


 この世界に来て食ったものといえば、お湯のようなスープと、恐ろしく固いパン。そして毒入りの夕食だけだった。


 この世界に来て、初めて、旨いものを食った。


 いや、そうじゃないだろう。俺は・・・代償を求めない親切が嬉しかったのだ。


 俺は、前世でも誰かの無償の親切に出会うことなど、ほとんどなかった。

 仕事は、結局、足の引っ張り合い。

 自分がミスをしないように、ミスに巻き込まれないように、同僚と化かし合いをするだけの毎日だった。

 そうまでして守らなくてはならない仕事なのか、と何度も自問した。


 まあ、それで休職してたんだけどな。


 俺は、爺さんから2つ目のトマトを遠慮なくもらい、何度も礼を言って食べた。


 大きなトマトを2つも食えば、腹は満足した。

 なんと燃費のいい体なんだろうな。


「ところで・・・クローバーを食べたいのですけど・・・」

「なんじゃ?そんなもの旨くはないぞ?腹が減っておるなら、トマトを食え」

「いえ、お腹は充分になりました」

「じゃあ、何故じゃ?」

「その・・・クローバーには記憶を取り戻す作用がある、と聞いて・・・」

「記憶・・・?なんじゃ、お前さん、記憶が無いのか?」

「ええ、まあ、そんなところです」


 ふむ、と爺さんは首をひねった。


「クローバーの花言葉は『私を思い出して』だったの」

「え?」

「いや、わしも昔から爺いだったわけじゃないからの。昔は、ほれ、街での。花屋をやっておった頃もあっての。その頃に覚えた知識じゃ。じゃがの、薬草としての効果は無いと思うがのう?」

「そう・・・なのですか?」

「まあ、試してみたことは無いからのう・・・まあ、やってみるか」


 そう言うと、爺さんはクローバーの中に座り、ひょいひょいと摘み始めた。

 俺は、慌てて一緒にクローバーを摘む。

「あー待て待て。花を摘むんじゃ。記憶を呼び覚ますのは香りと古来から言われておる。何処で聞いてきたか知らんが、もしも効能があるとすれば、それは花茶にした場合じゃろうて」

「なるほど・・・」


 それから数分の間、クローバー、シロツメグサを黙々と摘んだ。


 爺さんは、籠のシロツメグサを持ち、俺に手招きをした。

 俺は黙ってついて行く。


 すぐに小さな家があり、そこへ爺さんは入っていった。


「お、お邪魔します・・・」


 家の中は涼しく、整理が行き届いていた。

 住み心地の良さそうな家だが、しかし、あきらかに一人暮らしだった。


 ずっと、一人暮らしの家、だ。


 この感じ、俺の前世の部屋に似ている。

 部屋で快適に過ごすために必要なものを最低限に揃える。

 無駄なものはいらない。けれど、趣味の物は充実している。


 この爺さんの場合、農機具や野菜や草花を加工する道具だ。

 壁にはドライフラワーもいくつも吊るされている。


「ハーブの香りがしますね」

 爺さんが顔を上げた。

「お、若いのにわかるのかい?いかにも、その花はルミノギス。とても珍しい花なんじゃよ」

「へえ・・・いい香りです」


 爺さんはシロツメグサを洗い、お茶の準備を始めた。

「シロツメグサを乾燥させて茶とするのが良いのじゃろうがのう。時間もかかる。今日は茶に花を浮かべて香りを試そう」

 あっという間に爺さんはお茶の準備をして、洗ったシロツメグサを浮かべた。


「ふむ。まあ、大した香りはせんな・・・」


 そう言いながら、もう一つのカップを差し出した。

 俺は勧められるままに椅子に座り、テーブルの上のカップに手を伸ばした。


 2つほどシロツメグサが浮かぶ。そっと口をつけすすってみる。


 茶は香りを抑えて薄め。シロツメグサの香り・・・というか草っぽい匂いと味がわずかに感じられた。


「どうじゃ・・・?」

「・・・草っぽい香りですね・・・」

 爺さんは、まじまじと俺を見ていたが、唐突に笑い出した。

「ほうっほっほっほう!」

 腹を抱えて大笑い。

「そ、そうじゃろう、そうじゃろう。シロツメグサなんぞ茶に浮かべたのは初めてじゃからな」

「す、すみません。こんなにしてもらっているのに・・・」

「いや、良い。まあ、乾燥させればあるいは、な。しかし、記憶を取り戻すなどというのは、おそらく嘘じゃな。花言葉に引っ掛けた出まかせじゃよ」

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