ふるえるぞ、現地調達
えびまよが寝入った頃、鉄舟坊――テツは別室で電話をかけていた。
「お市? ――おれだ。具合どう?」
先までとは打って変わった、のんびりとくつろいだ声が出た。
「――そのことだけど、聞いてくれ。なんつーか、想定外のことしか起きなかった。――うん。いま順当に話すからな。――うん。おしまいまで聞けばわかるから。――結果結果言うんじゃない。いろんなものがこぼれる」
無理やり、タフな一日について話しはじめた。
電話の相手は、旅の相棒だった。
水戸の寺から、ふたり連れ立って行脚してきた。
が、相棒は少し前、長野の村を後にした後、風邪をひいた。治りが悪く、やがて手が震え出したため、おととい、関で医者に診せた。尿検査の結果、
『レジオネラ(肺炎)ですね。放っとくと一週間で死にます』
即入院となってしまった。
だが、ふたりには医療費が払えない。
こうしたピンチのための金を持っていたはずだが、若いふたりは旅に出てすぐ焼肉その他に蕩尽してしまった。少し前に受けた布施も、木曽牛のステーキや温泉などで、愉快に使ってしまったのである。
入院に際し、三日以内に保証金五万円と言われ、テツは困った。
――ここは兄弟子にすがろう。
金を無心しようと、夜を徹して、郡上街道を歩きとおしてきたのだった。
「そしたら、あのドジ太郎、事故ってやがって。山道で脱輪して、そのまますべり落ちてた。あたり誰もいないし、しょうがねえ、引っ張り上げたよ。顔血まみれだけど、元気だった。救急車呼ぼうって言ったら、『いや、待たせてる人がいるんだよ。車とってこなきゃ』って」
そう言ったものの、兄弟子は貧血で足元がおぼつかず、いま這い上がった崖へと吸い込まれていった。
テツはすっ飛んでその足を掴み、ことなきを得た。が、
『ご用のほうは、わたしがやりますよ』
と言わねばならなかった。
「しょうがないよな。じゃないと病院行かないってんだもの。ほぼ命令だよな」
電話の相手は相槌すら打たないらしい。
テツはその後、ネカフェ難民を迎えに行ったくだりを話した。兄弟子につけられた血のせいで、警官につきまとわれ、さらにあらぬ誤解を生んだ話をした。
相棒が陰気に結論を待っているのがわかったが、言えずにいた。
「……というわけでだな。今日、忙しかった」
「――」
テツは小さい声で言った。
「お市、金は無理だ。青空兄さんも入院して物入りだし、車も全損だし。……おれが、バイト探して工面してやるから、待ってろ。あ、明日土曜か。なんとかする」
受話器からは蚊の鳴くような細い声が言った。
『てっちゃん、――あいかわらず、まぬけ』
通話は切れた。
病院の談話室で、お市はむすっとスマホをふところに仕舞った。
(あてにはならんと思ったが、ほんとうにあてにならなかった)
相棒のテツはいいやつだった。体力の化け物で、ひとのためには骨身を惜しまない、愛すべき、頼もしい兄貴だった。ただ、兄貴は金に関しては小学生なみの甲斐性しかなかった。
金は、お市の担当である。入院費は、やはり自分で稼がなければならないらしい。
(また熱があがりそうじゃ)
お市はよたよたと廊下を戻った。自分の病室には戻らず、隣の病室へ入る。カーテンのしきりをそっと開けて、中をのぞく。
六つの顔がぎょっとふりむいた。シーツの上には、赤黒の花札が並んでいる。
お市は目を据え、
「おれも入れてくれ」
と言った。
「ぐわああ! ゴミ札ばっかりよこしやがって! テメじじい! 頭に楊枝突き刺すぞ」
お市はいまいましく爪楊枝を投げつけた。
(こいつ)
まわりの患者たちは、あきれ顔を見交わした。
この若い僧は二日前、入院してきた。日がな点滴して寝ていて、まだ顔も青い。
――旅の僧です。入院費が足りないの。ちょっと稼がせて。
二千円掴んで入ってきて、いまや三万以上勝っている。まだ吸い上げる気で、場を動かなかった。
「キミ、そろそろ」
部屋へ帰っては、と言いかけるが、
「ハリーハリー! 次を張るんだ。バカの長考、インケツの元! 張らなきゃドボン! 履いたらズボン! オラ早くしろ! こっちは遊びじゃねんだよ!」
けたたましい男だった。
患者たちが張るまで大騒ぎし、手札が来ると、すっと表情を消す。
勝てば怪鳥のような高笑い。負ければ幼児のように手足をバタつかせた。
「どこいったんだ、おれの勝負の神ィいい―! トイレ? 神様今トイレなの? ――カンクローてめえ! 勝ち逃げすんなよ。これから仏罰降すからな」
「おまえが当たってんじゃねえか」
親を張っているのは、博打慣れした東京弁の年寄りだった。
ゴマ塩頭を短く刈り込んだ小さな老人で、子だぬきのようにちょこんとシーツに座り、小さな手で手裏剣のように札を張る。茶がかった丸い目も子だぬきに似ていた。
「かわいそうだよ~。たびのぼうさん♪」
老人はお市をからかい、しゃがれ声でヘタな都都逸を歌う。
「金にふじゆう、つるっぱげ♪ ときた」
老人の札は、藤(4)と松に鶴(1)の札。
はああ、と全員が絶望の声をあげ、シーツに突っ伏した。シッピン(親総取りの役)が出来ていた。
「ゆるさーん! じじいいいいい!」
老人は小気味よげにあごをあげ、
「ひとの金で入院費まかなおうなんて、世間さんをナメちゃいけないよ。官九郎おじさんが本気出したら、プーチンだってトイレに隠れちゃうんだから」
患者のひとりが疲れ、もう寝よう、と言い出す。
「お市ちゃん、もうええやろ」
患者たちがなぐさめ顔で、
「あんた、体えらいんやろ。養生せんと」
「やだ」
お市は一本百円の爪楊枝を掴み、
「おれは! あと二万! 点滴代稼ぎ出すまで、戦いをやめない!」
「おまえ、無茶やて」
患者たちが苦笑する。二千円しか持たずに入院してきて、中で医療費を稼ぐなど、ひとをバカにした話もない。
しかし、お市は口をとがらせ、
「おれの兄弟子はよ。金は稼げないおひとなんだよ。稼げないのに、ゴリオシすんだよ。たぶん、この土日、誰もいない駅前に立って、托鉢すんのさ。芸もなく、忠犬ハチ公みたいに一日中つっ立ってんのさ」
患者のひとりがあきれて、
「ホントに無一文で旅してんのか」
「そうだよ。修行だもん」
「このご時勢に、よくやるな」
ホントにな、とお市はうなずいた。
べつの患者が、
「でも、身軽でええな。着のみ着のまま、ご喜捨で生きていけばええちゅうのは」
「そう。身軽。明日死んじゃうかもしれないしね」
「――」
お市は笑い、
「まあ、相棒が頑丈だから、そう簡単には死なないんだけども。危険はあるよ。外は風も吹く、雨も降る。獣も、泥棒も来る。このように病気するといっぺんに詰むし。でも」
ニッと歯を見せた。
「飯はすげえうまい。ちょびっと金があって、相棒とキャンプして、鍋もの喰ってると、腹の底から楽しいよ。日の出見て、感動したりね。俳句読みそうになる。芭蕉の気分、超わかる」
「……」
へえ、とゴマ塩頭の官九郎老人が丸い目をパチつかせ、聞いた。
「そりゃ、なんの修行なんだい」
「宗祖さまにご縁をいただく」
お市は言った。
「うちは密教だから、神仏と感応すんのが重要なの。うちの宗祖の寛円上人が遺した霊跡を百八ヶ所歩いて、ご縁をいただいて、いざ拝む時、お助けいただく」
患者が眉をひそめ、
「そういうの、どうなんだ? 実際効果あんのか」
「わかんなーい。おれまだ修行中だから」
「――」
「でも、超能力者の師僧が言うには、これが一番確実なんだって。いまは学校で、霊場のお砂踏んで済ませちゃうって手もあるけど、効験はどうだかね」
お市は笑い、
「坊主やる以上は、拝んで験があるほうが楽しいじゃない。師僧なんか験あらたかですごいカッコいいしね。せっかく頭剃ってんだ。やっぱこの道の妙に触れなきゃ」
「――」
「というわけで――さあ、夜は短い。ザーボンさん、ドドリアさん。張るんですよ」
おまえ、徳が高いんだか低いんだか、と笑い、彼らは爪楊枝を張った。
お市は配られた自分の手札を見て、無表情になった。
「……もういっちょ」
患者たちは苦笑した。また仏罰か、と誰かが言う。
だが、次に桜の札が来た途端、お市は奇声をあげた。
「サンゾローッ」
「!」
キター! と躍り上がって、頭をぶんぶん振った。
官九郎老人が丸い目を剥く。
「うるせえぞ、忍者ハッタリめ!」
「見よ! ふるえるぞサンタ!」
お市は体をねじって踊った。
「燃え尽きるほどロッポ! 刻むぞ血液のサンゾロ! 桜色の波紋疾走!」
一同がわめいた。最強役で、お市のひとり勝ちとなった。
みなベッドに立ち上がり、お市を囲んで蹴った。
「なにが道の妙や! この極道坊主が」
「おれの感心を返せ!」
「こんなやつはふとん蒸しじゃ!」
その時、ドアがふっ飛ぶように開いた。
「やっかましい! 何時やと思ってんの!」
看護師たちが仁王立ちになって怒鳴った。
「ここは修学旅行か! 消灯時間とっくに過ぎてんですよ!」
患者たちはそのままの姿勢でかたまった。
看護師のひとりが踏み込み、床に落ちた花札に気づいた。その顔色が変わる。
「まさか。お金、賭けてたんですか――?」
「――」
患者たちは顔を見合わせた。全員示し合わせたように、ベッドの上の毛布の塊を指した。
「こいつが」
毛布の塊はむくっと起き上がった。毛布をかぶったまま、
「ほーら、怪奇現象。トリックオアトリート、こわいなこわいなー。どいてどいてー」
会計は明日じゃ、と言い、看護師の傍らを走りぬけて行った。
火曜、お市は無事退院した。
医者はあとせめて二日いろ、と説得したが、さすがにこれ以上、ほかの患者から小遣いを巻き上げ続けるのはむずかしい。それでも入院費用はわずかに足りないほどで、
『おねがい。お布施して!』
会計窓口で拝み倒し、ロビーの来患にまで布施を募ろうとしたところ、根負けした事務長が、自ら布施して追い出した。
お市はテツに電話した。
「もしもしー。おれ、退院した。迎えに来て」
テツは金の工面がいらなくなったことを知ると、
『じゃ、いいじゃねえか。自分で来い。道わかるだろ』
「荷物もってよ。おれ病み上がりだぞ」
『リハビリリハビリ。ゆっくり歩いて来い』
今出かけるから、と通話は切れた。
(……あのやろう。バイトから解放してやった恩も忘れて)
お市はしかたなく錫杖を取り、歩き出した。
五日寝ていただけだが、腹に力が入らず、ひざが浮いてしまう。新緑の日差しがまぶしく、目がチカチカした。
(はあ、つれえ。祖跡全部歩きとおすなんて、どこのバカが考えたクソゲーだよ)
のったりのったり歩いていると、目の前にタクシーが止まった。
「お市坊!」
ドアが開いて、しゃがれ声が呼びかけた。中から、ゴマ塩頭が出てくる。
「カンクローじゃん」
隣部屋の官九郎老人が、いそいそとドアから這い出てきた。なぜかジャケット姿に着替えている。
丸い目を輝かせ、
「お市坊、おれも出てきたぜ」
「出てきたって、あんた。なにやってんの」
お市はおどろいた。退院するという話は聞いていない。
「一時退院だよ」
官九郎はへへと笑い、
「ちょいと用事が出来たから、出てきたのさ。おまえ、金ねんだろ。おじさんがご馳走してやるよ。ホオバ料理、どうだ」
「えー……」
お市は少し考えた。
この子ダヌキのような老人はお調子者だが、悪人ではない。
材木屋の社長だと言っていた。裕福な旦那が、前途ある若者に飯を食わせたいのかもしれない。
(寄り道分は、タクシー使ってもいいよね)
やはり歩くのはつらかった。
「おっちゃん。言っとくけど、おれ新米だから。あとでお加持してくれ、なんて言われてもできないよ」
「ばか。おめえみてえな極道坊主に頼むかよ。行かないのかい?」
「行く。ホオバ飯!」
お市はニッと笑い、背中のリュックを下した。