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ノージョブ・ノーペイン

 あっと言う間の出来事だった。


 そのベンツは寺の駐車場ではなく、庫裏の玄関前に横付けされた。

 えびまよはちょうど下の村から上がってきたところだった。


(ん。なんでベンツ?)


 ちょいと内装をのぞこうと首をのばした時、玄関の中で騒ぎが起こった。

 動物が暴れるようなただならぬ音がたった。

 すぐにふたりの男がダンディをひきずって現れた。青空がその肘にとりつき、わめいている。


「やめなさい。放しなさい! ダンディさん、逃げて」


 えびまよは踏み出しかけ、すくんだ。


 ひとりの男は大きかった。Tシャツの背中には厚い筋肉が波打ち、その肘は鉄の鞭のように鋭く強く見えた。

 今ひとりの男は色のついたメガネをかけていた。


 ――本職のヤクザ!


 えびまよは反射的に、伸ばした手をちぢめてしまった。やめろという声すら出ない。


「えびくん、千里と万里をあっちやって! 警察」


 青空はわめきつつ、しゃにむにメガネの男にしがみついている。

 気づくと玄関のたたきで、千里と万里がギャーギャー泣いていた。


「おやぶん――」


 拳をあげて、あふれ出てくるふたりを、えびまよはとっさに押さえた。エンジンがかかり、青空が叫ぶ。

 ふりむくとドアから青空を引きずりながら、車が発進していた。


「先生!」


 さすがにえびまよは走った。青空がかじりついているにもかかわらず、車は加速していた。


(うそや! 先生、あかんて! 死ぬて!)


 青空をひきずったまま車が走り出て行く。村から出ていってしまう。

 と思った時、ベンツがタイヤの音を高く軋ませて止まった。

 土煙のむこうに障害物があった。


(!)


 寺の軽トラが横腹を見せ、道をふさいでいた。

 えびまよが駆けつけた時、テツが踊るように大男を蹴り上げ、今ひとりの首をつかんでいた。

 青空は必死にダンディを介抱していた。


「先生!」

「えびくん、警察を呼んで」


 その時、ダンディがあえぐように言った。


「そのひとたち、知り合いの、息子さんたち。警察は、待って」





 兄のほうは老けて見えた。

 浅黒い額が丸く張り出し、薄茶の色の入った細いメガネをかけていた。風貌はおとなしいが、目が暗い。

 陰気な顔、仕立てのよい麻のジャケット、ロレックスの時計を見て、えびまよは、


(経済ヤクザや)


 という印象をもった。


 弟のほうは二十代後半。アメフトでもやっていそうな大柄な青年だった。彫りの深い顔立ちで、眉も濃く、その下に不機嫌な丸い目がついている。テツに殴られて口元を腫らしていた。

 ダンディはふたりを紹介した。


「こちらのお兄さんのほうが、和泉貴之(いずみたかゆき)くん。弟の魁(かい)くん。ふたりは、おれがお店借りてたビルのオーナーの息子さんたち。おれ、前、埼玉でラーメン屋やってたの」


 和泉家は所沢の地主だった。もと茶農家をたばね、狭山茶の老舗メーカーとなっていたが、茶業の傍ら不動産もいくつか抱えていた。

 ダンディはそのひとつのテナントビルで十年ほどラーメン屋を営んでいた、と言った。


有馬(ありま)はわたしたちに借金があります」


 兄のほうがきりだした。彼はダンディを有馬と呼んだ。


「亡くなった父は、長年こいつの面倒を見てやってました。金まで貸してやってた。でも、九年前、こいつは五百四十万の借金を残したまま、トンズラしたんです。だから、償っていただきたいんですよ」


 ダンディは半年近くテナント料を滞納しており、兄弟の父親である元オーナーに別に、百八十万の借金があった。それらを一切、返済することなく、行方をくらましたのだという。

 官九郎は小さい腕を組み、うなった。


「ダンデー。どこまで本当だ?」

「……」


 ダンディは痣のついた顎を撫でさすり、


「店賃溜めたのはホントだけど、そっちもうちの店、取り上げたんだし、まあ、あれで払いは済んだかなって思って」


 ダンディはオーナーが代替わりして、テナント料が倍にあがり、払えなくなった、と言った。

 支払が遅れ、ついに半年分が溜まってしまった時、ダンディは一週間ほど入院した。帰ってきた時、店の看板が変わり、赤の他人が商売していたのだという。

 官九郎はこれも間違いないか、和泉にたずねた。


「警告はしてあった」


 兄は色つきのメガネからじろりとダンディを見て、


「テナント料の値上げも、そっちは納得したはずだ。納得したから、契約更新したんだろ。契約した以上、儲からないから払えないという道理はない」

「とはいえ、店の――なんだ。鍋やらガス台やら設備は横取りしたんだよな?」

「あんなもん、いくらになったって言うんです」


 兄は眉をひそめた。黒目の小さい目で、ゆがむとひどく凶悪なかたちになる。


「撤去して返してもよかったが、その経費は誰が払った? 金を返さないこいつですか。そもそも五百四十万金貸しに借りたら、今いくらになると思ってんです? 10パーの複利で計算しますか?」


 官九郎は利子と聞いて、まごついた。


 えびまよは兄弟を睨みつつ、内心ふるえあがってしまっていた。

 常識の通じない相手が恐ろしい。ドアから青空を引きずって走った光景のショックで、まだ体中の筋肉が逆立っていた。


 さらに五百四十万という金額にも動揺していた。

 会社にそんな金はない。先月は前半ほとんど注文がなく、後半分でようやく給料が出る、とよろこんでいたほどで、余剰の金はまったくない。寺とても同じだろう。


(それに、こいつら絶対、おかしい)


 ダンディを渡せばとんでもないことになる、という予感があった。

 お市が言った。


「家賃に利子はつかないだろ」

「――」

「それに、九年前の話なら時効。あんたがたに請求権はない。さらにさっきの暴行傷害で、こっちが慰謝料もらいたい話なんだが」


 兄の目が用心深く細くなった。

 大柄な弟のほうが言った。


「ここって山っスよねー。材木で商売してんスよねー」


 少し間延びしただらしのない声だった。


「ここ見つけたの、おれなんですよ。『森の翼チャンネル』」


 ヘチマが顔をしかめた。


 ドールハウスの宣伝のため、ネットに村の日常動画をあげていた。ふたごの愛らしさと栄作家の災害復興が話題になり、短期間に閲覧数が伸びていたのである。

 たしかに、ダンディも登場していた。

 弟は面白い世間話をするように言った。


「杉ってさ、たしかスギカミキリが天敵なんスよね。スギカミキリ大量に発生したら、材木終りますね」


(おい)


 えびまよは腹を殴られたようにうろたえた。

 虫に喰われた板は無価値になってしまう。

 村の森はまだ弱っている。弱い木々は虫がつきやすい。カミキリムシなど放されたら、山は全滅しかねない。


「おれの友だちで、昆虫詳しいやついて。カミキリとか増やせるらしいっスよ」


 お市は鼻でわらい、


「なにそれ喰うの? そんなだから、頭に虫湧いちゃうんだよ」

「――」

「立場おわかりですか。こっちは通報するって言ってんですよ。あんたがた、一線越えたんだから。たとえ初犯でも、誘拐未遂だよ? 虫増やしてないで、弁護士探すべきじゃね、とわたしは思いますがね」


 今度は兄弟の顔色が悪くなった。

 弟は苛立ち、


「あー、めんどくせえ!」


 立ち上がると、おもむろに座卓の上に大きな足を踏み出した。

 正面、青空の後ろにダンディがいる。掴みかかろうとして、吹っ飛んだ。開け放したふすまを越え、次の間で派手に倒れる。

 テツが立ち上がっていた。


「次は拘束する」

「……」


 兄のほうがドスのきいた声を出した。


「それが坊さんの答えですか」


 彼は正面に座る青空を睨んだ。

 青空は痣だらけ、ばんそうこうだらけの顔をまっすぐ向け、背筋を伸ばしていた。その華奢な肩のうしろに、ダンディがあごをおさえて隠れている。


「時効で借金がチャラですか。逃げ得を許すんですか。うちの親は親切で金を貸したんですよ? こいつが、世話になったばあさんの葬式をしたいって言うから、全部建て替えてやったんです。540万は元本ですよ。返すのが人の道じゃないですか? かえって訴えるって。それが坊主のやり方ですか」


 お市が答えようとすると、青空が手で制した。青空はしずかにたずねた。


「有馬さんは無一文です。お金を返済できません。連れて行ってどうするつもりですか」


 弟が大きな目をそらした。兄は平然と、


「仕事を紹介するんですよ。さるラーメンチェーンの雇われ店長です。その報酬分から借金を返してもらいます」


 えびまよはウソだ、とわかった。

 ラーメン屋で働かせるために、兄弟が埼玉から出てきて、車で連れ去ろうとするだろうか。


 ――目が覚めたら、手術台で寝てた。


 えびまよの脳裏には、むかしダンディから聞いた言葉が色濃く浮かびあがっていた。

 青空は言った。


「それなら、有馬さんには、森の翼で働いていただくことにしましょう。そこから借金を返済していくということで、いかがですか」

「ダメですね」


 兄は一蹴した。


「一括ならともかく、何年もかかってちびちび返されても困るんです。そういうのは信用のある人がやることで、こいつにはもうカケラもないので」


 青空は譲らない。


「わたしもあなたを信用しない。あなたの言葉は、真実でない感じがします。どのみち、ダンディさんはお渡ししませんよ。この場を引き取るか、いまのわたしの提案を考えてみてください」


 弟がまた長いからだをひねり、マジうぜえ、と呻いた。兄は弟をおさえ、青空に言った。


「お坊さん、われわれとしても手ぶらで帰るつもりはないんですよ。こいつのことは連れて帰ります。それが償いなんですよ。金の問題は金で解決しないといけない。わたしたちに帰れというなら、あなたが即金で五百四十万出してください」

「……」


 青空は少し目を伏せたが、すぐに黒い眸をあげた。


「じゃ、わたしが行きましょう」


 兄弟を含め、その場にいた全員が耳をうたがった。青空はすそを叩いて立ち上がり、


「ダンディさんの代わりに、わたしが行きます。ラーメン屋でもカニ漁船でも。五百四十万貯まるまで働きます。じゃ、行きましょう」


 人々はあ然と口を開き、僧を見つめた。お市ですら、ぽかんとしている。

 えびまよは息もできぬほどに、圧倒されていた。


(先生――)


 青空の行動には一分の迷いもなかった。ダンディを守るためなら、なんでもやるのだ。


「和泉さん、お立ちください」

「ちょっと意味わかんねえよ」


 兄もさすがに呆れ、言葉がくずれた。


「お坊さん、あんた関係ないでしょ! なんであんた連れていくんだ! いいから座れ。座ってろよ!」


 座りませんよ、と青空は憤然と言った。


「だったら、ローンにしてください。三年、せめて一年にしてください。わたしが保証人になりますから」

「ふざけるな! あんたに条件出される筋合いの話じゃない」


 も、いんじゃね、と弟が面倒くさそうに言った。


「こいつでいいよ。こっちのほうが若いし、少し高くなるかもしんねえじゃん」

(!)


 えびまよは聞き逃さなかった。やはり、とんでもない犯罪がすぐそこにあった。

 その時、ダンディがあごをおさえ、のそりと立ち上がった。


「やっぱわたし、行きますわ」

「!」


 兄弟の目が光った。

 人々がうろたえ、見守る中、ダンディは青空の傍らを過ぎ、


「先生。ありがとね」

「ダンディさん、いけません」

「なんの。おじさん、よく遊んだし、いっぱいおいしいご飯食べたからね。腎臓も三つぐらい生えてんじゃない? 平気よ」


 青空の手をよけ、お市の後ろを過ぎた。テツの後ろを過ぎようとした時、テツがその手をつかみ、ひねった。ダンディは肘から巻き込まれ、ころんと畳に転がった。

 テツが目を据え、ぼそっと言った。


「五百四十万、おれが出す」


 一同がおどろき、テツを見た。

 お市も相棒を凝視した。相棒はお市を見て、うん、とうなずいた。

 お市は白目を剥いた。一秒ほど理不尽に震えた後、


「明日の十七時だ。現金で渡す。そっちもその場で、借用書破ってもらうから、書類用意しといて」


 お市は立ち上がり、部屋を出て行った。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 毎日 続きが早く読みたい!!と楽しみになるところ [気になる点] いやいやいや! 540万!明日 現金でって!? テツさんもお市さんも つい昨日 手持ち金ではジュースすら買えないって言って…
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