ハムスター・レジスタンスの危機
六月に入り、テツは言った。
「集中して、貯木池までの道を仕上げてしまいたい。八月には杉が伐れる。それまでに寺に第二貯木池を掘って、杉を放り込んだら、おれとお市は退散する」
お市は工務店からのツテで、壊れたバックホーを手に入れてきた。えびまよに修理させ、これでチームをふたつ作った。
ヘチマが提案した。
「ルイチームはこのまま進んで、えびチームが貯木池から道を伸ばしてくるのはどうやろ。合流したらゴール。トンネル開通みたいで胸熱やん」
二ヶ所から、道の開削工事が進んだ。
すでに蒸しはじめていた。えびまよとヘチマは交代で水をガブガブ飲み、熱い重機と格闘し、道を削った。
まず進路にある木を切り、根を掘り起こさねばならない。
バックホーで斜面の土を垂直に切り落とし、軽トラが一台通れるほどの道幅を削り出す。その上をバックホーで何度も往復し、道を押し固めるのである。
きれいに均しても路肩は崩れやすい。そのため、切り株を挟んだり、表土を埋め込む。表土には種が混じり、いつか植生が自然の土留めとなる。
夕方、えびまよとヘチマはあ然とした。
「一日働いて五メートルいかんのか」
しかも、やはり路肩の積み上げが甘く、あとでやり直さねばならなかった。
ヘチマはぼんやりつぶやいた。
「道路工事のおっさんて、あれ偉いもんやったんやな」
「そうやな。道って勝手に水平にはならんのやな」
昼は四人で弁当を喰った。冷茶をガブ飲みし、梅や塩昆布、シソをまぶしたにぎり飯にかぶりつく。疲労のため、みな無口だったが、食事の空気はおだやかだった。
時々、青空が差し入れを手に登って来る。
青空は長くのびた林道を見て驚嘆した。
「ふおおおお! 山が生き返った! 空気が流れてる」
道が通り、森に隙間が開いて、涼風と陽が入っている。周囲の木々が呼吸していた。動脈に血が通うように、山が生気を帯びていた。
ふたりの老人も陰からこれを見ていた。
栄作と広海は、あとで仲間内で報告するために、しばしば現場をチェックに来ていた。
不器用ではあったが、道は日々、数メートルずつ伸びている。重機の扱いも手慣れて、無駄な動きが減り、効率があがっていた。
なにより若者たちの顔色が変わった。活気があり、笑い声があった。
広海はつい、言った。
「あの細い子も前より塩梅ようなってきたんないか。――おまん、なにしとるんよ」
栄作は後ろを向き、若者たちを見なかった。なぜか、ひどく不機嫌になり、早く戻ろうとうながした。
ある時、若者の伐った木が、立ち木にひっかかったことがあった。枝葉のついた木は重く、人力ではどうにもならない。
(やーい、あんぽんたん)
老人たちが陰で哂っていると、テツが背後から聞いた。
「ああいう場合は、どうやって倒すんですか」
ふたりの老人は飛び上がり、逃げるに逃げられずあわてた。
テツの細目に迫られ、広海が、
「『投げ倒し』でいけるんないですか」
小声で言った。
倒れて引っかかった木の上に、別の木を倒し、ずり落とさせるという方法である。
果たして、それはうまくいった。二本の木は見事に倒れ、ヘチマとえびまよは感嘆した。
「ありがとうございます」
「さっすが山のプロフェッショナルや。また、ご指導お願いします」
腰を深く折って、頭を下げた。
広海はあいまいにお辞儀し、そそくさと退散した。
「かかり木ぐらい処理できなくてどうするんよ。ほやから素人はだしかんのや」
広海は自分の森に戻ってから、いつにも増して多弁だった。
「まったく。装備ばか丁寧にこしらえても、なんも知らんのやもなあ。ままごとや。あぶなっかしいったらないわ」
栄作は、
(こいつ、よろこんどる)
と敏感に察した。
よくない傾向だった。
栄作は事態をあやぶんでいる。
よそ者たちは味をしめ、あれからちょくちょく村人に知恵を借りに来る。道具の研ぎ方や、主伐まで残す木の見方、作業道の場所についても意見を求めてきた。
村人たちは、遠慮がちにだが、まじめに考えて教えてやる。
仲間内では、さんざん若い連中をバカにしながら、また呼ばれるのをうずうずと待っているのだった。
栄作は若者たちがニコニコして、
「おかげで助かりました」
などと礼を言ってくると、ぞっとした。
(今まできた連中も、愛想はよかった。でも泥棒に変わったんだ)
栄作は、白い綿毛のような頭をした、よしの姉さんに相談した。
ところが、よしのの答えも頓珍漢だった。
「まあ、タダでやっておくれる言うんやろ? 間伐だけはしてもろたらええんないか?」
「はあ?」
話が違う。よしのはこともなげに、
「間伐してもろて、どんな人間か見ておくんよ。なじめそうやなあ思たら、受け入れたらええがな。あかんかったら、そん時は出てってもろて。お見合い期間や」
「そんに都合よく行くかい!」
栄作は言って、見慣れぬものに気づいた。
茶だんすの上に、小さい麦わら帽子がふたつあった。よしのが手で編んだものだが、あきらかに子ども用だった。
「――孫のや、ないな」
よしのはあわてて帽子を仕舞い、
「ま、わたしはあれよ。悪い子やったら、入れん。ええ子やったらかまわん。一貫してそういう意見やがな」
「いやいやいやいや。一貫しとらんで。そういう話やなかったで」
「いいえ。そうです」
よしのはすまして言った。
「もともと、この村の安全から発した話や。犯罪するような変な人やない、真人間で仲良うやれる子なら、ウェルカムや。空き家も田もたんとあるんやし。若い子いたら、おまんたも心丈夫やろが」
栄作はあ然となった。
「どしてそんに変わってまったんよ!」
よしのの家には、千里と万里が出入りしていた。
ダンディが幼児ふたりを連れて散歩しているのに出くわし、桃の頬をした愛らしい生きものに、つい見とれてしまった。
ダンディはぬけめなく、
「すみません。トイレお借りしてもいいですか」
子どもを連れ、よしのの家に入り込んだ。にぎやかにしゃべり、茶菓子を出させ、ふたごにかわいいお辞儀をさせて去った。
それから、たびたびやってくる。子どもは青空からの届け物を抱えていたり、野辺で花を摘んできて、よちよち差し出した。
最高齢おタカ婆も、子どもに釣られてお茶にくるようになっていた。
(女衆はだしかん)
栄作はがっかりして、よしのの家を出た。
この村の人間は、善人だった。ひとを恨むのが苦手で、忘れっぽい。小ずるい都会人には立ち向かえないのだ。
家に戻ると、郵便屋が回ってきていた。
「赤石さんはコレ」
見慣れない大きな封筒が渡された。家で開封し、栄作は、
(これで反攻できる)
と、思った。