ひとやすみ 平安冒険活劇
飛騨の古老が語る昔話 『無畏大師さまとイチイの木』その3
さてさて、――。
無人の村のために、寛円上人は『村のタネ』を取りに行かっしゃった。
ところが、イチイの乙女にタネを潰されたもんで、さらにトンブシの妖怪を招くことになり、往生こいた。
乙女は神犬手津丸さまに、飛騨の匠をけしかけられ、しぶしぶ、『石の花瓶』をとってくるなら、トンブシの退治方法を教えよう――、とここまで話したんやな。
寛円上人とイチイの乙女、手津丸さまと飛騨の匠は、神不知山へと旅に出た。
イチイの乙女は懲りぬやつでよ。
「寛円よ。腹が減ったであろう。これは詫びの印じゃ。たんと喰うがよい」
手のひらに小さな赤い実をどっさり乗せて、渡した。
寛円上人は素直なお人であったから、よろこんでつまもうとなさった。が、飛騨の匠がそっと袖をひき、
「イチイの木種は毒がありまするぞ。獣がよく死にまする」
「……」
手津丸さまがぎらりと歯を剥いて、
「匠だけ、黒岩崖に戻るがよい。根のひとつも切り落とすがよい」
「堪忍じゃ。よかれと思ってしたことじゃ」
イチイの乙女はウソ泣きしたが、手津丸さまはまた逆毛を立てられ、
「そういいながら、袖に隠したカメムシはなんじゃ。わしが気づかぬと思うてか!」
寛円上人はさすがに、乙女にヘクサムシを捨てさせた。ふくれっつらの乙女を見て一首。
「――供怒り カメムシ投げ打ち 白目かな にぎやかなりける 逢坂の関」
乙女は腹立ちまぎれに、
「なんじゃ、そのいつもついてくる『逢坂の関』は」
「おう。これは、わしが子どもの頃、歌詠みを教えてくれたじいが、授けてくれた秘訣じゃ」
「?」
上人は笑って、
「わしはむかしから阿呆での。じいが教えるのに困って、歌に『逢坂の関』さえつけておけば、姫御と逢えまする、と教えてくれたのじゃ」
「疲れ果てたのじゃな」
「若いわしは逢いたい一心で、歌ったものじゃ。
――逢坂の 逢坂の関逢坂の 逢坂逢坂 逢坂の関」
「……」
「逢うてくれる姫もおったぞ」
「わしでも会うわ。どんなうつけ者か見たいものじゃ」
寛円上人は聞かさった。
「こなた、歌をもろうたことはあるのかえ」
「……」
すると乙女はぷくっとふくれて、黙ってしまった。悪さばかりしている木霊に歌を詠むものなどないでな。
だが、旅の道すがらこうも言った。
「わしはまだ若い。あと千年もすれば、天を覆わんばかりの神々しい姿となるぞ。その時は、都中の人間が黒崖まで来て、歌を詠もう」
手津丸さまは言わさった。
「それより師よ、そこにクマの糞がある。踏みなさるな」
乙女は白目を剥いて黙ってしまった。こっそりまたカメムシをつかまえたんやと。
さて、道中、小さな庵があった。
そこに白ひげのじーさまがござってな。風呂より大きな穴を前に、たたずんでおった。
寛円上人が、
「もし、おたずねしたい。神不知への道は」
しかし、じーさまは黙りこくって動かない。
寛円上人はあやしんで、
「また、松丸かな」
「いや。ひとじゃ」
手津丸さまが、大きく一声吼えると、じーさまははじめて気づいた。
「これは失礼。考え事をしておった」
寛円上人は、この大きな穴を不思議に思い、たずねた。
じーさまは、岩の上を指し、
「この笛を埋めようと思いましてな」
岩の上にはなるほど、一管の笛があった。
「これは吹くとおそろしい災厄がやってくるという笛でな。ひと吹きすると、ひとが溶けるように消えてしまう。村ひとつ消えたところもあるという」
じーさまは白ひげを握りつつ、
「これを穴に埋めるべきかと悩んでおりましたのじゃ。しかし、穴に埋めて、獣が掘り出しては大変。では、川に流すべきか。川に流して、魚が飲みでもし、漁師の手にでも渡ればこれまた危ない、と」
その時、
――ピヨオオオオ
笛の音が通った。
一同が、ぎょっとしてふりむく。見ると、寛円上人が笛をかまえ、すくんでござった。
「……よい笛じゃな」
この上人。もとは公家の出で笛が得意。つい、試し吹きしてみたんやな。
うつけめ、と乙女がわめく。白髭のじーさまは、あわあわとあわてふためき、言葉も出ない。
天がにわかにかき曇り、暗くなった。
「た、祟りじゃ」
白髭のじーさまは自分の掘った大穴に飛び込んだ。
残った客人たちは互いに顔を見合わせ、うろうろ。
ザッと風が吹いた。と思うと、一行は宙に浮かんでおった。
たくさんの大鎌のようなものが一行を掴んでいる。
手津丸さまが大風のなかで吼えた。
「これは大鷲じゃ。鷲のにおいじゃ」
たしかに大きな翼がふたつ、左右へ伸びておった。
これは人食いの大鷲でな。人里におりては、ひとや牛馬をさらって、巣に運び、喰っておったんじゃ。
乙女がわめいた。
「なんとかせねば、ヒナのエサじゃ。噛め、犬神」
「腹をつかまれてはどうにもならぬ」
「飛騨の匠、斧を使え」
「これは仕事道具。肉は切らぬ」
「役立たずめ!」
その時、乙女が袖のカメムシを宙に投げつけた。
それが飛んでいる大鷲の鼻の穴にすぽっ。
大鷲はくしゃみをして、指をひろげてまった。
「あ、あああああ!」
一行は当然、まっさかさま。
しかし、そこは偶然、雲突く神不知山の山頂やった。雲のふとんの上に落ち、みな命ばかりは助かったが、伸びてしまったんやと。
さて、寛円上人が目をひらくと、
シャッ シャッ
何かが擦れる音がした。
赤岩を積み上げたような、大きな赤鬼がおって、太い指をそろえ、包丁を研いでおった。
上人たちは、藤で編んだ大きな籠に乗せられておったんやと。
となりには池のような鍋が湯気をあげ、ねぶかや大根が煮えておる。あきらかに上人たちをぶつ切りにして、鍋に放り込む用意や。
しかし、寛円上人は恐れを知らぬお人であるから、
「鬼よ。いただきたいものがある。『石の花瓶』をこれなる乙女に渡してはくれぬか」
「?」
鬼はごっつおうが口をきいたので、おどろいた。さらには命乞いするでもなく、まずモノをねだったので、これまたおどろいた。
「少し、おかしいのか」
ちょいと指でつまんで、また上人を藤籠へ戻した。
すると今度は、イチイの乙女が籠からぴょんと飛び出て、
「鬼よ。わしらを喰うなら、喰うがよい」
「――」
「その前にひと目、『石の花瓶』を見せてくりゃれ。かわりにこの世でもっとも面白きものを見せてやるぞ」
鬼も少し考えた。夕餉の前に座興もよかろうというわけや。
石の花瓶をつまんで、乙女に渡してやった。
「この世でもっとも面白きものを見せよ」
これじゃ、と乙女は扇をひらいた。歌いつつ、舞いはじめる。
――あまつかぜ。かぜをよびませ。笛吹いて 笛吹きませい はよう吹け
上人は乙女の舞に見惚れていたが、手津丸さまがささやいた。
「笛を吹きなされ」
上人は舞に合わせ、見事な笛を奏でた。
まもなく、また天がかきくもり、黒い影が地を覆った。乙女が籠をつかむと同時に、籠はみるみる天に昇っていった。
また大鷲に連れ出されたわけや。
乙女は小さくなった神不知山を見下ろして、高笑いした。
「まぬけな鬼め。石の花瓶が手に入ったわ」
「それで」
強風のなかで寛円上人は聞かさった。
「このあと、どうなるのじゃ」
「少しはおつむりをはたらかせよ。その笛で、鷲の足裏でもくすぐってやったらどうじゃ」
もっともだ、と上人はすぐに大鷲の足裏をくすぐってみた。
手津丸さまが、
「あぶない。おやめなされ」
叫んだ時は遅く、大鷲は鉤爪を大きく開いてしまった。
「ぬああああああ!」
一同は籠ごとまた豆粒のように落ちていったんやと。
〔つづく〕
翌朝、雨はあがった。
朝靄のなかに、惨禍が一望できた。
村を取り囲む山の、ちょうど栄作の家の上を巨大な爪が掻いたように、ひとすじ山が削れていた。
栄作の家は、土砂と倒木の下に埋もれ、瓦一枚見出すことができない。
青空はひざをつき、泣くように手を合わせた。
「――栄作さんをお救いくださり、ありがとうございました!」
栄作のからだが無事だったことはひとつの奇跡だった。
だが、当人は川のように流れ込んだ倒木の前でぼんやりしていた。木々は鉄骨さながらに重く、手の出しようがない。着のみ着のまま。なにひとつ持ち出せなかった。
青空は栄作を寺に招き、離れを与えた。
ここは手洗いがつき、小さな庭があって静かだった。
「だいじょうぶ。村の皆がついてますから」
陽が高くなると、空にはヘリコプターの音が響いた。報道ヘリがつぶれた栄作の家などを映しているようだった。
お市はスマホでそのニュースを見たが、栄作の山以外にも各所で小さな被害が起きていた。
警察も来た。が、栄作が無事と知ると、それ以上何かするとは言わなかった。
テツが、
「あの土砂の撤去はおねがいできるんですか」
「はあ――それはこちらでは……」
中に死骸があるわけではない。山も家も私有地内のことであり、警察は積極的ではなかった。
行政も期待できなかった。この豪雨で被害を受けた場所はほかにもあり、山奥の、たった一軒の家を掘り出しに何台も重機をむかわせるゆとりが、この小さな地区にはなかった。
「この高さなら、なんとかなる。こっちでやろう」
テツは軽架線と寺のバックホーで、家を掘り出すことに決めた。
土砂は畑にもかぶさっている。放置しておくわけにいかない。
栄作自身は、どこか夢を見ている気持ちでいた。まだ身の変転に実感がわかなかった。
つい老眼鏡を取りに帰ろうとして、もはやどこにもないのだ、と気づいた時、からだの芯がくずれてしまった。