表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/30

それを言っちゃあ、おしめえよ

 雨の降りしきる中、畦でウシガエルがぼうぼうと鳴いている。

 そこに口笛のダースベーダーのテーマが重なった。


 お市は傘を差し、口笛を吹きつつ、下ノ村の濡れた市道を歩いた。

 栄作の家には向かわない。

 栄作の家には、毎晩のようにえびまよが訪ねていた。訪ねていたが、入れてはもらえず、ついには駐在が現れ、注意を受けた。


 栄作老人は話さない。

 広海のほうは油断していた。鍵をかけるということも忘れ、広海の女房はつい、お市を中に入れてしまった。


「ハリヤ林業さん、こちらでもちょっと調べさせてもらいました」


 お市はハリヤ林業のパンフレットを持参していた。

 広海は革のソファにちぢこまっている。まるで、有罪の証拠をつきつけられたようにこわばりきっていた。


「これ、便利ですねえ。一切山主かかわりなし、丸投げで、木を切っていってもらえる。とくにこの不在地主問題の相談に乗ってくれるというのが良い」

「……」


 お市は広海の目をのぞきこんで言った。


「つまり、あなたがたが頑なに我々の間伐を拒んだ理由というのが、このへんなんじゃないかなと思ったんですが、いかがですか」


 広海は図星を突かれて、息をつめた。

 お市はやわらかい声を出し、


「珍しいことじゃありませんよ。不在地主のことは、日本中の山主が困っている問題です。だからこそ、これに目をつけたハリヤ林業は、賢い。ただ、お高いですよね。境界確定、ヘクタール七万って」

(え)


 広海はつい目を瞠った。若い僧はそれを見逃さなかった。


「あれ。高くないですか。ほかのNPOだとヘクタール五万ぐらいでやってくれるところもありますよ」

「え、ちょ――」


 広海はつい言った。


「込みやないんのんか」

「別途料金かかります」


 ほら、とお市はパンフレットのゴマ粒のように小さい字を示した。

 広海は老眼をすがめ、唸ってしまった。


(あのたーけが)


 おっちょこちょいの友を恨んだ。ヘクタール七万なら、いったいどれだけ利益が残るというのか。

 お市坊は言った。


「森林の境界は国境みたいなもんです。こじれると戦争。裁判で何年かかっても決着がつかないなんてこともあるので、そりゃ無料じゃひきうけませんよ」

「……」

「でも、場合によっちゃ無料でやることがないわけでもない」


 広海はついお市を見た。

 お市坊はニッと白い歯をみせ、


「たとえば、わたし。わたしならお友だち価格――ゼロ円で、境界確定をしてさしあげる。もちろん、不在の地権者との折衝もわたしが間に立つ」

「――」

「こういうものは、ある程度の知識があれば、素人でも見分けられるんですよ。あとは地権者さんを納得させられればいいだけ。そのへんは、わたしは得意ですから」


 お市坊は言った。


「ですから、広海さん。皆さんに話してくださいよ。本当に今、全山皆伐しなければならないのか。皆伐したら、何がおきるのか」

「……」


 広海はうつむいた。

 ほとんどの村人が、全山皆伐を不安がっていた。ハゲ山になれば、土が流れて、川に影響が出るかもしれない。川は田に直結する。


 だが、誰もそれを栄作に言えずにいた。

 お市は言った。


「あくまで森の翼とつきあいしたくないというなら、それでもいい。森林組合でも、別の業者でも、山の健全化を考えてくれる業者とつきあってください。その場合、境界確定料金はヘクタール五千円で引き受けましょう」

(五千円……)


 広海はつい釣りこまれ、頭のなかでそろばんを弾いた。その上からお市がたたみかける。


「補助金も取りますから、プラスになりますよ。境界さえ決まっていれば、その後の間伐はお好きな時にやっていただければいいので。ご負担になりませんでしょ」


 帰り際、お市はニヤリと笑って、


「では、大至急、栄作さんとご相談ください。どうも、わたしがここに来たことは望遠鏡で見てらっしゃるようですから」


 広海はぎょっとした。雨でけぶる山のふもとに栄作の家が鎮まっている。そこから切れ長の細目が恨めしげに見ている気がした。

 




 栄作は広海の話を聞き、ぶすっと不機嫌な顔をした。

 つくづくイヤそうに、


「カンタンな男やんなあ。はした金でコロコロ転びおって、恥ずかしないんのんか」

「おまん、それよう言うたな! 境界線のこと別途料金て、知っとったか。知っとったらペテンやし、知らなんだらマヌケやぞ!」

「――」


 栄作は忌々しげに唸った。

 栄作もはじめは知らなかったが、最近、息子に言われて知ったのである。息子も小さい字を読み落としていた。


「金のことは心配いらん」


 栄作は言った。


「補助金も出るし、足りん分は、おれが出す。おまんたに損はさせんて」


 広海は顔をしかめて、友を見た。


「意地張りすぎて、ひっこみがつかんのんか」

「あ?」

「そうやろが。この皆伐、おまんになんの得があるんよ。金も入らなんだら、木を伐るだけ損やろが。なんもせんほうがマシやがな」

「……」


 この日、広海も腹をくくって、言った。


「むこうは、もう山に手出しせん言うとるんやで? 山に手出しせん、皆伐だけやめてくれ、言うとるんよ。おまんの勝利やがな。これでもう手打ちでええんないか」


 ここらで退け、と友に訴えた。


 広海は心配だった。栄作は未明に、すばやく自分の田畑をいじり、自宅にひっこんでしまう。あとは日がな家に引きこもり、二階から天体望遠鏡で村を監視しているようだった。


(スパイかいな。いつまでこんな不健康な暮らし続ける気や)


 広海は言った。


「おまんよ。みんながおまんの顔たてて黙ってることも考えな、だしかんぞ。勝手に人の山まで皆伐決めて、みんなもの申したいはずやに、おまんが仲間やで」


 栄作はどす黒い声を出した。


「おれはおまんたのためにやっとるんや」


 ひざの脇の畳を叩き、


「どこが勝利。あいつらはまだおるんないか! まだそこら、うろつきまわっとるんないか。おれはあいつら――」


 興奮のために言葉が詰まった。切れ長の目に朱が帯び、険しいしわがよった。


「虫唾が走るわ」


 広海はなまの憎悪を感じて、おどろいた。

 栄作は麦茶を飲んで、息を静めると言った。


「そもそもの話は、青空さんがホームレスかき集めてくるのをやめさすにはどうしたらええか、ちゅうこっちゃ。なにを敵に言いくるめられとるんよ」

「敵て」

「あのなあ、広海さんよ。おまん、誇りはないんのんか」

(ほこり?)


 広海はとまどった。栄作はしかつめらしく言った。


「この村を長年、守ってきた人間の矜持や。おまんは七十年、この村を守ってきた。どっこも行かんと」

「いや……おれ、長男やから村におっただけやし」

「おれんたがここにおって、村を守っとったやで、いまこうして住めるような土地になっとるんや。草とって、道掃いて。水路かて掃除せな詰まる。田んぼの世話は言うにおよばずや。おれんたがここで暮らし続けたやで、道も敷いてもらえ、街灯もついた。おれんたがここでふんばっとったやで、ここは暮らせる土地のままあるんや」

「――」

「上の寺のまわり見てみい! 半分以上、草で埋まっとるがな。おれんたが手入れせなんだら、ここは、ああなっとったんやで」


 栄作の頬に血がさしのぼっていた。


「あいつらはその間、何しとった? 都会で好き勝手して暮らしとっただけやがな! 自分とこばか下水道しいて、ガスしいて。おれんたのとこ、下水道来たのいつや。十年前か」

「……」

「そういう苦労を知らんと、食い詰めたから、田舎きました。ここはおとぎの国ですねて、そんなふざけた話あるかい。ここにはここの人間の苦労が詰まっとるんや。あとから来たもんに勝手されたら、たまらんわ」


 広海は困惑していた。こいつの怒りの根はこれなのか、とおどろいた。

 一方、誇りなんぞというタマかいな、という思いもある。


(だいたい下水道が、今寺におる子になんの関係があるんよ)


 だが、栄作はにわかに立ち上がると、ダンダンと足音をさせて部屋を出て行った。

 まもなく戻り、手にした紙を突き出した。手書きで数行の文が書かれた便箋だった。

 栄作は昂ぶり、早口で言った。


「おれも出すか迷っとった。けど、おまんたの金の汚さ、節操のなさ見とったら、もうやるしかない。おまんたはもう、ハリヤさんに木を伐らせんでええ。うちだけでやる」


 広海はその短い手紙を見て、ああ、と眉をしかめた。心臓がしぼられるように苦しくなった。


「これやってまったら、終わりやがな」


 栄作は冷たく言った。


「要は、本丸を叩かな埒があかんて話や」


 その手紙にはこうある。


 拝啓 松井青空様

 施無畏寺所有山林における赤石家植林地について、申し上げます。


 当家は株式会社ハリヤ林業と契約し、本年八月、右植林地を皆伐する予定でおります。

 しかしながら、貴僧が以下三つのことを約定せられた場合、皆伐を中止し、かつ植林地を施無畏寺に寄進させていただきます。


一 松井青空師が住職を辞し、施無畏寺より下山すること

一 次代住職をあっせんすること

一 現在、施無畏寺に寄食せる者たち全員の立ち退き


 なお、七月末日までに御返事なき場合、当該森林の皆伐、整地を開始します。

 これまでごくろうさまでした。      敬具

                      

                    赤石栄作 





 青空はくろぐろと育ったスイカを見て、うれしくなった。


(でかーい! これなら人数分のおやつになるな)


 その日はひさびさに晴れ間が出て、蒸し暑かった。

 畑は育ちすぎた野菜が重く垂れている。それらをごろごろとコンテナに放り込み、青空は庫裏に戻った。


「おいち、背中、あたった!」

「当たってない! ちゅるんと抜けた。ほら、ちゅるん」


 中庭で、お市と子どもたちがわめいている。植木の間に糸を張りめぐらせ、手足をつっぱらせて潜り抜けていた。

 青空が笑い、


「それって、もしや赤外線?」


 お市はからだをくの字に折り曲げたまま、


「いや。レーザーです。当たると、サイコロステーキになります」

「こわっ!」

「ダンディさん、朝から釣りいっちゃって、チビっこ放っぽらかし。おにいちゃんもやります?」


 子どもたちも、せんせいもやろ、とまとわりつく。


「わたしは足手まといになっちゃうな。よし、じゃあこれは、ポーションだ。切れた肉がくっつく!」


 青空は三人に熟れたトマトをもたせて、勝手口に回った。

 台所で、えびまよが戸棚をあけていた。


「漬物あります? 師匠に塩分摂らせんと。なんや土木工事が楽しいらしいて、帰らへんのですよ」


 えびまよたちは総出で夏草と格闘し、新しい貯木池を作っている。

 山の作業道はすでに開通していた。テツがいるうちに、貯木池を仕上げるため、重機を里に下ろして、土を掻いていた。

 この秋に伐る木を、水に漬けられるようにしておくためである。 


 青空は野菜のコンテナを置き、


「なら、これ持っていこう。いま洗うから待ってて」


 ふたりは麦茶のヤカンと味噌、野菜の籠を抱えて、作業場に向かった。

 えびまよはすでにひとつ、塩をかけたトマトにかぶりついていた。


(はー、たまらん)


 甘みと塩分、酸味、すべてが心地よい。日差しが出て、久しぶりに気分のいい日だった。

 この数日は、小さなぶつかりあいが多かった。


 雨のせいで、山に行けないルイは、日がなパソコンの数字を見て、文句を言っていた。

 七月に入って、受注がない。三十軒の顧客は沈黙し、柱一本注文してこなかった。

 ルイはもはや新しいビジネスを立ち上げるべきだ、と言った。


 ――磨丸太(みがきまるた)、どうかな。


 えびまよは無邪気に、磨丸太とはなんだ、と聞いた。


 ――床の間とかで使う高級材だよ。杉の丸太を砂で磨くんだ。一本数十万で売れる。使う杉も細い二十年ぐらいのでいいんだよ。


 よしやろう、とえびまよが単純に応じると、となりから官九郎が口をはさんだ。


 ――おまえたちの家、床の間あったか。


 ふたりは黙った。


 ――そういうことだ。


 現在、床の間のある家自体が少ない。よしんばあっても、そうした高級材は茶の湯の道具のようなもので、よしあしがわかる目がいる。新規が簡単に入っていける世界ではない、と言った。

 ルイはむっとして、


 ――官九郎さんはなんかアイディアあるんですか。

 ――犬小屋だよ。ヒノキの犬小屋。ヒノキは抗菌防虫になるからな。十万ぐらいで売ってるとこもあるんだぜ。

 ――あー、全然ダメっすね。今、犬は室内飼いがほとんどです。需要ありません。


 ふたりはアイディアを出してはけなしあった。

 えびまよはその間で、たたみのささくれをいじりながら、毎度のいがみあいがやむのを待っていた。


(ヘチマがおれば、緩衝材になってくれるのに)


 ヘチマが寺を去って二週間がたっている。マルオカ建築の親方とは、意外に仲良くやっているようで、あれきり帰ってこない。

 一度、ヘチマから、


『ヒノキの、四メートルの四分板。十枚。ゆずってくれへん?』


 と、無心の電話があった。

 えびまよは小言を言いたい気持ちをこらえて、板を送ってやった。

 当然、経理のルイを怒らせ、ガミガミと説教を浴びることになった。


(テトリスが。長い棒のテトリスが毎日降ってくるんです。栄作さんは会ってくれへんし、ヘチマが大工になってまうかもしれんし)


 えびまよは青空に愚痴をこぼしかけた。


「おれが社長になってから――」

「ふおおおおおおおおッ!」


 青空が野菜の籠を抱えたまま、咆哮した。

 えびまよが飛びのきかけると、また震えるように吼えた。


「すごいよ! すごい、見て!」


 青空は興奮し、風景をあごでしゃくった。

 前方には夏草と土がひっくり返された、広大なまだらの地面が広がっていた。


 えびまよがさっきまで奮闘していた、まだ水も注がれない、貯木池予定地だった。

 青空は叫んだ。


「村が、よみがえってる!」


 雑木が切られ、草藪が刈り取られ、かつての道と田の畦がおぼろげに浮かび上がっていた。草に隠れていた廃屋が、点々と姿を現している。

 えぼし村の埋もれた半身が日を浴び、息を吹き返していた。


 田で、小さな黄色いバックホーが土を掻いている。運転しているのはテツらしい。

 官九郎の小柄が畦に立ち、何か言って、カカカと笑っている。ルイがシャベルを使いながら、何か言い返していた。


「えびくん……」


 青空は洟をすすって言った。


「三ヶ月前は、なにもできなかったんだよ」

「……」

「わたしひとりでは、手が回らなくて。荒れるままで」


 えびまよは、改めて風景を見つめた。

 視界が広がっていた。


 田があり、畑があり、破れた家屋がある。ひとつの家屋は店らしく看板がついていた。昔、居住した人々の生活のなごりがかろうじて残っている。

 額に感じる風がこころよかった。青空ほどの感激はわからないまでも、えびまよはやさしい気持ちになり、


「先生。あの一画」


 えびまよはトマトを持つ手で、隅の田を示した。


「あそこに浮かべる丸太だけは、使わないようにしようって、師匠と話してるんです」

「?」

「伊勢神宮みたいにしようって。二十年ぐらい、白太が腐るまで長く漬けておいて、完全に乾かして。いつかお寺の修理する時に使おうって」


 おお、と青空が目を輝かせた。


「やばい」


 急いで顔をそむけた。


「洟垂れる。も、もうやめて。洟垂れるから!」


 青空は空を向き、のけぞるように吼えた。


「ありがたいいいいいいいーッ!」


 夏日は一日続いた。

 夕暮れ、遠雷が響き、黒雲が走るように流れ、天を覆った。大粒の雨がバタバタと降り出し、あきれるような大量の水が落ちてきた。

 その水を弾きつつ、郵便の赤い車が現れた。なじみの局員は苦笑いして、


「先生、へんな手紙きてますよ」


 青空は配達証明できた郵便をを見て、おどろいた。差出人の名は赤石栄作だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ