どうしてわたしが社長に?
栄作の家で男衆だけの寄合いが開かれた。
テーブルの上には、写真の多いパンフレットが載っていた。
栄作は言った。
「ハリヤ林業では、補助金とるのも、不在地主に了承得るのも全部、やっておくれるんや。山主は、ただ座って待ってれば、金もらえる。こっちは一切ノータッチでええ」
村人たちは眉をひそめてパンフレットを見ていた。
伐採業者からのオファーだった。村の山にある木を伐採し、伐採木を買い取るという。
伐採の費用は、短期間に集中的に作業することで安くあげるため、補助金でまかなえ、木を売ったあとの利益が出るという触れ込みだった。
「ふつうの業者やと、日数ばっかかかって利益が残らん。ほやけど、ここはでかい重機がそろっとって、少人数で短期間でバーッとやってまうから、安いんやんな」
栄作は言った。
「なにより、この不在地主問題を面倒見ておくれるちゅうのが、一番の目玉や。補助金の申請もやってくだれるし、とにかく面倒がない」
皆で、これをいっしょに申し込もうじゃないか、ともちかけた。
だが、山主である男たちは不安だった。馬面のゴローは、
「話がうますぎる。たしかな会社か」
「秀明に聞いたら、テレビにも取り上げられた評判のとこらしいで」
広海は眉を曇らせ、
「そんにスピードあげるちゅうことは、これ皆伐やろ」
「そらそうや。主伐やで、あたりまえやがな」
男たちはたじろいだ。
『若い衆』のジョージは、
「おれ、似たようなの聞いたことあるけど、山、荒れますよ。でかい重機通ったら、土つぶれますし」
「べつに次、なんか植える予定もないろ」
「植えないんですか?」
「植えたら、足出てまうがな」
すると、ハゲ山になる。ハゲ山に囲まれる未来を想像し、男たちは暗澹となった。
栄作は少し勝手が違う仲間にとまどった。
「おまんた、このままいくと、あの小僧どもに間伐頼むことになるんやで? そうすると、今いない竹内さんやら、鈴木さんやらのせがれや孫やその嫁と連絡せんならん。ケンカもするかもしらん。――これには、そういう手間が一切ないんや」
広海がしぶる。
「でも、皆伐は。――あぶないて」
山を覆う木がなければ、雨で地表が流れる。切り株が腐った時に土砂崩れがもっとも起きやすい。
「あぶないことあるかい。昔、一度ここら皆伐したやろ。べつに何もおきんかったがな」
「あのあと、すぐ植林したでや」
ほやから、と栄作は口説いた。
「あん時、たーけ儲けたがな。老後、もう一度収穫しよ言うて植えたんやろ? もう老後や。収穫の時や。ほりゃ、ほかに治山しつつ、伐採してくれる業者がおるならええけど、――とりあえず、ここは良心的な業者や思うぞ」
広海は言った。
「おれはええわ。おれんとこは、かみさんのいとこがひと畝持ってるだけやし、あすこなら、そんに面倒なこと言わんし。――小僧んたがタダでやる言うなら、それでええわ」
「……」
おれも、とゴローが低い声で言った。
「山に大きい重機入れるんは、好かんなあ」
ジョージは、
「ちいとばか考えさしてください。息子らとも相談せんと」
答えを保留した。
栄作は顔色を変えた。
「おまんた、あいつらを受け入れる気なんか」
「――」
「あの若い連中に、プロセッサーなんて言われて、ほだされたんか。また夢見てるんか? 若いひとが来てうれしい。もしかして今度はうまくいく思てるんか」
ゴローがいやな顔をして、
「それとこれとは話が別やがな」
「同じや! あいつらに山手入れしてもろて、さあ、じゃあ、出てってください、て言えるんか」
「――」
「言えんのや。いっつもおれんた、言えんのや。ほやから、行動で示すしかないんや。ここによそ者はもういらん。青空さんが最後や! ほかは出てってもらう!」
叩きつけるような言葉に、人々は黙ってしまった。
ややあって、広海がひそりとつぶやいた。
「追い出すのは、けっこうやけど」
「――」
「この村、ほんとにこの先たちゆくんか」
人々はたじろぎ、広海を見た。広海はあえて皆が黙殺してきたことを、口にしていた。
「もう、ロクさ入れて、十人しかおらん。そのうち、九十代が三人や」
「……」
「この先欠ける一方やに、本当にこれでええんか? おれんた、いつまでここで暮らせるんかな」
寒村で生活がなりたつのは、かろうじて彼らが健康だからだった。
ひとつ故障が出れば、村には棲めない。子どもたちが老父老母を引き取り、病院のある都会に連れ去ってしまうのである。
栄作は言った。
「そのことは前、みんなで話したがな。不便は覚悟の上。変な人間入れるよか、気心の知れた者同士、ぎりぎりまで助け合おうて」
「助けられるのも、まんだ十人おるでや。最後の人間は誰が助けるんや」
「青空さんおるし」
「青空さんの顔は潰す。でも、最後まで面倒見てもらうんか」
栄作はむっと友を睨んだ。広海は友を見返して、
「おまんよ。おれんた、ほんとにあの子ら追い出すべきなんか? 山丸刈りにしてまで、やることなんか? 誰のトクになる? おまんかて、いま別に金に困ってるわけでもないろ」
「――」
「栄作。どして青空さん、おれんたが口酸っぱくして、『村おこしいらん、新しい人間拾ってくるな』言うても聞き入れんのんか、考えたことあるか? あのやさしい子が、なんでこんな強情なんか。どしても、それが必要やでやりよるんやろ。会社作って、人間いっぱいきたら、村も盛んになって、おれんたが安心して住める思うて」
「ご、ゴロツキに頼る気か!」
栄作が声を震わせた。
「村、食いつくされるわ!」
「――」
「もう忘れたんか。全員ろくでなしやったがな! 全員恩知らずの恥知らずやった。今の連中もそうや。あと二ヶ月もしたら飽ぐんで、ひとのタンス漁って出てくわ!」
栄作は激した。村を破壊する友の考えに、心臓が跳ねんばかりに鳴っていた。
「お、おれはだれを頼るつもりもない! ここはおれの村や。助けてくれんかて、けっこうや。よそもんに村、荒らされるぐらいなら、こ、孤独死したほうがマシや!」
男たちは黙った。
彼らはおしゃべりだったが、議論は苦手だった。だれかが激昂してしまうと、なすすべがない。
年上のゴローが、
「まあ、急いで決めることもないがな」
と、とりなした。
ほうやな、とジョージも丸いひざを動かし、立ち上がる気配を示した。
栄作は少し決まり悪げに、ほうやな、と顔をあげた。
「またしゃべろう」
見送りがてら、
「おれは治安のことを考えて言うとるんや。いまはかわいらしいに見えても、あいつらはただのカラスや。米盗んでハラくちたら、飛んでく。飛んでく時、おまんたに悲しい思いさせとうないんよ」
男たちはなだめるようにうなずき、栄作の家を去った。
広海だけがふりむいて、言った。
「おまんが正しいかもしらん」
「――」
「けど、もいっぺんだけ、騙されてみたらどうやんな」
栄作はパンフレットを前に、ひとり憮然としていた。
親友の広海に反対されたことは思いがけず、衝撃だった。
(あいつ、じじいになったんや)
昔と同じ顔をしているようでも、いつのまにか老いて気弱くなったのだと思った。
最近、孫たちもたずねてこない。孫のような若い連中にチヤホヤされて、また夢を見てしまったのだ。
(それがまともな連中なら、おれやって何も言わんがな。けど、あいつらは浮浪者や。おれらカタギとは性根が違う)
最初はいつもいい。ハリのある肌は見ていて気持ちよく、彼らはいつも可愛い。
『おとぎの国に来たみたいです。ここで暮らしたい』
農業を教えてくれ、というから、苗の選別から教えてやる。空き家に住みたいというから、村中総出で修理してやり、家具を分けてやる。
馳走があれば、呼んでやり、風邪をひいたと言えば、世話にいってやる。
だが、やがて彼らは村人の親切に狎れる。
ある若者は栄作の新しいトラックに乗って買い物に行き、そのまま消えた。盗まれたトラックは、広島のほうで売られていた。
村人は、いつもぼう然と取り残される。感激も感謝もウソだった。未来へのおぼろげな希望も消えたと気づく。
(盗みならしゃあない。けど、放火でもされたら、年寄りはやりなおせないんや)
栄作は腹を決めた。
(おれが泥をかぶろう)
受話器をとった。さすがにパンフレットの会社に直接かけることはできなかった。
息子に電話した。
寺の若者たちにも小さな事件が起きていた。
(どうしてこうなった)
えびまよは車の助手席に座り、ぼう然としていた。
アゴ髭を剃り落とし、髪をセットし、ネクタイを締めていた。スーツのポケットには真新しい名刺が入っている。名刺の肩書きは、『森の翼 代表取締役社長』。
(社長って、意味わからない。おれ、こないだまでネカフェで寝てた最下層民やお?)
隣には同じくスーツ姿のヘチマが、固い顔でハンドルを握っている。
後部座席にはお市がややのぞけり、居眠りしていた。
三人は、顧客まわりに行くところだった。えびまよとヘチマが新しい会社代表と営業担当として、挨拶するのである。
山の作業道開通まであと1キロ、という時になって、お市が若者たちに言い渡した。
「そろそろ、金勘定のほうも引き継ぎたい。社長になりたい者は、余を褒めよ。一番褒めた者に社長職を与えようぞ」
だれも褒めなかった。
ルイは山仕事の魅力に目覚め、「ネクタイするの面倒。こっちのほうがよく眠れる」と辞退した。
お市は無理やり、
ヘチマを営業部長、兼専務
ルイを経理部長、兼副社長
えびまよを製材部長、兼社長
に、決めた。
当然、三人はぎゃあぎゃあわめいたが、お市は、
「泣け。叫べ。ゴネたところで、誰かが経理やって、税務やって、仕事とってこなきゃ、会社はまわらんのじゃ。おれとてっちゃんは八月には出て行くんだぞ。おれがいるうちに、引き継いだほうがいいと思わんかね」
作業道づくりが済めば、山仕事の一番大変な部分は終る。お市は経営のほうも手渡し、材木会社がちゃんと機能するのを見届けておきたかった。
えびまよが挙手して、
「ハイ。青空先生が社長でいいと思います!」
「先生がやったら、過労で死ぬよ」
「……」
「先生は神仏の供養と畑仕事、おまえらの世話、それに檀家の法事とお忙しい。官九郎のおっちゃんは、病気持ちだから無理はさせらんない。――どの道、誰かやるんだよ。あきらめろん」
たしかに誰かがやらねばならなかった。
ルイが一番先にあきらめた。この男は会社を経営していた経験もあり、複式簿記が出来た。
えびまよは困惑しきっていた。
(おれが社長はないやろ。そういうキャラやないよ、おれは。社長のお車をささっと拭いて、三歩下がってお見送りするキャラやお)
青空に泣きついたが、
「えびまよさんが、社長。さすがお市、いい人事です。よし、いきましょう! わたしとツンデレ菩薩がついています!」
GOGOえびまよ! と拳をあげて応援しだした。
(……)
もう『ゆっくりしなさい』とは言ってくれなかった。
えびまよはヘチマにこぼそうとした。
しかし、ヘチマもまた憤慨している。
「たしかに、おれはここで働きたい言うたよ。けど、おまえ、製材の話してたやん。営業はないやん。完全に後出しやん」
なら社長やるか、と聞くと、
「ボケ。営業の親玉が社長や! おれは人に売り込むのがキライなんじゃ!」
よほど腹がたつのか、車を運転する間も終始無言だった。
ふたりはお市に連れられ、なじみの工務店を挨拶して回った。
ヘチマも客の前では不機嫌を見せず、
「覚えにくかったら、ヘチマでいいですよー」
どうぞご指導ください、と調子のいい挨拶をした。
名刺交換の後は、もっぱらお市が顧客と話す。ふたりはあいまいな笑みを浮かべて控えていればよかった。
お市はわが家のように、どかりとソファに座って、
「で、新役員就任のお祝いにサンゴ角(約10センチ角の柱材)百本ほど買ってください」
「おまえ、この前も会社作ったからご祝儀くれ言うて、注文とってったんやないか」
「福が福を呼ぶ! めでたいことって、かさなるんだよねー」
お市は出された茶菓子をボリボリ食べ、注文をねだった。
この男はどこでもかしこまるということがない。親戚の子が来たような顔をして、社長や大工を呼びつけ、あれはどうした、お茶をお代わりと、自由にふるまっている。
社長のほうも怒るでもなく、ヒマつぶしにもってこいの悪友が来たように迎え、よもやま世間話を楽しんだ。
えびまよは感嘆した。
(甘え上手やなあ。こんなオラオラでも仲良うやれるんや)
ただのひやかしのような訪問でも、客によっては、
「ご祝儀や」
と注文を出した。
お市はヘチマに言った。
「な。簡単だろ。月いっぺん見回って、板買えって、言えばいいんだよ。言わなくてもいいけどさ。そんときゃ、適当に話でもして」
だが、ヘチマはえびまよとは違う感想を持っていた。
「ムリムリムリ。とてもあんな風には言えません。勘弁してください。一般人なんで。お市さんとは違うんで」
「おれのマネしなくていいんだよ。ただ挨拶ついでにちょろっと、おっさん元気かって。――うちは、ネットで注文できるけど、ああいう人は、機械だけのつきあいを嫌うからさ」
ヘチマは首をふるわせた。
「あれはお市さんのお客でしょ。おれがお愛想言ったって、注文にはつながりませんよ。お市さんみたいに博識やないし」
たしかに、お市はプロの建築士相手に仕事上のどんな話題にも、情報を持っていた。
「図書館行きゃいい。一日こもってインプットする。おれだってそうしたんだから」
「頭の出来が違うんですよ! それに、そんな付け焼刃な知識でプロと渡り合えるほど、おれ器用やないんですて」
「そうか」
お市はあっさり言った。
「じゃ、やめとけ。明日から運転手だけたのむわ」
えびまよはヘチマを見て、あれ、と思った。ヘチマはよろこばず、ショックを受けたような顔をしていた。
翌朝は雨がひどかった。
テツがえびまよを呼び、
「じつは、お市のやつ、腹こわして熱出しててな」
残り二十五件はふたりで回ってくれ、という伝言をつたえた。
(なぬー!)
えびまよは一応言ってみた。
「……じゃあ、今日は中止で」
「相手先に電話だけはかけさせるよ。雨で山にも入れないし、行ってこい」
テツに圧され、えびまよはしぶしぶヘチマのSUVに駆け込んだ。
顧客リストを見ながら、お市の無責任にプリプリ怒っていると、ふとヘチマが静かなことに気づいた。
「どしたん。おまえも具合悪いんか」
ヘチマが何かをつぶやいた。えびまよは聞き返した。
ヘチマははっきり言った。
「おれ出てくわ」
えびまよは答えなかった。
雨がフロントガラスに散り、ワイパーの動く音だけが大きく聞こえた。