テトリス、高速でふりそそぐ
夕方、えびまよが栄作宅を訪れると、新たに看板が立っていた。
『許可なき者、敷地内への侵入を禁ず』
看板にはえびまよが置いていった菓子箱の袋がひっかかっていた。お持ち帰りください、とメモがつけてあった。
夕食の後、官九郎が怒鳴りこんできた。
「坂田ホームへの発送どうした? なんで梱包した板がおきっぱなしなんだ」
えびまよは飛び上がった。明日届けますので、と電話を入れたのが、四日前だった。
テツが軽トラに板を積んでいる間に、えびまよは首に携帯をはさんで詫びの電話をいれ、またスーツに着替えた。
靴をつっかけ、テツの待つ軽トラに転げ込む。
えびまよは助手席でうろたえきっていた。初日に挨拶したばかりの棟梁の顔がろくに思い出せない。
(くそ。なんでこんなにテトリス降ってくるんや。もう画面いっぱいやないか)
工務店に着いてから、客の顔を思い出した。夜九時を過ぎていたため、客は不機嫌だった。
「これは、ご祝儀のつもりだったんですよ」
客は渋い顔をして、
「でも、これでそちらさんの気持ちがわかりました。商売やる覚悟じゃない。こんなザマでは、板も高が知れてる」
もうつきあいしたくなくなりました、というのを、えびまよは懸命に頭を下げた。
「こちらが全面的に悪いです。本当に申し訳ないです。今回だけご勘弁ください。板は勉強さしてください。次、同じことやったら、もうお願いには来ませんので」
今度だけは、と客はしぶしぶ許した。
軽トラに戻った時、テツがぽんと頭に手を置いた。
「よくやった」
「……」
えびまよは泣きそうになった。
「タダにしてまった。お市さんに叱られる」
「叱らない」
テツは車を出して言った。
「あいつは、授業料は必要経費だって言うよ。平気平気。いくらでも失敗しとけ」
えびまよは頬に力をいれ、前を向いていた。
(何が平気なんや。一週間もたってないのに、おれもう謝罪しとるやん。社長ってそうなん? 一生こんな感じ?)
あとひとつテトリス来たら潰れる、と思った。
お市の部屋にまだ灯りがついていた。
テツは顔をのぞかせ、
「病み上がりなんだから、早く寝ろよ」
お市は文机にひじをつき、書類を見たまま生返事を返した。
周囲に古書や古地図が散らばっている。
テツは入り、ふとんを敷いてやった。
「新しいビジネス、なんか思い浮かんだか」
「そこまでやるの」
お市はぶっきらぼうに聞いた。
「作業道敷いて、製材所作って、客まで呼び集めて。サーバー仕立てて、受注プログラム作って。どこまでレール敷いてやりゃ気がすむのさ」
「……」
テツは小さな声で、せーんろはつづくーよ、と歌った。
「スポイルしちゃだめ」
お市は言った。
「若者の力を信じるのです」
「お市先生、信じるの好きですね」
「手間がいらない」
「――」
テツは散らばった本を片付け、それが施無畏寺に関する史料だと気づいた。年貢などの記録や民話の本まであった。
テツは子ども用の絵本を手にとった。大きな字で、『瓶のひと』と書かれ、頭に黒い瓶をかぶった人間の行列の絵が描かれていた。
「なにこれ」
「説話」
ぱらりとめくると、若い娘が逃げている絵があった。そのうしろをゾンビの列のように瓶をかぶった人々がついてくる。
お市は冷かに言った。
「てっちゃん。いま、ヘチマが逃げる用意してる」
「え、そうなのか」
「お仕事雑誌があった」
「ありゃー」
「ヘチマが行けば、ルイが続く」
「――」
「ルイはふたごを大学にやりたいだろうから、今悩んでる」
テツは絵本に目を落とした。最後のページには、塔のように大きな木の根元に、娘と法師が立つ。
テツは絵本を閉じ、さびしく言った。
「ルイは引っ越せないだろう。保育園も探さなきゃならない」
「だから、ふたごだけ残して、出稼ぎにいくかもね。まあ、そうなれば、えびひとりだけだから、所帯持っても、この山だけで生きていけるし、無理して事業おこさなくてすむけど」
「ふーん……」
「えびも逃げそう?」
テツは言った。
「おれはそうは思わない。おれは三人とも、残るとおもうよ」
「前の人間はみんな逃げた」
「……」
お市は書類をめくり、言った。
「まあ、これで出ていったらダメよ。三人とも。また同じ輪をめぐることになる。根無し草輪廻。他人も自分も信用できない」
「――」
「栄作さんの判断のほうが正しいってことになるね」
テツは答えなかった。えびまよの、一文字に口を結び、雨の夜道をじっと見ていた、情けない横顔を思い出していた。
最後の工務店、マルオカ建築の老社長は、約束の二時間も前から店を出たり入ったりして、お市が来るのを待っていた。
待つ間、落ち着かず、しばしばコップ酒を飲んだ。
ようやくSUVが来たと思ったら、見たこともない若者が下りてくるのを見て、度をうしなった。
「お市はどうした。あの坊主の」
「あ、寒川は今日は。わたくしが――」
丸岡はカッと血をのぼらせ、若者につかみかかった。
「来い言うたやろが。用があるから、絶対来い言うたやろが。おまえら、わしをなめとんのか!――」
言った途端、憎悪が爆け、若者の顔を殴っていた。
が、酔っていて手が紐のようだった。若者は迷惑そうによけ、やめてください、と丸岡の手を掴んだ。両手をつかまれ、懸命に蹴るが、丸岡の短い足では届かない。
「ちょっと、何してんですか。暴力はあかんやないですか」
もうひとり、背の高い若者が車から降り、仲間に加勢した。
この男の手は長く、肩をつかまれると、丸岡は拳も足もなにも届かなくなった。
丸岡はわめいた。
「なんやおまえら。ヤクザか。ひとのパソコン壊しといて、暴力か。訴えるぞ。警察呼ぶぞ」
えびまよは事務所で埃をかぶっているパソコンを見た。動作はしているが、モニターは反応していなかった。
丸岡社長は酒臭い息を吐きながら、
「前までなんともなかった! あのクソ坊主のせいや。あいつが、なんや変なことしよったんや」
えびまよはモニターの端子を差し直して見た。とたんに画面が明るく映った。
えびまよは疲れて言った。
「社長、パソコンは叩いたらあかんのですよ。テレビとちゃうんですよ」
丸岡は少しぽかんとしていた。だが、うれしそうな顔はせず、
「こういうもんは、おれはよう使わんのや。不便きわまりないわ」
ぶつぶつ文句を言った。湯呑みに紙パックの酒を注ぎ、えびまよとヘチマにも差し出す。
えびまよは、車なので、と断らねばならなかった。
「さいですか」
丸岡はすねたように注いだ酒を自分で飲んだ。
「それが賢いな。わし酒で免停や。クソガキも出てって、どっこも行かれへん。病院へも行けん。ツイてないことばっかしや」
その後、出て行った弟子への愚痴が続いた。弟子が逃げ、老妻が入院し、パソコンまで壊れ、動転してしまったらしい。
えびまよは辛抱強く話を聞き、おざなりに励まして、事務所を出た。
三十軒、すべての客に挨拶が終った。
えびまよは助手席に埋もれ、へたばった。
ヘチマがぼそっと、
「おまえ、すげえな」
と言った。
「なにが」
「でーらスゲーげ。やっぱ、お市さんが社長に推しただけあるわ」
「……」
えびまよは疲れたためいきをついた。
「すごくないて。ボロボロや」
「でも、食いついてるやん」
「そら食いつくわ」
えびまよは怒りをおさえて言った。
「おれ、ここにいたいもん。逃げたら、またひとりや」
「――」
ここ数日、ずっとヘチマに腹がたっていた。ひとにえらそうなこと言える自分ではない、と思ったが、話したかった。
「昨日、お客んとこ謝り行った時、めっちゃみじめやったんや。そしたらテツさん、車停めて、缶コーヒー買うてくれてな。おれ、涙出そうなったわ。お寺帰ったら、師匠(官九郎)もダンディさんもまだ茶の間におって、青空先生がチキンラーメン作ってくれて、みんなで食うたよ。みんな心配して、おれを待っとってくれたんや。そしたら、おれ、つらいけど最悪やないなって。ネカフェで寝てた時は、死にたいばっかやったけど、みんなが固まっておったら、わりとなんでも耐えれるんやないかなって」
「……」
えびまよは思い切って、言った。
「おまえ、やっぱりお寺におれ」
「――」
「ひとりになったらあかん。どうしても出てくなら、もっと皆が応援してくれるような形で出てけや」
「……」
おれの勝手や、とヘチマは小さくつぶやいた。
えびまよは歯がゆかった。
「おまえ、ホントはやる気あるんやて。だから、ずっとつきおうてくれたんやろ」
「ないて。ただ、軽トラはテツさんも使うし、おまえ車ないと」
「なら、なんで怒った? お市さんが営業やらんでいい言うたら、なんで、じゃあ出て行く、になるんや。よろこべばええやん。別の仕事でええ言う話なのに、なんでキレるんや」
「……」
おれ以外に辞める話してないのが、最大の証拠や、と思ったが、その言葉はとどめておいた。
えびまよは、ヘチマはどこかで営業職を経験したのではないか、と思っていた。ピザ屋のバイトで、このSUVは買えない。前の会社でなにかにがい経験をしたのだろう。
(おれかて、営業でつまづいて辞めた人間やし、えらそうなこと言えん。言いたくない。でもこいつは、おれよか才能ある。人なつこいし、頭もええ。それに、こんなにガキっぽい態度とるんは、ホントはやりたいからや)
その時、ヘチマがしょんぼりと言った。
「おまえはええなあ。いつもクールで、カシコで」
(はああ?)
えびまよは大声を出しそうになった。ヘチマは哀しげに、
「いつもクールに、スマートに決めよる。無駄なこと言わんと、淡々と行動して、ものごとの中心をきっちり掴むんや。おれは、なんや、肝心なとこでビビッてまって、ハラが決まらん」
えびまよはあわてた。思いのほか、ヘチマに打撃を与えてしまったのだとわかった。
「いや、おまえの壮絶な誤解はともかく、大輔、おまえは有能やげ。だから、もったいないんや。お市さんの言い方が気にいらんぐらいで意地張って、チャンス無駄にすんのが。おまえ、プライド高いんやて。そのプライド、もっと実のあるものにせいや」
言った後、自分で口を殴りたかった。
(なんちゅーえらそうなこと! このド底辺が! ネカフェでくすぶってた微生物が)
ヘチマを見ると、ハンドルの一点に目を据えたまま、身動きしない。その頬が木のように硬くこわばっていた。
えびまよはうろたえた。言いすぎたのだ。
ヘチマは顔をあげ、苦笑いして、
「おまえ、少しオブラートに包め」
車を発進した。
えびまよも黙っていた。フォローしたかったが、どうフォローしていいのか結局わからなかった。
翌日、ヘチマは寺から消えていた。彼のSUVもなかった。
(うわああああ! げばいたあああ!)
えびまよは痛烈に後悔した。やはりヘチマは重傷だったのだ。自分で責めていたのだ。言うべきはなかった。
泣きたい思いで、玄関前に立ちすくんでいると、青空が、
「ヘチマくんから」
と手紙を差し出した。
――商品知識について身近で学ぶため、マルオカ建築で修行して参ります。来月の顧客回りまでには戻ります。
服部大輔