帰ってきたら、本丸が大砲で崩されていたでござる
同じ日、ハリヤ林業という和歌山の伐採業者から、寺に電話が入った。
相手は丁寧な挨拶をした後、施無畏寺で山仕事をしていることを確かめ、言った。
『小林さんの森の林道敷設工事を中止していただけますか』
小林とは広海のことである。
『えぼし村山林の伐採を、弊社が請け負う話をしておりますので』
青空はおどろいた。
「小林さんが、そのようにおっしゃったのですか」
『村ぐるみでやられるということで、代表の方からお話をいただいております』
青空はふと、いやな予感を持った。
「間伐、ですよね」
『主伐ですね』
全山刈り尽くす皆伐だと聞き、青空は雨の中、村へ駆け下りた。
栄作の家の戸を叩いた。しかし、栄作は玄関話にも応じない。
次いで広海の家へと走った。
「え。もう話進んでたんかい」
広海は口をあいた。寝耳に水のようだった。
痩せた老人は、寄合いでハリヤ林業の話が出たことを打ち明けた。
「あいつ、みんながいい返事しなかったに、先に手をつけたんやなあ。なしくずしに、みんなもやらそ思うて」
「どうして急に」
「……」
広海は言いにくそうに、
「やっぱし、新しい人が入るのがイヤなんよ。また被害に遭うんないかって」
「――」
青空は広海に聞いた。
「広海さんも、あのひとたち、悪い人だと思いますか」
広海はそれには答えなかった。
「うちの山、ひとまず中止しとくれ。すまん。ほんに申し訳ないんなあ。けんど、あいつとは、赤ん坊からのつきあいやで」
広海は眉をしかめ、雨にけぶる遠い友の家を見た。理不尽だろうと、ひとり放っておくわけにはいかなかった。
ほかの老人たちも広海に倣うと連絡があった。
みな、皆伐には気がすすまなかったが、仲間から離反して山を守ろうとする者は無かった。
「ふーむ」
お市はにぶい目をして、座卓にあご肘をついていた。
「こいつは誤算。栄作じいちゃん、思ったより行動力あったな」
青空も、もの憂く思いにふけっている。
官九郎がからかった。
「お市は人を見くびりすぎなんだよ。年寄りを口八丁で脅せば、目ぇ回して、言うこと聞くと思ったんだろ。おじいさまは人生経験豊富なんだ。ナメちゃいけないよ」
「ナメてはなかった」
お市は言った。
「最初こそ拳をかわしつつも、あとは共同作業と対話で仲を深めていけるものと思ってた。そうですよね。鉄舟兄さん」
テツは目をそらし、小首をかしげた。
「兄さん、対話のほうはなさってたんですよね。まさか、大好きな土木作業に夢中になって、穴掘ったり、木を伐ったりが楽しくて、人間とのつきあい忘れてた、なんてことはないですよね」
テツは折れ曲がるほど首をかしげた。お市が不穏な声を出す。
「おい、そこのポーランドボール」
しょうがないですよ、とルイがフォローした。
「あのひとら、テツさん行くと、かたまっちゃって会話が進まないんです。でも、おれらとは、最近うちとけてきた感じだったのに」
なあ、とえびまよを見る。
えびまよは複雑な顔をして、うなずいた。
もうひとつ凶悪なニュースを抱えているというのに、言える雰囲気ではなかった。
ヘチマも自分では切り出さない。座卓の輪から少し離れた位置でぶすっと茶を飲んでいる。
ヘチマが出て行く、と言った時、えびまよは腹がたった。なぜ、二手目で最後の切り札を突き出すのか、と不快だった。
だが、えびまよは人に激しい態度がとれない。
結局、聞かなかったふりをして、客先を回った。
(奇襲受けてズタボロで帰ってきたら、本丸が大砲で崩されていたでござる。なにこの大阪冬の陣)
官九郎は言った。
「とにかく、おまえらしくじったんだよ。人の気持ち置き去りにして、ことは進まないんだ。どうすんだ。村の間伐材はもうアテにできねえ。今後、寺の森だけでやっていくのかい」
ルイがハッとした。
「もしかして、寺の山を伐り尽くしたら、製材所は終るってことか」
えびまよは口を開いた。
(そういうことなのか)
さざなみのように恐怖が湧いた。何年か先にまた無職に戻るということではないか。
テツが言った。
「それはない。山はよそにもいくらでもある。寺の山が終ったら、出張して伐らせてもらえばいい」
それでも、人々の心はしぼんだ。
山は無尽で、ここにいれば、終生、木を切って生きていけるような気がしていたのである。将来、尽きることなど考えていなかった。
お市は苦笑し、
「あのだな」
と話した。
「べつに製材事業だけに終始していなくてもいいのですよ」
お市は湯たんぽを抱えなおし、
「もともと、山を手入れする必要があった。それで、きみらが山仕事をしても、十分まんまが食え、人間らしい生活ができるよう、この会社を創った。だから、会社は大きくしない。目的は山の手入れ。いつか、ルイにそう話したよね」
「……」
「あれには続きがあった。今後、きみらがなお、ここに人間を呼び、繁栄したいなら、第二フェーズに移行しろ」
人々はいぶかってお市を見た。
「板だけじゃなく、製品を作りなさい」
お市は言った。
「こんなちっぽけな製材所で終ってないで、もっと利益率の高い商品を作るんだよ」
えびまよはとまどい、怒りすら感じた。
(いま、会社たちあがったばっかりですが。まだ挨拶まわりも終ってませんが)
ルイも顔をかたくして、
「おれらにダブルワークしろって言うんですか」
「兼業農家って聞いたことないの?」
お市は笑って言った。
「いまは忙しいけど、いずれ作業道引いたら、時間に余裕ができる。こうして雨の日は仕事もできないしさ。もう一本太いビジネスを作れば、畑で野菜つくるよか将来も安心」
「――」
「いつまでもおまえら三人だけじゃさびしいでしょ。その仕事で、働き口ができるようになればさ。うまく転げて、ゆくゆくはコンビニが来るような大集落になっちゃうかもよ」
ルイも困惑しきっているようだった。
「いったい何を」
「利益率の高いもの。地の利を生かすなら、木を使った製品の販売とか。家具でも、工芸品でも。九州かどっかじゃ、板をタイルみたいに使える製品作って成功したとこもある」
官九郎がにがい顔をした。
「カンタンに言うな。工場建てるのか。実績もねえのに、銀行に金借りれんのかよ」
「工場のいらないビジネスモデルはいくらでもある」
お市は言った。
「ブレストしなさい。千個考えりゃアタリも出る。な、えび?」
唐突に話を振られ、えびまよはうなずいた。
(あ、おれ、社長か)と思い出した。
(おれがやるのか)と気づき、ぼう然とした。
土砂降りの中、えびまよは工務店に挨拶に回っている。
革靴で水はけの悪い道を駆け込み、ハンカチで拭く間もなく頭を下げ、しゃちこばった挨拶をし、片端から名刺を配った。
お市は体調を崩し、初日以来ついて来なかった。なぜか、ヘチマがつきあい、車を運転している。
(こいつもなあ)
えびまよは助手席で靴の泥を拭きながら、どうしたものかと悩んだ。
ヘチマは朝、自分から、
『挨拶まわりだけ運転手してやる。最後のご奉公や』
そう言って、SUVにえびまよを乗せた。
だが、当然のように客先では降りず、仕事の話もしない。えびまよが戻ってくると、新しい就職情報誌を読んでいた。
(これみよがしだっちゅうんじゃ)
えびまよは腹がたったが、それには触れなかった。何かの拍子に心変わりしてくれへんかなあ、と他力本願に思っていた。
えびまよは説得する気になれない。そんな余裕はなかった。
(解せん。おれ花畑にいたのに、どこで車線変更したんや。なんでいきなりテトリスみたいに問題積みあがりはじめた?)
この数日は容量過多だった。
村側の不意打ちのような、間伐拒否。元から、えびまよたちは歓迎されていなかったというショッキングな事実が明らかになった。
さらに、もう一つ、別の事業をスタートさせろという難題。新たな商品を作れというが、えびまよには想像もつかなかった。
えびまよはシートにもたれ、額をおさえた。
(栄作さんとも話せんならんし)
『森の翼』の代表として山主と交渉しなければならない。昨日、栄作の好物だという水まんじゅうを買い、話し合いに行った。
が、相手は堅く戸を閉ざしてなりをひそめ、懸命に居留守を使っていた。
(ムリやて)
えびまよは絶望した。
(そもそも、おれをだれや思うとんのや。平凡なる脳みそ搭載の、その他大勢民やぞ。三歳までようしゃべらんかった口重い子やぞ。こっち嫌っとるオジジの気を変えるなんて、そんなファンタスティックな高度交渉、おれにできるか)
えびまよは情けない気分で、道路を眺めた。何に対してもスマートに対応できない自分がふがいなかった。
その時、ヘチマがふと言った。
「おまえも大変やおな」
「――」
「さっき、雑誌見てたら、大阪やけど、住み込みで警備員の仕事あったで」
えびまよは顔が固まるのを感じた。産毛が逆立つような厭な気持ちがした。
なるべく明るい声を出して言った。
「おれはええわ。それより次、かちおちゃんとこやな」