われらは旅立とう。風のように――とはいかないんだぜ
栄作は青空を通じ、家の再建を承諾した。
また山の伐採は中止した。ハリヤ林業は災害の後だけにうるさく言わなかった。
間伐は、代わって森の翼材木店が引き受け、境界線問題はお市が片付けることになった。
村に時々、夏千代のチームが現れるようになった。
夏千代のほかに、若い女の作業員がふたりいる。このふたりは赤石宅に関してはボランティアで、夏千代の手伝いをした。
ダンディはよろこんだ。
「いいねえ! お美しい大工さんが三人も。エンジェルだね。おれ、チャーリーって名前に変えようかな」
残骸撤去のために重機が入る。夏千代が監督し、梁や瓦の無事なものは保存された。
屋根の野地板が剥がされた時、
「あ、ストップ――」
夏千代が重機を止め、残骸の上に降りた、
屋根裏にあたる部分に、リンゴ箱が詰まっていた。そこだけは太い梁に守られ無事だったのだ。
壊れた箱から、ふしぎなものが見えた。
「お雛様?」
小さな茶箪笥。小さな長持ち。米粒のように小さなヤカン。囲炉裏、火棚のついた自在鉤。そして飴色の古めかした柱や建具が出てきた。
女の作業員も黄色い声をあげた。
「なにこれミニチュアー? めっちゃかわいいんですけど!」
そばにいた広海も気づき、のぞいた。
(あいつの趣味や)
小さなの束石のついた土台組みに柱を組み合わせ、梁をのせ、壁を組み立ててみせる。つい、笑みがこぼれた。
(これ、辰マの家や)
どの箱も実在した旧村民の家の模型だった。昭和の風景らしく、庭木や馬小屋、土蔵、水屋などもある。
夏千代は老人の手仕事の精巧さにおどろいた。建築模型などで使うスチレンボードではなく、木製で、細い柱と梁に、組み合わせて使えるよう、ほぞとほぞ穴が刻まれている。壁すら差し込めるよう工夫されていた。
広海はふだんの内気を忘れて、教えた。
「どの家も似たようなつくりやでな。場所もないで、分解できるようしたんやて」
なつかしい旧赤石家の模型を手にとり、
(あいつ。こんな夢見てたんやなあ)
広海は障子の破れの再現を見て、せつない気持ちになった。
これを作る時、盛時の村が脳裏にあったことだろう。あのにぎわいが恋しかったことだろう。
拾いっ子たちが『村おこし』と言った時、栄作は無邪気にはずんでしまったにちがいない。
(たーけやんなあ)
広海はその哀れさに、ほろにがくわらった。
いつのまにか、お市の首が隣から覗き込んでいた。
「これ、売れるねえ。世界に」
お市は会議を招集した。
そこには寺の人間だけでなく、村の老人たちも遠慮がちに参加していた。
「お集まりいただいたのは、長らく懸案だった『森の翼材木店』の新事業について、素晴しいアイディアが現れたからでございます。まずはこちらを」
栄作の作った田舎家の模型を示す。
「これね。アート。プロの大工の女の子たちがキャーッて言うレベル。外国の日本文化ファンの人なら、金に糸目をつけずに買う。それほどの世界観」
お市はいかにもいとしげにミニチュアの精巧さを褒めた。ワラ葺きの屋根の精緻、杉焼きの壁、内装の再現率の高さ。生活のにおい。
村人は不安そうに聞いている。
「しかしね、皆さん。これをこのまま売ったら、一回きりのお小遣いにしかならない。これのポテンシャルはもっと高い。それがズバリ、この組み立て式のところ」
お市は田舎家の屋根をはずし、さらに柱をはずして、長い柱に替えた。柱を組みなおして、壁をつければ、二階が増築できる。
「この自由度の高さ。かなり本物の家の仕組みに近いよね。お好みによって、しっくい壁にしたり、土壁にしたり。瓦屋根にしたり、杉皮葺き屋根にしたり。いろいろと自由な建築ができるわけだ。このシステムを、売る。眺めるアートではなく、遊べるアート」
勘のいいルイが、顔をあげた。
「レゴ!」
「そう!」
お市がうなずく。
「レゴのように、または小さい線路を組み合わせるように自由に、簡単に、古きよき日本の田舎が再現できる! この『日本の田舎ブロック』を売ろうではありませんか、皆さん」
村人は口を開いたまま、目をしばたいていた。青空だけが興奮してパチパチと手を叩いている。
官九郎は首をひねり、
「よくわからねんだが、どのへんに楽しみがあるんだ? その、立派なもんだけど。船とかはまだわかるが、家だろ?」
「家だからイイのです」
「?」
「住めるでしょ」
混乱しかけた官九郎の隣から、ヘチマが笑った。
「あーあーあー! フィギュアの家や!」
「正解」
お市は年寄りたちに説明した。
昨今のマンガは流行すると、ファン向けにフィギュアを作る。ファンは好きな登場人物とともに暮らそうと、フィギュアのために服をあつらえたり、部屋を手作りしている。
「そして、写真を撮る。SNSにあげる。ここまで世界観をもった家なら、キャラが実際に田舎を楽しんでるような空気感の写真が撮れる。さらに、ただの住宅模型であれば、一回写真撮って終わりだけど、これなら簡単にパーツを変えて模様替えできる。四季折々に模様替えできるよう、そのたびに新パーツを出す。付属部品もじゃんじゃん出す。薪割りセットとか。吊るした干し柿や。稲を干してるアレとか。これが当たれば、このドールハウスだけでなく、それら一式を収納するタンスさえ売れる! 世界に売れる!」
村人たちは口をあいたまま、互いに目を見交わした。話の展開の速さについていけなかった。
ひそひそと、
――おもちゃなんて、そうそう人が買うかいな?
――『防虫カーテン』の二の舞になるんないか。
栄作だけが顔を赤くし、団扇でむやみに扇いでいた。
ひとりでコツコツ作っていた趣味が表舞台に引っぱり出され、面映かった。
しかも、接着剤を使わず組み立てられる仕組み、壁などの差し替えの工夫を認められ、身悶えしそうなほどうれしい。
えびまよはその表情に気づいていた。ドールハウスがどういうものかは、よくわからなかったが、栄作のその顔のためにやりたかった。
「おれは、やろうと思います」
えびまよは言った。
「雨とか、隙間時間にやれるピッタリの作業になるし、村のみなさんがこれを好きなら、結果はどうなっても楽しいと思うし――ほら」
人々はそちらを見て、顔をほころばせた。
千里と万里が日本家屋の模型をのぞきこんでいる。その手は虫かごから取り出したカブト虫を突っ込んでいた。
『森の翼材木店』に人形家屋部門が作られた。
えびまよは充実した幸せを感じていた。
朝は早い。まだ暗いうちに仲間と連れ立って、広海の山に入り、間伐作業をした。
日が高くなってくると、ひとり製材所に駆け戻る。
災害復旧のため、注文は多かった。丸太を製材し、官九郎の監督のもと、アリのように往復して板を桟積み(乾燥)した。
昼食のあとはたっぷり午睡して、梱包や事務仕事を片付ける。
夕方、涼しくなってくると、村人が三々五々と集まった。
栄作講師の『人形家屋』技術講習がある。かたくるしさのない、文化クラブのようなくつろいだ時間だった。
老人たちは、小さな木片に細工しながら、よく村の昔を思い出した。おしゃべりの間に、かつての村人の間抜け話、ふしぎな話、きわどい話が飛び出す。
賢いルイが思いついた。
「こういうエピソード、売る時に書き添えたら面白くね? ただの田舎家ドールハウスじゃなくて小林家とか赤石家とか。名前があって、生活のストーリーがついてるんだよ」
ヘチマも言った。
「おれも思いついたんやけど、キリがひと段落したら、廃屋改造して栄作さんのミュージアムつくらん? もしこれがレゴみたいに有名になったら、ミュージアムへも人が来て、お店も呼べるようになるかもしれへんで」
未来への夢が広がった。
栄作の目にも光が戻った。
栄作はヘチマの撮る動画にも出演した。広海にそのことをからかわれると、
「おれ、家が無うなって、自分が半分無うなった気がするんよ」
「――」
「あんまし人のこと気にならんのよ。ほしたら、なんかええ人ばか会うようになってな。ふしぎやんなあ」
お市が連絡をとった山の地権者たちも、みな栄作を励ました。土地の境界のことでゴネる者はひとりもなく、順調に境界決めが進んでいた。
村のどこにも泣いている者がなく、敵もいない。
そして、えびまよにとって、なによりの幸福は、夏千代が頻繁に村に来るようになったことだった。
夏千代は、赤石家の建材準備を、寺の製材所でやった。建材に墨を打ったり、継ぎ手などの細工をするのである。
えびまよは彼女が来ると、その隣でせっせと丸太の皮を剥いた。木皮に削り取りながら、同じ空間にいる至福に浸っている。
ヘチマなどは、
――さっさとコクれや。うちにはルイ言う凶悪がおるんやぞ。持ってかれてまうぞ。
からかいまじりにそそのかすが、えびまよには、とてもそんな勇気はなかった。
隣にいても、盗み見ることさえ恥ずかしい。目が会うと、時に青くさえ見える謎めいた眸に、口をきく勇気が溶けてしまう。
(おれはこれでええんや)
夏千代と釣り合うとは思えなかった。
彼女のような麗しい人間には、高い税金を納めている優秀な男が寄りそうべきだった。
貯金もなく、数ヶ月前までネカフェで毛布をかぶって泣いてた男ではない。
それでも、ルイと夏千代が話すのを見ると、はらわたが抜け落ちるようにさびしかった。
(あいつイケメンやし、カシコやし。子ども育てとる真人間やし)
美しい男女の結婚式を思い浮かべては、悶々とおがくずを指でこねている。
えびまよは思い余って、師の官九郎に頼んだ。
「木挽きの修行をつけてください」
「……」
木挽きという特殊技能を備えれば、夏千代に一目おかれるかもしれない。
官九郎は腕をぶらさげ、
「おんしゃー、たあるうやっちゃなあー」
あきれた。
「おまえね、夏千代という女を見損なっちゃいけないよ。あの子は木だって、板だって、なんでも一番いいのを見抜く目を持ってんだ。下の女の子たちだって、みんなイイ子を選んでる。そういう子にはな。心意気でぶつかるんだよ」
「そういうふわふわしたアドバイスはいりません。木挽きの修行をつけてください」
「やだよ。そんな女を釣るための修行なんか」
「おねがいします。女を釣るために一所懸命やります」
「フラレたらどうすんだ。おれは教え損じゃねえか」
「おそろしいこと言うな! おねがい。教えてください」
その様子をお市とテツが遠巻きに見ていた。
「そろそろ行くか。おれたち」
お市とテツの仕事はほぼ終った。
広海の山の緊急の間伐は済み、あとは木が眠りにつく冬に本格的に伐ればよい。
お市もつつがなく森の境界確定を完了させていた。
「ヘチマも覚醒したし」
お市は言った。
「あいつ、マルオカの親方のとこで、大工の仕事とってきたんだってよ。板売れねえってグズグズ言ってたくせに、ベランダのリフォームの仕事とったんだって」
ヘチマが一度、えびまよに四分板を十枚、無心してきたことがあったが、それがその件だった。
「腐りかけたベランダで洗濯ものを干すおばあちゃんがいたんだって。ヘチマは最初、寺の板あげようか、と思ったんだと。けど、もうひとり救えると気づいてさ。格安でリフォームの交渉をしたんだ」
彼は酒飲んでクダをまいてばかりいる親方のために、その仕事を与えた。親方はヘチマの車に乗って仕事に通った。
親方はうれしかったらしい。
最近入った仕事の建材を、ヘチマに注文してきたという。
「ヘチマはあれでなんか掴んだ、とおれは見た」
よいかな、とテツは言った。
「われらは旅立とう。風のように」
「蜃気楼のように。――とは行かないんだぜ。お兄様、所持金いくらおもちで?」
「八十円」
「ジュース一本買えねえじゃねえかよ!」
ふたりはうなだれた。青空に多少小遣いをねだらないと、次の寺まで、また雑草を茹でて食いつなぐ赤貧道中となる。
テツはしょんぼりして、
「お小遣いもらって、風のように去るのってアリ?」
「それ全然カッコよくないから。ふつうに給料もらって去る期間工だから」
そんな話をした翌日、寺に一台のベンツが現れた。
中から降りてきた男たちはダンディを殴りつけ、無理やり車で連れ去った。