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天地に仁なし

 栄作は寝こんでしまった。

 食事もせず、ただ日中は目をとじて仰臥していた。


 眠ってはいない。ただ圧倒され、暗闇を見ていた。

 息子と娘から電話があった。


『今すぐは行けない。アパート探してるから、少しの間、そのままお寺に世話になっていてくれ』


 栄作は無言で、電話を切った。

 村の仲間が次々、見舞いに来て、身の回りの品を持ってきた。

 広海がふくらんだ封筒を渡し、


「見舞金や。ロクさ、百万出したで。おれんたはちびっと」

「……」


 栄作はあごをふるわせ、涙をこぼした。

 なんや、と広海は笑った。


「どーもないがな。田んぼはほとんど無傷やし、家かて、拓マが住んどった空き家にでも入ればええがな。それに、あの若い連中も、今、みんなしておまんの家、掘り出してくれとるんやで」


 栄作も知っていた。

 あのイヤなお市坊が来て、


『身分証がなくても、預金おろせるよう銀行にかけあうよ』


 そう言って安心させた。

 だが、栄作はすっかり意気地をなくしてしまっていた。


「神様や」


 また目じりから涙をこぼし、親友に言った。


「山ノ神さまが、バチあてたんや」

「……」


 山をハゲ山にするという傲慢に、神が激怒し、親指で押し潰すように自分の家だけ埋めたのだ、と言った。


 あまりにもあっさり、自分の生活が消し飛び、栄作は恐れおののいていた。


 ただ雨の加減で地面が崩れたとは思わなかった。大地が悪意を持っているに違いない。栄作には身に覚えがあった。


 古来、自然に押し潰された人々もそのように思ってきたのだろう。

 栄作はその人々と同じく、人間の恐ろしいほどの儚さを思い知った。


「おれは終わりや。神様を怒らせてまった」


 栄作はメソメソと泣いた。

 ほうやんなあ、と親友はのんびり言った。


「ほしたら、お祭りして、お詫びしよか。青空さんにたのんで。な」


 気のいい相棒は、逆らわず、弱気な栄作を慰めた。





 青空は禰宜の資格も持っている。

 栄作の希望通り、村の人間を集めて、山ノ神へ大量の塩や酒、供物をささげ、祝詞をあげた。

 儀式の後、青空は栄作を元気づけた。


「神様を恐れないでください。山崩れは重力のせいで起きたことです。神様は守ってくださったんです。こちらの神様は栄作さんが子どもの頃から、ずっと見守ってくださってるんですよ」


 栄作はまた涙ぐんだ。ひどく涙もろくなっていた。

 神との禊は済んだが、栄作は虚脱してしまった。今後のことが考えられない。寺で寝たり起きたりしていた。

 息子が来て、


「名古屋の高齢者用のマンションに入れそうや。金は山と田んぼ売ったらできるやろ」


 そう話したが、栄作は彼を部屋から押し出すようにして、断った。

 息子はひどく腹をたてた。


「ほんなら、どうするんよ。いつまでも、お寺にタダで寝泊りさせてもらうわけにいかんろ。なんもせんと、のたのた寝て。そもそも自分、でらあつかましいんちゃうか。ご住職に何したか、忘れたんか」


 息子は青空になだめられ、帰っていった。

 栄作は情けなさにメソメソ泣き、青空に訴えた。


「迷惑やで、下に下がります。おれにここにいる資格はないんや。おまんにあんな手紙書いて」


 解雇通知のような手紙を書いたのが、一週間前だった。

 だが、青空は、ああ、と高い声を出し、


「ごめんなさい。あの手紙。読んでないんです!」

「――」

「受け取って、読もうとしたところまで覚えてるんですけど、――チラシにまぎれて焚きつけに使ったかも……スミマセン。あいかわらず、ドジッ子で」


 コツンと自分の頭を叩いて、笑った。

 栄作はさすがにそれを信じなかった。が、もう出て行こうとは言わなかった。


 正直なところ、申し訳ないという感情もさほど無かった。

 被災以前の記憶がすべて遠い。青空への怒りが思い出せない。諸事億劫で、静かな離れから動きたくない気持ちが強かった。


 誰に言うともなく、


「――家がない言うことは、みじめなことやんなあ」


 つい声に出した。


 なにもする気が起きず、ただ鳥の声を聞いて、日を送っている。

 寝てばかりいた。いくら寝ても、そのまま死ねる気配はない。頑健な体がつらかった。


 ある時、目を開くと、小桃のようなみずみずしい顔がふたつ、のぞいていた。


「おじいちゃん、病気なの?」

「――」

「千里のお薬、かけてあげる」


 ひとりの子どもがぜんそく用のスプレー薬を、栄作の口にかけようとした。さすがに、栄作は止め、


「お、おおきに。ありがと。でも、おじいちゃん、その薬は飲めないんだよ」

「どのお薬がいいの?」

「――」


 どの薬がいいのか、栄作にもわからない。


 また目を覚ました時、ふとんの上に赤いものがいくつか落ちていた。栄作はつまみあげ、じっと目をこらしてから、それが爆けそうなほど果肉の漲った、小さいトマトだと知った。





 栄作の家跡には、寺の若者と村の老人たちが集まっている。

 あれ以来毎日、土と倒木の撤去作業が続いていた。


 テツがバックホーで木を運び出すと、人々は示し合わせることもなく若者はシャベルを、農家はトラクターを持って集まり、自然と作業についた。


 広海は作業しながら、不安でやりきれなかった。


(この歳で、家放り出されて、あいつ弱って儚いことになってまうんないか)


 家だけでなく、シイタケの乾燥所も呑み込まれた。

 息子の秀明が、名古屋に引き取ろうとしているという話も聞いて、せつなかった。


(あの内弁慶が村の外でどうやって生きていくんや)


 つい辛気臭い気分になる。周りを見ると、ジョージもゴローも、墓でも掘るような顔をして土をひっかいている。作業の端々に、哀しい目つきをした。

 広海は思い切って、明るい声を出した。


「若いひとはあれかな。郡上おどりは行ったことあるんか」


 ヘチマがすぐ、つきあいよく言った。


「ないですねえ。もうそろそろですよね」

「行ったらええがな。楽しいで。盂蘭盆会の日はオールナイトやに、全国から人も来よるし。テレビもようけ取材来るで」

「へえ。広海さんたちは毎年?」

「いんにゃ」

「行かんのかい!」

「おれ、あすこまでよう行かんわ。ひと多すぎててきない(くるしい)

「てきないんかい!」


 ヘチマやルイは進んで話に乗り、空気を明るくした。

 いつのまにか、老人たちはおどおどしなくなっていた。老人も若者もみな不安のために、やさしかった。互いに気遣い、言葉を交わすようになっていた。


 えびまよだけは、彼らの話を聞いていなかった。重い倒木に鳶口を打ち込み、がむしゃらに波板の上をすべらせていた。





 お市は夜、作業するテツに言った。


「あのだね。薄情なことを言うようだけどね。これから二度と雨が降らないわけではないのだよ」

「――」

「とくに広海さんの森ね。ふもとにおタカばあちゃんの家がある。あそこが一番こわい。秋の台風シーズンまでになんとかしたい」


 広海たちはハリヤ林業との契約を抜け、伐採の予定はない。

 ひとまず切り倒し間伐で、根元に垣を作るべきだ、とお市は言った。

 しかし、テツは、


「まだ無理だな。今、みんな、栄作さんのためにひとつになってる」

「それ一種のヒステリー状態だからね。外野たるわれわれが冷静にならなきゃだめよ」


 平和な村に大きな裂け目ができて、老人たちはあわてている。寺の若い者たちも、栄作の哀れな姿に旧悪を忘れ、胸を痛めていた。


 テツはあいつが、とあごをしゃくった。

 土の山の向こうにライトが動き、重機のエンジン音が唸っていた。えびまよがそこでバックホーを使って、土砂を削っていた。


「あいつ、いま泡食ってんだよなあ。官九郎さんの話も聞かないし、おれが言ってもきかないよ」


 皮肉にも、豪雨被害のため、製材所には注文が殺到していた。率先して動かなければならないえびまよが、栄作の家跡から離れない。

 テツは聞いた。


「次、どのへんが崩落しそうかわかるか」

「そんなのわかったら予言者」

「おれが広海さんに言って、朝、そっち伐るから、ポイント絞ってくれ。また豪雨があるようなら、おタカさんも寺に疎開。とりあえず木を撤去したら、みんな落ち着くから」


 わかった、と言って、お市は市道を歩き出した。


 テツにはその時、ふと相棒の空気が少し重いような気がした。


「お市、どうした?」

「天地に仁なし」

「……」

「万物をもって芻狗(すうく)となす」


 大自然は情け容赦なく、ひとの営みをわら犬のように葬り去る。

 お市は言った。


「ほんのちょっとの猶予もないんだな。ほんのちょっとまごついて、じじいのわがままにふりまわされてるヒマもない」

「……」


 テツは友にはっきり言った。


「防ぎようはなかった」

「だよね」


 青空もお市も、自分が思う最高のことをやった。もっとよい方法があったかもしれないが、そこにいなかった天才のことを話していてもしかたがない。

 テツはしずかに言った。


「完璧主義はクソの役にもたたない。出来ることをやっていくしかねえよ」

「――」

「それに天地に仁がないとも限らない。むしろ天地には仁が遍満していて、人間のほうがそれを受け入れずに」

「仁者は山を楽しむ! 仁者のジンバブエ」

「――」

「……かっぱの川流れ」

「――」 


 テツは相棒をじっと見た。お市は笑い、


「仁て、桃の種とかにあるよね。青酸含んでるとこ。――続きをどうぞ」

「もうどうでもよくなった」

「いや、よいお話をお聞かせください。兄上」


 テツは足元の土の塊を手ですくって、だんごに握った。すばやく走り逃げるお市の背に投げつけた。





 えびまよは、ひとり重機を操り、土を運んでいた。

 日中、炎天下、彼はひとりで作業した。


 瓦屋根が見えた時点で、ほかの者たちはひとまず落ち着き、日常に帰っていった。夕方だけ、掘り出し作業に来る。

 えびまよもそうすべきだったが、現場から離れられずにいた。


 そこへ夏千代がきた。

 夏千代は無論、栄作に起きた悲劇を知っている。それでも現場に来て、


「土台板がすぐほしい」


 泥まみれになっているえびまよに言った。

 えびまよは最初答えなかった。どうあしらっていいかわからないが、今はそれどころではない。


「なにそれ」


 夏千代が冷かな声を出した。


「客が発注かけてんだけど?」

「休み」


 えびまよはぶっきらぼうに言った。うまい断りの文句など出ない。

 とにかく、いまはこっちが大事なのだ。

 嬢ちゃん、と官九郎がなだめた。


「おじさんがやるから。今、こいつは気がたってっからな」


 だが、夏千代は眉をひそめた。棟梁の声が出た。


「意味わからん。自分、遊びで仕事しとるんか。プロやないんか? 気分次第でほかのことに飛びついて、ひとに仕事おしつけて。それであんた、この会社の代表か?」


 えびまよはつい、にがい声を出した。


「代表だからなんや」

「――」


 胸にふくれあがっていた怨みが皮を破って現れ、言った。


「ここにひとの家が埋もれとるんや。帰る家が無い言うんがどんなことか、わからんのか。おまえ、家建てとるくせに、そんなこともわからんで、仕事しとるんか!」


 えびまよもは睨みつけたが、内心、うろたえた。夏千代は動じることなく、いつものように温度の低いふしぎな目をしていた。


 えびまよの瞋りはすぐ空気がぬけるようにしおれてしまった。

 夏千代は興ざめたように、


「あんたんとこに今来てる客はみんな、壊れた家を直すのに、板が欲しい言うとるんや。ガキか。話にならんわ」


 身をひるがえして、立ち去った。官九郎がひょこひょこその後をついて言った。

 その晩、ついに官九郎はえびまよを叱った。


「あの嬢ちゃんは、客紹介してくれたんだ。ニュース見て、応援しようと、知り合いの建屋を連れてきてくれたんだよ」

「!」


 えびまよはうなだれた。

 官九郎は言った。


「ひとりよがりとはいわんが、大人には大人の助け方があるんだ。いつまでも悲嘆にくれてたらダメなんだぞ」


 明日、謝ってこい、と言いつけた。

 えびまよは、お市に泣きつき、いっしょについて来させた。


 夏千代は現場に出ていた。

 養生シートをまくって出てきた女棟梁を見て、えびまよは心臓を素手で絞られる思いがした。

 作業服姿の夏千代は、いつもよりくっきりと大きく見えた。


 ふしぎな華があった。作業着の肩に、この現場を統括する人間の充溢した闘気と威厳が翼のように光っていた。

 だが、あの謎めいた眸はいつもよりさらに冷たく澄み、感情を映さない。

 えびまよは悲しんだ。


(腹切っても許してもらえるなら、この場で腹かっさばきたい)


 お市は若者を突き飛ばし、


「犯人を連れてまいりました。お詫びしたいそうです。煮るなと焼くなと好きにしてください」

「……」


 えびまよは蚊の鳴くような声であやまった。

 お市が、


「聞こえませんよ? ノドにカンナかけてもらうか?」


 えびまよは無礼を詫び、何度も深く頭を下げた。

 お市があくまで中立のような顔をして、青年の気負いと、被災で浮き足立ってしまったことをいいわけした。


「あのな」


 夏千代はもの憂い声で言った。


「あんたがつぶれた家掘り出して、どうするんよ? それより、山の手入れして、次の家つぶさんようせな、だしかんやろ?」

「……」

「村に製材所つくったのも、今回みたいな災害を防ぐためやろ? 仕事して前に進まな」


 ――そうなんですけど。


 えびまよはうつむいたまま、答えられずにいた。

 理屈はそうなのだが、栄作の家を早くなんとかしてやりたかった。家財道具をなるべく掘り出して、ログハウスでもなんでも新しい家を建て、元の生活に戻してやりたかった。

 夏千代は言った。


「うちに依頼すれば?」

「?」

「あの家建てなおすんなら、うちで請け負おうか、いうてんの」


 えびまよはおどろいた。お市を見る。

 お市は笑って言った。


「そらいいね。といっても、被災者だから金ないよ。まけてくれる?」

「六百万」

「!」


 夏千代は言った。そのかわり、木材は森の翼で準備。キッチン、風呂等設備は中古。工期は一年。


「うちも今、この家かかってるし、大工はわたしだけでやるから、それぐらい長丁場になる。それでもいいなら、すぐ設計にかかる」


 お市は首をかしげ、


「でも、おじいちゃん、冷蔵庫やテレビも買わなきゃいけないわけだし、被災者価格で五百万」

「ダメ」

「そのかわり、見習いのリンちゃんでいいよ。研修かねて」

「六百万でも、うちの持ち出しだから。そっちの事情を考えて、厚意で申し出てんだけど」

「五百五十。今後、飛匠・め組にはサービスするってことで」

「六百。そしゃ、忙しいで」


 夏千代はするりと養生シートの向こうに消えて行った。





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