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ハムスターの陰謀

 お市が退院した日、施無畏寺の住職、青空もまた退院となった。


「迎えに行ってくる。昼には帰る」


 テツの軽トラが寺の一本道を軽快に出ていく。それを、ネカフェ難民えびまよは、かたい笑顔で見送った。

 いよいよ恩人『131』と対面するのである。


(おなか痛い)


 えびまよは朝から落ち着かなかった。胃が縮み、吐き気すらする。


「ダンディさん、おれら草むしりでもしたほうがええんやない?」

「んーん。魚捕りにしよう」


 ダンディはえびまよを川遊びに連れ出した。


(なんで余裕なんや、こいつは)


 えびまよは不安だった。

 この三日間は、ここ数年でもっとも美しい日々だった。子どもの頃の夏休みの再来だった。


 朝は梵鐘の音で目覚め、顔を洗って出ていくと、あたたかい朝飯が用意されていた。

 炊き立ての白い飯に新鮮な卵。海苔と新香。味噌汁。


 テツは毎日出かけて行く。出がけに、


「昼は、ゆでたまごと焼きむすび作っておいたから食べてくれ」


 などと告げ、夕方まで戻らない。

 なにをしてくれとも言わない。自分ひとりで堂と庫裏を磨き上げ、居候たちには掃除しろとすら言わなかった。

 いっしょに来たホームレス、ダンディはお気楽な男で、この親切に遠慮なく甘えた。


「下に川あるよ。お弁当もって行こ」


 ふたりは握り飯を持って、寺のまわりを探検してまわった。

 施無畏寺は、山のとりかこむ盆地にあった。

 土地の名を、えぼし村、という。


 えぼし村の盆地は崖で大きく二段に分れていた。上段はさびれ、寺の周囲は無人であったが、下段は割れた鏡のように棚田が輝き、農家が点々と散っている。それら人界をふちどるように、ひとすじの川が囲っていた。


 川は黄緑の新緑がまぶしかった。水はつめたく、岩陰にはアマゴがあふれるようにいた。ダンディが木を削って、器用に銛を作り、ふたりは子どものように魚とりに興じた。

 夕暮れ、寺に帰ると、テツが風呂を沸かしておいてくれる。川魚も食卓に乗り、三人で愉快に飯を喰った。


(ここは桃源郷や)


 えびまよは泣くようにおもった。

 こんな愉快な暮らしが、今日で終ってしまうかもしれなかった。

 『青空先生』が帰れば、当然、面談となる。


(なんたって真面目な住職さまや。ニートはいけませんよ、みたいな話になる。きっとなる。えり好みせず仕事を探しなさい、いついつまでに出なさいっていう話になって、おれとダンディさんは、みじめな思いをするんや――)


 寺を出されたら、一日も生きていけない。死ぬか、それができなければ、ゴミを漁ることになる。そんな未来を思うと、溺れるように息苦しくなった。


 ――でも、もしかすると、


 えびまよはひとつあわい希望を持っていた。


「ダンディさん、おれら、ここに住めんかな」

「?」

「ここって、過疎村やろ?」


 民家はいくつかあったが、ほとんど人を見ない。特に寺のある高地は荒れており、寺の畑一角をのぞいては背丈ほどの草が伸びて、空き家がうずまっていた。


「ここで畑耕して住人になったら、村的にもええんやないかな。なんか村に貢献するとか。特産品作って、村おこしするとか」


 そのへんを訴えれば、住職も無下には追い出さないのではないか。

 だが――。

 こわかった。えびまよは売り込みが苦痛だった。立派な住職さまの前で、なめらかに話せる気がしない。


「やっぱ、あかんわ。おれは」


 えびまよがチラと見ると、ダンディは、


「えびちゃん、こういう話がある」

「――」

「おれは昨日、お寺で『瓶のひと』という絵本を読んだんだよ」


 ダンディは瓶を被った怪人が出てくる短い民話を聞かせた。

 村娘が山で、首まで瓶をかぶったボロボロの集団に追われるが、施無畏寺の結界である一本の木に辿りつき、難を逃れた、という怪談だった。

 えびまよは辛抱強く聞いていた。


「それがさ。おしまいに和尚さんがいうの。『あれは生きながら地獄をさまよう者。無明が覆うことにも気づかず、永劫、楽土を求めてさまよう者なり』――最後、それ。永劫ってことは、まだ歩いてるわけよ。トゥービー、コンティニュー。このお寺のまわりで、今もおれたちを見てるかもしれない。ロックオンしてるかもしれない!」

「――それと、この村に住む話とどういう関係があるんかな」

「いや。もしえびちゃんが交渉に失敗しても、ちょっとつらくないかなって」

「……」


 えびまよはうなだれ、もう言わなかった。川でアマゴを突くダンディを尻目にひとり胃を抱えていた。


 そのふたりを、潅木の陰から黙って見ている者たちがいた。そっと離れ、影のように村へと奔った。





 川辺から走り出た者たちは、棚田を突っ切り、山のふもと、黒屋根も豊かな一軒の百姓家に飛び込んだ。


「まんだ()()ぞ。川にふたり!」


 百姓家では、寄り合いが開かれていた。ハムスターのように小柄な年寄りが九人、泡を飛ばしてわめきあっている。

 議題は『村に現れた新しいよそ者』であった。


「なんよ。あいつら、もう四日もおるんないか」

「あの坊主のほうは、ほんとに舎弟なんやな? 青空さん、そう言うたんやな。すぐ出て行くんか?」

「すぐ出てくかわからんがよ。電話での話、旅修行中や言うとったで。水戸のお師匠さんの弟で、青空さんにとっても同門の弟弟子になるんやと」

「あのスジモンみたいな坊主が、青空さんの弟かい。坊主、修行なっとらんろ!」


 この朝、よそ者の僧が、寺のバックホー(ショベルカー)を使って、勝手に県道を直していた。

 県道は外界につながる村の生命線である。村人が恐れて見守り、噂していると、いつのまにか背後に当の僧が立っていた。おどろいて、村人はちりぢりに逃げ出したのである。


「おれは、逃げてないけどな」


 老人が小さなひじをはって威張る。隣の老人も、


「おれも、睨み返してやったわ」

「うそや。おまん、風車みたいに走っとったがな。あれで睨んどったら、今ごろ首、ねじれパンみたいになっとるわ」

「それを見とったおまんも、走っとった言うことんないか」

「おれはゆっくりや。おまん、足エイトマンや」

「おまんは、それ腰ぬかしとっただけやがな」


 なんよ、と老人たちがにらみ合う。


「もうええ!」


 綿毛のような白髪の老女がうんざりと止めた。


おまんたぁ(あんたがた)、ほんとに意気地無しやんなあ。あのおっさま、おはようございます、て言うただけや」

「……」


 このえぼし村の人間は――。

 全員、ひどい人見知りだった。


 外の人間がこわい。仲間内では威勢がいいが、外から役所の職員やだれかの親戚が来ると、みな見るも無惨にあがりきってしまう。


 男たちはとくに、人生を通して、ほとんど村の外に出ていなかった。

 交際範囲は、となりの和良まで。それ以上は外国と同じで、行く用事ができると、数日前からおろおろする。しかたなく隣近所に泣きつき、子ネズミのようにかたまって出て行く。

 住職入院の報を聞いても、ぐずぐずと見舞いにも行けずにいた。


 白髪の老女が言った。


「あのおっさまは、ただの行脚僧や。今は青空さんの手伝いしてるだけで、いずれ出て行くろ。問題は、あのふたりや」


 老人たちの顔が不安そうに翳る。

 老女は凶事の託宣のように言った。


「あのふたり、十中八九、青空さんの新しい『拾いっ子』やで」


 村人たちは顔をねじり、いっせいにわめいた。

 彼らは村唯一の若者、青空住職のことは愛していた。無欲で、無類にひとの好い、おっちょこちょいの青年僧を、家族同然に可愛がっていたが、彼の『菩薩行』には困り抜いていた。


「あんなひどい目遭うて、まんだ懲りんのんか。青空さんは」

「次連れてきたらだしかん(だめ)て、散々話したがな」

「なんで、ふたりに増えるんよ!」


 すでに四人、『拾いっ子』の先例があった。そのうち三人が、去る時、トラックや寺の金を盗んで逃げた。


「また来るで。『村おこし』」


 色白で細目の切れ上がった、コケシに似た老人が吐き捨てるように言った。

 『拾いっ子』たちは当初、寺の厚意に感激し、村に住もうと畑を耕す。率先して村人を手伝い、村になじもうとする。


 ――この村に恩を返したい。


 なにか名物を作って、ひとがたくさん来る村にしたい、村おこししたい、と言い出す者もひとりならずいた。


「すだれカーテンな」

「防虫カーテンや」

「青空さんもあんなの信じて、糸鋸やらヤスリ、そろえてやったりしたに。みんな、消えたでな。――金持って」

「……」


 老人たちは顔をしかめた。

 『拾いっ子』たちは、なぜか、半年もしないうちに皆、村を去った。


 行き詰って、飽きたのか。外で良い仕事をみつけたのか。村人はそのたびに傷つき、いよいよ外の世界に不信を深くしてきたのである。


「どして、あんに恩知らずなことができるんかな。おれんたが可愛がりすぎたもんで、なめられたんか?」

「スジの違う人間ちゅうこっちゃ。食い詰め者やでんな」


 女衆も、もうかまわんとこ、と憤慨する。白髪の老女はとくに、


「わたしんた、人数も少ないし、年寄りばっかやで甘く見られるんよ。それに腹たっても、ようモノ言わんろ」


 敏感な部分に触れられ、男衆がいきりたつ。


「弱い犬は、たーけ吠えよるんじゃ。笛みたいにしゃべるやつは、肝心な時役にたたんのや」

「おれんた、不言実行ですから!」

「おれも前、役場のあいつに言うてやったぞ。この村の人間は、都会のヨイヨイの老人とは出来がちがうで、甘く見とると山に埋められるでってな」


 それには全員が、


(言ってない。言ってない)


 と思った。

 話に関係なく、最高齢の老婆が嘆く。


「青空さん、また騙されるんけな。かーわええなあ(かわいそうになあ)。)」

「……」


 鼻の尖った老人が聞いた。


「で、どうするんよ。栄作」


 コケシ似の老人がしかつめらしく、目を細める。


「無視や」

「――」

「――」


 綿毛のような白髪の老女が、言葉を足した。


「とにかく、青空さん帰ってきたら、わたしんた、これ以上は受け入れん、よその人は出てってもらうよう言うてもらお。おまんたもしばらく、家にカギかいて(かけて)用心しなれ」


 ほーやな、と老人たちもうなずいた。


「しばらく戒厳令や。『村おこし』はいらん。トラックまた盗まれたら、かなわんしな」





 昼過ぎ、住職が帰山した。

 えびまよたちは本堂に呼ばれ、住職とはじめて対面した。


「どうもー。こんにちはー。松井青空でーす。『131』でーす」


 本尊の前にいた僧がくるりと向き直り、笑った。





※おまん →おまえ、あんた、あなた(老若男女使う、you全般)

※○○んた→○○たち 例)おまんた→おまえたち わたしんた→わたしたち


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